9-98 復興19
香織の情報を掴んだからといって、悠が即座に魔族領に乗り込むのかと言えばそんな事は無い。
「香織の事は半分は私事に属する事柄だ。魔族領に居ると「思われる」という不確定情報だけで乗り込めんよ。間違いだったで済ませられる話では無いからな」
「確かに、魔族領に乗り込みむのならしっかりと情報を収集し足場を固めてからの方がいいでしょう。当時絶頂期にあった『六眼』を退け、ドラゴンすら迂闊に手を出せない種族です。付け入る隙を与えない為にも、出来れば乗り込むのは同じ大陸に根を張る獣人族を攻略してからが望ましいかと」
アルベルトとイライザはハリハリの言葉に顔を曇らせた。人類最強の看板を掲げ、はぐれドラゴンすら倒してのけた『六眼』はたった一人の魔族によって崩壊したのである。忌まわしい敗北の記憶は今も色褪せる事なく2人の脳裏に刻まれていた。
「……魔族は強いぞ。俺達が遭遇したのは偶発的だったが、身体能力はおろか魔力も体術も全て上を行かれてしまっていた。魔族の全てがあれほどの手練れだとは思えんが、一握りしか居ない訳でも無いだろう。奴らは人間とは種としての基本値が違うのだ」
「平和的な交渉に耳を貸すとは思えないわ。あいつらは人の形をしたケダモノよ!」
とりわけシュレイザを失ったイライザの恨みは根深く、恐怖を上回る怒りがその体を突き動かしているようであった。
「ならば尚更、周辺地域を固めてからの方が良いでしょう。他の種族まで同時に動かれては面倒な事になります。ただでさえ獣人は数が多くて厄介ですからね」
第三者として冷静な判断を下せるハリハリの意見がこの場では最も理性的な発言であろうと悠は頷いた。この世界では異種族はまともな交流が無く交渉の窓口も非常に狭いが、それは逆に言えば各個攻略が可能であるという利点もあるのだ。
「カオリ殿の事は心配ですが、急いて事を仕損じる訳にはいきません。まずは明日の三王会議を成功させ、民心を安んじ後顧の憂いを断ちましょう」
ハリハリの言う三王会議とはミーノス、ノースハイア、アライアットの王がそれぞれ集い、人類の共同路線を発信しようという意図の下に開かれる、初の世界会議である。正式に王を戴いていないギルド本部のオルネッタは参加しないが、今後も協力する事を書面にして各国に託していた。
参加者はミーノス王ルーファウスとローラン、ノースハイア王カザエルとサリエル、アライアット王バーナードとビリーウェルズであり、人間領域の王が一堂に会するというだけでも大きな意義のある会議だ。ただ一人王族では無いローランは「ルーファウスに妃かお世継ぎが居れば私が出る必要など無いんだがねぇ……」と聞こえよがしに愚痴っては隣のルーファウスに嫌味の針を刺していた。
会場として選ばれたのはノースハイア城である。警備の観点から悠の屋敷を使ってはどうかという案も出たのだが、秘密裏に会合を開いても意味は薄く、悠が担うのは参加者の運搬役だけである。
「と言っても俺達がやる事など殆どないがな。これから国同士の関わり方を擦り合わせて行くのはそれぞれの王達の仕事であり、既に俺が口を挟まずとも上手く回るだろうよ」
「ま、そうなんですけどね。警備も交渉もそれぞれの国の精鋭が担当しますし、横槍を入れて来そうな国も人物も見当たりません。ですが、ここまで関わった責任として一応締めまでは見届けねばならないでしょう」
会議室内には入らないが、当然それぞれの王家には護衛が付く事になっている。ミーノスは騎士団長ベルトルーゼ、ノースハイアは近衛隊長ミルマイズ、アライアットは単体で王の護衛をこなせる戦力が不在の為、ノルツァー家からモーンドを出向させてその任に当てていた。が、アライアットの場合は他ならぬビリーウェルズが高位の冒険者であった事もあり、十分その身を守れるのであくまで形式を整えたという建前である。
アルベルトとイライザに礼を言って冒険者ギルドを辞した悠はオリビアの歓待の誘いを断り――盛んに自室に連れ込もうとしてソフィアローゼに怒られていた――翌日、ミーノスとアライアットの要人達をノースハイアまで運んだのだった。
それに先立ち、悠はベルトルーゼとジェラルドを屋敷の一室に招いていた。その要件は延び延びとなっていたベルトルーゼの顔の治療である。
「警備の観点から王族に近付く者の顔を隠されると困ると言われれば一考しない訳にはいかないからな。私は気にしないが、母上のお耳に噂が届くかもしれないとジェラルドが言うなら仕方無い」
「そういう訳でお願いしても宜しいかな?」
「構わんよ、やるならば今からやっておこう」
今回の行事は多分に儀礼的な要素を含んでおり、護衛も相応の人物を選んでいる為、ただ実務的に護衛を務めるという訳にはいかないのだ。全身鎧に兜ではいかにも無骨であり、護衛で唯一の女性であるベルトルーゼには多少は華々しさが必要とされたのだった。それも悠がベルトルーゼの顔を治療出来るという前提があってこそであるが。
ベルトルーゼが兜を取ると刻まれた傷が露わになる。しかし、この場に居る男達はそれを見て眉を顰めたりはしない。口には出さないが、ベルトルーゼにはそれが嬉しかった。
「ふむ……」
医療に従事する者の目で悠がベルトルーゼの傷を確かめる。表層的な傷であればこのままでも治せるが、皮膚の奥深くまで刻まれた電撃創を治療するには傷ごと抉り取って『再生』を行使せねばならないというのが悠とレイラの所見であった。
「……手術が必要だな。30分ほどで済むだろう。ジェラルドは外で待っていてくれ」
「付き添っていてはいけませんか?」
「治療には差し支えんが、まずは傷を取り去らねばならん。愛しい女の顔が血塗れになるのを見たくはあるまい?」
顔の手術は他のどの手術よりも身近な人間にとって正視に耐え難いものだ。慣れ親しんだ顔が崩れる過程を見て平静なままで居られる者は少ないのである。
しかし、ジェラルドは強い意志を浮かべ首を振った。
「たとえベルトルーゼがどんな状態であろうとも私はベルトルーゼを愛しています。その気持ちが揺らぐ事はありませんし、せめて側で応援したいのです」
「そうか……ベルトルーゼは構わんのか?」
「……ジェラルドなら別に構わない」
そっぽを向いて答えるベルトルーゼの顔は真っ赤に染まっていた。他に誰も居ないので指摘されないが、「愛しい人」などという台詞を正面から連呼されては恋愛経験の少ないベルトルーゼが赤面するのも無理はない。
ベルトルーゼの承認を得たという事で悠は早速場所を手術に使っている部屋へと移し、助手に恵を伴ってベルトルーゼの整形手術を開始した。
その過程でジェラルドは手術を受けているベルトルーゼなどよりもよほど病人のように顔から血の気を引かせていたが、最後まで握り締めたベルトルーゼの手を放す事は無かったのである。
それと同時に悠が容姿を重要視しない理由も何となく理解した。
文字通り一皮剥けば、ジェラルドですらベルトルーゼが誰なのかは表情からは殆ど読み取れないのだ。数多の傷を見続けて来た悠からすれば人の美醜など皮一枚の事でしか無いのだろう。徹底した内面主義も無表情かつ無感情に治療する悠を見れば当然のように思えた。
意識を深く落としていたベルトルーゼを覚醒させた時にも悠の目に浮かぶのは患者に対するそれだけであり、そんな悠をジェラルドは痛ましく眺めていた。
(そこまで感情が抑制出来る事が人として幸せだとは思えん。ユウ殿がベルトルーゼに恋愛感情を持っていないのは私にとっては喜ぶべき事なのだろうが……)
ベルトルーゼを譲る事は絶対に出来ないが、悠にも人並みの幸せを手に入れて欲しいものだと考え、ジェラルドは偽善的に過ぎるその思いを口に出す事は無かった。
――そして三王会議が始まる。
親戚の結婚式&大阪への小旅行で更新が遅れてしまいました。
この三王会議を区切りに次章に移るか、それともここまで九章にしようか迷っています。次のエルフ・ドワーフ編もそれなりに長そうなので……。




