10-21 立ち込める暗雲16
「……」
「どうしましたナルハ殿、難しいお顔になっていますよ? そろそろお話を始めようかと思うのですが……?」
「い、いえ……」
眉間に皺を寄せ考え込みながら操舵していたナルハの顔を覗き込むハリハリにナルハは別に何でもないと顔を伏せたが、更に回り込んでナルハと視線を合わせたハリハリの言葉に硬直した。
「……エルフィンシードでワタクシの罪が問われるのではないかと危惧しているのでしょう?」
「っ!」
図星を突かれたナルハは目を見開いたが、ハリハリは首を振った。
「心配要りませんよ、ワタクシは別にエルフィンシードで暮らそうとは思っていませんから。ワタクシがのうのうと要職に着こうとすれば反対する者が煩いでしょうが、そんなつもりは毛頭有りませんし、この国難の時にワタクシを責めても得る物は何もありません。逆に何でもいいから利になる物を搾り取ろうとするでしょう。なにしろ、エルフの自信を支えていた魔法戦隊があっさり敗北してしまいましたから。ドワーフと和平交渉などドワーフもエルフも現段階では受け入れません。ならば力は見せ札として有効です」
ハリハリが『真式魔法鎧』と『魔空杖』を携えているのはそういう理由もあった。これを見たエルフは必ずやその力を欲するであろうし、それはナルハ自身が証明していた。
だが、ナルハが反応したのはもっと別の部分であった。
「……ハリーティア様はエルフィンシードにお戻りにならないおつもりなのですか?」
潤み始めたナルハの瞳に、ハリハリは安心させようとしてかえって失敗した事を悟った。
「あ、いや……まだワタクシは忙しい身ですし、もし暮らせるようになるとしてもこのゴタゴタを解決しないといけないですからすぐには無理というか……」
「すぐでは無くても戻ってくるつもりはあるのですか?」
「えー、無い事も無いような……そ、それよりも!!」
グイグイと距離を詰めるナルハにハリハリは防戦一方になり、結局強引に話題を転換する事で問題を先送りにする事にした。
「まずワタクシの話を聞いて下さい! 色々と込み入った事情がありますし、すぐには信じて貰えそうもない、とてもスケールの大きな話なんです!!」
努めて真面目な表情と切迫した口調を取り繕ったハリハリだったが、ナルハは過去の経験からハリハリがこの表情を作る時は誤魔化す為の真っ赤な嘘か真実かの2択であると知っていたのでじっとハリハリを睨んだ。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……あの、そろそろ話してもいいですか?」
ここまで追い詰めて謝らないのなら、ナルハの経験上これからハリハリが話すのは真実のはずだ。とりあえず視線を緩め、ナルハが頷くとハリハリは事の起こりから丁寧に話し始めた。
「そうしてドラゴンズクレイドルを攻略した我々は新たな力を身につけ、ナターリア姫からエルフ敗戦の報を聞いて急行したという訳です。そこからはナルハ殿と一緒に行動していたから知っての通りですし、この『魔空杖』や『真式魔法鎧・改』は龍王の鱗や神鋼鉄を使用していますのでエルフには作れないと――」
「馬鹿馬鹿しい……長々と見て来たような嘘をいつまで垂れ流すつもりか?」
「サクハ!!」
「……いえ、普通はそういう反応だという事は分かっていました。陛下だって信じてくれた訳では無いですからね。ですが、状況証拠だけでも十分だと思います。魔法阻害兵器である『機導兵』やワタクシの使っている『魔空杖』に『真式魔法鎧・改』、ユウ殿の出鱈目な戦闘能力。どれも旧来の世界には存在しないものです」
反感を露わにするサクハにハリハリは穏やかに諭すように証拠を順に挙げていったが、サクハは懐疑的な瞳を崩さなかった。
「確かな事が一つだけある」
そこに前方に視線を向けたままの悠が口を挟んだ。
「このままならば世界が滅びる前にエルフが滅びるという事だ。『機導兵』によって既にエルフ軍は半壊、しかも相手は十分に余力を残し、切り札すら持っている。次に攻め寄せる時は今回以上の規模である事は間違い無く、エルフにそれを支える余力は無い。対策を打とうにも時間も無かろう。最長でも一月以内にドワーフはエルフィンシードを蹂躙する。ドワーフにそれが可能だという事はこの戦争を経験した者ならば理解出来るはずだ」
「そっ! ……れ、は……」
悠の予測は近い内に必ず訪れる確定未来であった。サクハは反射的に反論しそうになったが、体感した恐怖が強く口を縫い止めた。自分が守ると言いたいが、満足に自分の身すら守れない者が言える台詞では無かった。
「ナルハ殿はどうですか? ワタクシの話を信じられますか?」
「……他の誰が言っても信じませんが、ハリーティア様が仰るのならば私は信じます。私の理解が及ばない所は多々ありますが、このままではエルフィンシードが滅ぶという事だけは確かでしょう。悔しいですが、我々の力では『機導兵』に対抗出来ません」
ナルハは他ならぬハリハリの言葉であればと頷いた。『水将』としてナルハは現実として起こる事態に対処しなければならないのである。
「セレスティとベームリューは私が説得しましょう。それと、貴族としての繋がりで何人かは引っ張れると思います。サクハ、陛下は何か仰っていたか?」
「……」
サクハは言うべきかどうか迷ったが、諦めたように口を開いた。
「……ナターリア姫を王とし、内政面は姉さんに任せよと……あの方にもお知らせするようにと言付かりました」
「あの方……まさか!?」
不快そうなサクハの顔から誰を指しているのかを悟ったナルハは驚愕を浮かべ、サクハは頷いた。
「頭脳ではハリーティア・ハリベル様に並ぶと称されたあの方です。エースロット先王陛下の兄上にして……現在では隠居というより世捨て人のアスタロット・ローゼンマイヤー様……」
その名にハリハリの顔が複雑な感情で歪められた。
「……アスタは、まだ昔の事を引きずっているのですか……」
「何があったかは知りませんが、素晴らしい能力を持ちながら国に貢献しないのはただの怠慢です!!」
サクハの言葉はアスタロットに向けているようであってハリハリにもその感情を突きつけていた。だが、ハリハリはそれを嗜めようとしたナルハを手で制し、力無く首を振った。
「ワタクシは何と言われても覚悟していますが、アスタの事を悪く言うのは止めて下さい。彼は誰よりも深く傷付いたのです。その辛苦はワタクシの及ぶ所ではありませんし、アスタの穴を埋められないのは今を生きるエルフの責任です」
「その通りだサクハ。我らがもっと強く、そして賢ければ先人達に頼らずに済んだのだ」
「姉さんだってその人の力を当てにしているでは無いですか!! 国に引き留めたりしているのはその為でしょう!?」
「いや、違うが?」
ナルハの論の穴を突いたはずの指摘を即答でかわされサクハは訳が分からないと顔を歪めたが、ナルハは何でもない事のように先を続けた。
「私がハリーティア様をお引き留めしている理由はハリーティア様をお慕いしているからだ。愛しい殿方を引き留めたいと思うのはおかしいか?」
「なっ、ん……っ!」
あまりに直接的な言葉にサクハが言語中枢に不全を起こし酸欠の魚のように口をパクパクさせたが、同じく硬直するハリハリにナルハは柔らかい笑顔で微笑み、その手を握った。
「ハリーティア様、ナルハももう初な小娘ではありません。今回の事は別にしても、必ずハリーティア様がエルフィンシードに戻れるように尽力致します。最悪、私が『水将』の地位を退き当主の座をサクハに譲れば赦免は叶うはずですから」
「あ、いや……」
久しくなかった浮いた話にハリハリの目が泳ぎ、誰か助けてとばかりにナルハの背後に向けられたが、悠やシュルツは当然の如く無視し、ギルザードは「さてどうするのだ?」と言いたげに口元を歪め、バローに至ってはチラチラと視線で訴えながらアルトに抱き付いてキスを迫っていた。つまり、押し倒せと言いたいのだろう。死ねばいいのに。
が、ナルハはその先を迫る事無く手を放した。
「ご安心を、無理強いする気はありません。ハリーティア様のお気持ちは200年前から理解しています……ただ、ちゃんとお伝えしておきたかっただけですから」
チラリとアリーシアに目を向け、ナルハは前に向き直った。
「さあ、見えてきましたよ。ハリーティア様の故郷が……」
森の木々を抜け、視界の先に広がるエルフィンシードにハリハリの目が釘付けになる。同時に様々な感情が湧き上がり、混然として渦巻くそれらを持て余しハリハリは泣きそうな顔で胸を押さえ、ポツリと漏らした。
「……ただいま……」
色褪せた過去に向けて、ハリハリは200年振りの故郷に帰還を告げたのだった。
ナルハも200年の間に少女から大人になっていたのでした。
この……光源氏!!(誉め言葉)
で、次回からエルフィンシードです。




