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神様になる前にもう一つ世界を救って下さい  作者: Gyanbitt
第十章 二種族抗争編
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10-18 立ち込める暗雲13

「ったく、グチョグチョした奴ばっかで嫌になるぜ!」


「冒険者の方々にも湿原は圧倒的不人気ですからね。汚れる、動きが制限される、それなのに魔物は特化された種が多くて自由に動ける、毒持ちが多い、解体が困難で実入りが少ないとなればそれも当然でしょう」


ハリハリはどうでもいいようなバローの愚痴にも早口で答えたが、その内心は穏やかではなかった。むしろ、焦燥から目を逸らす為であろう。バローもそれを察してわざわざ口に出しているのかもしれない。


ここに至るまでに幾人かのエルフを発見したが、その殆どが死体であった事もハリハリの焦りに拍車を掛けていた。


生存の見込みがある者達には薬を与え、ギルザードが纏めて運んで数人ずつ組にして放置し合流を目指して貰う事にした。残念ながら彼らを手厚く看護する時間的余裕など無く、一部の勘違いした将校は置き去りにしようとする悠達に当然とばかりに保護を要求したが、その代償に胃の中身を全てブチ撒ける羽目になった。アリーシアより自分の身を優先させた彼らの事はナルハも確認しており、たとえ生きて帰っても明るい未来は訪れないであろう。


その代わり、生存した兵士からアリーシアを避難させた方向を聞き出す事が出来たので、時間的な帳尻としては若干プラスに働いたのは望外の幸運だった。オーニール湿原は面積はそれほど広がってはいないが内部地形は相当に変化しており、中心よりも若干奥地の方が現在では陸地がしっかりしているそうだ。近衛兵とアリーシアはそこを目指していたというのが最新の足取り情報であった。


その奥地と最短距離を踏破する悠達がサクハと遭遇したのは必然であった。




「一刻も、早く、エルフィンシードへ……!」


泥や水草に足を取られながらもサクハは剣を杖にして必死に前へと進み続けた。『機導兵マキナ』に見つからなかったのは運が良かったが、2度ほど魔物に襲われたサクハの脇腹には穴が空き、今も出血を強いていた。湿原の水の中に棲む肉食性の魚類がサクハの血の匂いに釣られて肌が露出している部分に噛み付くが、もうサクハにはそれを振り払う体力すら残されていなかった。


「私は……帰、る……っ」


痛みに体を強ばらせた拍子にバランスを崩したサクハは泥土の中に倒れ込んだ。それでも這って水の中から体を引き抜き、噛み付いたままの魚を剣で刺し殺す。


だが、それがサクハの限界であった。


(情け無い……陛下の遺……お言葉を預かっておいて、私はこの湿原から出る事すら出来んのか……!)


夜の冷たい空気が体を冷やし、暖を取ろうと魔法を使いかけ、それが瞬時に霧散するのを見て、サクハは魔法が使えないのだという事を改めて思い知らされた。


――そして、心が折れた。


「……ひっ、いっ……!」


痛覚、冷気、暗闇、敗戦、孤独、喪失……それは女王の副官として気丈に振る舞っていたサクハであっても耐え難い恐怖であった。戦場を離れれば、エルフの中ではサクハも一人の年若い女性に過ぎない。


何も成せぬまま、暗闇の中で唯一人死のうとしている自分にサクハは絶望した。体の感覚は鈍り、流れる涙だけがやけに熱く感じられる中、サクハは祈らずにはいられなかった。


「助けて…………誰か陛下を、エルフを、助けて……!」




「アリーシアの居場所を知っているのか?」




突然耳に届いた明瞭な声にサクハは驚いて体を起こしたが、体に力が入らずに崩れ落ち、その体を力強い腕に支えられた。


「だ、誰だ……まだ、生き残りが居たのか?」


「サクハ? サクハ!!!」


「姉さ、ん?」


妹の声を聞き取り、髪を振り乱しながら泥と水を掻き分けナルハはサクハの顔を覗き込み、破顔した。


「生きていたのね!! ああ、良かった、本当に良かった……!」


汚れと涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらナルハは何度もサクハの名を呼び、サクハもようやくこれが現実の光景だと実感した。


「飲め、放っておけば命に関わる」


悠が口元に差し出した小瓶を受け入れるかどうか迷うサクハだったが、ナルハが頷いてみせたので素直にその中身を嚥下した。


「だけど良く聞こえたな、ユウが女の泣き声がするとか言うから俺はてっきりバンシーでも居るのかと思ったぜ」


「ユウの五感の鋭さはレイラが居なくても健在という事だな」


泣き声を聞かれていたと知ったサクハは羞恥で顔を紅潮させたが、今はそれに斟酌している場合ではない。


「サクハ、陛下はどちらにいらっしゃる? 我々は陛下をお救いする為にここまで来たのだ」


「っ、……陛下、は……まだ……」


悠の腕の中で背後を振り返ったサクハの視線を辿り、悠は立ち上がった。


「現場に急行する。バロー、シュルツ、アルトは襲ってくる相手の露払い、ギルザード、ナルハを担ぎ、ハリハリは俺に続け。サクハ、アリーシアの場所まで案内しろ。前進!」


ナルハやサクハが何かを言う前に、悠の体は宙を舞っていた。突然の浮遊感にパニックを起こしかけたサクハだったが、何とか悠の言葉を咀嚼すると一行をアリーシアの下へと導いた。


「本気で走れアルト!!」


「は、はいっ!」


遅れそうになるアルトを叱咤し、バローとシュルツは悠を見失わないように食い下がったが、この2人の体術をもってしても本気で走る悠に追い縋るのは困難であった。


「どうして一人背負っててあんな真似が出来るんだよチクショウ!!」


「多分、着地の瞬間に加重を殺して泥に足を取られないようにしているのだろう。……追いつけないのは全ては我らが未熟ゆえだ。精進せねば……」


「その修行バカ発言とかいらねーから!!」


罵り合いながらも悠に付いていける2人も大概じゃないかなと常識的なアルトは思うのだが、今は自分が置いて行かれないようにするので精一杯で口を聞く余裕すら無かったため、その手の疑問は置き去りにされた。


「っ! あ、あそこだ!!!」


サクハが指した地点に一瞬、剣の煌めきを見た悠はそちらに最後の跳躍を行い、剣にもたれ掛かり身動き一つしないアリーシアをはっきりと視界に収めた。


その周囲に肉を漁りにやって来たであろう魔物の姿を確認した悠はサクハを片手に担ぎ直し、片手で投げナイフを投擲して追い払う。


「きゃあ!!」


目まぐるしく変わる視点にサクハが悲鳴を上げるが今はそれどころではなく、地面を這う蛭をスライディングで泥の上を滑り蹴り飛ばす。


サクハを片手に抱え油断無く周囲を警戒しつつ、悠はようやく再会を果たしたアリーシアを一目見て状況の悪さを悟った。


(助からんか……)


幾多の戦傷者を見て来た悠には、それが助かる状態か助からない状態かの線引きが朧気ながら分かるようになっていた。レイラによる診察が無くても、多少の医学の心得と数をこなせばそんなに特殊な能力でも無いのである。


サクハを下ろした悠はすぐにアリーシアの処置に掛かった。


「シア!!! ユウ殿、シアは大丈夫なんですか!?」


「黙って俺の言う通りにしろ、アリーシアが死ぬぞ」


取り乱すハリハリに厳しく言い捨て、悠はアリーシアの詳しい診察を始めたが、それは全く芳しいものでは無かった。


(爪の根元を押さえても痛みに対する反射が無い。呼びかけに対して返答も無い。呼吸も停止、対光反射は確認出来んが脈も計れん)


意識レベルが最低で生活反応が一切見られない。……つまりはアリーシアは、もう死んでいた。


だが、救うと決めた悠はサクハに問いかけた。


「サクハ、アリーシアと別れたのはどのくらい前だ?」


「え……た、多分、10分くらい……」


それからしばらくは生存していたと仮定し、悠は鞄を漁りながらハリハリに指示を出した。


「ならばまだ間に合うかもしれん。ハリハリ、鎧を外して蘇生処置を」


「は、はい!」


アリーシアの鎧を外し、ハリハリは悠が屋敷の者達に伝えた心肺蘇生法を試みた。胸に手を置いて鼓動させ、顎を引いて呼気を送り込むのを見てサクハが血相を変える。


「き、貴様ら!! 陛下に不埒な真似を――」




「邪魔を、するなっ!!!!!」




鼓膜が破れるかと思うほどの悠の大喝にハリハリを止めようとしたサクハはひっくり返って気絶した。ハリハリも一瞬体を強張らせたが、目的意識の高さゆえかそれに耐えて心肺蘇生を続け、その背後で指示を待っていたバローも軽く耳を押さえながらシュルツとアルトに向き直った。


「シュルツ、アルト、今ので魔物が集まってくるかもしれねえ。ここは俺らで守るぜ」


「言われるまでもない」


「分かりました!」


今が命の瀬戸際なのだと察したバローは悠の指示を仰がずに行動を開始した。悠は悠で注射器を取り出し、投薬用に調整した各種薬剤を注射器で吸い上げる。


「この世界の薬は俺達の世界よりも効果が格段に上だ、肉体が辛うじてでも生きていれば可能性は皆無では無いはず」


清潔な水と純度の高いアルコールでアリーシアの腕を消毒した悠はすぐに注射器を突き入れた。これで心肺蘇生を行っている内に薬剤が行き渡るはずだ。


続けて数本の異なる注射を投薬限界まで行った悠はアリーシアの縛ってある腕の断面の処置にかかった。泥や汚水に塗れた患部を洗って死んだ組織を削ぎ、アルコールで消毒した後に縫合用の針と糸を取り出して血管を塞ぎ始める。『再生リジェネレーション』が使えればすぐに治せるが、今はこれで手一杯であった。


「シア、シア、戻ってくるのです!! エースはまだあなたが来る事など望んではいません!!!」


決死の形相で死神の手からアリーシアを手繰り寄せるかのようにハリハリは一心不乱に蘇生を続けたが、これまでの生の中で最も強く「魔法が使えれば」と思わずにはいられなかった。


「ああ、何が賢者か!!! 一番大事な者を助けられないのなら、魔法なんて何の意味もありはしないではないですか!!! ……神よ、今後一生魔法が使えなくなったっていい、命だって要りません……だから、シアを……アリーシアを、返せッ!!!」


汗と涙を流しながら、鉛のように重くなった腕で、ハリハリはアリーシアの体に命を送り続けた。この手を止めた時がアリーシアを失う時だと思うと、ハリハリの体は身の竦むような悪寒に震えていた。


「……」


そんな中、悠は感情を宿さない瞳でじっとアリーシアの傷口を観察していた。もし蘇生が成功しているならば……。


「ハリハリ」


「今話しかけないで下さい!!」


「やめろ、もういい。これ以上は必要無い」


「あります!!! ユウ殿に必要無くてもワタクシにはあります!!!」


「やめろと言っている」


悠がハリハリの手を掴んで止めると、ハリハリはそれを振り払おうともがいた。


「放しなさい!!! 今手を止めたらシアが死んでしまう!!! ワタクシが手を止めたせいでシアが、シアが――」




…………トクン。




「…………え……?」


ハリハリの腕に伝わる微かな鼓動がハリハリの動きを止めた。目を擦ってアリーシアを見直せば、その胸が僅かに上下しているのが確認出来、ハリハリはポカンとした顔のまま地面にへたり込んだ。


「蘇生は終わったからもう必要無いと言っている。傷が癒着を始めたからな、後は本人次第だろう」


「あ……ああ、ああああああああっ!!!」


天を仰いだハリハリは言葉にならない感動にただただ涙を流すのだった。

樹里亜の時よりもギリギリな修羅場でした。

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