研究をしよう
今回は珍しく、小説研究のテクニックなんぞを。いえ、たいしたことはないのですが。
『書き手』となった人間なら、絶対、思うこと。
『書ける話と、書きたい話はイコールではない』
いや、中には、最初からイコールという天才もいるかもしれません。
でも、たいていのひとは、『うーん、どうしたらいいのやら』と思うと思います。
で、どうするか。結局、読むのが一番。好きな話の構成を分析するのも良いと思います。
何が、その話で面白いのか、考察する。
つまらない話を読んだ時は、どうすれば、自分がその話を『面白い』と感じられるのか、考えてみる。
ただ、つまらない話、に関しては、できれば『商業小説』で考察するのが良いと思います。
少なくとも、『誰か』にとってはお金に値するものだと出版社が思ったのですから、どこかにその価値があるわけですので。
以前、なろうのテンプレを分析するのに、私がしたのは、とにかく『完結』した人気作を捜しました。
どんなに面白い作品でも、完結していない作品の場合は、研究対象としては論外です。
なぜか。まず、構成の勉強にはなりません。
『広げっぱなし』というのは、意外と面白いものです。物語は『広げる』より『たたむ』ほうがはるかに難しいのです。
極端な例を出せば、殺人事件が次々に起きて謎が謎を呼ぶ、それを書くのはとても簡単です。問題は、『解決』がきちんとされるかどうか、です。作者が、意図を持って、おこした事件であれば、それは解決されるでしょう。なんとなくおもしろそうだと作った事件だったら、それに理屈をつけるのは至難の業。事件は迷宮入り確定です。
私自身が研究したのは『悪役令嬢』ものですが、この面白さは、まず、タイムパラドックス的な話の二重構造であり、勧善懲悪的な爽快感です。
お姫さまとか王子様などの見せかけの小道具ではなく、構成やしかけ的な面白さを見つけることができたら、何も『悪役令嬢』を使わなくてもいいのです。
たまに、非テンプレの人が、かたくなにテンプレを否定するのをみますが、面白いものには理由があり、その理由は、必ずしも『見せかけ』のものとは別ということもあるのです。
単純にストーリーを追っているだけでは、自作に生かすことはできません。
面白い作品の何が人を引きつけるのか、とにかく、考え抜けば……『書きたいもの』と『書けるもの』が近づくきっかけになるのかなあ、と思います。
エッセイジャンルの嵐が静まったころに、こっそり書く(ちょい卑屈)