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9-85 復興6

他の者達を休ませている間に悠は単身フェルゼンに赴いていた。既に日は暮れかけ街の陰影は刻一刻とその濃さを増しているが、行き交う人々の数が普段以上なのは皆地震の後始末に追われているからだ。


しかし、その顔に悲嘆は少ない。


「流石フェルゼニアス家のお膝元だよな。ちょっと無理してでもここに越してきて良かったよ」


「だろ? 留守を預かっているミレニア様もわざわざ私財を投じて冒険者まで雇って街の復旧に努めて下さっているし、修行中の若様もお仲間と一緒に駆けつけて今も働いてるしな。ここは下手すりゃ王都よりも住み易い場所だよ。フェルゼニアス家のお屋敷には足を向けて寝られんね」


「そろそろ広場で食事の振る舞いがあるみたいだぞ。あの婆さん、口が悪くておっかないが、作る料理だけは絶品だからなぁ」


「おっと、食いっぱぐれちゃ敵わん、早く行こうぜ!!」


漏れ聞こえてくる会話から察するに、ミレニアやアルトの尽力は下々にまで伝わっているようだった。この地震はフェルゼンの住民にとっては街の良さを再確認する機会となったらしい。


「ここはアルトに任せておけば大丈夫だな」


《ならアルトは何日かはここに居た方が良さそうね。ミレニアにはまだ無理はさせない方がいいわ》


ミレニアには生まれて間もない双子の世話があり、母親と為政者の2つをこなすのは大変であろう事は想像に難くない。勿論貴族の家であれば育児に関しても政治に関してもアランを筆頭に優秀な人材は居るだろうが、ミレニアは人に責任を押し付けて悠々自適に暮らすタイプには見えず、忙しければ忙しいだけ働いてしまう人間だろう。夫のローランも同じタイプであり、2人の子であるアルトも当然それを受け継いでいるので、フェルゼニアス家の苦労性は当分の間続きそうだ。


通りかかった街の広場では炊き出しが行われており、その中心では爛々と目を光らせる老女が采配を振るっていた。


「何やってんだいこのウスノロっ!! 食材の鮮度はベタベタ触ってる間にドンドン落ちるんだ、手早くサッサと刻むんだよ!!!」


「で、出来たよホラ!!!」


「どれ……ったーーーっ、何だいこりゃ、大きさがてんでバラバラじゃないか!!! 炒め物に使う野菜が不均一だと火の通りが悪いのは基本中の基本だろうに!!! 炊き出しのメシだからって手を抜いてんならブッ殺すよ!?」


「ど、怒鳴るなよバアさん……」


「だったら怒鳴らせるんじゃないよ!!! チッ、仕方無い、コイツは煮込みに使うとして、アンタはもう一回刻んで来な!!! 次は均一に刻むんだ、速く、正確にね!!! 次に不出来なモン持ってきたら、アタシがアンタを捌いて煮込みにしてやる!!! 分かったらとっとと行きな!!!」


ベリッサが恐ろしい剣幕で料理人の尻を蹴飛ばすと、周囲の料理人達も怒鳴られては堪らぬとばかりに自分の作業に没頭し始めた。


それでも文句が出ないのは、ベリッサの指示が的確で誰よりも働いているからだ。宮廷料理人として大量の料理を時間通り出すという経験を積んできたベリッサには名だたる料理人の誰もが敵わなかったのである。


ベリッサの手が閃くと、瞬時に素材は食材に形を変えていった。足元に置かれた大きな桶が瞬く間に食材に埋め尽くされていき、それでいて手つきは流麗にして一切の無駄が無く、どれだけ早くても素材を雑に扱っている様子は微塵も見受けられず、その作業を見守る住人からも感嘆の声が漏れた。


「へぇ……小さい食堂のおかみさんだっていう噂だったのに、ここに居るどの料理人よりも手際がいいじゃないか。今度食べに行ってみるか……」


「おいおい、ベリッサさんの店はそんなにデカイ店じゃ無いんだから常連に遠慮してくれよな!」


「今更だろ? なんたって領主様が懇意にしている『戦塵』が贔屓にしている店らしいじゃないか。たまにミレニア様もお忍びで通ってるってのは、食いモンにちょっとでも興味のある人間には常識だぜ?」


「あ~あ、あの腕前を見られちゃまた通う人間が増えそうだなぁ……」


悠達がチンピラを排除してからのベリッサの店の客足は順調に増えているようだった。出来れば挨拶をとも思ったが、ベリッサの邪魔をしては良くないと悠はその場を後にした。また帰りにでも顔を見せればいいだろう。


《相変わらず元気なお婆ちゃんだこと》


「先王も亡くなり、領主夫人のミレニアとも昵懇じっこんなら誰もベリッサに手は出せんよ。多分ここで采配を振るっているのもミレニアが頼んだのだろうな」


《自分から率先して上に立ちたがるお婆ちゃんじゃないし、そうでしょうね》


そのままフェルゼニアス邸を訪れた悠は待たされる事も無くミレニアの下へと通された。


「ユウさん、アルト達を送って下さってありがとう御座いました。お陰で少し余裕が出来ましたわ」


ユーリとレイリアを膝に乗せ、ソファーに座るミレニアが礼と共に微笑んだ。ユーリは大人しく母親の膝で微睡んでいるが、レイリアは普段見掛けない人物に興味があるのか、小さな手を盛んに悠に向かって伸ばしていた。


「あらあら、レイリアはユウさんが気になるの?」


「あぅ~!」


そうだと言いたげにレイリアが喃語で答えると、ミレニアは悠を近くに呼び寄せた。


「ユウさん、ちょっと抱っこしてあげてくれませんか?」


「俺がか?」


「ええ、この子もそうして欲しいみたいですし」


悠が近付くと益々レイリアは動きを激しくし、ミレニアの言葉を肯定しているようであった。ミレニアが笑顔で頷くと、悠は哲学的難問を目の当たりにした学徒のような表情で細心の注意を払ってレイリアを抱き上げ、自分の胸に抱いた。


「あぅ、あぅ!」


満面の笑みで悠の胸元に納まったレイリアが手を伸ばして悠の頬をペチペチと叩き、悠は無表情でそれを受け入れていた。ご機嫌な赤子と無表情な厳つい冒険者という組み合わせは非常にシュールだが、ミレニアは微笑ましそうにそれを眺めた。


「レイリア、ユウさんよ。ユ・ウ。分かるかしら?」


「う……? う、う?」


レイリアが回らない口で悠の名を呼ぶと、ミレニアが驚いて口に手を当てた。


「まあ! この子、ユウさんの事が分かるみたい!」


「うう! うう!!」


きゃっきゃっと笑い、おそらくは悠の名前を連呼するレイリアを前にし――




悠の口元がほんの少しだけ、弧を描いた。




「……赤子とは美しいものだな。俗世の穢れも巷間の毒もその無垢なる魂を汚してはおらん。人が人として最も美しく生きられる束の間の聖なる時であろうよ。……赤子は無力だと浅学の輩は言うが、何が無力な事か。この子達を見ていると、その未来を守ってやりたいと力が沸いてくるよ」


それは悠の真情の吐露であっただろう。刹那の間で笑みは淡雪よりも早く消え去っていたが、身に纏う雰囲気だけはそのままに、気配が大きくなったようにミレニアには感じられた。


「ふふ……そのお顔を他の方にもお見せになれば、ユウさんならば相手には困らないでしょうに」


「俺は意識して笑えんのだ。人に言われるまでも無く、多分人間として大きな欠落があるのだろう。……いや、詮無い事を言ったな、忘れてくれ」


愚痴にもなりそうな言葉を悠は途中で切り上げた。喜怒哀楽に振り回されるのは軍人として不適格と断じた悠は徹底的にその御し方を修めたが、同時に容易にそれらを表す事も出来なくなった。そこに長い鍛練の時が積み重なり、悠の感情を降り積もる雪のように覆い隠してしまったのだった。


レイリアをあやす悠の姿は静謐で俗世から切り離され、赤子であるレイリアとは別の意味で神性を帯びているようであった。


だが、違うのだ。


(たとえどの様に見えてもこの方も人間なのです。人としての幸せを求めてならぬ道理はありません。けれど、それを私が言ってもユウさんを困らせるだけでしょうね……)


人は神のようにはなれない。一切煩悩を断ち、無垢で穢れ無きままには生きられないのだ。


そっと揺さぶられ徐々に夢の世界へと導かれるレイリアの安らかな寝顔は全ての艱難辛苦とは無縁で、それを全く表に出さない悠と一対の存在であるかのように思えたミレニアは同じく安らかな寝顔を浮かべるユーリを抱きしめたまま願わずにはいられなかった。


どうかこの方に人としての幸せが訪れますように、と……。

最近出番の薄かったミレニア、ベリッサ、双子ちゃんの近況回でした。レイリアは悠がお気に入りみたいですね。ローラン嫉妬フラグが不可避(笑)

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