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9-108 闖入者3

葵のミロ発見の報から相談を終える頃には、ミロは普通の人間が肉眼で捉えられるほどに接近していた。


いつもの黒装束に覆面というスタイルは朝の爽やかな雰囲気の中では異質と言うより他に無かったが、気負いの類を微塵も感じさせない静かな気配を纏って悠々と歩む姿からは強者の自負が伺えた。


「暗殺者なら忍べよ……」


「あえて姿を表す事で伏兵の有無を探っているんだろう。敵地に不用意に踏み込む単細胞では無い」


「大胆かつ慎重に、ですか。敵に回したくないタイプですねぇ……」


ミロを見て気配を押し殺せるほどの鍛練を積んでいる者は少ない。この程度で動揺の気配を漏らすようではミロならば戦うも逃げるも自在という事だろう。


屋敷の敷地内にギリギリ踏み込まない場所でミロはその歩みを止めた。


「出迎えとはご丁寧な事だな」


「俺が呼びつけたのだからそのくらいは当然だ」


話しながらもミロの目は油断無く周囲を探っているようであった。背後に控える者達の力量を肌で感じ、ミロの目が細まる。


「誰も彼もがその道の一流、いや、超一流だな。あの3人よりも楽しめそうだ……」


妖しく戦意を立ち上らせるミロに警戒心を刺激されたバロー達が剣の柄に手を添え、視線を切らぬままにユウに尋ねた。


「……おいユウ、まさか3人ってのは……」


「護衛に就いていたベルトルーゼ、ミルマイズ、モーンドの事だ。ちなみに俺が駆け付けた時、ミロの前にベルトルーゼ達は敗色濃厚だった」


一般的な評価で五強に次ぐ3人が一蹴された事実に、バローの顔色が変わった。バローとてその3人を同時に相手取って勝てるかと言われれば厳しいと言わざるを得ず、勝率は五分五分か、若干下回るはすだ。


しかも3人は神鋼鉄オリハルコンの装備を持っていたはずで、無手に近いミロが圧倒したという事を踏まえると、明らかに格上である。


(マジかよ……コイツ、コロッサスより強ぇんじゃねぇか?)


今の陣容ならミロを殺せるという誘惑は抗い難くバローに剣を抜かせようと促したが、その気配を察した悠は背後を手で制した。


「まずは中に入れ。今のお前は客だ、茶くらいは振る舞おう」


「気遣いは無用。我にとって強者と死合うのが何よりの馳走よ」


「馴れ合う間柄では無いが、俺からも提案がある。必ずや貴様の益になる話と確信しているのだがな?」


「……」


悠が口から出任せをいうような人物では無いという、好敵手に対する奇妙な信頼がミロに束の間の思索をもたらした。やはり戦うのは止めようなどという、絶対に受け入れられない唾棄すべき提案は行わないだろうという期待感に、ミロは最後になるかもしれない悠との対話の時間を最終的には受け入れる事に決めた。


「…………良かろう。思えば我も標的と定めた相手と腰を落ち着けて会話する事など一度として試みた事は無かった。どちらかが居なくなる前に話してみるのも一興か……」


対峙した相手を全員殺して来たミロにとって、これまでに対話に値する相手は居なかった。ミロが殺せなかった標的は悠に守られたアルトだけで、前回のノースハイア強襲はサイコに足止めを依頼されたに過ぎないので数には含まれていないが、殺そうとして殺せない相手では無い。


「ならば入れ」


「邪魔をする」


敷地の境界線をあっさりと踏み越えたミロは一見無防備な悠の背中に、警戒感も露わなバロー達を置き去りに大人しく付いていった。


「……なんか、あいつら妙に通じ合ってんな……」


「ワタクシには理解出来ませんが、突き抜けた者同士共感するものがあるのかもしれません。どうやらユウ殿に全てをお任せするしかないようです」


「我らは他に被害が及ばぬように警戒しよう。ミロがお行儀良く外で戦ってくれるかどうか分からんからな」


こうして前交渉は何とか血を見ずに舞台を屋敷の応接室に移した。




「……旨いな……」


振る舞われた茶を口に含んだミロの第一声に悠は意外感を覚えた。


「そうか。てっきり俺は物の味などには興味を示さないのかと思っていたが……」


「興味は無いが、旨いものは旨い。作法も知らんが味覚を失った訳でも無い」


今、ミロは悠にだけ長年隠し続けて来た素顔を晒していた。「どうせどちらかが居なくなるのなら見せても構わん」というのがミロの言である。


そして、現れた素顔は数多くの人間達によってなされてきた予測とはあまりにもかけ離れていた。


白皙の、と称するには病的に過ぎる色素の薄い肌、月の光の如くあえかに浮かび上がるの妖しい美貌、嫋やかと称するに相応しい線の細い物憂げな表情……それらはまるで天上の美の神が己の似姿を掘り出したのでは無いかとすら思われ、ただ茶を飲むというそれだけの行為がこれほど儚く見える者も稀だろう。


その印象を否定するのは薄く開かれた瞳だ。氷結地獄を閉じ込めたかのような底冷えする両目だけが弱々しいとすら感じる容貌に強烈なアクセントとなって輝いていた。


比べるのは難しいが、同じレベルとなると悠には志津香かアルトしか並ぶ者が思い付かないほどだ。だが、前者が太陽とするならミロは月、そして生に対する死を内包した美しさであった。


悠の視線に気付いたミロがその怜悧な瞳を向ける。


「……あまり見るな、自分の顔は好かん。まるで死に掛けの書生のようでな」


どうやらミロが顔を隠しているのは暗殺という生業の為では無く、自分の顔が気に入らないという理由かららしかった。類まれな美貌など、ミロには一番必要を感じない不純物だったのだ。


だが、悠が美貌に目を奪われる事など有り得ない。悠が考えていたのは、もっと現実的な疑問だった。


「いや、俺はそんな事は気にせんよ。単に年齢が合わないのを不思議に思っただけだ」


バローに聞いた話だが、旧五強で最初に世間に名が知られたのはミロである。その時には他の4人は生まれてすらおらず、別の4人が五強として名を成していた。それから実に40年以上の時が経過したが、他の4人がどれだけ入れ替わろうとも『影刃シャドーエッジ』の名は最強の暗殺者として残り続けたのである。


「ああ……それは昔、今は存在しない国の国宝として祀られていた魔道具を手に入れ体に埋めたゆえだ。我の体はそれ以来老いぬ。といっても不老であって不死ではないゆえ、いずれ死ぬがな。今年で齢75を数えるか」


驚愕の事実であるが、年齢については悠も人後に落ちないので特に反応は示さなかった。


「世間はミロについて何も知らんのだな」


「知らずとも良い事だ。我の歩んだ道は我が知っている」


誰にも語られる事の無かったミロの物語は、吟遊詩人ならば命の危険を冒してでも拝聴を願っただろうが、生憎と神崎 悠という男は他人の人生を根掘り葉掘り尋ねるような趣味を持たなかった。人にはそれぞれの歴史があるものだ。


「先ほどから我の話ばかりしているな。少しは貴様の話を聞かせろ。一体どうやってその強さを身に着けたのかには些かならず興味がある」


「俺か? ……ふむ、そうだな、茶飲み話も悪くないか……」


そうして2人はまるで気の合う友人のように1時間に渡って語り合ったのだった。




「……さて、貴様の数奇な運命には興味が尽きんが、そろそろ頃合いだろう。この茶を淹れてくれた者に感謝を伝えておいてくれ」


「ミロ」


席を立つミロに、悠は満を持して切り出した。


「今の貴様では俺に勝つ事は出来ん。このままやり合えば必ず俺が勝つ」


「ほぅ……」


小康状態を保っていた悠とミロを中心に空気が軋む。


「我が死ぬならそれはそれで良い。だが、真実だとしても戦わずして事を収めようなどと考えているのなら我も斟酌せぬぞ?」


ミロは言外に悠をその気にさせる為なら手段を選ばない事を匂わせた。つまり、悠の仲間を手に掛けるという宣言だ。


「心配せずとも約定を違える気は無い。だが、今の世界にお前ほどの戦力は貴重でな。勝つつもりなら俺の賭けに乗って貰いたい」


「賭けだと?」


濃密な殺気の中で、悠は本題を切り出した。


「そうだ。俺が勝ったら半年間貴様はここに逗留しろ。その間、相手が了承するなら自由に戦って構わん。殺しは禁ずるがな。……受けるか?」


「……我に安穏とした生活に堕せと? 強くなる為に研ぎ澄まして来た人生を汚すか?」


一瞬後には悠に飛びかかっていてもおかしくはない怒りを滲ませるミロだったが、悠は無感情に言い返した。


「それで敗れるなら貴様の取ったその方法に何かしらの誤りがあったという証明になる。寿命まで鍛え続けても俺には勝てんぞ。ここで半年間修行して行け」


「……」


物理的に押し潰すような殺気を放つミロと、それを泰然と受け流す悠の対峙は数分間に及んだ。気の弱い者はおろか、ある程度鍛えた者であっても意識を飛ばしてしまいそうな睨み合いは、悠の言葉で破られた。


「……生殺与奪は勝者の権利だ。小さな矜持に縋り臆して受けぬならミロという男もそれまでの事。敗北して生かされるのは耐え難いか?」


悠の言葉に、ミロは自分が無意識の内に敗北を前提にしていると今更ながらに気が付いた。勝てば何の問題も無いはずなのにここまで食い下がるという事は、即ちミロ自身が敗れる事を強く意識しているからに他ならない。


生死の狭間で生きてきたミロにとって、それはただ敗死するよりも遥かに耐え難かった。


「……つくづく挑発の上手い男だ。それに乗る訳では無いが、『影刃』の矜持は常在戦場、臆して逃げたと言われるのだけは我慢ならん。……ユウ、貴様の提案、受けるぞ」


「ならば良し」


それまで微動だにしなかった悠が席を立つと、ミロの殺気を圧する莫大な闘気が立ち上った。殺気の鎧を剥がされたミロの額に熱に因らない汗が浮き、つぅと滴って輪郭を撫でた。


「言うまでもないが俺は本気でやる。骨や臓器の損傷程度は覚悟して貰うぞ」


今やはっきりと像を結んだ敗北の未来予想図にミロは目を閉じ、一度大きく息を吐いたが、開いた時には動揺を振り払っていた。


「そうでなくては意味が無い。手加減などしたら許さんぞ」


怯懦を見せないのが『影刃』ミロの最後の意地であった。




――この戦闘後、ミロは悠の下に身を寄せる事となるのである。

思いの外長くなった九章もここで完結です。数日間は情報整理致しますので、十章開始をお待ち下さい。

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