10-62 世捨て人1
それから一週間、悠達は訓練や国との折衝に忙殺される事になった。探索者や新兵を鍛え軍を再編、これまでおざなりにされていた武器格闘術の採用に新魔法の伝授、貴族との交渉、街の視察と様々な任務に当たる悠の肩には見慣れない紋章が揺れていた。
「まさか人族に臨時とはいえ『火将』の称号を貸し与えるとは……」
世話役として悠と行動を共にしているロメロが未だに信じられないと言いたげに首を振る。
ロメロの言う通り、悠はこの国に滞在する間だけであるが空席となっていた『火将』としての地位を得ていた。当然激烈に反対する者は多かったが、そんな者達ですら悠以上の火属性魔法の使い手を挙げる事は不可能であった。
『六将』は名誉職では無い。たとえどれだけ爵位が高くても、実力が伴わない者が選ばれる事はないのだ。
ハリハリに言わせれば本来ならば悠の魔法のレパートリーでは『火将』には不適格である。単に魔法の出力だけで魔法使いの優劣が決まる事は無いのだが、威力偏重主義が蔓延る現代エルフ社会ではそれがまかり通ってしまう。反対派が悠の『火将』就任を阻止出来ないのはその価値観が根付いてしまっていた事が主な原因であった。
加えて国王代理であるナターリアがそれに賛成し、最大貴族であるティアリング家を始めとした主要貴族、現『六将』達の意義も無いならば権威の面でも阻みようが無かったのである。
とはいえ、悠の立場はあくまでも客人であり、正式な『火将』とならなかった。ゆえに悠の正式な肩書きは『客員火将』である。
同時に生者ですらないデメトリウスも臨時で『闇将』としての役職を得ており、今や首脳部の一員である。本人曰わく、「元々『闇将』を務めていたのだからこれ以上の人選は無い」そうだ。現実にデメトリウス以上の闇属性魔法の使い手も存在しなかったし、腐ってもエルフィンシード建国の功臣である。それでもこのような混乱期で無ければ簡単には通らない暴論であっただろう。
バロー、シュルツ、ギルザードもその手伝いをするという名目上、ただの客人という以外の肩書きが必要であった。何の権威も持たない者を自由に行動させる事は出来ないからである。
そこで捻り出されたのが『剣魔術師』の称号である。切っ掛けはミルヒが何気なく漏らした「バロー殿の剣技はまるで魔法ですね」という一言であった。それを聞いたハリハリが魔法を尊ぶエルフの気質に合わせ、『剣魔術』だとでっち上げたのだ。単純な剣技とは一線を画するバロー達の剣技の一部には確かに魔力が用いられていて完全な嘘とは言えないが、こじつけである事に変わりはない。
だが、それでエルフが受け入れ易くなるのなら嘘も方便だ。事実、エルフの誰もバロー達の剣技を真似出来ないのならそれは固有の魔法に等しいのである。真に受けた者が弟子入りを志願する事すらあるのだから、その効果は馬鹿にする事は出来なかった。
『剣魔術師』は暫定的に王直属の独立部隊としてその足場を固めた。
ハリハリは国王の相談役として――実質的には宰相に近い――ナターリアの政務をナルハ、クリスティーナと共に補佐する事となった。本来はナルハだけだったのだが、クリスティーナが協力の見返りに側に置いて欲しいと主張するのをハリハリが押し切られた形である。公爵という家柄と『闇将』のデメトリウスの協力は非常に大きく、ハリハリも妥協せざるを得なかったのだが、獲物を前にした肉食獣の目で時折自分を見ているクリスティーナには本当に勘弁して欲しいとハリハリは思った。ナルハの牽制が無ければ一口くらいはかじられていたかもしれない。
唯一、アルトだけは使者という名目上、エルフィンシードの役職を得る事は叶わなかった。それを言えばバローも十分に不味いのだが、ノースハイア王国公爵ベロウ・ノワールの身分を公にしていないバローはただの冒険者であり、本人もアルトを出し抜いて独自のパイプを作りノースハイアに尽くそうなどとはさらさら考えておらず、美形揃いのエルフィンシードでの生活を満喫しているようだ。
無論、全てが順調に進んでいる訳では無い。アリーシアは未だに目を覚まさず昏々と眠り続けているし、貴族にも人族登用に関して反感を抱いている者は少なくない。また、『星震』の影響で各地の町や村には困窮している場所もあり、それに比例して匪賊山賊の類も増え始めていた。兵士の数が減った事で治安は悪化し、補充した新兵を任務に就かせるにはまだ時間が掛かるのだ。
そして最大の懸念はドワーフがアガレス平原を支配し、侵攻の準備を進めている事だ。一切交渉を持たず戦争の準備を進めているのは、交渉の余地など無いと無言で主張しているかのようであった。
検分台に置かれたアリーシアの腕と『火将』オビュエンス、『闇将』ジャネスティの首は回収され、略式の国葬で葬られた。同時に数少ない例外を除き、帰還した兵士達は軍に残るか去るかを問われ、それぞれの理由で今後の生き方を考える事となった。
生きて帰った者も無邪気にそれを喜ぶ事が出来ない理由もある。国王が親征し瀕死で帰還した、というより他国の者の手によって救出されたという事実は指揮官級の者達にとっては自身の能力と忠誠を疑われる結果を引き起こした。オビュエンスやジャネスティのように戦死していれば王の盾となったと言い張る事も出来たが、彼らは生きて帰ったという一点で謗られざるを得ないのである。
ハリハリはそんな彼らを巧みに取り込む事で逆に地盤を固める方針を打ち出した。今回の戦争は予測不可能であり、もし自分が最初からあの場に居たとしても同じ結果を引き起こしたであろうと主張したのである。誇りを第一とするエルフにとってハリハリの言質は大きく、必要以上に帰還兵を謗る者は居なくなった。
当然、ハリハリは単なる善意でこんな事を言い出したのではない。指揮官級には貴族が多数含まれており、彼らの名誉を守る代わりにハリハリは諸々の策に対する反対意見の縮小を見込んでいたのである。処断を免れ名誉を守られたという二重の恩によって、ハリハリは彼らの口を閉ざしたのだった。
こうして、エルフの歴史上でも空前絶後の首脳部が誕生した。多種族どころか魔物すら含み、それでいて強力で連帯感に富む新政権である。短命政権であると予め決まっていたが、このナターリア=ハリーティア体制によってエルフィンシードは動き出したのである。
「裏社会との交渉はどうなっている?」
「バローが上手くやっているが……私としてはミルヒをあまり危険な場所へやりたくはないのだがな……」
社会を形成している以上、そこに表裏が存在するのは必然である。悠は裏社会自体を否定しないが、混迷期に必要以上に力を持つ事は社会不安の原因になると理解していた。社会からはぐれた者を受け止める場所は必要だが、それが犯罪者の温床や巣窟になるのであれば「調整」が必要だ。
そこでバローとゲオルグに裏社会の改善を任せたのである。探索者にはその方面に顔の利く者もおり、メロウズのように裏に身を置きながらも悪に染まっていない者に自治を委ねようという目論見だった。
ミルヒは既に形骸化した監視の名目でバローと行動を共にしており、兄であるロメロとしては気が気ではないのである。
「あれで甲斐性はある男だ。剣の届く範囲でむざむざ連れを害されるような事もあるまい。過ぎた庇護欲は成長の妨げになりかねんぞ」
悠はバローを能力、情義の両面で評価していた。戦闘の駆け引きも交渉術もバローは一流と言っていいレベルにあり、荒事が予想される交渉において連れて来たメンバーの中では誰よりも優れていると悠は思っているのである。それは信頼していると言い換えてもいい。
そして、バローは悠とは違いフェミニストである。同行しているミルヒを傷付ける事を許さないであろう。
「あいつに笑われんよう、俺達も仕事をせんとな。今日は忙しくなるぞ」
「ああ、そうだな……先を急ごう」
そう言って悠とロメロはシルフィードを後にしたのだった。
アルトとハリハリは王宮、ギルザードは練兵、シュルツはギルド、バローはアウトローな方々と交渉、悠は困窮している場所に送る為の追加物資を受け取りにアザリア山へとそれぞれ向かっています。




