10-60 異論差し挟むべからず8
「ぜぇ~、ぜぇ~、こなく、そ……!」
倒れ込む様にしてゲオルグの突きが壁に描かれた米の字の中心に突き刺さると、そのままガクリと膝を付いた。
「おーおー、スゲースゲー、流石ギルド長だな。途中で一回抜けてたのに最後まで行けるとは思わなかったぜ」
パチパチと気の無い拍手を送り、バローは周囲を見回した。
既にすっかり日は暮れ、地面の上には倒れた探索者達がそこかしこに蠢いており、立っているのはゲオルグを始めとした数人だけである。中でも基本の最終形である突きの型にまで到達したのはゲオルグだけだ。
「ったく、お前ら普段から魔法に頼り過ぎなんだよ。冒険者でも探索者でも体あっての稼業だろうが。体力がつきにくいんなら、せめて効率良く動ける鍛練くらいは普段からしとけよな」
「正論だよチクショー……」
膝を伸ばし、呼吸を整えながらゲオルグも周囲を見て溜息を吐いた。
「どうせ体力も腕力も付かないからって最初から鍛えてねぇ奴が多過ぎる。俺もすっかり鈍っちまってこのザマだ。そりゃあドワーフにも魔法さえ封じれば勝てるって舐められるわな……」
「ま、今日教えた事を反復練習すりゃあ多少は動けるようになるだろうさ。『機導兵』とやり合うまでに最低でも魔銀の装備を手に入れておくこった。お前さんにゃ必要ないがな」
「この短剣か……」
悠がゲオルグに渡した短剣は勿論ただの短剣では無く龍鉄の短剣である。こうしてヘロヘロになって力の入らないゲオルグでも石の壁に突き刺せるのがなによりの証であった。
「一体世界はどうなってるんだよ……エルフは決して弱くはねぇぞ?」
「他種族との断絶が長過ぎたな。気に食わないから交流しないって考え方はきっと幼稚で古いんだろうよ。エルフはそれを知らなくて、人間は先にそれを思い知らされただけさ。……さて、今日はもう上がりだ。酒とメシ、それに美人の酌があれば俺はまだまだ戦えるとくらぁ!」
上機嫌で一節歌うバローにゲオルグは呆れた視線を向けた。探索者達の指導をしながら剣を振り声を出していたバローはこの中で一番運動量が多かっただろうに、軽く汗を流したといった風情で疲れた様子は見受けられなかったからだ。普段からこの程度の事は問題にならないレベルの鍛練を積んでいる事は明らかだった。
「終わったか?」
「お? ユウ、そっちも終わりか?」
「もう誰も起きていないのでな」
「「……」」
背中に背負った意識の無いコレットが嘘偽りでは無いと無言で告げていた。
「だが、誰も逃げ出す者は居なかったぞ。エルフの誇りとやらも中々どうして筋金入りだな」
「当然だろ。デュオとコレット以外は全員Ⅳ(フォース)以上だぜ。こいつら勝手に参加しやがって」
この日ゲオルグがギルドに集めたのは一人前の探索者達である。それ以下の者達は王宮前で警備に当たっているのだ。
「そろそろ暗くなって来たな……そうだ、ちょっと面白いモンを見せてやるよ」
そう言ってゲオルグは腰を上げると手近の光陽樹に手を添えると、その幹に魔力を流し込んだ。すると……
「おお!?」
「これは……『光源』か?」
暗くなり始めていた周囲に明かりが満ち、頭上の光陽樹の葉が淡い光を放った。一枚一枚の光量は僅かなものだったが、万と集まるとそれは巨大な照明となって鍛練場を照らし出していた。幻想的な光景に、思わずバローの口からも感嘆が漏れる。
「魔法とはちょっと違うな。光陽樹は昼に光を蓄えるのさ。こうやって幹に魔力を流すと、それに反応して蓄えた光を放出してくれるんだ。火を使うよりもずっと安全な照明だよ」
「いいねいいね、俺ぁこういうのが見たかったんだよ! あんな鉄人形やスライムや骨とかばっかりでふざけんなって思ったぜ!!」
「骨がどうしたって?」
まるで見計らっていたかのようなタイミングで姿を現したデメトリウスに上機嫌だったバローの顔が渋面になる。
「お呼びじゃねぇよ黒骨野郎」
「これはこれは……しかし、私も君などには用は無いよ、髭面野郎。そのむさ苦しい顔でこっちを見ないでくれたまえ」
「おーおー、昨日ユウにやられて昇天しかけてた奴がデカい口叩くじゃねぇか、ああ?」
「別に君に負けた訳では無いからね」
至近距離で睨み合うバローとデメトリウスにゲオルグが割って入った。
「ギルドは私闘禁止!!」
「……フン、結果の分かってる戦闘に時間を割くほど暇じゃねぇよ」
「その通りだな。恥を掻く前にやめておくのが賢明だよ」
「いい加減にしろ、これ以上揉めるなら帰るぞ」
悠が言うとバローとデメトリウスはようやく口を閉ざした。バローは報酬であるエルフからの酌が惜しかったし、デメトリウスは悠から話を聞きたいという、両者の欲望が口を塞いだのである。
そもそもバローがデメトリウスに反感を持っているのはアルトに『千変万化』などという危険な魔法生物の相手をさせたのが製作者であるデメトリウスであるという理由であったし、デメトリウスはバローの髭面が美的センスにそぐわないという個人的な理由だったからだ。ついでに言えばバローに負けた訳では無いという思いも少なからずあった。つまり、情と誇りがぶつかった結果であり、憎しみ合っているというレベルでは無いのだ。
「とりあえずゲオルグ、この娘はどこに運べばいい?」
「ああ、俺の後に付いて来てくれ。っと、デュオは……あそこか」
短剣を仕舞い、明るくなった鍛練場で倒れて眠っているデュオを見つけたゲオルグは、そこまで歩み寄るとデュオを肩に担いだ。
「本当はコレットも担いでやりたいが、今は流石に2人はキツイ。済まんがもう少し頼むぜ」
「では終了を宣言しますよ。明日以降に差し支えそうな方が居ますし……」
コローナの視線の先にはフラフラになりながらも剣を手放さないロメロとルースの姿があった。
「だ、だらしのない!! この程度で音を上げるとは、た、探索者も、大した事は無いな!」
「な、何を!! わ、私は、まだまだ、余裕だ!!」
「もうこれ以上はやる意味は無いと思いますが……」
真っすぐ振っているつもりでもグニャグニャと波線を描く軌道で剣を振り続け意地を張る2人と、地面にちょこんと座るミルヒの側にバローは無言で歩み寄ると、剣の鞘で背後から2人の頭を叩いた。
「ぐあっ!?」
「いっ!?」
「お前らよぉ……そんなブレッブレの剣を誰に習ったって言うつもりだ? 初心者のクセに俺の言う事無視してアホみてぇな剣術覚えろって誰が言ったよ、ええ!?」
教えるとなると案外真面目なバローの剣幕にルースとロメロも流石に分が悪いと悟り、頭を押さえたままその場に蹲った。
「す、済まん……」
「申し訳ない……」
「……チッ……その根性は買うが、次に無駄な事してやがったら2人共ブッ飛ばすからな。変な癖を付けると直すのが面倒なんだよ。その点ミルヒを見習えってんだ」
プライドの高さはこういう弊害も招くのが悩みどころである。ルースはⅨ(ナインス)の探索者としての、ロメロは『水将』の副官としての矜持がぶつかりこうなったのであろう。
「ユウ、そっちは物になりそうか?」
「一人で『機導兵』と対峙する事が出来るほどになりそうなのは数人だな。だが阻害だけならすぐに物になると思うぞ」
「こっちは剣だけだが……似たようなモンか。明日は剣術組にも仕込んでくれよ」
「ああ、一通り出来るようにしておいた方が良かろう。300人全員に仕込めば同数程度とは渡り合えるはずだ」
戦場で1対1で戦える機会は稀だ。基本的には集団戦であり、悠の理想としては剣術組が受け止め、手の空いている物達が阻害し、全員でトドメを刺すという流れである。地味でもこれが一番堅実で犠牲が少ない戦い方であろう。
悠が悩むのはエルフの継戦能力の低さだ。魔力は身体強化と『魔甲殻』に回すが、『魔甲殻』の消費魔力は相当に大きいと見積もっていた。詳しくはハリハリに相談しなければならないが、何時間も維持出来るような魔法では無いというのは聞かなくても分かる事である。
防御力の低さは『魔甲殻』で補うとしても体力は魔法でも補助しにくい分野であり、その2点によりエルフは長期戦に向いていないと断じざるを得なかった。
それでも、守りたいものがあるのならやるしかないのだ。
「俺達に出来るのは精々生存率を高めてやる事くらいさ。貧弱だが幸い根性はあるみてぇだし、やれるだけやっとこうぜ」
「そうだな……」
明日以降の訓練に思いを馳せるバローと悠であった。




