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9-68 臥竜覚醒16

「ふんふんふーん♪」


悠の背後から両手を回して海中を滑るように泳ぎながら、ファルキュラスは鼻歌が漏れるくらいにご機嫌だった。本当に久しぶりの遠出であり、しかもお気に入りの相手と一緒というのが大きいのだろう。豊満な肢体を悠の背中に押し付けながら、魚を追い越すほどの速度で海中のデートを存分に楽しんでいた。


《海中で戦ったら生身じゃファルには敵わないかもね》


「レイラはん、あんまり色気の無い事言わんといてぇな」


《ドラゴンと戦うというのに油断が過ぎるのではないか?》


弛緩した雰囲気のファルキュラスにスフィーロが苦言を呈するが、ファルキュラスは軽く笑ってみせた。


「陸で戦うんならまだしも、海で戦って海王が負けるかい。ドラゴンご自慢の吐息ブレスも海の中まで届かへんよ」


大空の覇者たるドラゴンにも苦手な戦場は存在する。その最たるものが水中であり、持ち味である機動力を殺されては普段通りの実力を発揮する事は叶わない。相当な高位のドラゴンであればそのハンデを克服出来るし水中戦が得意なドラゴンも居るには居るが、どちらもごく少数に留まるのでファルキュラスは問題とは見做していないようだった。


「それに、別に油断しとるワケやないで? ウチも手伝うって言うたからにはちゃんと本気を出すつもりや。……けど、30分が限度やと思うといて。それ以降は多分理性がトぶわ」


ファルキュラスが言うには、純粋な海王では無い彼女は母親ほどの制御力は無いそうだ。30分を超えると見境無く暴れ回る怪物と化してしまうのである。


「それだけあれば十分だ。あとはこちらで何とかしよう」


「それと……本気出しとるウチの姿は見んといて。あんまり可愛ないねん」


「了解だ」


ファルキュラスにもちゃんと乙女心は存在するらしく、茶化して言っている割には真剣な口調だったので悠も余計な事は言わずに了承した。その手の感想を言ってレイラに叱られる事数知れず、悠も悠なりに学んでいるのである。


ファルキュラスの泳力ならば対岸まではあっという間で、悠は海水に浸かったまま岩場に手を付いた。


「ほな、ウチはもっと向こう側で暴れるわ。羽トカゲ共を引きつけたら後は頼んだで」


「ああ、くれぐれも気を付けてな」


「……なんや、アレやな……他人に心配して貰うって、ちょいテレるわ、アハハ」


単独の強種として生まれたファルキュラスを心配してくれる者など、これまでに母親以外には存在しなかったせいか、ストレートな言葉に戸惑いを覚え、青い血を顔に上らせて頭を掻いた。


「……んーっ、よっしゃ、気合い入ったで!!」


しかし、それは決して悪い気分では無く、浮き立つ心を引き締めるようにファルキュラスが自分で頬を叩いた。


「じゃ、またな!!」


パチリと音が鳴るような大きなウィンクを悠に送り、ファルキュラスは凄まじい勢いで陽動地点へと泳ぎ去っていった。


《慕われているな》


《駄目よ。三代目海王はちゃんとこの世界の誰かと作るべきなんだから!》


「そういきり立つな、俺にその気は無いと知っているだろう?」


《それはそうだけど……》


肉体を持たないレイラの内心までは悠にも見通せず、レイラは強引に話題を切り替えた。


《とにかく待ちましょう。もう後戻りは出来ないんだから》


《手筈通り内部の案内は我が受け持とう。最短距離で行くぞ》


2人の言葉に頷き、上陸を前に悠は再び事態が動くのを待つのだった。




「この辺やな……」


数分で目的地に達したファルキュラスは島の入江になっている場所からドラゴンズクレイドルを見上げた。


「ふん、デカい家に住みよって。寛大なおかんが見逃したのを勘違いして幅を利かせよう言うんならウチは容赦せんで」


ファルキュラスは戦うのが嫌いではない……というより好戦的とすら言える性格の持ち主である。だが、弱い者イジメをして鬱憤を晴らすような暴力嗜好を持っている訳では無く、手応えのある相手と戦う事に高揚を覚えるのだ。


ファルキュラスの基準で判断するなら、今のドラゴンは弱い者イジメをして悦に入っているだけだ。よりによって人型種族で最も弱いとされる人族を数と力に任せて平らげようなどとは言語道断であり、ドラゴンが他種族を受け入れる寛容さを持たない故に誰もこの島を訪れなくなってしまったのである。ファルキュラスはあらゆる面でドラゴンを好きになれなかった。


その人間評とドラゴン評に変化が起きたのはつい最近の事だ。


(……ま、人間にもユウやんみたいな規格外も居るし、レイラはんやスフィーロはんは話せば分かる相手やったから一概には言えんか)


正面から戦って叩き伏せられたのは母以来だったとファルキュラスは含み笑いを漏らした。世界は広いとよく言うが、まさか本気ではなかったとはいえ管理者を叩き伏せる事が出来る人間が居るとはファルキュラスの想像の外であった。


「どれ……ここに居るドラゴンはせめてレイラはんの半分の実力くらいはあるんやろうかなぁ?」


ファルキュラスは既に風化しかかった記憶の奥から封印解除の印を手で結び、海気マリーンを爆発的に高めていく。腰から下を海に浸かったまま、ファルキュラスを中心にまず波紋が起こり、それはほどなく波へと成長していった。


「ふぅぅぅぅ……」


メキ、と軋む音が体の各部から鳴り始め、ファルキュラスの体は膨張し、足が解れて無数の触手へと変化した。頭部を覆っていた触手も長く太くなり、一気に足元に届くくらいにまで成長していく。


その身長は3メートルを超え、あっという間に4、5、6、メートルと伸びていき、それでもファルキュラスの変貌は止まらない。眼球が黒く単色に染まり、背中から背鰭が生え、皮膚が蟹の甲羅状の外骨格に覆われその身を強固な物へと変えていった。


「グルル……!」


ファルキュラスの口から獣声が漏れ、無数の触手が蠢く様は海の生態系の頂点に立つ捕食者プレデターを連想させた。


「ふぅ……やっぱり可愛いないな、こんな姿、ユウやんには見られたないわ」


触手の長さも含めれば全長20メートル以上の怪物となったファルキュラスが自嘲気味に呟いた。久々の現身だが、確かに異性の好意を呼び起こすとは言い難い姿である。異種族の壁を乗り越えて添い遂げた父親には敬意すら湧いてこようというものだ。


「でも、気分は悪ないわ。今なら何でもブッ飛ばせそうや……」


ファルキュラスの呟きに呼応し、揺らめく触手の一本一本がドラゴンズクレイドルに照準され固定されていった。


そう、照準である。戦艦から生える砲身が敵に向けられるのと同義である事を示すようにその先端に青い光が灯るが、ふとファルキュラスは思い直し、集まった力で周囲の海水に干渉した。


「やっぱり最初はドカンと一発カマしたらんとな!」


ファルキュラスの意志に従い海水が音を立てて舞い上がり、すぐに巨大な水の球を形成した。数十トンにもなろうかという水球をファルキュラスはその形を維持したまま遙か上空に打ち上げる。


ドラゴンズクレイドルの頂を超え、雲の高度に達し、更に舞い上がった水球は強烈な冷気によって塩分が析出されて一気に凍結を開始、水球が氷球へと生まれ変わる。


「んふ、こんなん見た事無いやろ? 挨拶代わりの『海王氷雹礫ネプチューンハンマー』、食らっときや!!」


ファルキュラスの拳が握られ、親指だけを突き出し、それが真下へ向けられると上空に固定されていた氷球が落下に転じる。


加速、加速、加速。数十トンの氷球は音速を超える速度を得て、一直線にドラゴンズクレイドルの頂を目指し……




ドゴォォォォォンッ!!!!!




ドラゴンズクレイドルの山頂を吹き飛ばし、山全体を鳴動させながら『海王氷雹礫』はドラゴンズクレイドルに着弾した。

本気の戦闘形態になったファルキュラス。モデルになったスキュラの原形に近い姿です。

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