閑話 鐘よ鐘よ2
ミルヒと同じ予感をバローもまた感じ取り、平静を装いながらもごく自然に剣の柄に手を添えた。幾多の修羅場を潜り抜けて磨かれた勘を疑うよりも、本能の訴えに耳を貸すべきだ。
(エルフの王都で裏のトップを張ってる女だ、それくらいはやるだろうよ。下手すると殺し合いかな……)
レインの物腰は柔らかいが、敵であればその柔らかい物腰のまま殺す事も出来るタイプであろうとバローは断じた。国の使者であろうが王族であろうが、踏み込み方を間違えれば即戦闘になるだろう。ゲオルグが最低限の干渉で済ませようとしているのはレインの性格と実力を知っていたからに違いない。ならば同レベルと見るのが自然か。
だが、バローも子供の使いでこんな危険地帯にわざわさ足を運んだのでは無い。悠がバローに任せたという事はバローならばやり遂げると信じたからだと、口に出さずともバローには分かっていた。
「んで、こっちの話は聞いてたと思うが、受けてくれんのか?」
「そうですね……」
ズブリ。
指でテーブルをトントンと叩き、泣いているような笑顔でレインは考え込んでいるようだったが、不意にその指が堅いテーブルの表面に沈み込んだ。ミルヒは驚いて目を丸くしたが、レインが机を叩くたびにその指は砂に差し込むようにテーブルに穴を空けていった。
悠ならば体術で同じ事が出来るだろう。しかし、エルフのレインにそんな心得があるはずもないとなれば、これは魔法の類に違いない。だが、それを見たところでミルヒにはレインが何の魔法を使っているのかさっぱり理解に及ばなかった。
理解不能な技を何気なく見せる事で示威行為とするのがレインの目論見だとすれば、それは完全に成功していたが、バローは努めて笑顔のまま再度問い掛けた。
「面白い事やってんな?」
「え? ……ああ、これですか? 済みませんねえ、考え事をしている時の癖でして」
「毎回それじゃあテーブルがいくつあっても足りねぇだろ?」
「ええ、本当に。治さなくてはならないとは思っているんですが……」
世間話をしているようでその実、2人の目の奥には冷たい光が宿り、部屋の温度を物理的に下げているようであった。思わず身震いするミルヒにバローは目を逸らさないまま促す。
「……ミルヒ、ちょっとゲオルグと外行っとけ。すぐに済む」
「危険ですバロー殿。あの女、尋常な使い手では……!」
「知ってる、ご親切に見せてくれてるからな。……それでも、お前に何かあったらあの堅苦しい兄貴に合わせる顔が無いんでね。口では何と言おうとも、兄貴にとって妹ってのはいつになっても守ってやりたいモンなんだよ。ゲオルグ、頼んだ」
「一つ貸しだぞ」
ミルヒに反駁の隙を与えず、バローはゲオルグにミルヒを託すとレインに話し掛けた。
「なあ、込み入った話になるならサシで話そうぜ?」
「あら、もしかして口説かれてます?」
「そういう気持ちは大いにあるがね。人間じゃあ滅多にお目に掛かれない別嬪だしよ」
「こいつ……!」
片目を瞑りながらのバローの韜晦に反応した取り巻きの一人が気色ばんで柳眉を逆立てるが、レインが強めにテーブルを指で叩くとびくりと体を強張らせた。
「ユマ、ミオ、下がりなさい。これ以上醜態を晒す前に、早く」
「「ハッ」」
青ざめた表情で即答するユマとミオはすぐに行動に移し、ミルヒもゲオルグに手を引かれ、祈る様な視線をバローに向け退室していった。
「可愛らしい娘だわ。アタシの部下に欲しいくらい。腕も立ちそうね」
「可愛らしいのと腕が立つのは同感だが、ミルヒにこんな薄暗い穴倉は似合わねぇよ。何も恥じる所が無い奴は真っすぐお日様の下を歩いて行くモンさ」
「あなたは後ろ暗い事がお有り?」
「数え切れないほどに、な」
とても清廉潔白に生きてきたとは言えないバローは素直にレインの言葉を認めた。聖人君子の皮を被っても、レインには見抜かれるだろう。
「正直なお人」
あっさりと認めたバローにレインが笑う。先ほどまでよりも、若干血の通った笑みだ。それに応えてという事なのか、レインはテーブルに肘をつくと少し身を乗り出して語り始めた。
「世間様から見れば、アタシらは悪人と分類される立場でしょう。実際にそうやって暮らしていますからねえ。……ですが、真っ当に生きられない者にも相応の理由はあるんですよ」
レインの目が再び昏い闇を宿した。それは長く闇を見続けて来た者の目だ。
「エルフでも魔法や弓が苦手な者はおります。中には、全く使えない者も……。エルフならば当然備わっていると思われているそれらが満足に使えないとどういう扱いをされるか、バロー様はご存知で?」
「ハリハリに聞いた事はあるぜ?」
「所詮大賢者も恵まれた立場からしかその悲惨さを知りはしないでしょう。実際はそんな生易しいモンじゃありませんよ」
「……」
吐き捨てるようなレインに、バローはレインの根源を垣間見た気がした。僅かに覗く感情は、底知れぬ憎悪だ。
「男も女も普通の扱いなんかされやしません。分かった時点で親に殺されるか捨てられるか……売られるか。別に兵士になろうっていう訳でもないのに、仕事だってまともな職には就けませんよ。大抵は他の者が嫌がる賤しいと言われる仕事か、体を売る事でしか生きていけないんです。その稼いだ僅かな金も屍肉を漁るクズ共に巻き上げられ、或いは憂さ晴らしに殺される。そんな場所でどうやって真っ当に生きていけるとお思いで?」
エルフの差別主義は苛烈である。魔法と弓はエルフにとって精神的な支柱であるが、その意識が肥大した結果、それらの能力に劣る者が露骨に蔑まれる風潮を生んでいた。それこそ、生きて行く事すら困難なほどに。
「不幸自慢じゃありませんが、アタシも自分の能力に気付くまでは体を売って生きてましたよ。端金で、こっちを対等な生き物だと思わない連中の上で腰を振って媚びを売ってね。そもそも払って貰えない事だってザラです。大抵はみんな100年もしない内に首を括るか首を掻っ切るか、客に殺されるか。そうすると段々、こんな風に生まれて来た自分らの方が間違ってんじゃないかって思えて来るんですよ。アタシらが劣っているから、何をされても仕方ないんだって。……どこに出しても恥ずかしい、立派な負け犬の出来上がりです」
「負け犬根性が染みついてるようには見えねぇがな?」
堂々と過去を晒すレインをバローが評すると、レインの顔が束の間、純粋さを帯びたようにバローには思えた。
「……先王陛下です」
「ん? エースロット、様か?」
スッ目を細めたレインに、バローは咄嗟に敬称を付け加えた。どうやらレインにとってエースロットは未だに神聖不可侵な存在であるらしい。
「ええ。あの方には本物の信念と慈愛がありました。何度も下町に足を運び、アタシらの話を聞いて下さったんです。もちろん、王族が大っぴらに来る事なんて出来ませんから、夜に正体を隠してお忍びでですけどね。……誤解されたくないから言っておきますが、エースロット様はアタシらに指一本触れるような真似はなされませんでしたよ。真剣に話を聞き、食べ物や服なんかを差し入れてくれただけです。……むしろ、ちょっとくらい手を出して欲しかったんですけどねえ……」
険のない、純粋な敬愛を込めた口調でレインは過去を懐かしむように言葉を続けた。それはハリハリすら知らぬ、エースロットの姿であった。
「何度門前払いを食らわしても諦めないエースロット様に、段々意地を張るのも馬鹿馬鹿しくなって来ましてね。最初は頑なだったアタシらも遂に根負けして喋っている内に嫌でも理解しましたよ。「ああ、この方は本当にエルフィンシードを変えようとしているんだな」って。全く馬鹿な王様だと斜に構えていたアタシらも、いつの間にか来訪を心待ちにするようになってました。この無邪気な王様に、アタシらも力を貸してやろうじゃないかなんて大それた事を考えたり……若かったんでしょうねえ……」
頬の傷を指でなぞり、レインは核心に触れた。
「縁あって『能力鑑定』を受けたアタシは自分の能力に気付き、エースロット様のお力になろうとこの一家を立ち上げました。エースロット様が国を変えて下さるまでの間、半端者が虐げられないように団結して助け合う為に。それも叶わぬ夢になりましたが……今じゃ思想に共鳴する者も加わって昔ほど酷い事はありませんけど、それはアタシらが実力で勝ち取ったものであって、国から施されたモンじゃありません。差別は今も根強いんでね。誘拐に近い形で能力に劣る子供らを連れて来たり、金で引き取ったりもします。それを取り返そうとしたり、横取りしようとしたりする連中と殺し合う事も。……さて、悪いのは誰です? やっぱりアタシらですか? 法ですか? 差別をやめない連中ですか? それとも、この国ですか?」
迂闊には答えられない問いであり、答えを求めての問いではなかった。レインの目も安易な同情を許すような穏やかなものではなくなっていた。
「アタシらが気に食わないってんなら最後の一人まで殺し尽してご覧なさいな。……でもねバロー様、この国が続く限りはアタシらみたいなのはずっと生まれ続けますよ? そういう子が生まれる度に殺すか蔑む国が続くなら、アタシは別に未練なんかありゃしません。アタシにとって、本当の王様はエースロット様だけですから。無論、抵抗はしますけどね。こっちにも守りたいモンくらいありますし」
懐に手を入れたレインが何かを取り出して顔の前で振って見せた。キンと澄んだ音を鳴らすのは、小さなハンドベルである。
場違いな品物であったが、バローにはそれが熟練の剣士が持つ剣のように見えた。最初に登場した時に壁の中から聞こえた音と同じだとすれば、その想像はあながち間違ってもいないだろう。どういう原理かは分からないが、レインはこれで壁を粉砕したのだとバローは確信していた。
殺気が、室内を満たしていく。




