無題短編
轟々と燃え盛る炎が迫っている。
辺りには黒煙が立ち込め、数メートル先も見通すことができなくなっている。
・・・見通せないのは俺の目が霞んできているからなのかもな。どっちか分からないけど。
どうしてこんなことになっているのか。
俺がそれに気づいたのはほんの数分前のことだった。
ある休日、俺は部屋に籠ってネットサーフィンをしていた。1時間ほど没頭していると、部屋が蒸し暑いように感じ始めた。暦では秋だが、まあまだ残暑の影響があるのだろうと判断して冷房を入れる。数十秒もしないうちに冷房から心地よい風が送られ始める。ああ、涼しい。
しかし数分後。ヘッドフォンの向こうからでも聞こえる騒音を感じた。休日だし、近所の子供が騒ぎでもしているのだろうか。そう思うと、なんとなく頭が痛くなってきたような気がしてきた。俺は子供があまり好きではない。というのも、以前俺が声楽をしていた時の出来事が原因にある。
あれは大学二回生の時、発表会でのことだった。初めての大きな舞台での発表にやや緊張していた俺だったが、自分の出番になり意気込んでステージへと出ていった。そして心地よい音楽に合わせて歌いだした瞬間。観客の子供が大声で騒ぎだした。つまらないとか帰りたいとか大声でわめき散らし始めたのだ。
くそ、なんでこのタイミングで。という想いもあったが、切り替えて歌い上げていく。
保護者が子供を叱りつけ、静かにしなさいとヒステリックな声を上げているが、知らない。
子供がとうとう泣き始めたが、知らない。
大声で泣き喚く子供が保護者に抱えられて観客席から出ていったが、知らない。
そしてフィナーレ。
場が完全に白け、拍手が疎らだったが、知らない。
・・・・・わけねえだろッッッ!!!!!!!
集中しようとする度に大声あげやがって!!妨害にもほどがあるわ!!全ッ然気持ちよく歌えなかったじゃねえか!!!
とまあ、そういうわけで俺は子供が好きではないというか、むしろ嫌いだ。
いや、子供が元気なのは良いことなんだ。子は国の宝って昔から言うしね?ただ、場所を弁えられないのが問題なんだ。もっとも、責任はその親にあるんだが。
まあ回想はそれぐらいにして。ヘッドフォンに流れる音楽の音量を上げることで、ほら解決。
あー、でも頭痛が抜けない、というかはっきりしてきた。
モニター観すぎたか?いや、でもまだ1時間そこらだし。片頭痛持ちなのは確かだが、こんな急になんて・・・
何かおかしい。そう感じ始め、まずヘッドフォンを外した。
そして聞こえ始めた。サイレンの音とスピーカー越しの声。それも近い。いや、ちょっと待て。これ・・・!!
うちのマンションじゃないのか!!?
慌てて椅子から立ち上がり、閉めていたカーテンを開ける。
・・・・まず目に飛び込んできたのは、窓を覆うどす黒い煙。
どう見ても火事。何階下が燃えてるのかは分からないが。
どうする。どうする俺・・・!!
ここはマンションの12階。このマンションは珍しいことに非常用のはしごなんかはベランダに備えられていない。消防法とかどうなってんだ。あ、でもこの場合数階下が燃えてるんだろうし、降りていくのも逆に危なかったかもな。
代わりに非常階段があるので、それを使うしかないか。
そうと決まれば早く逃げよう。
手の平で口と鼻を覆いつつ、部屋のドアを開ける。
・・・すでにリビングに薄らと煙が充満していた。
くそ、なんでもっと早く気づかなかった。
心中で悪態をつきながらも、玄関へと進んでいく。
ああもう、玄関ドアの隙間から少しずつ煙が入ってきている。すぐに避難をしなければ。
慌ててドアを開けると、同時に多量の煙が流れ込んでくる。
煙の量が多すぎて、廊下は既に視界が悪くなってしまっていた。どうにか壁伝いに進んでいくしかないか。とりあえず姿勢を低くして、と思ったところで、くらりと体勢が少し崩れた。思わずドッと壁に身体をつける。
あれ、おかしい。
そういえば頭痛が酷くなってきているような気がするし、今のめまい。なんでだろうか。
いや、そんなことより行かないと。階段は右の突き当りだったよな。
歩を進める。足がふらつくがそんなことは言ってられない。
気持ちとは裏腹に、数メートル進んだところで膝が崩れる。
――ああ、そうか。
これ、もう手遅れなのかも。
なんだっけ、いわゆる中毒症状?
なんというかこう、身体の自由が効かないし頭もぼうっとする。
あ、だめだこれ。
とうとう、身体を地面に投げ出すこととなった。あ、でもこれ煙はあんまり吸わなそうだしいいかもなあ。
ん?そういう問題じゃないんだっけ。逃げないといけないのか。
あれ、そういえば冷房消したっけ。消してないかもな。急いで出てきたし。
あ。
階段の方に火の手が見えた。なんだよ、非常階段が火にやられてんのかよ。出火元、意外とすぐ下の階だったのかな。
もう確かめる術は無いけど。
頭痛に加えて耳鳴りもしてるような。あー、辛い。
なんかもう、意識が沈みそうだ。保ってるのもしんどい。
これは・・・無理だな・・・。
これで・・・・もう・・・
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眼を開けると、荒い木目の天井が目に入った。
え?
ん?
ここどこだ。病院なわけないし。
状況を確認しようと身じろぎすると、どうやらベッドに寝ていることが分かった。とにかく起きようと思い、腕で支えながら上体を起こすが、不意に頭に刺すような痛みを感じて思わず声を出す。
「いっ・・・つ・・・!・・・・・・!?」
声を出した、はずだ。
しかしなんだ、今の可愛らしい声は。自分の喉から発せられたような気がしたんだが。なわけない。俺の声がこんなに可愛いわけがない。
どういうことだ。
視界に映るプラチナブロンドの髪。カツラなんかじゃなく、キラキラと光を反射して美しく光っている。持った指に伝わる絹のような質感が心地よい。次は自然と指に目がいく。ほっそりとした美しい形の指先。肌の白さやきめ細かさにも目を見張るものがある。
どういうことだ。
胸元。肩にかかるこの重量感。質素な服を押し上げる、小さくは無くかつ大きすぎない双子山。
「どういうことだ・・・・・」
ついに疑問が声を突いて出た。可愛い声で。訳が分からん。混乱してる。思わず頭を抱える。
どさり、とベッドに再び身体を横たえる。ベッドの軋む音が響く。
ここはどこだ。自分は誰だ。この身体は何だ。頭の中をそればかりがぐるぐると回る。
幾ばくかそうしていると、不意に戸が開く音が聞こえた。
「あらあら、起きましたかねぇ。」
初老を過ぎたくらいの女性が水の入った木桶と手拭いを持って入ってきた。
顔立ちからして明らかに日本人ではない。というか、何故か聞き取れたが今のは何語だ?
「あの、ここは・・・?」
戸惑いながらもそう口に出す。
「あらあら・・・覚えてらっしゃらない感じですかねぇ?ここはイノス村ですよ。えーと・・・コルス公国の東の端にある村ですねぇ。あなた様は村のはずれにある森の近くに倒れてたって話ですよ?」
コルス公国って。どこだそれは。全く聞いたことがない国名だぞ。
「うちの主人が・・・ああ、狩人をやってるんですけどね?今日の夕飯にするウサギを狩りに行って、帰るときに見つけたんだそうですねぇ・・・あ、今日はウサギが多めに獲れたってことで、シチューはたんと作ってますからね。お口に合うか分かりませんですけど、食べていってくださいな?」
ウサギ肉のシチューとか食べたことがないなあ。どんな味が、じゃねえよ。考えが現実逃避に走ってる。
「あ、ありがとうございます・・・えっと、とりあえず奥さんのお名前をお聞きしても?」
まずは基本から押さえようか。自己紹介、ダイジ。自己紹・・介・・・?
「あらあら。わたしったら・・・名前も言わずにしゃべっちゃって。やあねえ・・・・・わたしはダリアンと言いましてねえ。今年43歳になるおばさんですよ。夫はミルドといいまして、さっき言った通り狩人を生業にしてます。弓も使いますが、罠で獲物を捕らえるのが得意でしてねえ。村の中でも腕利きの狩人なんですよ?ついこの間もこーんな大きな・・・・・・あら。余談が多くなってしまってごめんなさい。それで、お嬢さんのお名前は・・・ああでも、高貴なお方に見えますし、それでしたらお名前は聞かないほうが良いんでしょうかね・・・?どうしましょう?」
名前。名前。自分の・・・名前・・・は・・・?
思い出せない・・・?なんで・・・?
「すみま・・・せん・・・名前、分からないみたいです・・・どうしてここに居るのかも・・・分からない・・・」
胸が苦しい。なんで。自分は。"何"なんだ。聞いたことのない国名。何故か理解できる言葉。そんなことより、自分が分からない。それが、どうしようもない苦痛だ。
「あら、まあ・・・・・・記憶がない、ってこと・・・?それは・・・。あ、そういえば・・・主人があなたを家まで運んでくるときに、これを持っていたと言ってましたね。見たことない字で書かれた・・・これが何かの手助けになればいいんだけど・・・。」
そう言って、ダリアンさんは寝台横の棚に置いてあった紙?のようなものを手渡してくれる。いや、これは紙じゃなくて・・・羊皮紙?だろうか。
そこに書かれていたのは日本語。それほど長いものではないが・・・その内容は。
「申し訳ないんですけど、少し、一人で読ませて頂いても・・・?」
ちょっと、一人で整理させてもらいたい。
Dear.〇〇様
このたび、あなたは界管理者による厳正な審査を通過し、異世界への転生を果たすことと相成りました。
今回このような措置を取り、あなたを異世界へと転生させた理由としましては、ざっくりと言えば実験、となります。
『地球の人間を性別を変えて異世界に送り込んだらどうなるか?』
この命題を解決するため、わたし共は34の死亡者を25の異世界に送り込み、観測を行うこととしました。ここでいう異世界というのは、地球が存在する宇宙とは異なる宇宙を選択しておりますので、様々な物理法則などが異なっている場合がございます。その点は各人でご確認いただけたらと思います。
この実験による報酬といたしましては、皆様の保有する望みを事前に叶えさせて頂いております。強さ、精神力、才能、技巧など、それぞれ多種多様です。
また、生命保持のために皆様のご使用いただく新しい体には言語理解能力、痛覚・毒や麻痺・飢餓・寒暖などへの耐性、そして基礎的な強靭さを付与しております。
それに加え緊急時の措置として、生命に危険が生じた場合にはなんらかの救済が成されることとなりますので、安心してそちらでの生活をお楽しみください。
そして最後になりましたが、皆様の名前と家族に関する記憶を消去させていただきました。誠に申し訳ありません。これは皆様に地球に対する未練を無くしていただくためです。しかし、帰りたいという方がいらした場合、止めはしません。ですが、一度死んでいる身ですので、お薦めはしません。宇宙を渡ることは人にできる事ではありませんので、無理をすれば命を落とすでしょう。わたし共としてもこの場合は救済措置を適応いたしませんので、ご理解いただけたらと思います。
あなたの異世界でのニューライフが充実したものとなることを管理者一同祈っております。
大体の状況は理解することができた。
死んで、身体を作り変えられて、記憶を一部消されて異世界に送られた。
要約するとこういうことだ。
不安が解消されて、やや落ち着くことができた。色々と納得できたしな。
とりあえず、あれだな。
拝啓、名も覚えていないお母様。
あなたの息子の息子がお亡くなりになりました。
うるせえよ。
その後、気を利かせて部屋から出てくれていたダリアンさんを呼び戻し、なぜここに居るのかはなんとなく分かったが、やはり名前は分からない、ということを伝えた。
そうするとダリアンさんはこう呟いた。
「あらあ・・・。それじゃあ、村長の家に行って識別盤でみてもらいましょうかねえ・・・?」
識別盤?とかいう知らない言葉が出てきた。
「あの、識別盤・・・というのは・・・?」
疑問の声を上げざるを得ない。
「識別盤というのはねえ、地母神グランサイト様の力が宿った石版なのね。それで、その石版に手を置くと、自分の名前やら歳やら加護やらが見られるっていう道具なんですよ。どこの教会でもお安く売って・・・あらいけない、お布施の代わりに頂けるものなのでね、大抵の村に一枚はあるものなんですが・・・やっぱり覚えてないんですねえ・・・」
ごめんそもそも知らなかった。聞く限りでは、なかなか便利なもののようだ。その識別盤というものは。
それなら、ということでこの後すぐに村長宅へとお邪魔することとなった。
体調は大丈夫か、と心配されつつもベッドから体をおろす。靴は服と同じように最初から身に着けていたようで、ベッドのそばに置いてあったので、それを履いて立ち上がる。
・・・ん、なんか視界が・・・?ああ、身長が縮んでるのか。以前は170センチ後半だったが、今はだいたい160センチほどだろうか。おそらくは。
色々と変わってしまった身体の感覚をおっかなびっくり確かめながら、ダリアさんに連れられて村長の家へと歩いて行った。
時折目にする村人に物珍しそうにチラ見されつつ、村の中を進んでいく。そうすると、周囲の家よりも幾分か規模が大きい家が目に留まる。十中八九、あの家が村長宅だろう。
ダリアさんに問うと、そうであるとの返答。ちなみに、旦那さんのミルドさんは村長宅に居るらしい。
村長宅に着くと、ダリアさんはノックもそこそこに玄関の戸を開けて入って行く。一応入るときに声は掛けたが。
村長の家の中を進んでいると、目的地としていたであろう部屋の扉が開く。そこには体格のがっしりとした仏頂面のおじさまが立っていた。
「ダリア。来たか」
「あんた。村長への報告は済みましたかねえ」
「ああ」
どうやらこの口数の少なそうなおじさまがミルドさんのようだな。
「村長、お連れしましたよ。ミルドが報告したでしょうけど、彼女が村はずれに倒れてたお嬢さんですよお」
ミルドさんに軽く会釈しながら部屋に入ると、そこには夫妻よりも少し年上であろう男性が立っていた。威厳がありつつも温和そうな顔で、顎には灰の髭を蓄えている。
「ありがとう、ダリア。はじめまして、お嬢さん。私はこのイノス村の村長をやっております、ウェスタといいます。それと今、扉を開けたのがダリアの夫であるミルドです。共々、以後お見知りおきを。・・・それで、お嬢さんのお名前を伺っても?」
ウェスタさんとミルドさんのそれぞれにペコペコと頭を下げ、その後に来た問いに答えようとする。
「それがねえ、村長。この子記憶がないらしいんですよお。名前も何も、って。大変なことでしょう?だから私、識別盤を使わせたいと思って。それならきっと、名前やらなにやら分かるでしょう?・・・こんな可憐な子ですから、きっとお名前まで可憐なんでしょうねえ・・・。見てくださいよ、この天使のような容貌を。髪はサラサラで艶も十分だし、肌は透き通るように白くてシミの一つもない・・・顔も私の半分くらいの大きさしかないような小ささですしねえ、顔立ちもほら、女神さまみたいじゃない?こんな魅力的な・・・ねえ。」
が、ダリアさんのマシンガントークによって遮られた。しかし、そこまで褒めるほどに姿形が変わってるんだろうか・・・
「ちょっとダリア。いつもの調子で喋りだすんじゃない・・・彼女も驚いてるだろう」
ウェスタさんによる叱責が飛ぶ。
「・・・ダリア、お前も、昔と変わらず魅力的だ」
なぜかここでミルドさんがぼそりと惚気を呟く。
するとダリアさんはあらあ、なんて言って照れはじめた。
ウェスタさんが少し、忌々しげに咳払いを一つ。
「えっと、村長さん。そういうわけで、自分の名前もわかっていない状況なので・・・その、識別盤というのを使わせていただきたいんですが」
話を本筋に戻す。
「ええ、減るものでもありませんし、構いませんよ」
そう言いつつ、ウェスタさんは近くにあった棚から石の板を取り上げた。どうやらそれが識別盤らしい。
大体の大きさは、30センチ四方と言ったところだろうか。表面は磨いたように綺麗で、鏡のように物を映せるほどではないが光沢もある。それは例えるなら、金属の光沢といったところだろうか。
「識別盤って、不思議でしょう?教会で普通の石の板に祈りを捧げて作るらしいんだけどね、どんな石で作っても同じような表面のツヤになるんですよお」
ダリアさん、喋りたがりだな。まあ、旦那さんとは相性が良いんだろう・・・。
えっと、たしか手を置くだけでいいんだったか。ひんやりとした識別盤の上に右の手の平をそっと、置いてみる。すると、識別盤が薄らと光を放ち、同時に文字が浮かび上がってきた。
《氏名》未設定(設定をしてください)
《年齢》14歳
《性別》女性?
《状態》健康
《加護》言語認識の加護(隠蔽設定)
地母神の加護(隠蔽設定)
歌神の寵愛
奏神の加護
日本語で浮かんだのは名前の欄に疑問を抱かせないように、だろうか。
それにしても、加護とか寵愛とか・・・なんらかの恩恵があるってことか。言葉が分かるのもその一つと。
というかあれだな、早急に名前を決めなくては。ここは・・・
うん、アニマートとでもしておこうか。アニマートというのは発想記号の一つで、『生き生きと』という意味がある。あ、発想記号というのはあれだ。カンタービレ、『歌うように』というのが有名だろう。作曲者の意図だったり、演奏時の考え方だったりを表す音楽用語だ。
よし、名前が反映されたようだ。それと共に文字がこちらの国?の物になり、加護二つは隠蔽状態になる。
性別の・・・ハテナが取れるのは寂しいなあ。
《氏名》アニマート
《年齢》14歳
《性別》女性
《状態》健康
《加護》歌神の寵愛
奏神の加護
よし。
「名前、アニマートというみたいですね」
そう言いながら、石版を三人に見せるようにする。
すると、ダリアさんとウェスタさんがそれぞれ別の反応を見せた。因みにミルドさんは無言で小さく頷いたのみだ。
「あらあらあら・・・!アニマートっていうのねえ、なんだか良い響きの名前ですねえ。ふふふ・・・。」
「歌神の・・・寵愛!?加護の上位、世界でも数えるほどしか保有者が居ないとされる、寵愛かっ!?これはすごい、すごいぞ・・・!!!!」
あ、村長さん説明ありがとう。そうか、加護の上位って・・・きっと恩恵もすごいんだろう。しかも歌の・・・・・・素晴らしい。
今初めて、異世界に来てよかったと心から思った。
その後、しばらくはダリアさんとミルドさん夫妻の家で暮らすこととなり、数日が経過した。
その間、この身体の具合―――喉がどれだけの物かを確かめる作業を行った。
結果、完璧。
どこまでも伸びやかで、それでいて芯のある歌声。大気を震わすがごとく、美しい音色が辺りに染み渡っていく。低い音域は掠れることなく、高い音域は透き通るように。
ところで、声楽をやっていた、と言ったのを覚えているだろうか。そう、やっていた。つまり、大学以降では辞めてしまっていた。発表会とかには出ない、という意味でだ。
その理由の最たるものは、自分の声に限界を感じたこと。
当時の俺の声は、決して良いものではなかった。変声期に声帯を少しおかしくしてしまっていたためか、歌っていて偶にかすれてしまう。発声法でなんとかしようとも、どうしてもそれは無くらなかった。
また、出せる音域もあまり広いものではなかった。前述したとおりに声帯に異常があったので、高い音域で歌おうとするとどうしても無理が出てきていたのだ。
しかし、この身体はどうだ。まさに至極。
この喉ならどんな歌でも歌いあげられるのではないか。そう思わずにはいられない。嬉しくなって今日は、気づけば何曲も没頭して歌を歌っていた。
するとどうしたことか。ふと我に返ってみれば、周囲にはウサギ、シカのようなもの、リスのようなもの、そして蝶などがわらわらと集まってきていた。
なんたることだ。これは歌神の寵愛の影響だろうか。まさにファンタジー的な光景が出来上がってしまった。自分の顔は水に映して確認したところ相当な美人だったから、これは絵画にできるような一場面に違いないっ。
・・・でもあれだな、初日と二日目に食べたウサギのシチュー、肉から溢れ出る甘みと野性味がなんともおいしかったし・・・。
今なら・・・こう、抵抗されずに・・・ふふ、ふふふ・・・・。
ウサギは他の動物と共に逃げていった。無念。
まあ、そんなこんなで歌神の寵愛については大まかに確認できた。
自信がついてきて、今度は人前で歌おう、ということになり。お世話になっていることへのちょっとしたお礼ということで、夫妻の前で歌うこととした。
歌ったのは、しっとりとした望郷の歌。戦場へ向かい、故郷に残してきた妻と子のことを思いながらも死んでいく男の歌。それをこちらの言葉に合わせて改変したものを、心を籠めて歌っていった。
結果、二人ともが号泣。感動した、と何度も何度も言われた。
純粋に嬉しく思った。・・・私は少しでも、お返しをできたかなあ。
その後は、ダリアさんがいつもの調子の喋りで歌のことを吹聴したらしく、いつの間にか村中に拡散していた。
村の中を歩いていると、まだ名前を知っているか知らないか、という人も、あんた歌が上手いらしいね?だとか、今度聞かせて、などと話しかけてくれるようになった。
そしてまた数日後。その日は定期の集会があるということで、村の集会所に村人が集まった。大人子供あわせて大体、7、80人といったところだろうか。
そこで私の初お披露目というか、村の新しい一員だから仲良くしてやってくれ、ということが正式に示された。
この村の一員として、私は温かく迎え入れられたようでつい嬉しくなり、全員の前で歌うことを宣言した。
村の若い衆がよっ!いいぞ!なんて囃し立ててくれたため、さらにいい気分になり、歌い始めた。
豊穣、実りを祈り、大地に感謝を捧げる歌。大地の偉大さ、そしてその大地を耕し、食物を作る人たちへの愛。それらを力強く壮大に、かつ繊細に歌い上げていく。
そもそもが明るい曲なのでアカペラというのは少し物足りなさもあるが、それでも精一杯に歌い上げた。
歌い終わり、一瞬の静寂が辺りを包む。
そして、割れんばかりの拍手。そして歓声。
最高の賛辞が次々と受け、充足感が湧き上がってくる。
ああ、歌ってよかったな。そう思いつつダリアさんを見ると、また泣いていた。
おいおい、喜びの歌なのに。泣いてちゃ・・・
・・・・・・あれ。なんか、視界がぼやける。・・・ダリアさんのこと、言えないな。
それからの私は快進撃は凄まじいものがあった。まず私のことが村へ行商に来た商人に伝わり。彼らの前で歌うと、近くの街のちょっとしたお偉いさんにまで伝わって。わざわざ村に聞きに来たお偉いさんに歌ってあげたら求婚されたり(全力でお断りした)。そこから貴族の間でも話題になってしまったようで、パーティに歌いに来てくれないかと打診があったのが最近の話である。
まあもっと人前で歌えるのならと私がこの話を受けたため、夫妻と村の若者数人とお偉いさんの私兵幾人かを伴い、首都リティッシュへと向かうことになった。
―――さて、今回はどんなステージが待っているのかな。
数年後。神に愛された歌姫、アニマートの名は大陸中に轟いていた。
彼女の歌声を一度でも聞きたいという者が日夜問わずコルス公国の首都へと押し寄せ、彼女がもたらした経済効果は過去に例を見ないほどだとも言われている。
そんな彼女は今日も・・・・・
村で機織りをしていた。
「お母さん、ここはこれでいいんだっけ?」
「ええ、大丈夫よ。それにしてもアニは上達が早いわねえ。上手にできてるわよ?」
「そう?まあ、リズム的にやっていけば寵愛か加護が微妙に発動するみたいだから、そのおかげかなー。それにしてもありがとね?衣装作るのに毎回付き合わせて」
「いいのよお。私も好きでやってるんだし、これを着て歌うアニを観るのも楽しみなんだから。」
「そう言ってもらえるとありがたいよ。・・・っし、これでここは終わり。ちゃんとできたかな。」
彼女に言い寄る男は数多く、大金を積む者や貴重な宝石、中には龍種から採れる宝珠を使って作ったアクセサリーを贈る者も居た。
しかし、それらの全てを彼女は突っぱねた。
その理由を知るのは、義理の両親と共に楽しそうに日々を過ごす、アニマートその人だけである。
読んでいただき、ありがとうございました。
よくある飯ウマ小説ならぬ、歌ウマ小説を書こうと思って書き始めました。
歌声を聴いた人がやたらと上手い評価を始める、みたいな。
書いていくうちに逸れていきましたが。
あとタイトルについてですが、本当に思いつかなかったので無題にしておきました。もしかしたら後で変更するかもしれません。ん?変更・・・できますよね?