10-1 愛と呼ぶには未だ遠く……1
第十章開始です。
「では、本日をもって半年に渡る鍛練を終了する」
「「「お疲れ様でした!!」」」
悠の宣言に全員の声が唱和した。厳しくも実りある修行の時も今日で終わりである。
だが、その場に居ない例外も存在した。
「ん? ミロの奴はまだ動けねぇのか?」
「そりゃあ動けませんよ。ユウ殿と本気でやりあって生きているだけマシというものです。お腹に穴が空いて腸が千切れて飛び出してましたしね。普通死にますよ?」
「戦闘狂はヤダねぇ……」
やれやれと首を振るバローにハリハリは同感とばかりに苦笑を漏らした。その隣に居た蒼凪は「自分もコロッサスさんと手合わせした時にボロ雑巾みたいになったクセに」という呆れが浮かんでいるのには気付いていない。
「その前はファルとやってハチの巣にされてたしよ、アイツ自殺願望でもあんのか?」
「強い相手を見ると戦わずにはいられないんでしょう。ワタクシには全く理解できませんが、バロー殿は多少は理解出来るんじゃないですか?」
「俺は常識の範囲内だっつーの。半殺しまでならやっていいと思ってるバカと一緒にすんな!」
「それでも進歩したと思いますがねえ」
この半年で悠に徹底的に叩きのめされたミロには僅かだが大きな進歩が見られていた。殺しを禁じられ、それを繰り返した結果として相手を殺さずに勝敗を決する事を覚えたのだ。最初の頃は悠とばかり手合わせしていたが、やがてそこにギルザードやファルキュラスが加わり、バローやハリハリもたまにその相手を務める事もあった。
だが、決定的な契機となったのはヒストリアと手合わせした時の出来事であろう。そこで何があったのかを知っているのは当事者であるミロと悠だけであった。
「いかに『影刃』でもひーには通用しない。怪我をする前に降参する事を勧めるぞ」
「簡単に殺せる獲物に興味はない。音に聞こえた『奈落の申し子』の力、見せて貰おうか」
ミロが多少の手加減を覚えた頃――つまりそれなりに時間が経過してからの事だが――、初めてミロとヒストリアは相対した。同じ五強としてお互いに名前だけは知っていたが、ヒストリアはギルド本部の切り札として秘匿されており、よほどの事が無い限り表に出る事は無く、ミロもヒストリアに興味は持っていたが機会を窺っている内に悠によって解放されてしまったのだった。
旧五強でオリビアとバルバドスを抜いた3人は飛び抜けた強さを持っていた。『勇者』の『才能』と聖剣を持つサイコ、『自在奈落』により攻守に隙が無いヒストリア、『影刃』の二つ名と共に長年五強として君臨するミロ。彼らは互いを意識しつつもその性格や背景によりぶつかる事は稀だったが、遂にこうしてまみえる運びとなったのだった。
やり過ぎないように審判を務める悠が見た所、ヒストリアとミロならば相性の問題で勝負はつかないと見積もっていた。体術ではミロが圧倒的だがヒストリアには『自在奈落』があり、いかな『影刃』であっても突破は不可能だ。悠が戦った時のように足場を崩すという手も使えず、対するヒストリアの『自在奈落』の速度ではミロを捉えるのは困難を極めるだろう。そういう意味ではミロの方が若干不利であるとすら言える。
しかし戦闘の勝敗は計算上の戦力だけで決まる物では無い。戦闘の経験値という意味ではミロが圧倒的にヒストリアを上回っているし、精神力もミロが上である事は間違い無く、どちらも必殺の一手を持っているのだから一瞬の隙が勝敗を決する事は十分に考えられた。
「始めっ!」
悠の合図でミロが走る。対するヒストリアは即座に『奈落崩腕』を展開し攻防どちらにも対応出来る構えを取るが、『影刃』で背後から攻撃しようとしたミロの足が不意に急制動を掛けた。
「っ!?」
「……?」
それは悠にも疑問の行動であった。今のミロは何か策があって止まったというよりは、有り得ない物を見て戸惑っているという風に見えたからだ。そんなミロの姿は何度も手合わせしてきた悠ですら見た事は無かった。
ヒストリアもミロの挙動に訝しさを覚えて油断なく警戒を続けていたが、無言でヒストリアの顔を見つめていたミロが不意に何かに思い当たったように理解の色を浮かべ、そして手を挙げた。
「……これまでだ」
ロクに手合わせもしない内にミロが戦闘終了を告げ、悠とヒストリアは益々訝しんだ。あの『影刃』が戦闘を前にして急遽取り止めるなど絶対に有り得ない事である。特に対戦相手であるヒストリアは馬鹿にされたと感じミロに向かって『奈落崩腕』を振り下ろした。
「舐めるな!!!」
「……!」
無防備なミロに迫る絶死の一撃を、ミロは暗色のオーラに染まる手で「受け止めた」。そう、真龍鉄ですら受け止められるか分からないとレイラが漏らしたヒストリアの一撃を、ミロは受け止めていたのだ。
「……舐めてはいないが、もう金輪際お前とは戦わん。我に勝ったと吹聴するなら好きにしろ」
ヒストリアの攻撃をいなしたミロは一方的に攻撃されたにも関わらず、そのままヒストリアに追撃を加える事も無く踵を返し歩み去っていった。
「……何といけ好かない奴だ!!! ゆー、ひーも帰るぞ!!!」
ミロに大いに誇りを傷付けられたヒストリアは肩を怒らせて屋敷へと戻って行ったが、悠はミロを追い掛ける事を選択した。2人を見て、悠にも思う所があったのである。
ミロは裏庭に1人、何かを思案するような瞳で佇んでいた。その姿はどことなく途方に暮れているようにも見え、悠は意を決してミロに声を掛けた。
「どうした、全く貴様らしくも無い腑抜けた様子だが?」
「……」
揶揄するような悠の言葉にもミロは言葉を返さない。だが、悠はミロが口を開くのを辛抱強く待った。
無言の数分間が過ぎる頃、ミロが独り言のように呟く。
「……我も生まれついての暗殺者では無いし、木の股から生まれたのでは無い。特に成人するまではありふれた人生を営んで来た、と思う」
ミロの目は現在では無く過去を映していた。他の誰にも漏らす事は無いが、悠にだけはミロは時折自分の過去を語る事があったのだ。しかし、『影刃』と呼ばれる前のミロの話は悠も初耳であった。
先を急かす事も無く無言で静聴する悠を良き聞き手と認めたのか、ミロは色褪せた過去を指で手繰るようにして口の端に乗せた。
「その頃の我はまだ満足に『影刃』の力も扱えなかったが、貴族や商人の雇われの身として転々と各地を流浪しておった。が、未熟な若僧がそう簡単に名を成せる甘い世界でも無く、ある時仕事をしくじり、捕らえられて戦闘奴隷として売られる羽目になった。……どこにでも転がっているよくある話だな」
青の時代を語るミロの目には微かな感慨が透けて見えた。色褪せて薄まった字を辿るようにミロの言葉は続く。
「見世物の戦闘を日常とし、血に飢えた貴族共の娯楽に供されたが、命懸けの日々は我を鍛え上げた。大抵の奴隷は我より弱かったが、たまに出くわす格上はそれと分からぬように『影刃』を使い、我は生き残り続けた。その内待遇も多少良くなり、個室を与えられたりもしたが、いつか我を隷属した者達を殺し自由を得るのだという目的の前には懐柔も無意味であった」
ミロという怪物を作り出したのは同じ人間の歪んだ享楽であったが、ミロにはもうどうでもいい事だ。生き長らえ、そして強くなるという事だけが若き日のミロに残されていた。
「或いはその惰性の如き日々が我の慢心を生んだのかもしれん。ある日、いつも通り見世物に向かう途中、我は自分が毒を盛られた事に相手と対峙する段になって初めて気が付いた。即死するような毒では無かったのは幸いだったが、目は霞み体には力が入らぬまま戦わされた我は不覚を取り、体中を切り裂かれ虫の息まで追い詰められた。さてこれまでかと流石に観念したが、殺される前に我の顔を見た女貴族が我を殺すのを止めた。人気のある戦闘奴隷が貴族の意向で生かされるのは稀にある事だったからな。その貴族の爵位が我や対戦相手の主人である貴族よりも高かったのが決定打となり、我は半死半生のままその貴族の所有物となった。……別に我の力を惜しんだのでは無い、この顔を気に入ったのだろう」
嫌悪感を滲ませるミロの容姿に対する無頓着さはここに由来しているのだろうと悠は察した。拾われたミロにその貴族が求めたのは、その戦力よりも容姿だったのだろう。
「魔道具で反抗を封じられていた我は傷が癒えるまでと己に言い聞かせ、男娼の真似事などをさせられながらも生き延びた。……その時だったな、アレと出会ったのは」
静かにミロが目を閉じた。
「まともに動けぬ我の世話は同じ奴隷の境遇にあった一人の女に委ねられた。……今思えばこれと言って特徴も無い、そこそこ顔が整っていただけの詰まらん女だ。名も覚えてはいない。多少医の道に通じていたのは学者の家系であったかららしいが、その女は主人である貴族にも秘密の才能を持っていた。……『能力鑑定』だ」
その持ち主と知れれば即座に厳重な監視下に置かれる才能である『能力鑑定』は衣食住に困る事は無いが一生自由が無い事は奴隷と変わらないので隠しているのだとその奴隷女は語ったらしい。そして、それをミロに伝えた理由はごく単純な物であった。
「「逃げ出す事を諦めていないから」だと女は言った。自分は逃げるだけの力が無いが、我にはそれを成すだけの力があると。才能や能力について研究していたという父の助手をしていた女は我の『影刃』を鍛える方法を教えたのだ。この境遇から救い出して貰いたかったか、奴隷女なりの主人への復讐だったのかもしれん。その甲斐あって我の『影刃』は徐々に強化されていった。密かに逢瀬を続ける若い男と女の間に新たな命が宿ったのは……若気の至りだな。奴隷女という立場上、他の男に饗される事もあったゆえ、種は違うかもしれんと思った」
「……」
ミロに子が居るという事実は人々の想像の埒外であった事だろう。ミロは暗殺者で殺人狂として恐れられてはいても、婦女暴行犯として噂に上った事は一度として無かったからだ。
そして悠は己の推論とミロの話の着地点が重なりつつある事に気付いていた。
「嘘か真か定かでは無いが、我のような特殊な才能は遺伝する可能性が他の才能や能力よりも高いらしい。孕んだ女が生んだ子が我が子であるという実感も無かったし、特に我に似ているとも思えなかった。『影刃』も遺伝していないゆえ、多分別の男の種だったのだろうと思っていた。だが、我を縛っていた貴族はそう考えなかったようだ」
所有者である貴族はミロの子を産んだと思い込み、奴隷女を激しく憎んだ。……いつしか、貴族は所有物であるはずのミロを愛するようになっていたのである。歪んで捻れていようとも、体だけでは無く心を欲する欲求は愛と呼ぶべき感情であった。
「そこから先は陳腐な話だ。怒り狂った貴族に奴隷女は生きながらに腹を割かれ臓物を踏みにじられた。久々の見世物から我が戻った時、女は死ぬ10秒前という所だったか……」
凄惨な内容とは裏腹に、ミロに憤りや後悔の様な物は感じられなかった。ただ淡々と書物を朗読するような、虚無に近い呟きであった。
「女は最後の力を振り絞って我に子の保護を求めて息絶えたが、女が死んだと分かると貴族は今度は傍らの赤子を殺そうとした。……別に女の言葉に従う必要は無かったが、『影刃』を強化する協力者と考えれば恩と言えるものが無いでも無い、それに丁度良い頃合いだったからな。我は自由を縛っていた魔道具を『影刃』で破壊し、貴族を殺した。いや、赤子を除いた屋敷の一族郎党、その家臣や家族も全てだ。後は当座の資金と赤子を手に、我は屋敷に火を放って行方をくらませた。それが元でその国は貴族共が互いに殺し合い滅んだが、余談だな」
一国の興亡もミロの中では一息に語ってしまえる言葉としてしか残っていなかった。善でも無く悪でも無い、何の教訓も教唆も含まれない一人の人間の物語だ。
「足の付かない金と赤子を適当に裕福そうな家に放り込んで、その後赤子がどうなったのかは知らん。が……」
ミロはそこで初めて遠くを見つめる視線を己の手に落とした。その目に宿す感情が何なのかは、悠には判断が付かなかった。いや、おそらくミロにも……。
短い沈黙を経て、ミロが漏らす。
「生きていたらしい。少なくとも、子を成す程度の歳までは……」
「……ミロ、ヒストリアは……」
悠の言葉に、ミロは小さく肯定を返した。
「『自在奈落』とやらを見て直感的に理解した……あれは、我の『影刃』と源を同じくするものだ。……多分、我の孫、なのだろうな……」
修行終了から。ミロの過去と、似た能力を持つヒストリアの関係性です。




