勧善懲悪
いつもありがとうございます。
勧善懲悪は、ものがたりの王道中の王道。
誰もが『あいつは悪』という敵がいて、主人公が、困っている人々を助け、敵をコテンパンに懲らしめる。
この物語形式は、昔からとても愛されてきました。
しかしこの構図の『絶対悪』という存在を作るというのは、実はとても難しいです。
時代劇なんかで、出てくる『贋金づくり』をするお奉行なんかでも、『人間性』を書きこんだりすると、急に親しみがわいてしまいます。主人公がカッコよく、相手を倒すというのでも、みねうちならともかく切り捨てちゃうとなると、そういう描写は邪魔ですね。
まあ、厳密には、みねうちでも人は死ぬし、そうなったら、切られるより酷い気がするけど。
シリアス作品で、絶対悪を作る場合、それは、ひどく残忍で、どうしようもない存在になるでしょう。
書いていて嫌になるくらい、ひどい存在でなければ、逆に、主人公の善がかすみます。
物語が複雑になればなるほど、勧善懲悪という図式は難しいものになります。
昔の超古い西部劇で、インディオが不当に絶対悪の位置に置かれていた時代、良くも悪くも、物語の骨組みは非常に簡単でありました。
ファンタジーで言いますと、『蛮族』=『悪』の公式が成り立つ作品は、非常にわかりやすく、話が展開します。
それが、好きか嫌いかは別として、『これは悪です』というラベルをベッタリ張った悪役は、情け無用でぶった切ったところで、主人公を非道と責めることは誰もしません。血塗られているとも、言われませんから、痛快な物語を作るのであれば、絶対悪という存在を作ることは大切なことであります。
最近、そこまで、ラベルベッタリなのは、子供向けの戦隊ものくらいしか見なくなりつつありますけれども。
やっぱり、知性ある相手が『敵役』である場合、なかなか、絶対悪という存在にするのは難しいですね。
悪を倒すというより、悪を懲らしめる『水戸黄門』程度のほうが、人間相手であれば描きやすいのかなあと思う、今日この頃です。