10-6 立ち込める暗雲1
「ぐっすり休んだのに深夜とは妙な気分ですねえ」
屋敷の中で悠を出迎えたハリハリは肩を竦めて悠に話し掛けた。
「今からナターリアに連絡を取るのは些か常識を欠くか?」
「エルフは人間より夜間視力はありますが夜行性では無いですから、明日の朝になってからが宜しいかと」
(もっとも、ナターリア姫は喜ぶかもしれませんが……)
心の中だけでハリハリはそう呟き、悠も頷いた。
「とりあえずは朝を待ちましょう。その間にワタクシは魔法実験でも――」
そうハリハリが言いかけた瞬間を見計らうように悠の『伝心の指輪』が光を放った。この指輪で連絡を寄越す相手は当然ナターリアだけだ。
「っと、どうやら向こうが痺れを切らせて連絡して来たみたいですよ?」
「それなら話は早い。ハリハリも一緒にナターリアに聞く事を纏めてくれ」
「ヤハハ、姫に恨まれなければいいのですがね……」
軽く笑ったハリハリが筆記用具を準備したのを見計らい、悠はナターリアであろう通信を繋いだ。
「……ナターリアか? 俺だ、悠だ」
《ユウ、ユウ!!! ああ……やっと繋がった……》
通信から聞こえるナターリアの声は妙に切迫しており、久しぶりに気になる相手の声を聞けたなどという浮かれた成分が皆無で、ハリハリは笑いを引っ込めてナターリアに尋ねた。
「ナターリア姫、どうしたのです? もしかして例の女が現れましたか?」
《違います!!! でも、母上が……ああ、私はどうすれば……!》
酷く混乱し涙声になるナターリアに、ハリハリは厳しく言い放った。
「落ち着きなさい! ……それで、シアがどうしたのですか?」
努めて冷静な声で話すハリハリにナターリアもほんの少し冷静さを取り戻し、呼吸を整えつつ事情を語り出した。
《……また、ドワーフが攻めてきたのです。今回も国境であるアガレス平原が主戦場になりましたが……ドワーフの持つ正体不明の何かの前に我が軍は壊滅、母上以下随行した『六将』も行方知れずとの報を最後に連絡が途絶えました……!》
ナターリアがもたらしたのは、誤解の余地の無い凶報であった。
ナターリアが悠に連絡を取る3日前にそれは起こった。
「国境より伝令!!! ドワーフ共がアガレス平原に向けて軍を進めております!!!」
「あら、しばらく大人しくしてると思ったら懲りもせずにまた来たの?」
「陛下、すぐに出陣の下知を!」
アリーシアに手解きを受けていたナターリアが鋭く表情を引き締めてアリーシアに促すと、アリーシアもそれに軽く頷いた。
「そうね、ちょっと蹴散らして来ようかしら。そろそろ客人を迎えるかもしれないしね。『火将』と『闇将』に声を掛けておきなさい、私も出るわ。他の『六将』は地震の後始末で忙しいしね」
「はっ!!」
慌ただしく下がる伝令の姿が見えなくなると、アリーシアはナターリアに向き直った。
「ナターリア、私が居ない間はあなたが代理を務めなさい」
「……まだ、私は戦場に連れて行くには不足でしょうか?」
眦を下げたナターリアにアリーシアは微笑んだ。
「バカね、こんな雑な戦いが初陣じゃあなたに釣り合わないわよ。それに、そろそろユウが来るかもしれないじゃない? 連絡係のあなたが居ないと迎える者が居ないわ。私と敵対したくないならそれなりの大義名分を揃えてくるでしょうから、精々気を揉ませてやりなさい。もしかしたら暗殺に走るバカが居るかもしれないけど、ユウやハリーならどうにかするでしょ。私は勝利を片手に帰って来るから」
ひらひらと手を振るアリーシアは自分が負けるなどとは露にも思っていないようだった。事実、アリーシアは戦略的撤退を選択した事はあっても、ドワーフに押し切られて敗北した事は無いのだ。
「今のあなたなら『六将』のどこかには入れる実力はあるわ。当然、『風将』以外ですけど」
「母上……」
『六将』とはエルフの魔法使いの頂点に立つ6人の事であり、『火将』『光将』『風将』『水将』『闇将』『土将』の計6人の将軍である。その名の通り、それぞれの属性において国で最も優れた魔法使いが就任し、アリーシアは国王であると同時に『風将』としてその一角を占めていた。風属性の魔法に適正を持つ者が多いエルフにとって『風将』の地位は最大の激戦区であり、他の『六将』よりも一段高く見られる風潮があった。国王にして『風将』であるアリーシアが強力な独裁権を維持出来るのはその力があってこそだ。
「……畏まりました、留守をお預かりします!」
「よろしい。性格に問題がある『火将』と『闇将』は戦後処理の名目で置いて来るわ。……ああ、今からケイに会うのが楽しみ!! 戦場の汚れをケイに落として貰うのも悪くないわね!!」
ウキウキという擬音が聞こえて来そうなアリーシアからは緊張感など皆無で、ナターリアも悠やハリハリとの再会に心を躍らせた。
悠を見たエルフ達は一体どんな顔をするだろう? ハリーティアが生きていたと知れば古参のエルフ達はさぞ驚くに違いない。
アリーシアの楽し気な気配にあてられたのか、ナターリアもいつしか緊張を忘れてその時を待っていた。
その雰囲気に水を差されたのは3日後の夕刻であった。
「ぜ、前線より、ほ、報告します!!!」
王座に座すナターリアはそろそろ仕事を切り上げて帰ろうかと伸びをしている所だった。しかし、アリーシアからの報告であれば明日に回す訳にもいかず、表情を改めて報告を促した。
「流石は陛下、もうドワーフを平らげられたか。まだ戦端が開かれてから一日も経ってはいまいに。それで、戦果は?」
「……っ」
既定の事実を受け取るつもりのナターリアは、その時になって初めて伝令の顔が土気色になっている事に気が付いた。言いにくそうに喘ぐ伝令にナターリアの心に暗雲が立ち込め、思わず席を蹴ったナターリアは鋭い語調で再度問い掛けた。
「どうした、何故報告せぬ!?」
「そ、それは……」
「いいから早く言えっ!!!」
狼狽える伝令はしばらく言葉を探していたが、やがてどうにも取り繕えぬと悟ってかガックリと肩を落とし、それを口にした。
「あ……アガレス平原での、一戦において、我が軍は、り、力戦及ばず……か、か、完敗を喫し……そ、その、あ、アリーシア陛下以下、『火将』オビュエンス殿、『闇将』ジャネスティ殿、は、せ、せ、せ……生死、不明……! 兵は潰走!」
「な、なんと!?」
国王以下、主だった将が全て敗北を喫したという報告は弛緩し掛けていた謁見の間に激震をもたらした。生死不明などと言葉を取り繕っても、戦場で行方知れずとは死に等しい。
「ば、バカな!!! あ、あの母上がそんな簡単に負けるはずがあるかッ!!!」
「い、今は報告が絶えてしまっており詳細は分かりませんが、最後に一言だけ聞き取れました!! 『あれさえ無ければ……。このような恥辱の中で死ぬのは絶対に許容出来ぬ。我らの誇りが、我らの魔法が――』、それが、伝令の最後の報告です……」
よろめいたナターリアを侍女が支えたが、ナターリアは全く気付いていないように首を振った。
「嘘だ……母上が、エルフ最強、世界五強の一角と謳われる母上が、こ、こんなにもあっさりと敗れたというのか……!?」
『六将』全員が揃っていなかったとはいえ、アリーシアが直々に参戦していたとすれば、それは不足を補って余りある戦力である。『火将』オビュエンスと『闇将』ジャネスティも『六将』の中では性格に難はあるが攻撃力に秀でており、ドワーフの雑兵に遅れを取るような弱卒では有り得ない。
「ナターリア様!!!」
考えが纏まらぬナターリアの下に『水将』として名を馳せるナルハが駆け寄り、その前で膝を付いた。
「今すぐ陛下をお救いせねばなりません!! 大丈夫です、我らが陛下があっさり屍を晒すはずが御座いません!! きっと戦場を逃れ、我らの救援を待っているはずです!!」
「ナルハ…………そうだ、母上がそう簡単に死ぬはずが無い!!」
不吉な考えを振り払い、ナターリアは挫けそうになる心を叱咤してナルハに命令を下した。
「王都を離れている『光将』セレスティと『土将』ベームリューに伝令を出して王都に呼び戻せ!! ナルハは一軍を率いてアガレス平原周辺の捜索、私は王都の守りを固める!! 今すぐ行動に移せ!!!」
「「「はっ!!!」」」
「それとナルハ、ちょっと耳を貸せ」
行動する事でそれぞれの戸惑いを忘れようとするかのように、謁見の間は俄かに慌ただしく動き始めた。侍女を手で制したナターリアは足早に戦場へ向かおうとするナルハを呼び止め、その耳に顔を寄せた。
「……くれぐれも気を付けろ。この戦、どうやら尋常ならぬ事情が絡んでいるように思える。間に合うか分からんが私の伝手で援軍を当たってみるゆえ、くれぐれも無理はするなよ?」
「援軍、で御座いますか?」
『六将』全てを呼び寄せた現状でエルフに余剰戦力は存在しないはずである。それにナターリアの口調では援軍は『六将』のいずれとも思えなかったナルハは誰の事かと小首を傾げた。
「今は詳しく説明をしている時間は無いのだ。頼む、母上を見つけて連れ帰ってくれ……!」
ナルハの手を握るナターリアは震えており、ナルハはそっとその手を握り返した。
「ご心配召されますな。このナルハは陛下直々に鍛えられ『水将』の地位を賜っております。……お姉様の身はこの妹分たるナルハにお任せ下さい」
私的にはアリーシアを姉として慕うナルハは柔らかく笑うとその手を宥めるように擦り、そっと解いた。
「出陣する!!」
颯爽と歩み去るナルハに捜索を託し、ナターリアは密かに悠と連絡を取る為に謁見の間を離れたのだった。
本日2話目です。最初からエルフは半壊状態で始まります。




