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9-87 復興8

「ふぅ……やれやれ、歳は取りたくないモンだよ。この程度で腰にくるなんざ、鈍ってる証拠だねぇ……」


料理を終えたベリッサは配膳を他の者に任せ、一人椅子に腰掛けて茶を啜っていた。作った食事は他人の手が入った事で満足のいく味とはとても言えなかったが、千人単位の人間の腹を満たすには仕方のない事であった。


「せめてあの子が手伝ってくれればねぇ……」


そう言うベリッサの脳裏に浮かぶのは恵の姿だ。まだまだ未熟な面はあったが、自分を追い抜いていく逸材であると確信出来たのは数多い弟子の中でもほんの一時手解きした恵だけであった。


最近、自分の衰えを顕著に感じるようになったベリッサは昔は持たなかった感情が心中で膨らみ続けている事を自覚していた。


自分の技を受け継ぐ者が欲しい。


自分の味を受け継ぐ者が欲しい。


自分を超えていく料理人を自分の手で作りたい。


ベリッサには自分が世界一の料理人だという強い自負があった。しかし、料理とは書物で伝えられる物では無く、舌で伝えられる物である。ベリッサが死んで数十年でベリッサの味は忘れ去られるだろう。


料理人のエゴと言えば完全にその通りなのだが、それもまた人に食べさせたいという熱意があればこその欲求だ。ベリッサがその熱を取り戻したのは恵と神楽のお陰である。


ベリッサが料理人として大成したのは娘であるメリッサの存在が大きかった。体の弱い子で、いつも病気がちなメリッサに何とか元気になって貰いたいと、ベリッサは古今東西の食にその活路を求めたのだ。元々の才能ギフトも相まってベリッサの料理の腕はメキメキと上がり……しかしそれを極める頃には娘は既にこの世の者では無くなっていた。


そこから更に料理にのめり込んで行ったのは単なる逃避だと今なら分かる。誰も寄せ付けず、ただひたすらに料理に打ち込むベリッサを人は『孤高』の称号を持って持て囃したが、実際はただのヒステリーでしか無かったとベリッサは理解していた。


フェルゼンにも数多の料理人が居るが、今日見た限りでは最も見込みのある者ですら一生掛けて修行しても自分の10分の1にも届くまい。それでもその域まで達せられれば世間では十分に凄腕と称されるのである。何とも空しいものでは無いか。


(チッ……いよいよ本格的に耄碌して来たかね。ババアの泣き言なんぞ誰も見向きもしないってのに)


冷めかけた茶をグイと飲み干し、下らない思考を切り捨てたベリッサにちょうど声を掛ける者があった。


「しばらくだったな、ベリッサ」


「ん? ……ああ、若いのかい。久しぶりだね」


声を掛けてきた悠にベリッサは軽く手を上げて応えたが、その目は無意識に周囲を探っており、言葉にせずとも悠はそれに気付いた。


「今日は俺達だけだ。この地震で領主夫人と話したい事があったのでな。先ほど挨拶しようかと思ったが、忙しそうだったので後にさせて貰った」


気障な仕草で頭を下げるハリハリと始を見てベリッサは鷹揚に手を振った。


「ああ、あの小娘、突然家に乗り込んで来たかと思ったら強引にアタシをここのリーダーにしちまったんだよ。ボンクラ共のお守りなんて御免被りたいけど、領主にゃ恩があるから断れなくてね。優しい顔してババアを酷使しやがんのさ」


「それが出来ない人間には頼まんと思うがな」


肩を竦めるベリッサに、悠は『龍水ドラゴンウォーター』を取り出して差し出した。


「これは?」


「恵の作った『龍水』だ。効果は言うまでも無かろう?」


『龍水』の効果が疲労回復と体力増強である事はレシピを譲ったベリッサに説明するまでも無いが、ベリッサの見た所、この『龍水』は既に恵のオリジナルであるようだった。瓶の蓋を取った時に仄かに香る柑橘系の香りが心を軽くするようで、その期待感に渇いていない喉が受け入れ体勢を整えていた。


しかし『龍水』の肝はその配合比の難しさにある。ただ水と割るだけでも困難を極めるが、香りや味を付けようとするとその難度は何倍にも跳ね上がるのだ。ベリッサも配合は5種類が限界で、それ以上は味が崩れてしまうし、研究しようにもドラゴンの血は希少で手のつけようが無かったのだ。


しかし、ベリッサは何の躊躇いも無く『龍水』に口を付けた。人の事を考えて料理をする恵が不味い物を用意するとは考えられなかったからだ。


――そして、意識が肉体を置き去りにするほどの衝撃を受けた。


「っ!」


美味いなどという陳腐な表現を許さぬ完璧なる味の調和がベリッサの言葉を奪った。『料理クッキング』の才能を持つベリッサにだからこそ分かる事だが、そこには実に7種類もの材料が用いられていて、尚且つその配合には一分の狂いも存在しなかった。ドラゴンの血以外はありふれた材料でしか無いが、その全てが薬効を高める増強作用を持ち、更に味を高めている。普通の人間にはただの美味い飲み物にしか感じられないだろうが、その全てが感じられるベリッサの目から一筋、涙が零れ落ちた。


「よくぞここまで……」


ベリッサの心中に膨れ上がっていた料理人のエゴが融け、涙となって流れ出していた。恵は既に自分の道を歩き始めており、そこに自分が介入出来る余地は何処にも無いのだと思い知らされるようであった。


若干の悔しさと大きな誇らしさが胸を満たし、ベリッサは笑った。


「クックックッ……若さってのは眩しいモンだね。この子の料理には愛と創造性がある。どっちも、アタシがずっと前に無くしちまったモンだよ。そのまま精進しなって伝えておくれ。……もうババアが出る幕は無いんだってよーく分かったよ」


言葉とは裏腹に、ベリッサの顔には清々しさだけが浮かんでいた。まるで肩の荷が全て取り払われたような、そんな清々さであった。


自分が肩肘張って突っ張らなくても世界は回っていくのだ。料理人代表のような気分になっていたベリッサだったが、そんな必要は無いのだと教えて貰えたようで、充足感に溜息を吐いた。


「そうですかねえ? 私は師匠の薫陶だと思うのですが?」


そう漏らしたハリハリの目はベリッサでは無く、その料理を食する人々に向けられていた。いくら被害が重大では無かったとはいえ、破壊の爪痕は人々の心を重くしていたが、ベリッサの料理を口に運ぶ者達に悲嘆は無く、明日への活力を取り戻しているようにハリハリには見えた。そしてそれは悠も同意見であった。


「料理の真髄に愛があるなら、それを伝えた一人は間違い無くベリッサだ。無くしたのでは無く、当たり前のようにそこにあるからこそ見えなくなっているのだと思うがな」


「べ、ベリッサさんの料理、お、美味しいです!」


ハリハリに続き、悠と始もそう口にすると、ベリッサはぐるりと体を回して不機嫌そうに零した。


「……ったく、ババアをその気にさせんじゃないよ、ああ恥ずかしいったらありゃしない!」


耳まで真っ赤にしたベリッサは煩そうに手を払ったが、その口元に浮かんだ笑みは最後まで消える事は無かった。




ベリッサと別れた悠は屋敷に戻り、全員を集めて会議を開いた。これからの行動を考える為のものでもあるが、その中心に居るのは連れ帰った始である。


悠が居ない間にアルベルトや『開拓者』のメンバーには悠の事情を駆け足で伝えてあり、一定の知識を得てこの場に参加していた。


「正直全く実感が湧かないが……」


「当然でしょ、急に世界が滅びる云々って言われても全然納得出来ないわよ!」


「お、俺は信じます。ユウ様が嘘を吐くとは思えません!」


「嘘じゃないとは思うけど、話のスケールが大き過ぎて……」


「……」


悠に肯定的な者も否定的な者も容易に情報を受け止めきれないという点では一致していた。短時間で受け入れるには途方も無い話であり、悠も積極的に理解を強要したりするつもりは無いので話を先に進めていく。


「証拠、という訳でも無いが、これから俺の居た世界と交信する。それを見てからでも判断は遅くはあるまい。ただ……」


「ただ?」


悠は一応の注意として一言釘を刺した。


「あちらで参謀を務めている男は傲岸不遜を絵に描いたような奴でな。悪人では無いが、人に斟酌をせん所があるので、そのつもりで話を聞いていて欲しい」


「「「ああ……」」」


事情を知る者達の頭に浮かぶのは秀麗な雪人の顔だった。貴公子然としたその表情に微笑みすら湛えながら、口からは甘い囁きでは無く恐ろしい猛毒を撒き散らすのだ。見た目とのギャップで心に傷を残すレベルである。


「他人に斟酌しないのは似た者同士では……」


「では始めるぞ」


ハリハリの意見をサラリと流し、用意された『水幕ウォータースクリーン』で悠は蓬莱との通信を試みた。

もはや悠が注釈するレベル。

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