9-89 復興10
《もう一つの懸念は……》
雪人がその絹の如き髪を乱雑に掻き乱して鬱陶しそうに告げる。
《今回の事件で厄介なのは、敵が単独犯では無いと知れた事だ。単独であれば話は早い、そのミザリィという女を半殺しにして情報を吐かせ、その後殺せば8割方任務は達成したと言えたのだが……協力者が居るとなると話は全く異なる。ミザリィを殺しても他の者がその任を継ぐのであればただ頭を挿げ替える結果にしかならんし、延々と嫌がらせをされても面白く無い。どうにかして敵の背景を探らねばあっという間に時を浪費するぞ》
単純な敵戦力の強化よりも雪人が懸念するのはその点であった。数の面で鬱陶しくても質の面で悠に敵う者など居ないと雪人は断言出来る。被害は拡大するかもしれないが、『悠は』生き残るであろう。現地人は多数死ぬが、それは雪人の知った事では無い。他の世界の人命にどこまでも責任を負えなどとは人の身に求めるべきでは無いし、それに文句があるのなら自分達でやれというのが雪人の弁である。
「かと言ってアーヴェルカインも蓬莱と同程度には広く、現状では秘境に至るまで細かく調査する事は出来ん。奴らに根拠地があるのならそこを叩けば良かろうが、最悪この屋敷のように移動式の拠点でも持っていれば捕捉するのは困難を極めるだろう。しかも転移術持ちだ、手が無いでは無いが、正面から相対しても逃げられる可能性が高い」
《……『竜騎士』がせめてもう一人居れば……いや、叶わぬ話か》
雪人が悠の背後に居並ぶ者達を見て溜息を吐いた。その意味を悟ったバロー、シュルツ、ヒストリアから周囲が引くほどの殺気が放出されるが、雪人は毛ほども痛痒も感じていないようだった。
「止せ、雪人。『竜騎士』がどれほど成り難いかは良く知っているだろうが」
《ああ、良く知っているとも。だが、それがどうした? 世界の終わりを実力が足りなかったと嘆いて何の意味がある? そんな事は幼子にだけ許される泣き言だ。大の大人がそれを棚に上げて凄んでみても、俺には小犬が吠えている程度にしか感じんよ。……いや、いっそ笑えるな》
実際に含み笑いを漏らす雪人に匠と真は頭を抱え、亜梨紗はどうしたものかと途方に暮れ、仗は当然だと言わんばかりにそれを眺めていた。ナナナは雪人を掣肘したいが、それを言えばきっと悠を連れ出した事を突かれやり込められてしまうだろうと赤い顔で口を噤んでいた。
雪人がただ傷付ける為に毒を吐いているのでは無いと蓬莱の面々だけは気付いていた。雪人は無駄な事を好まない。もし本当にどうでもいいと思っているのなら言及する事すらしないだろう。先ほど、大多数のアーヴェルカインの者達にわざわざ言及しなかったように。
だが、雪人の発言の裏を感じ取っているのは、アーヴェルカイン側では残念ながらハリハリと樹里亜だけであった。
(……ユキヒト殿は敵を作る事を恐れませんねぇ……)
(つまり、雪人さんは「悔しかったら『竜騎士』になれるくらいに早急に実力を上げろ」って言ってるんだろうけど……自分すら発奮材料に使う所は強心臓よね……私には無理だもの)
つまりはそういう事だ。自分への怒りが鍛練への熱に変わるなら、雪人は恨まれる事など厭わない。ひいてはそれが悠の助けになるのならば望む所であった。
勿論、そんな意図より言葉面を捉える者の方が多いのは言うまでもない。
「さっきから黙って聞いてりゃ好き勝手ぬかしやがって……! テメェだってユウに頼りっきりだったんだろうが!!」
《単なる役割の相違というだけだ。悠は力、俺は知恵という風にな。どちらも皆無な貴様と一緒にされるのは心外極まる。それは猿と人を並べて同じだと言うようなものだ、足りないなら足りないなりにもう少し正しい現状認識を持っては貰えんものかな?》
「がぎぎ……!」
見下した視線で語る雪人は大層憎らしく、本音で言っているようにしか見えなかったが(実際半分ほど本音だが)、バローは怒りのあまり言葉を失って口を空しく開閉させた。
「止せと言っている。無駄な会話で時間を浪費するな」
《そうだな、今更言うまでもない事だった。話を戻すが、敵の情報収集に力を入れた方がいい。単独犯では無い数少ない利点は敵の発見の可能性が上がる事だ。数が増えればそれだけ痕跡を残しやすくなる。期待薄だが、掌握している人間領域だけでも隅々まで精査しておくべきだな。アライアットにも冒険者ギルドが置かれるなら冒険者を使うのが効率的だろう。名目は地質調査でも未開地の開拓でも何でも構わん、金は各国の王にでも用意させろ。実際に役に立てば無駄金ともならんし、今後人が増えるなら居住地や耕作地の確保は必須になる》
辺境の調査まで悠がこなす必要は無く、雪人は冒険者を活用する事を提案した。いくら挑発的で酷薄に見えようが、雪人の道理の通った提案に反論は起こらなかった。
「それに関連して少々知恵を借りたい。本日発生した大規模地震で各国が被災し食糧が足らんのだ。ここ最近は避難民を匿う事も多く、各国とも余剰の物資を抱えている訳でも無いからな。どうにかして収穫まで時間を稼ぎたい。ここに居る始は植物についてはこの世界の者達も太鼓判を押すほどの知識を持っている。一緒に知恵を出してくれんか?」
《食糧難か? 全く、次から次へと問題を振ってくれるな……》
雪人の目が悠の隣で小さくなっている始を捉えると、始は一層委縮して縮こまってしまった。雪人が言っている事を完全には理解出来なくても、周囲の大人の反応を反射して空気が重くなっている事くらいは始にも分かるのだ。
雪人もそれを察し、軽く咳払いをすると、いっそ清々しいほどに穏やかな笑みを始に向けて作り出した。
《君は緑坂 始君だったね。どうか僕にも君の話を聞かせてくれないか?》
まるで慈父の如き笑みと柔らかな口調にバローは姿形を自在に変える魔物を目の当たりにしたような顔でうぇっと吐き気を堪えたが、空気を読んで口に出す事は無かった。
「あ、あの、どんな事を……?」
《そうだね……そちらで一般的に食されている植物で、生育が早く大量に作れそうな植物の話が聞きたいな。例えば、そちらでは主食としているのは何だい?》
「えっと、庶民の人達は大体パンを食べています。色々種類があって使う麦や生成方法で値段が違いますし、国によって同じ種類でも違う性質が……」
雪人の話術の巧みさか、それとも自分が得意なフィールドの為か、もしくはその両方か、徐々に始は饒舌に雪人と言葉を交わしあうようになっていた。雪人の知りたい事に始は能く答え、雪人は一通り聞き終えると始に頭を下げつつ礼を述べた。
《ありがとう、始の話はとても理解し易かったよ。またお話しする機会があったら色々教えてくれるかい?》
「はい! ぼ、僕もまた雪人さんとお話ししたいです!」
すっかり雪人に籠絡された始は名残惜しそうに雪人に別れを告げ、雪人もにこやかに手を振り返し、始は背後の子供達の場所へと戻っていった。
「……」
じっとりした目でバローが物言いたげに雪人を睨む。が、雪人はそれに気付いて鼻を鳴らした。
《……フン、何を見ている気色悪い、俺は男に視姦される趣味は無いが? 自分に無い物に羨望を抱く気持ちは……ん、悪いな、生まれつき持っているので全く理解出来ん。残念だが来世に期待して気を落とさん事だ。今より必ずマシな面になる事は保証してやってもいいぞ?》
「ごげぐぎがががが……!!」
脳が溶けそうなほど血が上ったバローをバッサリと切り捨てた雪人に先ほどの穏やかさは欠片も残っておらず、バローが人語に辿り着く前にさっさと本題に入ってしまった。
《さて、率直に言うが全く時間が足りん。人口と食料消費を考えれば、およそ2週間後には所得が下層の人間は飢え始めるだろう。この数字は最も国力の低いアライアットから算出しているが、農村部は更なる困窮が予測される。結論から言えば最低でも一週間以内に食料を用意出来なければアライアットは賊や犯罪者がに身をやつす者が出始めるだろう。対して、始の知る最も生育の早い品種の作物でも収穫に一月はかかる。せっかく平定したアライアットでの努力が水泡に帰すという事だ》
雪人の予測に楽観的な要素など微塵も含まれない。毒々しかろうが、これがアライアットの未来予想図である。衣食足りては礼節を知るとの言葉通り、人は飢えを満たす為なら大抵の悪事には目を瞑るものであり、雪人は蓬莱ならともかくアーヴェルカインの倫理観に何の期待も寄せていなかった。
「ある程度の可食植物を採取してもか?」
《それは始に聞いたが無理だ。そもそも、一家の晩飯を用意しようというレベルの話では無い、一国、いや四国の食糧事情を改善できるほどの量を自然にある状態から調達しようなどという事が土台不可能だ。まず季節が悪い、温暖な国でもようやくこれから今年の作付けをする時期だろうが。野草や果実にしても精々一国の食事数日分にしかならん。アライアットに集中して渡せば人口が少ない分1週間は誤魔化せるだろうが、もしそれが他国民の耳に入れば要らぬ厄介事の種を蒔く事になるぞ。あそこはまだ駐留している兵士が居る事を忘れるな》
ハリハリや樹里亜といった面々も雪人の最後の指摘に思い至り頭を痛めた。アライアットの復旧に従事しているミーノスやノースハイアの兵士が出所の分からない大量の支援物資を見れば、その話は本国に戻った時にいずれ噂として流れるだろう。それがアライアットに存在しない固有種であった場合、他国の物資を勝手に入手したと問題になる可能性は多々あった。飢えは理性を駆逐し、人間の本能的な怒りに直結し得るのだ。
《上層部が納得していればいいという問題では無いぞ。基本的に飢えるのは庶民か、それ以下の貧しい者達だ。国民が飢えている中でそんな事をすれば不審、批判、そして暴動だ。それをやりたいならそれぞれの国の可食植物の群生地に兵士を送れ。間違っても人海戦術で庶民や冒険者を当てにするな。今度は奪い合いで殺し合いになる》
各地に散らばる植物を採取するのも悠達だけでは手が足りず、多数の手が必要になるが、それを規律に縛られていない冒険者や庶民を刈り出す危険性も併せて雪人は提示した。正直に言えば兵士ですら危ういと雪人は考えており、採取案は出来れば承認したくない所だ。
そこまで徹底的にデメリットを挙げられれば、代案の無い者達は黙るしか無かった。
《が、食糧の当ては無いでもない》
気が付いたら雪人が毒を吐き過ぎていたので修正を重ねていたのですが、ちょっとは落ち着いたかと。とめどなく毒が暴走する……。




