9-74 龍巣突入4
ドラゴンズクレイドルのドラゴン達は、この時初めてドラゴンの到達点を目の当たりにした。
ルドルベキアのくすんだ赤とは違う、一点の曇りも無い透き通るような真紅。広間を席巻していたアポクリファの竜気を払拭し上書きする膨大は竜気。気高さと力感を等分に備えた形状。
「そ……んな……」
最もアポクリファに忠義厚いストロンフェスですらその威に打たれて呆然と呟きを漏らした。アポクリファを守るために戦わなければと頭が命令を発しても、本能がそれを許さない。手を出せばその瞬間に死ぬとドラゴンの勘が告げていた。
「……あり得ん……」
ぎし、と歯軋りを立て、アポクリファが殺意をその目に充填する。今、アポクリファを支えているのは純粋な怒りだった。
「父たるアポカリプスこそ最強のドラゴンのはずだ!!! それが、人間に殺られただと!? 嘘を……嘘を吐くな!!!」
「残念ながら何もかも消滅させたから証拠など何も無いがな。別に信じて貰わなくても俺は構わんよ。懺悔する事などありはせん。そして……」
悠の姿が霞み、次の瞬間にはアポクリファの懐に現れていた。
「嘘がどうかは貴様の体で確かめろ」
極大の悪寒を感じたアポクリファが防御姿勢を取る前に、悠の拳がアポクリファの腹部で爆発した。メキメキと漆黒の鱗を砕き、それでも減殺されない運動エネルギーにアポクリファの足が浮き上がり、殴り抜ける動きに合わせて宙を横に滑っていった。
「ごおっ!?」
「龍王様!!」
10メートルを超える巨体が唸りを上げて舞い、壁にその身をめり込ませながら激突した。ようやく我を取り戻したストロンフェスが悠とアポクリファの間に割り込んだが、悠は特に気にするでもなくアポクリファに言い捨てる。
「……アポカリプスの足下にも及ばんな。あいつは邪悪ではあったが戦いの最中に自失して不意を打たれる事など一度も無かったぞ」
「お、おのれぇ……!」
蔑まれたと感じたアポクリファが壁から体を引き抜いて悠を睨むが、その瞳の奥には微かな感情が浮かび始めていた。――それはおそらく、恐怖と言うべきものだ。
「ゴフッ!! ぐ……こ、こんな力を持ったドラゴンが、無名のはずが……お前は何者だ!?」
《私の名前はレイラだけど、名乗ったって分からないでしょう。あなたが故郷に居た頃の私はそんなに強く無かったしね。でも、過去なんて関係ないわ。私はユウと共に戦い、そして強くなったの。それこそ最強に届き得るくらいにね》
「ふざけるな!! ゴミと一緒に戦って強くなっただと!? 戯れ言は止めろ!!!」
《他人から貰ったお手軽アイテムで強くなったあなたには一生理解出来ないわ。父親にコンプレックスがあるみたいだけど、あなた程度の力でアポカリプスを超えただなんて思わない事ね》
レイラの言葉はアポクリファが最も強く意識し、それ故に隠していた部分を抉り出した。
そもそもアポクリファが世界を飛び出しアーヴェルカインへやってきたのは、いつかアポカリプスを凌駕する力を手に入れる為だ。常に比較され、蔑みと落胆の目で自分を見る周囲と父親という環境に耐えかねたアポクリファは新天地を求めたのである。
同調したドラゴン達と新天地を見つける行程は困難を極めたが、放浪の果てにアポクリファは新天地を発見し根を下ろした。子を成し、一族を形成し、一緒にやってきた第一世代のドラゴン達が滅んでもアポクリファにはアポカリプスを超えたという確信は得られなかった。
しかし、『龍角』を手に入れた事で遂にその壁を乗り越えたとアポクリファは歓喜した。もはや最強の代名詞は自分の物だという事に疑いは無かった。
この世界征服計画は単に配下の力を確認する為の作業だ。全ての種族を制し、配下のドラゴンを増やし鍛え、遠くない未来に故郷に凱旋する。それこそがアポクリファの真の計画であった。
だが、乗り越えた壁の先には遥かに分厚く、頂上の見えない新たな壁が存在していたのだ。
「認めん……」
地獄の底から轟くような妄執がアポクリファの口から吐き出された。ダメージを無視して悠に相対する瞳の奥の恐怖が怒りと覇気に塗り潰されていく。
「俺が、俺こそが最強のドラゴンなのだ!!! 貴様が最強を僭称するなら、貴様を倒してしまえばその称号は俺の物になる!!!」
《……ああ、そういう結論に行き着いたのね》
「最強を僭称した事は無いが、貴様に相応しい称号では無い事は確かだ。幻想を抱いたまま逝け」
「黙れええええええッッッ!!!」
怒号と共にアポクリファの3本の『龍角』が強烈に発光する。それに伴い、アポクリファの四肢に力が満ちた。
「……レイラ、『龍角』を解析出来るか?」
《……》
アポクリファから目を離さずに問う悠にレイラは一瞬躊躇ったが、哀切を込めて答えた。
《解析は得意じゃないけど、あれが何なのかは理解したわ。……馬鹿なドラゴン達……あれは手軽に強くなれる道具なんかじゃない。――ただの自殺道具よ》
《自殺道具?》
予想外の答えに怒りを忘れたスフィーロが問い返す。
《そうよ。あれは、持っている者の魂を吸い取って老化を促す道具なのよ! 時を操る私だからこそ分かる、ドラゴン達が強くなったのは別に『龍角』を持っているからじゃない。……魂を生贄に、体を急速に老化させているから強くなったのよ!》
レイラの声が届いた周囲のドラゴン達がギョッとして顔を見合わせた。確かに体は成長したが、全員それを『龍角』で強くなったからだと思っていたのだ。
ドラゴンは長く生きればその分だけ強くなりつづける。ならば、簡単に強くなるにはどうすればいいのか。その答えがこれだ。
《ドラゴンは物質体、精神体、星幽体を操れるけど、最も難度の高い星幽体を完全に制御するにはそれだけ強くならなくてはいけないわ。それには長い時間が掛かるし、そもそも精神体の制御すら覚束ないドラゴンがいくら竜気の出力が大きくなっても他人を傷付けるのに使うのが精々で、繊細な制御なんか出来る訳ないのよ。個体差はあるでしょうけど……何も分からないまま力だけを増大させ続けた今、果たしてどれだけ寿命が残っているかしらね……》
「な、なんだと!? くっ!!」
レイラの言葉に一抹の真実を嗅ぎ取ったドラゴンの一体が『龍角』を引き抜こうと手をかけたが、ドラゴンの膂力を持ってしてもビクともせず、痛みに顔を顰めた。
「ぬ、抜けん!?」
《それはそうでしょうよ。魂に干渉しているのだから、根を張っているのは肉体よりももっとずっと深い所よ。自分の魂をエサにされている事にも気付かないドラゴンに抜けるはず無いわ。あなた達はいつか手に入れられるかもしれなかった力を、何も考えずに安易な手段で手に入れた。それはその代償と思いなさい》
レイラの言葉は残酷にドラゴン達を打ちのめした。深い思慮も無く力を求めた彼らの未来は既に先細り、取り返しのつかない損失をもたらしていた。
「そ、そんな……龍王様!!」
「……」
どうやらレイラの言葉が真実であろうと感じたストロンフェスは顔色を無くしてアポクリファを伺った。自分はまだしも、アポクリファは『龍角』を3本も使用しているのだ。であれば、その命は……。
――だが。
「……それがどうした?」
「龍王、様?」
沈黙を保っていたアポクリファの呟きにストロンフェスが再度の返答を求めるが、アポクリファは悠だけを注視したまま独り言のように呟いた。
「魂が底を尽こうとそれが何だ? 弱いまま生きるくらいなら命を縮めようと力を求めるのがドラゴンだろうが!!! 最強の力が手に入るなら余命など知った事かよ!!!」
アポクリファの『龍角』が更に強い光を放ち、踏みしめた大地に亀裂が走る。よくよく見れば、その体躯の質量が増し、急速に成長しているようであった。
「龍王様!! お止め下さい!!!」
《あなた……『龍角』が魂を滋養にしている事を知ってたわね!?》
アポクリファの返答は邪悪な笑みと共に返ってきた。
「父を、アポカリプスを倒す時まで取っておくつもりだったが、貴様が最強だというのなら残りの命など全てくれてやる!!! だが……代わりに俺に最強を寄越せ!!!」
ストロンフェスの制止を振り切り、アポクリファはおそらく最期となる戦いに身を投じたのだった。
アポクリファは最も強く、長く生きたドラゴンなので『龍角』がどこから力をもたらしているのかを知っていました。それを誰にも言わないのは極悪ですが……。




