10-30 麗しのシルフィード9
その頃、ティアリング公爵家所有のとある研究室にクリスティーナの姿はあった。
「お嬢様、ケストラーめが『幽霊部隊』を動かしたようですが……」
「あら、まだあったのね……まぁいいですわ。放っておきなさい」
その報告に少しだけ眉を動かしたクリスティーナだったが、すぐに興味を失ったように笑顔に戻ると独り言のように呟いた。
「『幽霊部隊』などもはや時代遅れですわ。下手な魔法を使って王宮内に侵入すれば即座に察知されますのに、グレンデール家はまともに引き継ぎすら出来ていなかったみたいね……可哀想だわ、特に頭が」
個人の能力や武勇に頼る時代は既に終わったのだ。天才の穴は凡才では埋められないからこそ天才なのである。ならば凡才は別の方法でその穴を塞がなくてはならないというのがクリスティーナの考え方であった。
「その点でドワーフは正しいですわ。特定個人では無く、使い勝手のいい兵器に戦わせる。それが次世代の戦争というものです。でも、そういう発想の転換が出来ないのがドワーフという種族だと私は思っていたのですけれど……」
今回の戦争でクリスティーナが一番疑問に思っていた点はそれに尽きた。ドワーフこそ個人の能力と武勇を最も重んじる時代遅れの象徴というのがクリスティーナの認識だったのだが、おそらく向こうにも柔軟な発想が出来る者が現れたのだろう。エルフの長所である魔法を封じるという観点はクリスティーナからすれば目新しい物では無く、自分の考えも種族は違えど同じ観点に基づくものだ。
暗い部屋の中で蠢く影にクリスティーナはどこかアンバランスな笑顔で語り掛けた。
「対ドワーフの兵器相手に人族がどれくらい戦えるか見せて頂きましょう。あのアルトさんの可愛らしい顔が醜く崩れて行くのを見たらハリーティア様はどんなお顔をなさるのかしら!? ああ、私、今から興奮を抑えられませんわ!!」
想像だけでゾクゾクと快感が背筋を駆け上り、クリスティーナの手が無意識に自分の胸を掴んだ。その淫靡で背徳的な光景に後ろに控える執事は顔を伏せ、慎ましく沈黙を守っていた。
「はぁ…………明日はお爺様もお呼びしなくては。研究の成果を存分に見せ付ける絶好の機会ですしね」
頬を紅潮させたまま、クリスティーナは部屋を後にしたのだった。
翌朝。ケストラーは『幽霊部隊』帰らずの報に怒りを再燃させていた。
「レクサは何故帰って来ん!? まさか、無能な人族風情に後れを取ったのか!? エルフの恐怖の代名詞とまで言われた『幽霊部隊』ではなかったのか!!!」
ケストラーの激怒に床を共にした女達も報告した執事も何も言えずにただ顔を逸らした。こうなったケストラーに如何なる説得も無意味だと知っていたからだ。
「ちぃっ! これ以上伝聞では埒が明かぬわ!!」
急いで服を身に纏ったケストラーは未だ入り口のドア付近で縮こまっている執事を通りすがりに殴り飛ばし、鼻息も荒く王宮へと赴いた。
その中庭でケストラーは殺したいと願っていた者達を見つけたのである。
「くああ……王宮なんて手を出せる女も居ねぇし面白くねぇや。今日勝って是非とも街の中を見て回りたいもんだな。エルフが酌をしてくれる酒場でもありゃ最高だぜおい」
「昨日は夜襲があったくらいですし、街中は危険だと思いますけど……」
「何言ってんだよアルト、こんな機会は二度とねぇかもしれねぇんだぜ? 多少危ないくらいの事にビビッて酒が飲めるかってんだ! な、だから終わったら飲みに行こうぜ!!」
「僕は今日の事で頭が一杯ですからユウ先生を誘って下さい」
「あの堅物が女が酌をするような店に簡単に付いて来てくれるワケねーよ!!」
朝から緊張感の無い会話を剣を片手に繰り広げるバローにケストラーは危うく怒鳴り散らしそうになったが、ギリギリの所で堪えて物陰に身を隠した。
(やはり無傷ではないか!! しかももう終わった後の話をしているだと!? どこまで我らを舐めている!!!)
しかし、会話の内容から『幽霊部隊』が夜襲を掛けたのは間違い無いようだ。更に詳しい話を聴こうと耳を澄ませるケストラーだったが、その背中に突然声が掛けられた。
「……何をしておられる」
「うおっ!?」
驚いて跳び上がったケストラーが振り返ると、そこには半眼でこちらを斜めに見るナルハの姿があった。
「朝から王宮で人族2人を盗み見などエルフの大貴族がなさる事では無いように思えますが?」
「し、し、し、失敬な!!! わ、私はただあやつらが良からぬ事でもしていないかと見ていただけだ!!! み、見ろ、王宮で剣など抜いて不敬極まりない!!!」
「……私には朝の稽古をしているようにしか見えませんが?」
と、もう一度ケストラーが振り返ると、そこには軽く剣を合わせ型を確認し合うバローとアルトの真剣な様子があり、ケストラーはまたも怒りに拳を握り締めたが、ナルハの用件は別にあった。
「朝から剣を片手に暴れ回るほどの無頼漢であれば夜の内に行動に移しておりましょう。そんな事よりナターリア様がお呼びです」
「で、殿下が? 私に何用だと?」
「……あなたは陛下に呼ばれても一々用件を聞かなければ参内出来ないのですか? その言動は殿下を軽んずる物だと判断せざるを得ませんが?」
「な、何を言う!! このケストラー、王家に対する忠誠心の篤き事余人を並べるに能わぬ!!」
「それはそれは……では速やかに謁見の間に」
まるで信じていないと言わんばかりに流し、ナルハはケストラーの返答を聞く前に一人王宮内へと戻って行き、怒り心頭のケストラーは地面を蹴りつけて渋々その後を追ったのであった。
ケストラーが居なくなった中庭でアルトがバローと剣を合わせながら溜息を吐く。
「……バロー先生、あの人が居る事を承知でからかったんですね?」
「ん? ククク、ああいう頭プッツン野郎はとにかく怒らせておくのがいいんだよ。昨日の夜みたいに勝手に暗殺なんていう致命的なポカを連発してくれそうだしな。ああいうバカは味方にするより敵に回す方がいい仕事をしてくれるんだよなあ。アルトも貴族なら覚えておくといいぜ」
「……頭の片隅に記憶しておきますよ」
もう一度溜息を吐き、アルトは気持ちを切り替えて鍛練に没頭して行くのだった。
「…………申し訳御座いません、今、何と仰いましたか?」
「聞こえなかったのか? グレンデール家に預けていた『幽霊部隊』だが、兵力不足の解消の一環として王家でその身を預かる事にすると言ったのだ。長い間ご苦労だったな。と、言っても彼らを育て上げたのは先代グレンデール侯だが」
人の疎らな謁見の間で王座のナターリアから『幽霊部隊』を取り上げられたケストラーは恭しい表情すら作る事が出来ず、我慢に我慢を重ねたが、元々頑丈でも無い感情の堰が遂に決壊した。
「じょ……冗談も大概にしろ!!! 『幽霊部隊』はグレンデールが手塩にかけて育てた最強の隠密部隊、たとえ王家であってもそのような勝手がまかり通って堪るかあっ!!!」
「殿下の御前だぞ、控えよ!!!」
「煩いぞ腰巾着が!!! 貴様は黙っていろ!!!」
窘めるナルハに怒鳴り返すケストラーに、ナターリアは冷めた目を向けたまま言葉を返した。
「お前は何か勘違いをしているようだな……『幽霊部隊』はグレンデール家の私兵などではない。あれは元々、陛下がお前の父であるノトーリアス殿にエルフの綱紀粛正の為にその創設を命じ、彼が手塩にかけて育て上げたものだ。陛下はノトーリアス殿の手腕と能力に全幅の信頼を置きその運営を任せてはいたが、『幽霊部隊』の所有権は常に王家にある。ノトーリアス殿が急逝されたせいで伝わっていないのだろうが……ちなみにこの事は『幽霊部隊』の長であるレクサも知らん事だ。知っておればもっとやりようもあったのだろうがな……」
「は!? そ、そ、そんな、そんなはずは……!?」
「お前の代になってすぐに回収しなかったのは、陛下がその手腕を見極めるつもりであったからだ。ノトーリアス殿ほどの能力があるなら陛下は今後もグレンデール家の預かりにしておいてもいいと考えていたのだが、どうやらお前ではそのご期待に沿う事は叶わなかったようだな……」
ナターリアが目配せすると、ナルハはケストラーに歩み寄り、手に持っていた書類を差し出した。ケストラーは手付きも荒くそれを引ったくり目を通すと、その内容に血の気が引いていく。それはケストラーが命じた『幽霊部隊』の行動記録であった。
「こ……でっ」
「出鱈目では無い事はそこの関係者や捕縛された者達に裏は取っているし、『幽霊部隊』の長であるレクサからも間違い無いという言質は既に得ている。……残念だケストラー、グレンデール侯爵家という大貴族をこの国難の中で処罰せねばならんとはな。陛下であればこの場でお前の首を刎ねたであろうが私はあくまで代理、しばらく牢獄で頭を冷やすがいい」
反論を封じられ、酸欠の魚の様に口をパクパクさせたケストラーは震え出し、ナターリアに向けて魔法を行使しようとした瞬間、その両腕から血飛沫を撒き散らしその場に押し倒された。
「ぎっ!?」
首だけで背後を振り返っても誰も居らず、ナルハはナターリアを守る為に魔法を行使しており、それが逆にケストラーに自分を切った相手が誰であるかを確信させた。
「れ、レクサーーーーーッ!!! 貴様、主人であるこの俺を裏切ったなーーーーーッ!!!」
「……」
姿を現したレクサは無言でケストラーを見たが、その隣のトゥリスが代わりに口を開いた。
「裏切ったのではない、見限り、本来の所属に戻ったのだ。『幽霊部隊』の刃は一貴族の欲望を満たす為に用いるべきものではない。……お優しいレクサ様は再三に渡り貴様に忠告なさっていたというのに、その諫言に耳を貸さず行いも改めなかった貴様が悪いのだ!!!」
「黙れ使用人風情が!!! 薄汚い身分の貴様らがこの俺に――」
ピュンッ!
「ぎあっ!?」
誰にも反応出来ない速度で謁見の間を走った光条がケストラーの背中に突き刺さり、罵詈雑言を遮断した。
「全く、貴族の質も落ちたもの。まさか謁見の間で流血沙汰とは……衛兵、早くその慮外者を牢に連れて行きなさい」
「は、ははっ!」
慌てて痛みに悶絶するケストラーを引き立て連行する兵士を余所に、ケストラーを撃った煌びやかな容姿を持つ女性はナターリアの前に歩み寄ると膝を折って深々と頭を下げた。
「『光将』セレスティ・ブライトミュラーただいま帰参致しました」
「ご苦労。しかし、セレスの魔法は相変わらず恐ろしく速いな?」
「他の方の魔法が遅いのです」
自信を持って言い切るセレスティは『光将』の名に相応しく輝いて見えた。
ケストラー、ブタ箱へ。そしてセレスティ登場。次はベームリューも出ますよ。




