9-91 復興12
「俺は――」
悠は語る。
「たとえ明日世界が滅ぶとしても諦める気は無い。全ての者が善に目覚め手と手を取り合うなどというのが絵空事だという事は分かっている。それでもこうして僅かでも分かり合える者達が居て、それが世界をより良い方向に導いてくれるならば俺のやっている事が無駄では無いのだと信じられる。お前は甘いと鼻で笑うかもしれんが、俺達の始まりも竜が手を差し伸べてくれた事では無かったか? だからこそ今、こうして賢しらに物を言う事が出来るのではないか?」
《そんな俺達でも蓬莱の平和を勝ち取るのに20年の時を要したぞ? 一年足らずでやれると本気で考えているのか?》
「全く経験が無い状態で20年だ。経験を積んだ今、泣き言を言うほど状況が悪いとは思わんよ。それを諭されたとて、俺が考えを変えるなどとは思っていまい?」
《……この石頭が……》
呆れを半分混ぜた顔で雪人は苦笑すると、次の瞬間に表情を引き締めた。
《……先ほどの続きだ。シャロンには『迷宮創造』と『魔物創造』の能力があっただろう? あれを使えば食用の魔物を魔力が続く限り生み出せるはずだ。探して狩るから時間が掛かる訳で、範囲が限定されていれば効率的に食肉を供給出来るはずだな?》
「え、ええ……確かに……」
ハリハリは意表を突かれた顔で雪人を見返した。ダンジョンから素材を調達する事はこれまでにも行われて来た事であるが、それを食糧調達場として利用するという発想はハリハリの思考の範囲外であった。これはハリハリの思考が鈍いという意味では無く、魔物にしか発生しない『迷宮創造』と『魔物創造』という能力を利用するという事に対する心理的空白を異世界人である雪人が持たないからだ。ただ情報としてそれらを知る雪人は利用する事を思い付き、前提条件の魔物であるという事が周囲に知られるからこそ先にシャロンの事を質したのである。……その結果がどうなろうと悠がシャロンを守るであろう事に雪人は一切疑いが無いからこそ無関心であった。
「その……ユキヒト殿は引き続き我々を助けて頂けると判断してよろしいのですか?」
乗り気では無さそうな雪人が策を論じ始めた事をハリハリが問うと、雪人は面白く無さそうに鼻を鳴らした。
《フン……俺は別にどうでもいいが、この男は一度決めたら志を曲げんし、何より悠の母上と父上には大恩がある。俺がこの世で膝を折ってもいいと思える3人の内の2人の息子であれば、不肖の枕詞が付く難物であろうと叶えてやらねばなるまい》
雪人が膝を折ってもいい相手は美夜、修、そして今上皇帝である志津香だけだ。悠は含まれないのかという命知らずな問いを行う愚か者は居ないが、もし問われればこう返すだろう。
「膝を折るのは相対して行うものだ。並び立つ相手にするものでは無い」と。
《本題に戻るが、今後同じ事があってもシャロンが居れば肉に困る事はあるまい。『迷宮創造』が魔物しか持たない能力と言うならば、シャロンの価値は計り知れん。その事実をどう使うかはそちらが考える事であって俺の関知する所では無いがな》
雪人の言わんとする所に思い至った者達はまさに目から鱗が落ちる思いでその意味を咀嚼した。雪人は単に食糧危機を乗り越えるという枠に留まらず、シャロンが世界に受け入れられる一例を示してみせたのだ。
「ユキヒト殿、あなたは……」
《おい、穿った見方をするなよ。俺は世間話をしただけだ、鬱陶しい目で見るな。そんなお人好しはそこの髭面の騎士だけで十分だろうが》
「あぁん?」
好意的な解釈を雪人は切り捨てた。感謝されたくて言った訳では無いと言わんばかりで、それが尾を引く前に次の話題に切り替えたのだった。
《そんな事より肉はそれで良かろうが、問題はそれ以外の食糧だ。特に穀物に関しては俺にも提案はあっても具体的な解決策は持っておらん》
「と、仰るからには多少の案はあると?」
《ああ。……だが、お前達にも案の一つくらいはあるのだろう? 先に聞かせろ》
逆に問われたハリハリは樹里亜と顔を見合わせ、腹案を述べた。
「ワタクシとジュリア殿が考えたのはユウ殿の『竜ノ微睡』を用いる事です。生育の早い作物を植えて収穫を繰り返せば……」
《発想は悪くないが農業に関しては素人だな。その屋敷で消耗する分くらいは収穫出来るかもしれんが、1ヘクタールにも満たん耕地面積で国を養うほどの収穫は不可能だ。それに始には分かっているだろうが、連作障害という物がある。いくら生育が早いからと言って同じ場所で何度も育てる事は出来ん》
兵站を担う雪人は農業についてもある程度の知識を擁していた。始は当然知っているし、樹里亜も言われて思い出し、痛い所を突かれたという表情を浮かべた。
《悠の『竜ノ微睡』は聞いた限りではその屋敷を覆う範囲で一杯だったはずだ。それよりも農業系特化の才能は無いのか? 『農夫』などいかにもありそうに思うが……?》
「いえ、聞いた事がありませんね。もしあったら活用されているはずです。もしくは、あるとしてもそこまで高い効果が見込めないから有名になっていないのだと思います」
《だろうな……。もし通常の倍ほどにでも生育を早められるのなら今頃引く手あまたになっているはずだ。そちらの世界の農業はまだ全て手作業なのだろう?》
「はい、多少魔法は用いますが、畑を作ったり水を与えたりするのに用いるだけのようです」
《そうか……》
雪人も農業が専門という訳ではなく、通り一遍の知識があるのみだった。だが、悩んでみても時間の無駄と、自分の考えをハリハリに語った。
《……俺の考えは些か拡大解釈になるかもしれんが精査はそちらに任せる。恵の力を使ってみろ》
「ケイ殿の? 『家事』ですか?」
「あっ! もしかして、家庭菜園の応用ですか?」
《それだ》
樹里亜がすぐに思い当たったのは、地球の実家でも母と一緒に世話をしていたからである。おそらく雪人は『家事』の応用範囲の広さに目を付け、それを農業に生かせないかと考えたのだろう。
「可能性は……うん、無くも無いですね。ケイ殿は裁縫、料理、教育、解体に至るまで、およそ家庭で行える作業の全てに高い適正を有しています。もしかしたら上手くいくかもしれません! 他にもまだ案がありますか?」
雪人の発想の幅広さに興奮したハリハリが身を乗り出すが、雪人は首を振った。
《残念ながらここから先は荒唐無稽な案しかない。そんな事が出来るのかどうかはハリハリ、お前に尋ねるしかないのだが……》
「ワタクシに? という事は魔法に関するご質問でしょうか?」
《案を出さなかった時点で魔法や魔道具でも解決し難いという事は察しているが、お前でもそれらを全て知っている訳ではあるまい?》
「そうですねぇ……おそらく魔法に関してであれば世界で五指に入るとは思いますが、魔道具は専門未満、才能や能力に関してはそれなりという程度でしょう」
雪人の判断を鈍らせぬよう、ハリハリは客観的に自分の能力を推し量った。それは、魔法ならば大抵の質問に答えられるという事だ。
《ならば素人の俺が先入観抜きで可能性を感じるのは直接土壌に干渉する始の土属性魔法が第一だが……明の魔法は使えんのか? こう、植物を急速に成長させるような……》
「ん!? ん、ん、んん~~~???」
真っ当と言えば真っ当だが、斜め上をいく雪人の発想にハリハリは思わず腕組みして唸る。
過去を紐解いても『成長』の魔法の使い手は殆ど存在しておらず、そもそも人型生命体以外に使用した例は皆無であった。『進化の繭』はハリハリが組んだオリジナルであり、それすら人前で大っぴらに使用するのは躊躇われる魔法なのだ。過去にも本人以外に作用する『成長』の魔法が使われた例は存在したが、その力を巡って争いが起こり、闇に葬られてきた歴史があった。
もしそれが人間以外にも作用するとなればもはや『成長』は単なるレアな系統などという範疇には収まらず、禁忌指定に至るであろう。
そういう倫理的や面を抜きにしてハリハリは自説を口にした。
「……おそらくですが、可能です。ワタクシが見た所、『成長』は概念に働きかける魔法なのですよ。水や風、火などの成長の概念を持たない物には効果がありませんが、植物にはそれがあります。ただ、多少実験が必要ですし、効果があるならあるで魔法の構成をいじらなければならないでしょう。通常、『成長』の魔法は術者の魔力が抜けると元に戻ってしまいますから」
《ならばすぐに試してみてくれ。もし上手く行けば食糧問題は解決したも同然だが……まぁ、楽観するのは止めておこう。伝手を頼って海王から魚介類を仕入れたりするのもいいが、あまり借りを作るのも面倒だ。悠が種をくれてやれば話は早いが……おっと、俺を睨まんでもコイツが首を縦には振らんよ》
先ほどまでとは別の意味で冷え冷えとした空気が醸し出されるが、遠く離れた雪人は軽く肩を竦めるだけで、本題の方に頭を切り替えていた。
《食糧対策はこの辺で良かろう。ナナナ、殿、上司に繋いでくれ。ここを中継点にすれば悠にも見られるはずだ。真も手伝って差し上げろ》
《もう呼び捨てでいいよ……》
諦めたように溜息を吐いて天界との通信を繋ぎ始めるナナナを相哀れむ目で眺め、真は無言でそれを手伝った。
「ナナから何か?」
《いや、それがお前に伝えたい事だ。いい加減天界の秘密主義には辟易してな、交渉役が代わる事になった。お前も面通しくらいはしておくべきだろう》
悠は雪人の物言いで大体の事情を察した。大方雪人が天界と摩擦を起こしたのだろう。相手が神であろうとも人間相手と変わらない様子がありありと目に浮かび、悠はほんの小さな溜息を漏らした。
「程々にな」
《なに、向こうもさるものだ、嫌な札を切ってきやがった》
そう言いながら雪人は服装の乱れを整えていた。隣の匠はそわそわと落ち着かないようだし、亜梨紗は手鏡で盛んに前髪を弄っている。尊大に足を組んでいた仗すらその足を解いてむっつりと黙り込んでいた。
「何だよ、急にしおらしくなりやがって……」
《貴様はこれより一切喋るな髭猿。これから見えるお方は本物の神の一族だ。失礼があれば楽には死ねんぞ……いや、そんな事をすれば俺が直々にその世界に出向いて八つ裂きにしてやる》
《……私も本物の神の一族なんだけどな……》
《無礼な上司ですいません、ナナナさん……》
バローに極太の釘(杭?)を刺し、まるで頭の上がらない相手を前にする普通の人間のような態度を取る『竜騎士』達の様子は違和感が際立っていたが、それも天界との映像が繋がるまでの事であった。
《……こうしてまた言葉を交わす事があるとは思っていませんでした。次はあなたが天に召されてからだと思っていましたからね。ですが、今はこの再会を喜ばしく思います。……久しぶりね、悠》
画面の奥で朗らかに笑う女性を見てもバローは大人しそうでかなり好みのタイプだなという若干ゲスな感想しか無かったが、即座に立ち上がった悠がその場に片膝を付き、頭を垂れるのを見て驚愕する。映像の中では雪人も同じように恭しく頭を垂れており、悠の背後では真っ赤な顔をした恵がその尊顔を拝する事すら恐れ多いと、震えながら平伏していた。どうやらこの女性は蓬莱人にとってとてつもない影響力があると察するのは容易であった。
それが何者なのかは悠の発言で知れた。
「お久しぶりです、母上」
最強ご光臨。




