10-56 異論差し挟むべからず4
バローが順調に教える一方、悠の下に集まったのは……。
「……何睨んでんだよ、コラ」
「教官に向かって凄むんじゃないの! まだ懲りないのアンタは!」
若干腰が引けながらも悠に対して敵意を向けるオルレオンをヴェロニカが叱りつけるが、オルレオンは不機嫌そうに唾を吐き捨てた。
「別に逆らってねーだろ」
「態度が悪いって言ってんの! ユウさんが嫌ならあっちで剣を教えて貰うか帰ればいいじゃない!」
「剣士はルースが居るからいいんだよ。それに――」
チラリと悠を見て、オルレオンは言葉を止めた。
「……とにかく、オレはこっちで剣以外を習うんだ、ゴチャゴチャ言うな」
強引に話を打ち切り、オルレオンはヴェロニカの小言に耳を閉ざした。悠に含む所は依然としてあるらしいが、とりあえず今は従うつもりはあるようだ。
周囲を見れば集まったのは女性が大半で、男性は年若いか、どこかオドオドとしている者が多いように思われた。数はバローに比べて半分ほどである。百人居るかどうかという所か。
こちらに女性が多いのは悠に惹かれて……という訳では勿論無い。
最たる理由は至近距離での戦いになる剣という武器は使いたくないという事だ。つまり、剣以外を教えるという悠を選んだのは消去法である。
加えてヴェロニカの存在も大きかった。ヴェロニカは自身が苦労人なせいか面倒見が良く、ギルド女性陣のまとめ役として認知されているのだ。そのヴェロニカを慕って集まった者はそれなりの数に上っていた。
「それでは教官、どうされますか?」
自然と副官の立ち位置で話すヴェロニカに、悠はまず指ほどの太さの縄を取り出した。
「こっちは先に行動阻害の訓練にする。投縄は人型の魔物にも有効だからな。覚えておいて損は無い」
「ケッ、紐遊びかよ……」
オルレオンがボソッと毒づいた瞬間、悠の手から縄が生き物のように伸び、オルレオンの足を掬い投げた。
「うおっ!? ぐえっ!!」
更にもう片方から伸びた縄が首に巻きつき、オルレオンは一瞬の間に生殺与奪権を悠に握られてしまった。
「言っておくが、たかが縄などと甘く見ていると簡単に死ぬぞ。骨折や窒息くらいは容易いからな?」
白目を剥きかけているオルレオンを見ればそれは一目瞭然であったので、探索者達は一斉に首を振った。訓練らしい緊迫感が全体に行き渡った所で悠は本格的な解説に入る。
「縄を掛ける場所は人型なら首、胴、腕、足がいいだろう。相手が武器を持っていれば武器を絡め取る事も出来るが、刃物だと切られる可能性が高いからやらんように」
オルレオンに巻きつけた縄を緩めて回収すると、悠はその先端を示した。
「縄の使い方にも色々あるが、投げるなら先に錘が付いている方が楽だ。輪を作って投げる方法もあるが、狙った場所に引っ掛けるには多少慣れが要る。それに……ヴェロニカ、俺の腕に鞭を巻きつけろ」
「はい!」
即座に手にした鞭を構え、ヴェロニカは一発で悠の手を絡め取ったが、悠が軽く引くと堪えかねてよろめいた。
「きゃっ!」
「エルフの身体能力では相手に縄を掛けても拘束し続ける事は難しい。そうなっては絡め取ったのか絡め取られたのか分からんからな」
絡める事は出来ても、逆に引き摺られてしまうのでは拘束の意味を成さない。
そこで悠は1メートルほどの短めの縄を取り出し両端に石を結び付けると、棍を2本地面に突き刺した。試技の為の即席の的である。
「多人数ならば強引に拘束を試みてもいいが、まずは一瞬でも相手の行動力を削ぐ方がいい。つまり、こうだ」
話しながら棍から離れていた悠は振り向きざまに縄の端を握り、棍に向けて投げつけた。唸りを上げる即席のボーラは正面から棍にぶつかると、両端の錘を瞬時に巻き付ける。
「剣で縄を切るにしても解くにしてもこれで数秒は稼げる。その時間を逃走に当てるも拘束に当てるも主導権はこちらが持つ事が可能だ」
鮮やかな手並みに探索者からどよめきが上がった。戦闘において数秒という時間は生殺与奪に十分に寄与する値千金の猶予であると理解するゆえだ。
「狙いは基本的に一番阻害効果の高い足が良かろう、腰より下を狙って投げるように。最低でも体のどこかに引っ掛ければ多少の阻害効果は見込めるから的を外さん事を心掛けろ。探索者なら縄くらいは持っていると思うが、手持ちが無いならこちらでも用意してある。結び付ける石は魔法で作っても拾ってきてもいい。今すぐ作れ」
パンと悠が手を打つと、探索者は慌ただしく準備を開始した。やはり探索者だけあって縄を持っている者は多いが、装備を整えきれない若い探索者の中には悠の用意した縄を取りに来る者も少なからず存在した。
その中にはいつもデュオと2人組で行動していたコレットの姿があった。
「……」
「……」
2人で居た時は怯えつつも多弁だったコレットだが、一人になると怯えが勝るのか悠と目を合わさないように縄に手を伸ばし引き寄せた。
だが生来不器用なのか、石と結び付けた縄は強度を確かめようと引っ張る度に解け、じきにコレットだけが取り残された。
「ぅぅ……」
焦るほどに上手く結ぶ事が出来なくなりチラチラと周囲を窺うコレットの背後に不意に影が掛かり、コレットは誰かが助けてくれるのだと喜び勇んで振り返ったが、そこに立っていた表情の無い悠を見ると奇声を発して仰け反った。
「ヒィッ!?」
「縄の結び方を知らんのか?」
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
頭を庇って連呼するコレットに向かって手を伸ばす悠に探索者達の間に緊張が走る。
コレットは訪れるであろう痛みにギュッと目を瞑ったが、やってきたのは額にトンと突きつけられる指の感触だった。
「……ぅぇ?」
「分からんのなら分からんと言え。もしくは分かる者に聞け。知らん事は出来んだろうが」
「……ふぁい……?」
間の抜けた答えを返すコレットの背後に回ると、悠はコレットに覆い被さり、石と縄を手に取った。
「わわわっ!?」
「奇声を発していないで俺の手元を見ろ。何度もやらんぞ」
耳先が悠の頬に触れ、くすぐったさに身じろぎするコレットだったが、悠の声に何の含みも無い事を感じ、手元に集中した。
「先に用意出来るなら魔法を使って石に縄を取り込ませてもいいが、魔法を使えない状況ならば自分で巻かねばならん。そういう場合はこのように十字になるように縄を巻いて……」
悠がやってみせる動きを必死に真似してコレットも自分の石に縄を巻いていったが、悠がわざわざ背後からやってくれたのは自分に分かり易いようにしてくれているのだと今更のように悟っていた。目の前でやってくれたとしても逆に見えるからこその気遣いだ。
探索者の中にはそれを見て慌てて十字に結び直す者も居たので、無駄にならなかったのは怪我の功名と言うべきか。
「最後にこの隙間に石を通して引っ張れば完成だ。これで回転させても緩む事は無い」
「あっ、出来た! 出来ました……っ!?」
ようやく完成したボーラにコレットは満面の笑みで悠を振り返ったが、鼻が触れそうなほど至近距離にある悠の顔を意識し真っ赤に染まる。これまで生きて来て、他人とここまで距離が近付いた事など数えるほども無い事だった。養父であるゲオルグの威光もあり、コレットに不埒な真似をする者は探索者ギルドには居ないのだ。
コレットもまだ年若いながらもエルフであり、人間の尺度であれば相当な美少女と言って差し支えない容姿の持ち主だ。もしアルトであったならコレットと同じように顔を赤らめたかもしれないが、ここに居るのは残念ながら悠である。
「何度も繰り返して素早く作れるようになっておけよ」
それだけ言うとコレットの頭をくしゃりと一撫でし、スタスタと歩き去ってしまった。
「……」
納得が行かない表情で悠の背中を睨むコレットだったが、手の中にあるボーラを見ると自然と頬が緩んだ。
(……ま、まあ、ちょっとは認めてやらない事もないかな!)
年相応の笑顔で我知らず髪を弄るコレットであった。
他の探索者がボーラの練習をしている間に、悠はヴェロニカと2人で藁で作られた人型の的の前に立っていた。
「ヴェロニカ、さっきは付き合ってくれて助かった。お前はあんな鞭の使い方はせんだろうに」
「いえ、分かり易く説明するにはあれで良かったかと」
悠が言っているのはヴェロニカが悠の腕に巻きつけた時の事だ。腕力で劣る事を知っているヴェロニカならあんな力を込めやすい場所に鞭を巻きつけたままボーっと待っていたりはしないのである。もし巻きつけたとしても、即座に引くなりして相手のバランスを崩す事を考えるのだ。相手が引いてきたら放してもいい。
「これは詫びと、お前の鞭の腕前に敬意を表すると思って使ってくれ」
悠が鞄から取り出したのは細い鉄鎖で作られた鎖鞭である。金属の割りにそれほど重くは無いのか、地面に落としても重厚な音は鳴らなかった。
「使い方は鞭とそう変わらんが、威力は保証するぞ」
悠が振るった鞭が的を抉り裂き、分断して転がすのを見たヴェロニカは驚き目を奪われたが、悠は更に鞭を振り続けた。
「細かな凹凸があるから触れただけでダメージを与える事が出来る」
悠の手が細かく上下し鞭にその動きを伝えると、鞭が新体操のリボンのように渦巻き、そのまま上半身を失った的を巻き込むと、藁の的はドリルで削り取られたように粉微塵となった。
「『月輪』という技だ。月は本来円形だが、様々に姿を変えて我々の目を楽しませる。これは広範囲を攻撃する壱の型、そして……」
悠が回転軸を変化させると、今度は巨大な円盤状になった鞭が無傷の的を一瞬で切り裂いた。
「鞭で切断する弐の型」
言いながら頭上に鞭を掲げた悠が再び回転軸を変化させると、悠の周囲を鞭が高速で旋回し始めた。
「守備重視の参の型は飛び道具や魔法を防ぐ事が出来る。弐の型も自分の前面で展開する事で盾の代わりにもなるが、囲まれた時にはこちらの方がいいだろう。上手く使えば魔法以上に使い勝手はいいはずだ」
鞭を振り払い、悠はヴェロニカに柄を手向けたが、ヴェロニカは潤んだ瞳のまま、それに気付いていないように呆然と立ち尽くしていた。
そもそも、最初は望んで鞭を手に取った訳ではなく、魔物から浴びせられた毒による視力低下が原因だった。失明だけは避けられたが、ヴェロニカは一夜にしてパーティーのリーダーからお荷物へと成り下がってしまったのだった。
遠くを見る魔法はあっても、視力そのものを矯正する魔法は現在も開発されておらず、ヴェロニカは何度探索者を辞めようか、命を絶とうかと真剣に考えるほどの絶望を味わった。探索者という仕事はヴェロニカにとって単に金を稼ぐ手段では無く、生き方そのものであり誇りなのだ。
持ち前の精神力で一時の絶望を乗り越えたヴェロニカが武器に救いを求めたのはエルフらしからぬ選択だったが、それだけ追い詰められていたという事であろう。接近戦の手数が必要であったし、自分の目を治せない魔法への不信感がヴェロニカに手段を選ばせなかった。
ヴェロニカの鞭術は完全な独学だ。そもそも武術が発展していないエルフで武術を志す者は稀であり、エルフィンシードでヴェロニカ以上に鞭を扱える者は存在せず、ヴェロニカは自分だけの力で道を切り開いて行かなければならなかったのだ。それは遅々とした歩みでしかヴェロニカに成長の実感をもたらさなかった。
最初のパーティーは修行の為に脱退し、やがで依頼に失敗して全滅したと風の噂で聞いたが、その悲しみも、周囲の失笑や嘲笑すら力に変えてヴェロニカは鞭を振り続けた。Ⅶ(セブンス)まで上がったランクはⅣ(フォース)まで落ちたが、30年も経つ頃にようやくヴェロニカを笑う者は居なくなった。ヴェロニカが当時から一流と見なされていた『叡智の後継』に誘われたからだ。
ヴェロニカに遠距離戦闘は出来ないが明晰な頭脳と忍耐力、そして探索者としての豊富な経験と他者に対する包容力があり、ルースはその手腕を欲したのである。
自分の理想通りでは無かったが、探索者として名を成す最後のチャンスとヴェロニカはその話を受け、結果として『叡智の後継』はエルフィンシード一の探索者集団となったのである。
――だが、ずっと胸に燻る物は残り続けていた。『叡智の後継』の一員ヴェロニカでは無く、ただのヴェロニカとしての力量を認めて貰いたいという願いが。苦楽を共にした鞭の技術は、いつの間にかヴェロニカにとってかけがえの無い物となっていた。
悠の技の数々はヴェロニカに再び熱い想いを呼び起こしたのだった。
「……教官、それを受け取る前に2つほどお聞きしたいのですが、宜しいですか?」
「何だ?」
我を取り戻したヴェロニカは上気した顔で悠に尋ねた。
「教官は異世界からの客人、『異邦人』と伺いましたが、それらの技は教官の世界の物ですか?」
「そうだ」
「では、このアーヴェルカインで教官以上の鞭の使い手に心当たりは?」
「無いな。居るかもしれんがあまり一般的な得物では無いから凄腕の使い手が居れば耳に入って来そうなものだが、少なくとも俺は聞いた事が無い。そういう意味ならヴェロニカが一番だと思うが……何だ、弟子入りでもしたいのか?」
最後の台詞は悠なりの冗談のつもりであった。いくらヴェロニカが鞭に傾倒しているからと言っても、一時的ならまだしも弟子として人間の風下に立つのはエルフのプライドが許さないだろうと思っていたからだ。
だが、悠はヴェロニカの覚悟を甘く見ていた。
「……」
ヴェロニカは自分の懐を漁り、目的の品を取り出すと、悠の前に跪いて両手を悠に掲げた。
右手は空だが、左手には金色の指輪が乗っており、ヴェロニカは緊張に震える声で告げる。
「……はい。私と師弟の契りをお結び下さい。教官がこの国に滞在している間だけで構いません。もしご了承頂けるのであればこの指輪を取り、その証として頂きますよう……」
切実な視線で訴えるヴェロニカと悠の間で、時は切り取られたかのように凍り付いていた。
殆ど告白ですね……。




