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9-86 復興7

束の間の感傷も現実の前には無力だ。悠は使命を帯びてこの場に参上したのであり、ローランが居ない今、ミレニアは意志決定を行う為政者なのである。


子供達を寝かしつけた後はその現実の作業をこなさなければならなかった。


「……分かりました、当家から可能な限り資金を融通しましょう」


「いや、少し待ってくれ。ローランにそれを書いて貰った時とは少々状況が変わっていてな」


「え?」


ローランがミレニアに宛てた書類には資金の融通について書かれていたが、今は金があっても物が無いのだ。クォーラルの街の状況を簡潔に説明した悠は、最後にダイクから聞いた情報をミレニアに尋ねた。


「この資料にあるように、ミレニアは植物に関しては一家言があるとダイクに聞いたのだが、この時期に実る植物で多数の人間の腹を満たせる物は無いだろうか? もしくは生育の早い作物の話があれば聞きたいと思ってな」


「あら……フフ、ユウさんでもうっかりする事があるんですのね?」


「ん?」


悠の言葉に何故か笑いを漏らしたミレニアはその真意を語った。


「私は確かに植物には詳しい方ですけれど、それは主に花の知識ですよ。勿論、食べられる花の知識であればいくらでもお教えしますが、作物をお探しならハジメ君にお聞き下さい。ハジメ君の知識は下手な大人顔負けですし、そもそもハジメ君が肌身離さず持ち歩いている植物事典はユウさんが買い与えた物では無かったですか?」


《あ、そう言えばそうだったわね……》


「確かにあれは俺が買った物だが……ミレニアよりも始は詳しいのか?」


「それはもう。ハジメ君はあの事典を諳んじるほどに読み込んでいますもの。私が保証致します」


これはミレニアの言う通り悠がうっかりしていたというべきだろう。アーヴェルカインの事はアーヴェルカインの者に訊くのが一番だと思っていたし、始の事を良く知らないダイクがミレニアを推挙した事でそこまで頭が回っていなかったとしても、どこかで子供に訊くよりも……という意識が無かったとは言えないかもしれない。


しかし、実践的知識では大人に敵わなくとも、しばしば子供は純粋な知識の深度で大人を凌駕する。そもそも記憶力は大人より子供の方が優れていて、それが興味と合致した時、常人離れした能力を発揮する事例は枚挙に暇がないのだ。


優れた資質を発揮する子供達に囲まれて暮らしている悠はそれを知っていたはずであった。


「俺もまだまだ頭が固いな。先入観に流されるとは……」


「自省は結構ですが、それよりもハジメ君を誉めてあげて下さい。それが何よりも嬉しいはずですよ」


前向きなミレニアの意見に悠はしっかりと頷いた。多忙を極める中でアルトという素晴らしい子供を育て上げたミレニアの言は疎かに出来るものでは無かった。


「アルトは何日かフェルゼンに滞在させようと思うが、それでいいか?」


「ええ、助かりますわ。アルトが家を継ぐ継がないは別にして、為政者の仕事を経験しておく事は良い事だと思います。アランが補佐に付いていますからご心配には及びません」


「心配はしておらんよ。悩み、迷い、それでも答えを出さねばならん状況下でアルトがどう成長するかが楽しみなだけだ」


為政者が抱える問題は正答が用意されているとは限らない。どちらも正しい、或いはどちらも間違っていると知りつつも先へ進めなければならない事もあるだろう。それはアルトにとって得難い経験になるに違いない。


アルトは剣の腕を磨く事を望んでいるが何事も無駄な経験と言う物は無い。悠はアルトを卓越した剣士にしたいのでは無く、もっと大きな人間に育って欲しいのだった。


書類を認め、悠の持ってきた地図に幾つか書き付けるとミレニアは鈴を鳴らして使用人を呼び寄せ、下がらせると悠に言った。


「私の知っている花の知識は記しておきました。それと、他の国に対する支援金も玄関でお受け取り下さい。用途に関しては全てユウさんにお任せ致します」


「承った。有意義に使わせて貰おう」


書面に踊る文章には金貨二万枚(日本円換算で20憶円)とあり、個人としての支援規模はおそらく世界一であろう。旧マンドレイク家の領地を暫定的に支配するフェルゼニアス家に並び立つ者は最早どこにも存在しなかった。例外はミーノス、ノースハイアの各王家だけだ(隆盛極めるノワール家もまだ領地が安定しておらず、アライアットは国力に劣る為、アライアット王家単体ではフェルゼニアス家に大きく劣る)。


そのフェルゼニアス家が英明な当主を得て善政を敷いている事はミーノスのみならず人類全体にとって喜ぶべき事であろう。もし旧来の貴族のように民を人と思わず搾取によって己を富ませる者があればそれは非常に悪目立ちするであろうし、どの王国も、そして民もその横暴を許しはしない。もし後世があれば、フェルゼニアス家は貴族文化の中興の祖として讃えられる事に疑いはない。貴族は変革を迫られているのである。


だが、それも後世があればこそだ。まずは目先の苦難を乗り越えて行かねばならなかった。


ミレニアと別れ、フェルゼニアス邸を辞する前に悠はアランから支援金を受け取った。


「アルト様にはお会いになっていかれませんか?」


「領主の仕事で俺に手伝える事は無いからな。ミレニアもアランも居るというのに俺が差し出がましい事を言わんでも良かろう」


「教育係としては父子共々優秀過ぎて教えて差し上げる事が殆ど御座いません。経験さえ積めばすぐにでも領主を務められましょう。……私もそろそろお役御免ですかな」


「悪いがその隙の無い所作では言葉で言うほど老いているようには見えんぞ。アルトならば労りの言葉の一つも掛けてくれるだろうが、若いのをからかうのも程々にな」


いかにも寂しげに漏らしたアランの表情が一変し、上品だが力強い笑みが取って代わった。


「ハハハ、流石にユウ殿は騙されませんか。アルト様はそれはもう言葉を尽くして労って下さったといいますのに。……ですが、そんなユウ殿だからこそアルト様もよい勉強になりましょう。今後ともアルト様の事を宜しくお願い致します」


「心得ている」


アランなりの冗談も、ある意味では真剣さを含んでいた。アランは年齢で考えれば必ずアルトより先にこの世を去るだろう。だからアランは自分が居ない世界でアルトが生きていけるように種を蒔いておきたいのだった。自分が死した後、それが芽吹いてアルトの助けになれば、アランとしては至上の喜びである。


「他の方々は闘技場……おっと、今では催事会場ですが、そちらでテントを張っているはずです。家屋が倒壊した住民の方々を一時的に避難させる場所として開放して頂きましたので」


「分かった。それではアルトによろしくな」


「畏まりました」


完璧な礼でアランに送り出され、悠は催事会場へと向かった。


辿り着いた催事会場は思ったよりも人が少なく、今も動いているのは避難して来た人間よりもテントを設置する人間の方が多い様に見えた。


《ちょうど食事の時間だからじゃない? さっき広場でベリッサが準備してたし、大部分の人間はそっちに行っているんだと思うわ》


「だろうな。あそこで働いているのがそうだろう」


所々に明かりが灯されているとはいえ薄暗い会場の奥を悠が示すと、そこには明らかに他の者達とは桁違いの資材を運ぶシルエットが薄っすらと浮かんでいた。


「智樹」


「えっ? あっ、悠先生!」


大荷物を抱えたままだというのに、それを苦にもせず振り返った智樹の側にある資材を悠も持ち上げて先を促した。


「始とハリハリを迎えに来たのだが、こっちの様子はどうだ?」


「怪我人は結構出ていますね。それに、運悪く亡くなった方もいます。ですが、ミレニア様がすぐに住民の救済に動いたのでそれ以上の混乱はありません。僕も明日からは瓦礫の撤去と新しい家の建設を手伝おうかと思っています。合間を縫って怪我人の治療もしますけど」


智樹は怪力に加え強靭な肉体と医療知識もあり、危険な瓦礫撤去にうってつけの人物なのだった。


「ならばここでアルトを手助けしてやってくれ。数日後に迎えにくるからな」


「分かりました。ハリハリ先生と始君はこの会場の補修をしていたはずです。あ、荷物はここにお願いします」


2人で数十人分の資材を担いでいれば嫌でも注目を引いたが、それが悠だと分かると周囲の者達は納得した。


「ユウ殿~!」


そんな声が耳に届いたのか、ハリハリと始が連れ立って2人の近くにやって来た。


「補修は終わったのか?」


「ええ、概ね。土の『天使の種アンヘルセーメ』を持っているハジメ殿が居ればこの程度の作業はお手の物です。もう倒壊の恐れはありません」


「そうか、よく働いてくれたな」


「は、はい!」


悠が頭を撫でると始ははにかんだ表情を浮かべて目を細めた。ミレニアの言う通り、始には悠の褒め言葉が何よりもご褒美であったようだ。


「しかし、悪いがもう一働きして貰わねばならんようだ。ハリハリと始は一度屋敷に戻ってくれ」


「ふむ、何か事情がありそうですね。分かりました、行きましょう」


悠の言葉からあまり良い状況では無いと察したハリハリはすぐに頷き、智樹と別れてその場を後にしたのだった。



ハリハリと始は会場全体を走査して壊れたり亀裂が入っている場所を直していました。始はドンドン重要人物度が上がっていますね。

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