2-17 治療2
東堂 樹里亜は夢の中の様な場所を彷徨っていた。
覚えているのは最後の光景。咄嗟に庇った安西 小雪の代わりに、自分の体に突き立った刃の冷たい感触は今も刺された脇腹に残っている様な気がした。
血を流し過ぎたせいか、体が凍える様に寒く、一糸纏わぬ姿になっている樹里亜の体を苛んだ。
(小雪ちゃんは無事かしら。・・・って、人の事を心配してる場合じゃ無いかな・・・)
樹里亜は自分が今死に掛けている事が何となく理解出来た。この夢の様で夢では無い状態は、いわゆる臨死体験という物なのだろうと。
(皆死んじゃったし、私ももう死んじゃってもいいかな・・・もう、あんな所には帰りたくないし)
これまでに何度も死に掛けた。腕を切れら、足を刺され、体を殴られた。支配術式とかいう物で嬲られたのも数知れない。それは体の傷として、そして心の傷として樹里亜に深く刻まれていた。
(直人君も死んじゃったから、もう私の傷を治してくれる人も居ないしね・・・)
樹里亜は今回監督官として送り込まれた三人の内の一人だった。そして同じく監督官として送り込まれた白金 直人は高度の回復術を使用する事が出来、この半年の間に次々と仲間が倒れる中を励ましあって生き抜いて来たのだ。
しかし、今回の奇襲で最初に直人が殺されたせいで、回復出来ないという事実が全員の混乱に拍車を掛けた。樹里亜も得意の結界術を展開する事も出来ずに、目の前に小雪を自分の体で庇うのが精一杯だったのだ。
樹里亜はこのまま意識が消え去るまでもう何も考えないでいようと思って目を閉じた。考えてもいい思い出が何も浮かんで来ない事に気付いたから。
ただ、この凍える様な寒さだけはどうにかして欲しいと思った。
そんな樹里亜の祈りが天に届いたのだろうか。凍える様だった体の一点に、突然仄かな温かさを感じた。
(何だろう?・・・手が、あったかいな・・・)
自分の右手に伝わって来た温かさは、次第に全身を柔らかく包み始めた。冬に温かい毛布を羽織った様な、温いお風呂に全身を浸した様な、何とも言えない温かさに、樹里亜は少しだけ身を委ねた。
その温かさに身を浸していると、樹里亜はネガティブな思考しか沸いて来なかった心の奥から、少しずつだが、前向きな感情が生まれてくるのを感じていた。――つまり、生きたいという願いを。
樹里亜には夢があった。元々母子家庭で育った樹里亜は母性本能が強く、ここに召喚されて来て、その子供達への待遇に憤慨した。その事で意見して痛い目に遭った事も一度や二度では無い。子供達を守る為に、ここへ召喚された際に目覚めた才能である結界術に磨きを掛け、出来る限り子供達を守って来た。
樹里亜はいつか、子供達を連れて脱出し、安全に生活出来る場所を作りたかった。そして皆で助け合って暮らすのだ。自分は守る事しか出来ないから、家の安全を確保し、力持ちの男の子に狩りや畑仕事をして貰い、小さな子供達は安心してお腹一杯ご飯を食べて、夜に怯える事無く眠り、明日はどんな楽しい事があるのかなと小さな胸を弾ませて朝を迎えるのだ。
そのささやかで、それでいてこの世界では贅沢な夢を樹里亜は手放したく無かった。いつか必ず、必ず実現させてみせるという強固な意志が、樹里亜を半年の間この冷たい世界で生き長らえさせて来たのだから。
手から伝わるその温かさは、その意思を肯定してくれているかの様に樹里亜には感じられた。右手を握ると、握り返してくれる気がして、樹里亜は右手に力を込めると、温かい波の様な物が樹里亜に伝わって来た気がした。
樹里亜はそれが嬉しくて、何度も右手に力を込めた。その度に温かい波が帰って来て、樹里亜は生きる気力を取り戻していた。
(こんな所で死んでなんていられない。私にはまだ守るべき子達がいるんだから!!)
樹里亜が決意すると、次第にその夢の様な世界は薄れて消え始めていた。
そう、夢を見る時間は終わったのだ。これから自分は現実の世界で、あの怖い世界で子供達を守って生きて行くんだと、忘れない様に繰り返しながら、樹里亜の意識は次第に覚醒して行ったのだった。
「・・・・・・・・・う・・・」
現実の世界に帰った樹里亜は暗い部屋の中で、ベットに寝かされていた。まだ霞む視界に、赤い光がちらちらと映っていて、右手からはまだあの温かさが伝わって来ている。
「う・・・・あ、ぐ・・・・」
声を出そうとして、樹里亜は自分の喉が酷く渇いている事に気付いた。喉が張り付いて上手く声を出す事が出来ない。
「気がついたか?」
その声に、樹里亜は自分の隣に誰かが居る事に初めて気付いた。そして、その人物が自分の右手を握り、そこからあの温かさが伝わって来る事も分かった。
「声が出ないか?今水を飲ませてやる」
「あ・・・」
そう言ってその男性が手を離すのを、樹里亜は惜しく思って思わず声を上げたが、男性は構わずに水差しに左手を伸ばし、それを樹里亜の口に差し出した。
「少しずつ飲むんだ。急に飲むとむせるからな」
そしてその水差しの先を樹里亜の口に入れると、少しだけ傾けて水を流し込んだ。樹里亜はその水をこれまでの人生で一番美味しく感じて、ゆっくりと全部飲み干した。
「あ、ありが・・・・と、う」
「喋らなくていい。夜が明けるまではまだ少しある。もう一度寝ているんだ」
そう言って再び樹里亜の手を握ってくれたその手からは、またあの温かさが伝わって来た。
その温もりに身を任せる様に、樹里亜は再び眠りについた。その右手にだけ、感謝の気持ちを力に変えて。
「もう君を苛む物は何も無い。だから、おやすみ」
まどろむ意識の中で樹里亜は一つだけ確信していた。
次はきっといい夢が見られるだろうな、と。
これから新キャラ達の名前や性格、その背景などが描写されていくと思います。




