表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

鬼と花嫁

作者: いっちー

 時は、文明開化の目まぐるしい明治の中頃――酸素を奪われるかのような、蒸し暑い夜。

 雲間から覗く満月が、盛土の並ぶ墓地を照らしていた。

 盛大な蛙や夏虫の鳴き声が辺りを包み込む。

 そこに、ザッザッと不自然な音が混じっていた。

 小さな小さな、成人男性のてのひらほどの人影が、できたての墓を掘り返していたのだった。

 彼は色褪せた着流し姿で、額中央には小さな角が生えていた。

 その背後では、蟻やミミズ、莵だとか、犬、猫などたくさんの虫や動物が、観客のように彼を見守っている……。

「さて、と」

 小鬼は、現れた棺桶の蓋の上にあぐらをかくと、袖をたくし上げた。

 動物らが、彼を首を伸ばして覗き込む。――コンコンッ

 二度、彼は拳で打ち鳴らした。

 耳を澄ませて待てば、中から「はぁい」と返事があがる。

 彼は姿勢を正し、空咳を二、三して声を整えると、口を開いた。

「よ、よお、お(ひい)さん。俺様は……あー、神様なんだが」

「神様ぁ?」

「ああ。で、だ。今、ちょうど花嫁を探しててな。どうだい、お姫さん。あんた、俺様の花嫁に――――――ぬおっ」

 唐突に蓋が開いて、彼は、ゴロリと地面に落ちた。

 ぶるりと首を振って上半身を起こし……小鬼は、ポカンと口を開けた。

 土埃を払うのも忘れて、棺桶の主を凝視する。

「やンだねえ。こンな小っさな神様があってたまっかね。お断りだよ。他ァ当たりな」

「んな、んな、んな……」

 白眉を寄せて言い放った死者――お年をかなり召した乙女に、小鬼は唇を戦慄かせた。

 そんな彼の様子など気にも留めず、老婆は「おめえさん、ちゃんと土ィ盛り直してね」と言い置くと、ひらりと手を振って、棺桶の中に戻ってしまう。

「さー、ゆっくり寝るべ」

 ガタン、と器用に、内側から蓋がしまった。

 一拍後。

「だああああああああッ!!」

 小鬼は、三白眼を更に吊り上げ、短な髪を掻きむしって吠えた。

 続いて、顔を真っ赤にして、背後を振り返った。

「誰だっ! これ、これ、これっ、どっこが生娘だ!? ババアじゃねぇか、この野郎!!」

 ……すでに、彼を囲んでいた動物たちの姿はない。

「ババアで悪かったね! これでも、あたしゃ生娘だよ!!」

 と、蓋が勢いよく開いて顔を見せた老婆が、生者顔負けの声を張る。

 再び吹っ飛ばされ、地に仰向けに転がった小鬼は、バネ仕掛けの如く身体を起こし、唾を飛ばして言い返した。

「バーロー! 生娘ってのはなぁ、『生々しい娘』って書くんだよ! しかもてめぇ、死んでんだろーが! 生娘の『き』すら合ってねぇ! 少しは自重――――ぎゃあっ」

 小鬼は、容赦のない平手打ちをかまされ、地に沈む。

 老婆は鼻から荒い息を逃すと、再び土中へと戻っていった……

「………………すっげぇ苦労して、掘り返したのに、ふりだしかよォ」

 地面に突っ伏せた体勢まま、小鬼は天にぽっかり浮かんだ満月を見上げて、溜息を零す。

 と、その彼の頭に、ばさあっ、と、一塊の土が放られたのは、その時だった。

「ぶっ! だ、誰だ! この俺様に土ぃかぶせた馬鹿野郎は――――」

 土の山から泳ぎ出た小鬼は、一人の少女と目が合った。

 両手を振り上げたまま、息を飲む。

 時が止まった、と彼は感じた。

 墓地には似合わない、てらりと輝く絹のブラウスに、膝丈の紺のスカート姿の少女だった。

 年の頃は一五、六。

 漆黒の、少しくせのある髪を右耳の後ろでゆるりと束ね、意志の強そうな猫目が印象的な、細面の愛らしい少女がスコップを片手に立っていた。

「よ、よお。お姫さん」

 小鬼は、拳を作った手でもってさりげなく髪を撫でつけた。

 何か気の利いた台詞でも……と考えた時、ぶん、と宙を、不吉なにぶい音が過ぎった。

「ひっ」

「きゃああああ! 虫! 虫い!!」

 少女が、手にしていたスコップを容赦なく小鬼に振り下ろしたのだ。

「虫じゃない!! お、お俺様は、神様だ!!」

「きゃー! きゃーっ! きゃあッ!!」

「ちょ、おま……」

 紙一重で一撃は避けたものの、二撃目は正確に彼の頭頂をとらえていた。

「まっ、待てい!!」

 小鬼が喝を飛ばす。

 と、ピタリと少女が動きを止めた。

 ……恐る恐る、と言うように、見下ろしてくる少女に、小鬼はできうる限りの優しげな表情を浮かべて、再度、自己紹介をした。

「えー。あーあー。俺様は、虫じゃねえ。いいか? 虫じゃなくって、神様だ」

「神様?」

 少女はスコップを手にしたまま訝しげにした。

 小鬼は、暫しの間、少女の様子を窺ってから、そろそろと前へ突き出した両手を下ろし、警戒を解いた。不敵な微笑みを浮かべる。

「お姫さん。俺様の花嫁にならねーか?……いや、なってくれませんか」

 スコップが視界にチラつき、思わず小鬼は言い直した。

「花嫁?」

「な、何でも、願い叶えてあげるから」

 あたふたと小鬼は付け加えた。

 きょとんとする少女は、深く首を傾げた。

「ほんとう?」

「本当本当。……さ、三回までだけど」

「じゃあ、なる」

「……え? 本気?」

「うん」と、スコップを下ろして頷く少女に、小鬼は隠れて「よし!!」と、拳を作った。

 その彼に早速、彼女は問うた。

「ね、ね。お願いごと言っていい?」

「ああ、いいぜ。どんとこい」

「三回までのお願いごとを――――」

「増やすのはなしだぞ」

 すかさず小鬼が断れば、少女は不満の声をあげる。

「えー!! もう一回り!!」

「三個までだつってんだろ!!」

「ケチ! 神様のくせに、ケチ!!」

 ふい、とそっぽを向いて、少女は頬を膨らませる……年甲斐のないその態度に、小鬼はひくりと口の端を引き攣らせた。

 人選を誤ったかもしれない、と、自身の短慮に不安を感じたのは、言うまでもない。


     * * *


 一柱と、少女――圭子と名乗った――が向かったのは、東京の、とある喫茶店だった。

 橙色の電灯が薄ぼんやりと照らす中、寝ぼけた店員が、次々と二人の席に皿を運んできた。

 乗っかっているのは『あいすくりん』だ。

「お前、もっと、こう、賢い……と言うか、壮大な願いとかねぇのかよ」

 間断なく、皿と唇を往復するスプーン……

 テーブルの上であぐらをかいた小鬼は、呆れ返った。

「世界平和! とか、あなたにできるようには思えないし」

 口に広がる冷たさと甘さに、感動しながら、圭子は簡素に述べる。

 全くその通りで、小鬼には言い返す言葉がない。

「お金だって、今以上に欲しいとも思わない。素敵な服も、宝石も、身に余るわ。だったら、舌を満たすのが最もあたしの希望に添っているわけよ。――っていっても、これだって十二分に贅沢なのよ? あいすくりんったら、かの鹿鳴館で、お偉い様方にデザートとして振る舞われていたりするんですからね」

 こんもりと、冷たい乳製品の固まりを掬い上げ、圭子は表情を緩ませた。

「うふふ。一度、やってみたかったのよねえ。お腹いっぱいの、あいすくりん!!」

「腹壊すぞ……」

 あーん、と大口に放り込んだ圭子に、小鬼は、なんとかそれだけ言い返した。

 ……さんざん運ばれてくる皿を平らげたあと、圭子はお腹をさすりながら、不意に、口を開いた。

「ねえ、ねえ。神様ってどうしてそんなに小さいの?」

 圭子の触れてくる指先を、「突くな!」と叩き落としてから、小鬼は唇を突出し、忌々しげに応えた。

「お前らが俺様を忘れたからだよ」

「忘れた?」

「おう。物が溢れて、時間が早くなって、人はみーんな忙しくなっちまって……俺様みてぇな無名の神様(やつ)は、都合の良い時以外は不要になっちまった。お前らの日常からほっぽり出された。小さくなっちまった。……しまいにゃ、鬼だとか魑魅魍魎扱いされる始末だ」

「忘れられたままだと、どうなるの?」

 圭子の問に、小鬼は押し黙る。

 それで、大概のことは察したのか、彼女は顎に手をやり、唸った。

「ふーん。だから花嫁探してたんだ」

「べっ、別に、寂しかったとか、そういうんじゃなくて」

「うん。覚えていて貰わないと、消えちゃうんでしょ」

「…………そうだよ」

 スプーンを突出し、言い当てた圭子は、クルリとそれを器用に回した。

「切実な問題」

 それから、先端で唇をなぞるようにして、思案する。

「もとの大きさに戻るには、たくさんの人に知って貰わなくちゃならないんだ。そのための花嫁……ってわけ」

 彼女は言葉を飲み込んで、「あれ?」と、眉根を寄せた。

「でも、何で墓地になんていたの?」

「高望みはしないって決めたんだ」

「それじゃ、現状維持しかできないでしょ」

 一人でも覚えていてくれる人がいれば、これ以上、小さくなることはない、と考えての苦肉の策だった。

 が、死者では世間と関わることができないため、彼の存在を広く知らせることはできない。

 昔のように多くの信仰を集められない――元の大きさには、戻れない。

 鋭い指摘に、小鬼は「十分だ」と、吐き捨てる。

 それ以上、圭子は聞かなかった。

「ごちそう様でした」

 暫く黙々とあいすくりんを口中に運んでいた圭子は、空になった皿の上にスプーンを乗せると、顔の前で両のてのひらを合わせ、頭を下げた。

 それから小鬼に向き直ると、悪戯っ子のような表情を浮かべた。

「二つ目のお願い事を言います」

「お、おう」

 改まって言われると、何となしにびくりとしてしまう小鬼だった。

 圭子は、とんでもないことを口にするかのように息を吸い込んだ。

 小鬼が身体を強ばらせる。

 圭子は叫ぶように、願いを舌に乗せた。

「思いきり遊びたい、です!!」

「……何をして?」

 小鬼が冷静に問う。

 圭子はきょとんとした。

「な、何を? え、えーっとねぇ……」

「色々あんだろ。俺様はよく知らねーけど」

「あたしも、あんまりよく分かんない」

「はあ?」

 困ったような圭子に、小鬼は脱力する。

 訪れる、小さな沈黙。

「ったく。仕方ねぇな」

 短い溜息を零した小鬼は、スッと喫茶店の窓に手を翳した。

 窓が押し開かれる。

 小鬼は圭子を誘うようにして、彼女の前に立った。

 と――――ビュンッ

「きゃっ……」

「少しは神様らしーことしねぇとな?」

 一陣の風が、二人を窓外へ掠った。

 耳をかすめる風の音に飲まれて、圭子は夜空に舞い上がった。

 その肩口に小鬼がしがみつく。

 二人はそのまま、みるみるうちに高く高く天を舞い上がり、眼下に広がる町が十分小さくなると、唐突に、宙へ投げ出された。

 圭子が膨らんだスカートを押さえて、目を瞬かせる。

 ……不思議にも、二人は川面を滑る落ち葉のように、夜を漂っていた。

 月を目指して、光の粒子が舞っていた。

 星が、手に届きそうなくらいに近かった。

 初めこそ驚き怯えて、身体を縮こまらせていた圭子だったが、落下しないと気付くと、思いきり手足を伸ばして、泳ぎ始める。

 空中を蹴って高飛びし、くるり、と回転する。

 その瞳に、子供のような輝きが過ぎる。

 小鬼は苦笑した。

「楽しいかー」

「うん! 本当に楽しい!! ありがとう、神様!!」

 夜に寝そべり、頬杖をついていた小鬼に、圭子が破顔する。

「お、おう」

 予想外の素直な反応に、度肝を抜かれた彼は、大したことないと肩を竦ませ、顔を背けた。

 何だか気恥ずかしくなってしまったのだ。

 その時だった。

「どうした?」

 小鬼は圭子のもとへ走り飛んだ。

 今の今まで、元気に飛び回っていた圭子が、胸元を押さえて蹲っていたのだ。

「ん? ちょっとはしゃぎ過ぎちゃって……」

「本当にお前、ガキみてぇな女だな。ちょっと落ち着け」

 呆れるように言ってから、小鬼は右手を軽く鳴らした。

 宙に一本の瓶が現れた。

 それは誰の手も患わせずに傾き、液体を吐き出した。

 弧を描き、月の光を照り返すそれを、小鬼は自分の背丈ほどのワイングラスで受け止める。

「わあ、綺麗!」

 星の浮かぶ闇色の液体が、たぷん、と揺れた。

 小鬼は、手を打って喜ぶ圭子に、グラスを押しつけた。

「いちいち感想はいいから。早く飲め」

「これ、なあに?」

「水」

 不思議そうに、圭子は手にしたグラスを覗き込む。

 小鬼は素っ気なく付け足した。

「下の喫茶店から失敬してきた」

「なんだか、化かしたぬきみたいな神様ねぇ」

「化かしたぬきってなんだよ! 失礼千万だろ!?」

 逆毛を立て、小鬼が声を荒げる。

 圭子はきゃらきゃら笑うと、夜空に腰掛け、グラスを傾けた。

 すかさず瓶が傾き、器は液体で満たされる……

 圭子は、ふいに黙り込むと、手の中のグラスを見下ろした。

 水面に揺れる自身の顔を眺める。

 ややあってから、彼女は口を開いた。

「ねぇ、神様。人って死んだらどこ行っちゃうの?」

「さーな」と、まだ臍を曲げている小鬼は、そっぽを向いたまま、投げやりに言った。

「さーな、って神様でしょ? 知ってるんじゃないの?」

「何だよ突然。……どーせ俺様は化かしたぬき並の神様だからな。知らねーよ」

「まだ気にしてるの? 器の小さな男は嫌われるよ?」

 一瞥を投げて、再びそっぽを向いた小鬼に、圭子が呆れ返った声をあげる。

 小鬼はぎりりと奥歯を噛みしめながら、しぶしぶ圭子の方に身体を向けた。

 次は「さすが!」と思わせる答えを返す! と、気合いを入れるかのように、鼻息が荒い。

 けれど。

「じゃあ、さ。どうして死ぬって怖いの?」

「………………か、考えたこともない」

 はあ。と、あからさまな溜息が落ちる。

 小鬼は、下唇を噛むと、肩を縮こまらせた。

「この世界はさ、たくさんの命の上に築かれているわけでしょ。私も、それを辿るってだけなのに」

 誰にともなく、圭子は言った。

 小鬼は顔を上げて、彼女の横顔を見やった。

 圭子は、視線を、グラスから眼下に広がる夜の町に流した。

 まばらに輝く町の光は、蛍火のように、力強さと、儚さを漂わせている……

「あたしを知る人は死んで、あたしは忘れられて、この世界から消えちゃう。完膚なきまでに、あたしと言う存在は消えちゃう。それで良い。それが自然。……なのに、あたしは、それが怖くて。こんな風に、びくびくしてる」

「あん? お前は消えねぇよ。俺様が覚えてんだから」

 当然のことだと、小鬼は鼻を鳴らした。

 圭子が息を飲む。小鬼も、何故彼女が呆けるのか分からず、目を瞬かせた。

 静寂。

 それ破ったのは、圭子の微笑だった。

「なにそれ。ちょっと恰好良い」

 はにかむ彼女の熱が伝染したように、小鬼はみるみるうちに赤くなった。

「ばっ、ばっ、ばっ……あ、当たり前のこと言っただけだろーがっ」

 怒ったようにそう叫ぶと、彼はパチンと再び指を鳴らした。

「そろそろ遊びもお終いだ」と、小鬼の宣言通り、ワイングラスと、瓶がパッと消える。

 続いて、二人の身体は重さを思い出したかのように、下へ下へと下りていった。

 ……やがて元いた墓地にふわり、と綿のように、圭子が着地する。

 その目前に、小鬼も降り立った。

「で。三回目の願いは」

 足が地につくやいなや、彼は催促した。

 圭子は、きちんと両手を下腹部の辺りで重ねると、はっきりと答えた。

「結婚の解消」

「は?」

「離婚してください。神様」

 言って、圭子は頭を深々と下げた。

 小鬼がその言葉の意味を理解するのに、暫しの時間を要した。

「…………お前、お、俺様を、弄んだのか」

 様々な台詞が小鬼の頭を過ぎったが、結局口をついて出たのは、何だか、どうしようもない言葉だった。

 圭子は肩を竦めた。

「弄ばれる方が悪いでしょ」

 小鬼は、後頭部に鈍器を振り下ろされたような衝撃を感じて、くらりと目眩に襲われた。

「って言うか、『願いごと叶えてあげるから』なんて、利用されてポイされるに決まってるでしょう」

 そこまで言われては、もう、ぐうの音も出ない。

 小鬼は、パクパクと唇を無意味に開閉させて、圭子を見た。

 彼女が冗談を言っているようには見えない。

 小鬼は、嘘でないと改めて理解すると、がっくりと項垂れた。

「お前らは、いつだってそうだ」

 ぼそり、と口から恨めしげな声が漏れる。

「俺様はずっと、お前らのこと守ってきた。怪我しねーように、って見守って。米の出来高が下がらないように、って祈って。夫婦に子供授けて、病気とか事故から遠ざけて」

 小鬼は顔を上げた。

 少しだけ、三白眼がうるんでいた。

「なのに! てめぇらは勝手にも俺様のこと忘れて……! 俺様は、こんなに小っさくなっちまった!! 力だって、ほっとんどなくなっちまって……!!」

 できる事と言えば、動物たちの話を聞いたり、小さなものを持ち出したり、浮かばせたりなど、ささやかなことばかり。

「ふざけんな!! 祟ってやる!!」

 袖で目元を拭って、彼は言った。

「理由なき離婚は認めない。無理矢理でも離れるっつーなら一生祟るぞ!? いいのか!?」

 圭子が目をぱちくりさせる。

 小鬼は、唇をきつく噛んで、しゃがみこんだ。

 ……いつからだったのか、はっきりしない。

 気がついたら、彼の身体は小さくなっていた。

 気がついたら、彼の不思議な力は弱まっていた。

 できることが少なくなって――「いらない」、と言われているように、小鬼はいつしか感じるようになっていた。

 いらないから、小さくなったのか。

 小さくなったから、いらないのか。

「使えねー神様は、いらねぇのかよ」

 膝に額を押しつけて、呻く。

 圭子は、慌てて小鬼の側にしゃがみ込むと、首を振った。

「違うの。そうじゃなくて。あたしじゃ役に立たないって言うか……」

「俺様は、お前に何も望んでねぇだろ!?」

「本当はもとに戻りたいんでしょ? だったら、たくさんの人に、あなたの存在を教えてくれるような……そんな、時間のある人を花嫁にしなくちゃ」

「時間とか、意味が分からん! せめて、せめて、振るなら、俺を知ってから振ってくれよ!!――お、おい?」

 突如、圭子はウッと身体を震わせ、口元を両の手で覆った。

「どうした……?」

 ごほ、と重い咳が、薄い唇から溢れ出た。

 小鬼はぎょっと目を剥いた。

 指の間から、赤い液体が滴り落ちたのだ。

「お、お前、血…………っ」

「あたし、時間があんまりないの。来週には、サナトリウムに放り込まれるのよ」

「サナトリウム?」

「もう、二度と帰ってこられない療養所」

「お前、どっか悪かったのか」

 呆気に取られる小鬼の問いには答えず、圭子はスカートの裾で口元を拭うと立ち上がった。

 草を濡らした赤を凝視していた小鬼は、口元を引き攣らせた。

「…………お前、墓で何してた?」

「自分の墓穴を掘っていましたが、なにか?」

 それが本当か冗談かは、小鬼には分からなかった。

 けれど、彼女がそんなことをするような精神状態であり、かつ、胸を病んでいると言う事実は把握できた。

「おかげで最期にとっても楽しませて貰ったわ。ありがとう」

 圭子はちょこんと頭を下げると、小鬼に背を向けた。

 小鬼はグッと拳を作ると、声を張り上げた。

「ちょ、ちょっと待てよ」

 圭子の歩みが止まる。

 小鬼は、彼女の前に走って回り込むと、両足を踏ん張って、彼女を見上げ叫んだ。

「お、お前――――お前、馬鹿だろ!? まずはお前、それを言えよ! あいすくりんとかどうでも良いこと言ってんじゃなくてよ!!」

「いやよ! そんなのズルじゃない!」

「はあ!?」

 圭子の絶叫に、小鬼は顔を顰めた。

「たまたまお願いごと叶えて貰えるらっきぃに、そんな運命的なこと願っちゃ……自力で治そうとしてる人に対して、失礼よ!」

「意味わかんねぇ!」

 小鬼は頭を抱えた。

 願いを叶えて貰えると言うのに、病人が病の治癒を望まないことがあるだろうか?

 しかも、それで治ったらズルだと、圭子は言う。

 小鬼はより一層、人間が分からなくなった。

「ちょっと待て。じゃあ、お前の願いが、すっげぇくだらなかったのも……」

「だって、あなたケチなんだもの。残るものを願ったら、返せって言われるかもしれないじゃない」

 小鬼は絶句した。

 圭子は、ぷっと頬を膨らませると、小鬼から顔を背けた。

「あたしだって花嫁になれるならなってたわよ。だけど、あたしには時間がないんだもの。あなたのこと、もとになんて戻す時間なんて、ないんだもの。あなたは『花嫁を探してた』と言った。あたしである必要性はないじゃない。いいじゃないの。可哀想な子に少しくらい優しくしたと思えば。冥土の土産に、ちょっとくらい良い思い出、ちょうだいよ!!」

「ひ、開き直ってんじゃねぇよ!!」

「…………ごめん、なさい」

 圭子は素直に頭を下げた。

 小鬼は幾度か呼吸を繰り返し、心を落ち着かせると、空咳を落とした。

「確かに探してた。確かに、俺は花嫁を探してて、初めは、お前である必要性はなかった。ああ、確かになかった。だけど……もう、お前じゃなくちゃ嫌なんだよ」

「は……は?」

 ポカンとする圭子に、小鬼は言い募った。

「お前のこと、気に入り始めちまったんだよ」

「ど、どこでそんな風に思っちゃったわけ!?」

「わっかんねぇよ!」

 圭子が目をぱちくりさせる。

 小鬼は、キッと睨め付けるように彼女を見上げた。

「それに、俺様は、お前が死んでようが、生きてようが、どっちでも良い!」

「それだと、あなたは元に戻れないし、小さいままで――――」

「構わねーよ!」

 はっきりと、小鬼は告げた。

 言葉を失って、圭子が黙り込む。

 小鬼は地面に視線を落とした。

 それから何とも言えない沈黙に耐えかねて、彼は問いを口にした。

「お前はどうなんだよ。俺様のこと」

「わ、分かんないわよ。まだ出会って間もないし……」

「嫌いか? 無理か? 俺様を気に入る可能性はないのか?」

 顔を上げた小鬼と、圭子の視線が交錯する。

 圭子は気恥ずかしそうに目線を流すと、ぽつり、と言った。

「…………ぜろ、ではないけれど」

「じゃあ、大丈夫じゃねぇか」

 夜風が二人の間を吹き抜けた。

 草花が、二人を笑うように、さわさわ揺れた。

「で? 三つ目の願いは?」

 小鬼が焦れったそうに、唇を突き出し促す。

「生きていても、死んでいても、構わない、なんて……へんな求婚」

 彼女はフッと噴き出すと、座り込んで小鬼と目線を合わせた。

 それから、優しく彼の手を取った。

「分かったわよ。言うわ。三つ目のお願い。……それは」

 一つ、吐息を落とし、言葉を続ける。

「――――結婚の保留」

「この期に及んで!? お前は、鬼か!!」

 裏返った声で叫ぶ小鬼に、圭子は肩を竦めた。

「仕方ないでしょ。あなたが気に入り始めたあたしを、あたし自身がまだ、ちっとも好きじゃないんだもの」

「だから何だよ!?」

「好きになってみたいのよ。自分のこと」

 圭子の言葉に、小鬼は顎が外れるくらいに口を開けて、呆れ返った。

 さっぱり分からない、と、心の声が、だだ漏れる。

「だって、あなたが好きだとか言うんだもの。だったら、あたしだって、好きになってみたいじゃない。諦めてた人生だけど……一生懸命生きて、好きになってみたいって思っちゃったのよ」

「……余計なこと言っちまったのは、俺か」

 ガクリ、と小鬼は頭を落とした。

 圭子はにこやかに微笑んで、小首を傾げた。

「それからじゃ、遅い?」

 小鬼は、肺の中が空っぽになるほどの、長い長い溜息を吐いた。

 それから、圭子の手に手を重ねると、ニヤリと口元を歪ませた。

「はっ。望むところだ」

 挑発的に彼女の手を引っぱり寄せて、

「棺桶まで迎えに行ってやるよ」

 小鬼は、圭子の手の甲に、唇を落とした。


     * * *


 華やかな時代は走り過ぎ、多くの涙と犠牲を飲み込んで、平和な時は訪れた。

 季節は繰り返され、命の行進は続く。

 圭子がサナトリウムに入所してから、幾度も春は巡り――

 その日は、希望を予感させるかのような、温かな日だった。

 空は、切り取って身に纏いたくなるような青。

 桜や木蓮が花開き、胸を躍らせる甘い風の香が、鼻孔を擽る。

 小鬼は――いな、成人男性ほどの背丈に戻った神様は、真新しい鳥居を潜って神社を後にした。

 軽々と地を蹴り、宙を駆ける。緋色の着流しが翻る。

 紋白蝶や蜜蜂の飛び交う花々や、緑の稲が揺れる田んぼを飛び越え、納骨帰りの一団をひやかしながら、彼は、流れるように移動した。

 ――辿り着いたのは、圭子と出会った、いつぞやの墓地だった。

 一画には、新しい盛土が出来上がっていた。

 まだ墨の香る卒塔婆が立ち、その前には柑橘や、羊羹などの供物が山と盛られ、赤・黄・白……色とりどりの花が飾られていた。

 彼は、右手を差し出すと、くい、と人さし指を動かした。

 盛土が、割れるようにして左右に退き、白々と輝く棺桶の蓋が姿を現す。

「……おい。約束通り迎えに来たぞ」

 しゃがみこむと、彼はおざなりに、拳で蓋を小突いた。

「今度こそ、俺様の望む応えを聞かせてくれよ、圭子」

 問いを口にする。

 暫く、応えを待って耳を澄ます。――――と。

「生々しくない乙女だけど、大丈夫?」

 声と共に、ガタリ、と蓋が持ち上がった。

「問題にもならねぇな」

 彼は微笑を零すと、棺桶の縁を掴んだしわくちゃの手を、そっと愛おしげに包み込んだ。

「で? お姫さん。俺様の花嫁には、なってくれるんだろうな?」

重複投稿

http://1no10.net/works/orge.html

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして。 「コバルト短編」で検索していたらこの作品にたどり着きました。 テンポが良く読みやすい文章とユーモアのある会話文にとても惹きつけられました。 小鬼君も圭子ちゃんも最初からキャラ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ