9-90 復興11
朗らかな笑みを浮かべて安心を促す雪人に誰よりも警戒感を喚起されたのは虐げられし者、真であった。先ほどの始に向けた笑みに近しく見えて、ちらりと覗く瞳の冷たさは絶対に同じものでは有り得ないと長年の経験が告げていたのだ。
だから真は雪人が口に出す前に『心通話』で雪人を質した。
(待って下さい!! 今悪い事を考えてますね!?)
(はぁ? 俺がいつそんな事を考えたと言うのだ? 言い掛かりも甚だしいな全く)
(じゃあ今言おうとした事を教えて下さい!!)
(母親ばりに口喧しい奴だ……俺は単に草が足りんなら肉を調達すればいいと言おうとしただけだぞ? 真は邪推が過ぎる)
やれやれと首を振る雪人の言葉を真は信じなかった。現に自然から調達する物資では足りないと言ったのは雪人であり、その発言を真は忘れてはいなかったからだ。
急に言葉を止めた雪人にハリハリ達は首を傾げたが、雪人は悠に『心通話』中であると伝える合図を送ると、雪人の表情が魔王もかくやと思えるほどに邪悪な笑みに歪み、そして答えた。
(……今日、悠の奴が相当数のドラゴンを仕留めただろう? その肉を使えば――)
(だあああああああっ!!! あ、あぶなっ、聞いておいて良かったあ!!!)
一瞬白目を剥きそうになった真が『心通話』で叫び、雪人は煩そうに耳に指を入れた。そんな事で『心通話』の音量が小さくなったりはしないが、真に対するジェスチャーである。
(チッ、煩いな。だから貴様には言いたくなかったのだ。小言ばかり多くて面倒臭い)
(雪人さんには情というものが無いんですか!? いくら協力してくれたと言っても元仲間のドラゴンの肉を寄越せなんて言われたら、せっかく悠さんが築いた信頼関係にヒビが入りますよ!!!)
(いや、別に大丈夫じゃないか? アーヴェルカインには龍食の文化があるし、そもそもドラゴンは弱肉強食だ、ドラゴンが人間を食うのは良くて、人間がドラゴンを食って悪いという事もあるまい)
(悠さんが自衛以外で人間を襲わない様にと言ったのに、その肉を人間が食ってちゃ筋が通りませんよ!! お願いだからこれ以上波風を立てないで下さい!!!)
(ああ分かった分かった、頭が痛くなるからもう言うな)
どうにも真が喧しいので雪人はドラゴン肉調達案を諦めた。肉を食う事自体はレイラも了承していたが、はぐれ程度ならまだしも量が量だけに問題もあるだろう。せっかく繋いだドラゴンとのパイプに亀裂が入るのは雪人も望む所では無い。ただ、悠から聞いていたドラゴンの肉の効用は惜しく思っていた。災害時は衛生環境が悪化し疫病などを招き易く、身体能力を向上させ毒にも強くなるドラゴンの肉を食わせるというのは感情を加味しなければ良策であると言えた。
死ねばただの肉で、緊急時に選り好みしている場合かと雪人の冷めた思考が囁くが、協力者にドラゴンが居るこの場で言っても感情を逆撫でするだけと理解もしていた。
だが、それで雪人の案が尽きた訳では無い。
《……シャロンは居るな?》
「え? は、はい!」
雪人に呼ばれたシャロンは呼ばれた理由を理解しないままに雪人の前に腰掛けた。これまでの経緯を見ていたシャロンは不安で視線を彷徨わせるが、雪人は構わず悠に問い掛ける。
《さて、先に貴様に聞いておかねばならん。事情を知らぬ者達が居る中で言って良い事かどうか分からんのでな。俺は今からシャロンの正体に抵触する話をするつもりだが、この場に居る全ての者はここで訊いた事を漏らさないと誓えるか? 誓えないのであれば人払いをしろ》
雪人の言葉にシャロンの体がびくりと跳ね、ただでさえ血色の悪い肌が土気色に染まった。膝の前で組み合わされた手は小刻みに震え、唇は恐怖に戦慄く。
未だにシャロンは迫害への恐怖を克服してはいなかった。千年の記憶を乗り越えるのは、それほど容易な事では無かったのだ。
イライザや『開拓者』の面々は一体何の事かと不可解な表情を浮かべていたが、アルベルトだけは雪人が言わんとしている事を朧げに悟っていた。
シャロンを最初に見た時の漠然とした違和感。おそらくそれが今の話に繋がっているのだろう。
ただの勘でしかないが、仮にもⅨ(ナインス)の冒険者として修羅場を潜り抜けて来た勘は馬鹿には出来ないとアルベルトは感じていた。そしてそれを信じるならば、他にも何人かアルベルトの勘に引っ掛かる者達がこの場には存在していた。
定まらぬシャロンの視線が縋るように悠に向けられる。助けを求める視線であったが、悠は何も言わずそれを見返していた。
どうするにしても悠が決めるのは筋違いだ。これはシャロンが決断すべきなのである。いつまでも悠が一緒に居られない以上、シャロンが踏み出さなければ何も始まらないのだ。
悠の視線の意味が分からないほどシャロンは鈍くはなかったが、それでも恐怖と勇気は拮抗を続け、シャロンの口を石に変える。
――その天秤を揺らしたのは悠でもシャロンでも無かった。
「……ああ、今日は少々暑いな。この兜は蒸れる」
じっとシャロンの動向を見守っていたギルザードが兜に手をかけると、一息にそれを脱ぎ去ったのだ。しかもわざわざ髪で体を固定せず、頭ごと兜を外し、その後に兜から頭を取り出すという行為を見せ付けた。
当然広間はパニックである。
「デュラハン!?」
「な、何でこんな所に!?」
「くっ、下がれ!!」
アルベルト達と『開拓者』のメンバーが立ち上がって臨戦態勢に移行するが、『戦塵』の者達は誰も動こうとはしなかった。当のギルザードにしてもシャロンを見守るだけでそれ以上動く事は無い。
そんなギルザードを見て、ハリハリは苦笑する。
「ええ、確かに今日は少々お暑いようですね」
『擬態の指輪』を外したハリハリが姿を変える。耳が伸び、本来のエルフの姿を取り戻したハリハリは軽く肩を竦めてみせた。
「フン……」
更に立ち上がったサイサリスの両手の爪が鋭く伸び、周囲に竜気を振り撒いた。瞳は爛々と燃え、強烈なプレッシャーに対峙した者達の背中に冷たい汗が滴り落ちる。
一触即発の空気の中、シャロンはギルザードを、ハリハリを、サイサリスを見た。
何も言わずにただ正体を表す事でシャロンを応援してくれる仲間達にシャロンの瞳から一粒、涙が零れ落ちる。これ以上自分の身を卑下する事は、彼らへの侮辱であるとシャロンは感じた。
「……私は……吸血鬼です」
シャロンが立ち上がり、はっきりと言い切るとサイサリスは爪を収納し、ハリハリも姿はそのままに椅子に腰掛け直した。ギルザードだけがシャロンに寄り添っていた。そこは自分の居場所であるとでも言う風に。
膠着状態に入った広間に悠の声が響く。
「そういう事だ。彼らは俺が保護し、或いは己の意志で協力してくれている。もしそれが気に食わないなら話が終わるまでここから出て行ってくれ。黙っていてくれるのならば強要する事など何も無い。ただ、この場で彼らと戦うというのなら俺が相手になるぞ」
ゆらりと立ち上がった悠の体から放出されるサイサリスを上回るプレッシャー、いや、鬼気に呼吸すら困難を感じるアルベルト達。
それでもアルベルトは苦しげに悠に告げた。
「……正気か? エルフはまだしも、魔物を匿っているなどと知れたら今まで積み上げて来た名声など一瞬で吹き飛ぶのだぞ!? しかも吸血鬼と言えば国を傾けるほどの魔物だ、絶対に見逃されるべき魔物では無い!」
「ある種の高位の魔物は意志の疎通が可能である事は冒険者ならば知っていよう。取引の事例すらあったはずだ。ドラゴン然り、エルダーリッチ然りな。俺は名声などどうでもいいし、吸血鬼とデュラハンであって何がおかしいと?」
「危険度が違うだろう!? これまで吸血鬼と交渉が成立した例など存在しない!!」
「ではこれが最初の一例目というだけの話だな」
あくまで危険を唱えるアルベルトとそれを全く意に介さない悠の話は平行線を辿るしか無かったが、そのアルベルトの姿にシャロンを恐れた経験のある『戦塵』のメンバーは苦さを覚えていた。
人と魔物との間にある溝は他の異種よりも更に暗く、深い物である。そんな物などと軽く乗り越えられる者が圧倒的少数派であるのは疑いようのない事実であった。
悠の鬼気が緩むと、対峙していた者達は一斉にその場にへたり込む。
「……まぁ、俺も人間だからお前らの気持ちは分かるがよ、シャロンやギルザードとやろうってんなら悪いがユウに付くぜ。他の奴らも同じ気持ちだと信じてる」
鞘を掴んだバローが後悔の無い表情で笑い、シャロンに歩み寄って頬に残る涙を掬い取った。
「あっ……」
「心の無い魔物が泣くかよ……。寄ってたかって下らねえ事でシャロンを苛めてっといい加減俺ぁキレるぜ?」
「バロー様……」
バローの言葉に、シャロンの瞳が潤み、新たな涙が次々と滴り落ちた。それを見たバローは大慌てでハンカチを取り出してそれを拭い始める。
その光景に、黙っていたギャランが立ち上がり、悠の正面で口を開いた。
「……ユウ様、俺は、正直に言って何が正しいのかまだ良く分かりません」
「そうだろうな。俺も受け入れる事を無理強いする気は毛頭無い」
「でも、疎外されるのは魔物だけじゃありません。ユウ様に、皆に出会うまで俺も疎外されていました。ただ普通に生きていきたいだけなのに、誰も俺を受け入れてはくれなかった……」
ギャランはシャロンに過去の自分を見ていた。比べるのも烏滸がましいかもしれないが、多分シャロンは自分と同じだと感じていた。
そんなギャランだからこそ、言葉に重みがあった。
「俺はユウ様を信じています。そして同じ痛みを感じるシャロンさんが悪い魔物だとは思えません。バローさんの言う通り……心を動かされて泣く『人』をただの魔物だと割り切って考える事は出来ません」
「俺もそう思うぜ」
ギャランの言葉に最初に反応したのは意外にもジオであった。
「俺はコイツの事なんか信じちゃいないけど、ギャランやリーンの事は信じてるからよ。……勘違いすんなよな!」
悠を睨むジオの語気は荒いが、言葉に偽りは無いと言わんばかりにギャランの傍らに立った。
「なら、当然私もね。教官の事、信じてるモン!」
ルミナが役得とばかりに悠の腕に抱き付くと、ガロード達も顔を見合わせて苦笑する。
「やれやれ。お人好しばかりだな、ウチのパーティーは」
「ああ。……だが、疑ってばかりでは前に進めんのではないかな?」
「私達がしっかりしていればいいわ。パーティーは一蓮托生、でしょ?」
頬を掻くガロードにブランが同調し、弓使いのリディオラが2人の肩に手を置いた。年上の3人はそんな甘い事ばかりで世間を渡って行けない事は理解していたが、それでも悠への恩とギャラン達の善意、そして自分の目で見たシャロンの印象でパーティーとしてどうするかを決めたのだった。
「……」
だが、アルベルトにはどうしても魔物を信じる事は出来なかった。高位の魔物ほど狡猾で油断した者はあっという間に死者の葬列に加えられる事を知っていたからだ。若い『開拓者』のメンバーほど、アルベルトは楽観的にはなれなかった。
そんなアルベルトの肩にイライザの手が置かれ、イライザは悠と目を合わせて言った。
「悪いけど、私もアルベルトと同意見よ。魔物と人間は究極の所で分かり合えないと思う。彼らが気まぐれを起こしただけで私達は簡単に死ぬし、生き方が違い過ぎるわ。私にはあなた達が甘過ぎるとしか思えない」
イライザの意見はこの世界の大多数の人間の意見を代弁していた。この場においては少数派だろうと、それは変えられない事実であった。
「でも」
それを踏まえた上でイライザは言った。
「その子は人間に混じって立派に依頼をこなして見せた、それは無視するべきじゃないと思ってる。だから、積極的に支持は出来ないけど、少なくとも私とアルベルトがその子の危険性を吹聴する事は無いわ。今はそれでも構わないかしら?」
「イライザ!」
「アルベルト、ギルド長はその人となりを冷静に判断すべきよ。オルネッタの『慧眼』が無くても私達にはちゃんと目があるんだから。ちなみにオルネッタやコロッサスは知っているの?」
イライザの問いにはハリハリが答えた。
「どちらも知っていますよ。オルネッタ殿は立場上渋い顔もしていましたけど、コロッサス殿は特に気にしていませんでしたね。「人間にも悪い奴は山ほど居るし、話が通じるならいい魔物も居るんだろ」との事です」
「その大雑把な所はコロッサスらしいわね」
それが決め手になったのか、クスクスと笑うイライザに不承不承ではあったがアルベルトもようやく折れた。
「…………分かった、俺も積極的に支持はしないがもう何も言わないと誓おう。ここでの事は漏らさん。……どうしてそう簡単に信じられるのか理解に苦しむが……」
「じゃあ私も出よっと」
突如、悠の懐からスポっと抜け出したプリムが悠の肩に腰掛けた。
「あら? ユウ殿、水精族じゃないですか。妖精族がこんな人間の領域に居るなんて珍しいですね?」
「紹介が遅れたが水精族のプリムだ。今回の作戦では潜入に諜報にと活躍してくれた海王の元に居たが、個人的に協力してくれるらしい」
「よろしくね!」
悠の肩の上でくるっと一回転して愛想を振り撒くプリムに毒気を抜かれた表情でイライザは肩を竦め、アルベルトは消化し切れない思いで複雑な表情を作ったが、プリムの愛らしさは女性陣には好評で場の緊張感が薄れていった。
「ところでユウ殿、取りあえず落ち着いた所で本題に入りませんか?」
と、ハリハリが『水幕』の画面を窺いながら促すと、そこには目を閉じて舟をこぐ雪人の姿が映っていた。
「……こ、コイツにゃ情とかねぇのか……? 自分で話を振っておいて居眠りしてんじゃねぇよ!!」
我関せずと目を閉じていた雪人がバローの怒りを込めた呼び掛けに目を開くと、わざとらしく伸びをしながら口を開いた。
《……ん……ああ、茶番は終わったのか?》
雪人の台詞でシャロンやギルザードに向かっていた感情が全て雪人に向けられ、それは即座に怒りへと変化した。
「茶番だと!?」
《それ以外に評し様が無いな。信じる信じないなどという戯言に浪費する時間が貴様らに残されていると思っているからそんな悠長な事をしていられるのだ。頼むからそのお花畑のような頭の中に人並みの危機感を持ってくれんか? 一々指摘するのも徒労でな》
気だるげな雪人の視線はバローの怒りを冷却するほどに冷たく、反論の声を凍らせた。
《議題からズレるから後で言うつもりだったが先に言っておいてやる。これより一年後、アーヴェルカインは滅ぶぞ。今日の地震は『星震』と言い、世界崩壊のカウントダウンだ。世界の全てに滅びの時が近い事を知らせる星の警告なのだ。……そんな時にまだ人間が魔物がどうのと言っている者達を茶番以外にどう評しろと言うのか? 信じられんのならそのまま滅べ、死ぬまで猜疑心に支配されたまま世界と心中しろ。俺は悠と庇護した者達さえ帰ってくれば最悪現地人がどうなろうと知った事では無い。……と、言う俺の言葉すら貴様らは信じる事が出来んのだろう?》
淡々と死を告げる死神のように、雪人の目にはおよそ慈悲という物が欠けていた。雪人にとって大切なのは悠と保護した子供達であり、下らないいがみ合いを続ける現地人では無いのだ。
「時が、無いのか?」
《ああ、無い。後一年以内に敵の首魁を討ち、業を改善しなければ世界は終わる。グダグダと説得などしている暇はどこにも無いという事だ。それでも貴様はまだ迂遠な世直しを続けるのか? それは穴の空いた匙で桶を満たすが如き徒労だとは思わんか?》
雪人は暗に悠に力による改革を提示していた。人間だけでこれだけの時間が掛かったというのに、他の種族にまで同じ様にしていては時が足りないのだと、参謀としての冷徹な思考が雪人を駆り立てていたのだ。
悠がどう答えるのか、全員が注視していた。
「俺は――」
ちょっと長めでした。バローイケメン回。
せっかくのいい雰囲気を粉々にする雪人。正論は時に温かさに欠けるという事でしょうか。優先順位をしっかりと定めているだけなんですが。
悠>子供達>協力者>>>>>(越えられない壁)>>>>>現地人
協力者より下は雪人には割とどうでもいいです。




