守るべきもの
る剣閃。木剣同士がぶつかり合う低い音が、中庭にこだまする。
俺の斬撃を危うげもなく受け流したフレアが、ふっと肩の力を抜いた。
「悪くはないけれど、もう少し踏み込みがほしいかな」
確かに今の一撃は踏み込みが甘かった。もちろんしっかり踏み込んでいたところでフレアには当たらなかったのだろうが。
橙色に染まり始めた空を見上げて、フレアは少し寂しそうにする。どうせ明日になればまた同じように稽古をするというのに、彼女はいつもそんな顔で締めくくるのだ。
――ヘカテが暴走した魔術を一言で静めた後のことを、俺は知らない。魔力を分け与えたのと、戦闘での疲労で意識を失ってしまったのだ。だから過程を省いて結果だけを言おう。あの後、ヘカテに魔術を壊される未来を見ていなかったカサンドラは逃亡を選んだ。彼女の魔法は隠蔽や逃亡に秀でているらしく、影に溶けるようにして消えた彼女を追うことはヘカテにもできなかった。しかしまあ、当分はおとなしくしているだろうというのがヘカテの見立てだ。
ヘカテが吸血鬼であるという事実も、ルベリアスがなにやらうまいこと言いくるめてフレアに納得させたらしい。そもそもフレアは無為に差別をするような人間ではないから、大した苦労ではなかっただろうけれど。
そして俺はかねてフレアから打診されていた、侍従の話を受けることにした。もう一度剣を
握ることに決めた以上、剣聖たる彼女の近くにいるのが最も学ぶことが多かろうという判断である。実際にこうして毎日フレアの指導を受けられるおかげで、かつての俺には及ばないが並の兵士よりは腕が立つほどには上達している。
「ノヴァちゃんもずいぶん上手になってきたけれど、魔神と戦ってたときのほうがやっぱりすごかったよね」
あのときなぜあれほどの技量を発揮できたのかなど言えるはずもなく、偶然と言い張っている。が、よほど気になるらしくフレアは頻繁にこんなことを言う。
「そういえばさ、あの時のノヴァちゃんの剣技、どこかで見たことがある気がするんだけど。ねぇ、ノヴァちゃんは誰から剣を教わったの?」
ノヴァ・イスファリアの剣技なのだから、それは見たことがあるだろう。見たどころか直接剣を交えた相手なのだから。もちろんそれも言えるはずなどなく、適当にはぐらかしてフレア邸を後にする。
俺が帰るときに物悲しい顔をするのをやめてほしい。相変わらず使用人を雇っていないので、あの広い屋敷で一人寂しいのだろう。住み込まないかとも打診されているが、さすがにこれはお断り申し上げている。
その理由となる一人の少女が、門柱に寄りかかって俺を待っていた。
「珍しいな、ここまで来るなんて」
「食料が減ってきたでの。買い出しのついでじゃ」
足元に転がしたパンパンの背嚢を指さして言う。何を求めているのかは明白だったので、苦笑しながらそれを背負った。かなりの重量だが、鍛錬を欠かしていないためそれほど辛くは感じない。
一度この街を去ろうとしたヘカテだが、結局いまだに例の住処にとどまっている。ルベリアスがその権力を生かして、白の都に広まっていた吸血鬼の噂をすべてカサンドラにつなげたためである。噂になっている邪悪な吸血鬼はカサンドラのことであり、かの吸血鬼は剣聖の働きによって撃退された、というのが目下住民たちの認識となっている。
俺は隣をぴょこぴょこと無邪気に歩く少女を横目で見る。
あの時見せた恐ろしいほどの魔力と異形は失われ、今は赤目以外は人間とほとんど見分けがつかない。いいや、実際に人間と同じなのだ。同じように喜び、笑い、そして悲しむ。
悲しむのは自然なことだが、俺はヘカテに笑っていてほしいと思った。一度死んで、ベッドの上で目覚めたあの日。人を食ったように笑うヘカテの表情に、不思議と落ち着いた。やがて彼女の笑顔を見るたびに、何か心の奥に温かいものを感じるようになった。
これが《無銘》の言っていた、彼にはなく俺にだけ存在しているものなのかもしれない。けれど半分は彼自身である俺には、まだこれを何と呼べばいいのかわからないでいる。だからヘカテには笑っていてもらわなければ困るのだ。この温もりにふさわしい名前を見つけるその時までは。
「寒い、手を握れ」
横柄に言う割に、差し出してくる手は遠慮深げだ。俺は笑ってその手を取った。秋めいた空気はひんやりと冷たく、ヘカテの手も温もりを奪われていた。その手が俺の体温で温まっていくのが、なんとなく幸せなようなそんな気がする。
俺はずっとこんな平和と、平凡な幸福を噛みしめて生きていきたい。
だからこそ、剣を握る。
守りたいものを守れるように、弱ささえ強さに変えて生きていく。
大切な人の涙を見たくはないから、苦しむ姿を見たくないから。
それはきっと誰もがごく普通に抱く願いで、俺が特別だというわけではないんだろう。
誰もが同じ願いを胸に、同じ願いを抱いた者と争いあうのだろう。
それはとても悲しいことだから。
俺は見知らぬ誰かのためにも祈って、剣を振るいたい。
いつか誰もが当たり前の願いを、当たり前に叶えられる世界になることを祈って。願いを守るために剣を握らなくていい世界になることを願って。
こんな幸せに死ぬまで溺れていていい世界になるように。
初めまして、恋川春待です。
本作『剣、閃く』は今回をもって完結となります。最後までお読みいただき、ありがとうございました。想像していたよりもはるかに多くの方々に読んでいただき、たくさんのブックマークもいただいて、私自身も驚いています。
本作は第22回電撃大賞にて三次選考で落選したものに、多少の修正を加えたものです。あと一歩届かなかった部分はどこなのか、感想等でご指導いただければありがたく思います。
もし続編の執筆もお許しいただけるならば、期間は開いてしまうかも知れませんが投稿していきたいと思います。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。よろしければ感想と評価をお願いいたします。




