9-82 復興3
《お帰りないませ》
「ああ、ただいま葵」
悠を感知した葵によって即座に結界が解かれ、庭で鍛練をしていたシュルツが頭を下げた。
「師よ、お疲れ様でした」
「精が出るなシュルツ」
「拙者にはこれ以外に取り柄は御座いませんので」
悠とシュルツの会話に冗談が入り込む余地は無い。バローが聞けば堅苦しさに顔を顰めただろうが、どちらもそれを苦にするタイプの人間では無かった。
「済まんがすぐにギルド本部に行かねばならん。フェルゼンに行った者以外は全員揃っているか?」
「はい。地震の直後にコロッサスが発ちましたが……」
剣の打ち直しに来ていたコロッサスだったが、地震の後に即座にミーノスに引き上げたようだ。大災害で混乱している時にギルド長が離席している訳にはいかないのだろう。
「そうか……送ってやれば良かったな」
「コロッサスならもう到着しているでしょう。師がお気になさらなくても宜しいかと」
コロッサスも人間では最上位に入る身体能力の持ち主であり、普通なら半日以上は掛かる王都への道のりも数時間で行き来出来るはずなので悠も頷いて話題を切り替えた。
「シュルツ、俺は今から各国を回らなければならん。ここを倉庫に使うから収納すると伝えておいてくれ」
「畏まりました。雑事は何なりとお申し付け下さい」
「うむ。それと、屋敷の者達に怪我は無いか?」
「ここの住人は師の薫陶が行き届いていますので怪我をした者は居りません。髭が少々濡れただけです」
「ならば問題ないな。伝言は頼んだぞ」
言い置くと、悠は屋敷を仕舞ってギルド本部へ急いだ。ここからならば片道4日は掛かる道のりも、悠が飛翔すれば数十分の距離である。
「大体においてミーノスと同程度か」
街に入った悠は忙しなく行き交う人々が瓦礫の撤去作業に追われている様を見て呟いた。特に古い家屋は倒壊を免れなかったようだが、街並みが失われるほどの破壊が見受けられなかったのは幸いであろう。冒険者の姿が多いのはちょうど戦争から帰った者達が含まれているからに違いない。
ギルド本部より先に悠は懇意の商人であるダイクの店を訪れた。物資が細る前に手に入れようという算段だが、訪れた悠にダイクはその場で平伏して必死に許しを乞い始めた。
「誠に、誠に申し訳御座いません!!! 今この街の商人には販売制限が掛けられておりまして……大恩あるユウ様であってもご希望の量は商えないのです!! 忘恩の輩と謗られましょうが、私もこの街の商人の端くれ、どうか!! どうかお許し下さい!!!」
「や、止めて下さいダイク様!!」
「離せ、離してくれ!!」
ガスガスと額を叩き付けるダイクに慌てて店員達が止めに入るが、ダイクはよほど心苦しいらしく、目に涙すら浮かべて悠に謝罪し続けた。もしアルトがこの場に居たら、慚愧の念に耐えかねて自害していても不思議では無い有り様だ。
悠は膝を付き、ゆっくりと首を振ってダイクを引き起こした。
「ダイク、この街に住む商人がこの街の法に従うのは当然の事だ、気に病む事は無い」
「ゆ、ユウ様……ですが……!」
これは当然予想しておくべき事態であった。それぞれの国が優先すべきはまず自国であり、豊富な資金に物を言わせてミーノスが買い漁ればたちまち価格は高騰し、一般市民には手に入れる事が出来なくなるのだ。価格と商品を維持する為にオルネッタが手を打ったのなら恩義を盾に規定量以上の商品を買い漁る事はむしろ害悪である。
だから悠は別の方向からダイクに提案した。
「また後で受け取りに来るから商えるだけの商品を用意しておいてくれ。それと、代わりに商人の情報網を見込んで何か食糧の当てがあったらその情報をくれんか?」
「食糧の当て、で御座いますか? それはどの様な……?」
「ああ、食用植物の群生地や魔物も含めた動物の肉などが手に入る場所に心当たりがあれば教えて欲しい。地図を渡すから書き込んでおいて貰っていいか?」
「御安い御用で御座います!!!」
王から書状を承るように悠から書類を受け取ったダイクは使命感に燃える目で店員達に指示を飛ばし始めた。ここは汚名返上と意気込むダイクに任せておけば大丈夫だろう。
続けて向かったギルド本部内はパーティー単位で街の各所に振り分けられている最中であった。
「歓楽街は男女混合のパーティーを向かわせろ!!」
「商業区は荷物が多い、男手を優先してくれ!!」
「あ、あの、俺はどうすれば……」
「オロオロしてんじゃねぇぞ新人!! おら、一緒に付いて来い!!」
新人もベテランも無く殺気立った雰囲気の冒険者達が次々と外に駆け出して行き、悠に気付いた者は頭を下げてそれに従った。今は緊急時であり、ゆっくり挨拶をしている場合では無いのだろう。
オルネッタの殺人的な忙しさは容易に想像が付いたが、悠も子供の使いでここに来た訳では無いので、冒険者の振り分けに追われる職員に取り次ぎを頼まず直接執務室のドアをノックした。
「悠だ、多忙な所を失礼する」
「ユウ!? ちょうど良かったわ、中に入って!!」
オルネッタの声に従い執務室に入ると、そこには当のオルネッタの他に書類に振り回されるリレイズと所在なさげなアルベルト一家に加え、その護衛の冒険者達の姿があり、悠の姿を認めた冒険者達は一名を除いて一斉に頭を下げた。
「ユウ様、お疲れ様です!!」
「わあ! こんな所で教官に会えるなんて、やっぱり運命だわ!!」
「……ルミナ、ギルド本部をこんな所呼ばわりするのはやめろ」
「……へん、どこにでも居やがる野郎だぜ」
「こらジオ、教官に失礼な口を叩くな」
「全く……いつまでも駆け出しの冒険者みたいにバタバタしないの!」
「そうか、お前達が護衛だったのだな。ご苦労だった」
姦しい冒険者のパーティーはギャランやジオが所属する『開拓者』の面々であった。コロッサスは実力と信頼を置ける冒険者として彼らをアルベルト一家の護衛に付けたようだ。
「悪いけど雑談は後にして貰うわ。ユウ、事情は知っているのよね?」
「ああ、ミーノスの宰相閣下から書状を預かっている」
「見せて」
悠の取り出した書状を受け取ったオルネッタがそれを確認している間に、悠はアルベルトに向き直った。
「『隼眼』アルベルト殿と『千里眼』イライザ殿のご一家とお見受けするが?」
「いかにも。君が件のユウか?」
「ああ、俺が冒険者の悠だ。高名な先達に会えて光栄に思う」
「現役のⅨ(ナインス)にそう言われると面映ゆいな」
悠が見た目よりも砕けたやり取りを好むと感じたアルベルトが手を差し出すと、悠もその手を掴んだ。一瞬、親愛の情を表すというには強過ぎる力が込められたが、平然と握り返した悠にアルベルトが一筋の汗と共に苦笑する。
「参ったな……噂とは尾鰭が付くものだが、どうやら君に限っては噂の方が大人しいようだ。試して済まなかった」
「どのような噂かは知らんが、未だ腕は錆び付いておらんのはこちらも理解した。新しいギルドゆえ、腕っ節が物を言う事もあろう、宜しく頼む」
アルベルトも一流の元冒険者であり、すぐに悠がただ者では無いと読み取った。……より正確に言えば、「自分には判断が付かないほどの力量の持ち主」だと分かっただけだったが。
「自己紹介が終わったならこっちの話を優先させて貰うわよ。……でもユウ、あなた確か別件に従事していたはずだけど」
「もう終わった」
小首を傾げるオルネッタに、悠は懐から色とりどりの鱗を取り出して示した。プラムドに言った手付けとは、この鱗の事である。
「龍王とその側近達の鱗だ。これでドラゴンが暴走する事は――」
「ちょ!?」
一目で本物と断じたオルネッタは机を乗り越え、右手で悠の口を、左手で鱗を隠し、軋むような動きでチラリと背後を窺った。
「「「…………」」」
絶句と痛いほどの沈黙が室内を席巻し、オルネッタは虚ろな目をして天を仰ぎ、平坦な声で告げた。
「……ギルド統括オルネッタの名において命じます。今この場で聞いた事は他言無用、時が来るまで漏らしてはなりません。いいですね?」
「あ、あの、今龍王がどうとか……」
「い・い・で・す・ね!?」
「は、はいっ!!」
おずおずと質問を口にしたギャランがオルネッタの迫力に後ずさって何度も頷いた。
「ユウ、それを世間に広めるのはまだ早いわ。しばらくの間は黙っていて」
「済まん、急いでいるようだから実物を見せた方が早いと思ってな」
「私だけの時にしてよね……ちょっと借りるわよ」
オルネッタは悠から受け取った鱗を窓から透かしてみたり、折り曲げるように力を込めたりして品定めし、やがて溜息と共に鱗を悠に返した。
「凄い純度……特にそのブラックドラゴンの鱗は見た事も無い上物よ。これでも目利きは磨いて来たつもりだけど、到底値段はつけられないわね」
「別に売らんから値段が幾らだろうと構わんよ。それより、雑談に興じている時間は無いのだろう?」
「っと、そうだった。新型の『冒険鞄』を借りられるだけ借りたいという話だったけど……」
「難しいのか?」
オルネッタは言い難そうに首を振った。
「鞄だけなら別に貸してもいいの。でも、他の国に行き渡らせる事が出来るほどこの街は物資に溢れている訳じゃないわ。ミーノスの大商人達に金に糸目を付けずに商品を買い漁られちゃ他の場所で飢える事になっても困るのよ。一応、こちらで分けられる物資は用意したけど、絶対的に足りないわ」
「いや、無理に頼んで関係が拗れるような真似をするつもりは無い。それに、先にこの街の商人の所で事情は聞いている、中身については自分で調達するので鞄だけ貸してくれ」
「それでいいの?」
「この所、色々な場所を飛び回って食糧を掻き集める事が多かったからな。無いなら自力で集めるしかあるまいよ」
だからこそ悠はダイクに商品よりも情報を求めたのだ。ミーノス以北の地域はようやく種を蒔く季節であり、農作物が実るまでは別の場所から調達する必要があった。
「だったらすぐに鞄は用意させるわ。もし余剰があったらこちらにも回してくれると助かるのだけれど……」
「確約は出来んが努力しよう」
その言葉を聞いて、ようやくオルネッタは笑顔を見せたのだった。
もう少し季節が進んでいれば楽だったのですが、こればっかりはしょうがありませんね。




