9-67 臥竜覚醒15
翌朝、まだ周囲が暗い内から悠は島の端でドラゴンズクレイドルを監視していた。
「ここから見えるの、ユウ?」
「問題無い」
プリムがいくら目を凝らしても100メートル先すら見えないが、悠が見えるというのなら見えるのだろう。
《実際、それだけのドラゴンが同時に動けば過剰に竜気が放出されるからね。目を閉じていても分かるわ》
《空前の侵攻規模だからな。たまにちょっかいを掛けてくる魔族との小競り合いとは訳が違うという事だ》
音や姿は隠せても、竜気を隠すには特殊な能力が必要だ。それは滅多に存在しない隠蔽能力であり、1体や2体が竜気を隠せたからといって意味を成すものでは無いのだ。
やがて白々と夜が明け始め、海が太陽の光を反射して煌めき出した。波は穏やかで風も温く、春らしい陽気と言えたが、世界の殆どの者達は今日種族の存続を掛けた戦争があるとは認識してはいないだろう。それほどその日は何の変哲も無い麗らかな春の一日であった。
だが、その時は刻一刻と迫っていた。
「皆の者、準備はいいな?」
「おう、万全だぜ!」
「同じく」
ドラゴンズクレイドルの外に集まったドラゴン達を見回しながら尋ねるプラムドに近くに控えるスピリオ、クインクエットが同意し、その輪は全体に広がって行った。中には気に食わなそうにそっぽを向いている者も居るが、全体からすれば少数に留まるものだ。
むしろプラムドの不安はその輪から外れた場所でこちらを見下した視線を向けているヘリオン達の一団にあった。
数はほぼ同数だが、やはり質ではヘリオン達がかなり上であり、その半数ほどは凶悪で知られる者達で構成されていた。戦えばまず勝てないだろう。
(それでも我々が時間を稼がねば……ユウ殿、レイラ様、スフィーロ殿……ウィスティリア様とドラゴンズクレイドルの事はお任せしましたぞ!)
弱気は一切顔に出さず、出発間近となった時点でプラムドはスピリオとクインクエットに密かに耳打ちした。
「前を向いたまま聞け。……私が行動を起こしたらスピリオとクインクエットは何も言わずにそれに追従してくれ。それがドラゴンの命運を決する事になる」
「どういうこった?」
「……なるほど、それがあなたの秘めたるものなのね?」
「ああ、詳しくは言えん。監視の目があるからな」
プラムドの最低限の指示にスピリオは内容が気になったようだが、クインクエットが小さく頷いたのでそれ以上問う事は無かった。
「いいぜ、いっそ華々しくやってやろうや。なぁクインクエット?」
「そうね、死力を尽くしましょう」
固有名詞を省いての会話だったが、プラムドの決死の表情からスピリオとクインクエットは相手が人間などでは無い事を悟っていた。ドラゴンの群が人間相手に死力を尽くして戦うなど有り得ぬ事だ。
時刻が午前6時となるのを察したプラムドが己の怯懦を振り払う様に高らかに咆哮する。
「皆の者、出陣だ!!! 目標は人族の王都の一つミーノス!!!」
「「「オオオオオオオオオオオーーーッ!!!」」」
ドラゴンの咆哮が重なり、朝の静けさを打ち払う。翼をはためかせプラムドが舞うと、他のドラゴン達も羽ばたき、周囲に突風が渦巻いた。
この咆哮は届いただろうか? いや、必ずや届いたはずだ。
一度だけ遥か遠くに見える小島に目をやり、プラムド達はミーノスに向けて進軍を開始した。
「……始まったな」
《ええ、わざわざ合図をくれるなんてプラムドも心配性ね》
《さて、ファルキュラスに伝えるか。その後に我らも出発しよう》
「腕が鳴るわね!!」
腕をグルグルと回して闘志を見せるプリムだったが、そこで悠は首を振った。
「プリム、君はここに残れ」
「……え? や……ヤダヤダヤダヤダヤダーーーっ!!!」
信じられないと驚愕に目を見開いたプリムだったが、悠がこんな時に冗談を言う訳は無いと瞬時に悟り、服にしがみ付いて喚き出した。
《プリム、聞き分けて。私達は今から殺し合いに行くの。一緒にはいられないのよ》
「そんな、そんなのって酷いよ!!! わたしだって戦えるんだから!!!」
《無理だ。水精族ではドラゴン相手に何も出来ん。たとえ神鋼鉄を身に纏っていてもそれは変わらぬ》
「大丈夫だもん!!! 海王様もユウを手伝ってやれって言ったもん!!!」
泣きじゃくるプリムをどう説得したものかとレイラやスフィーロは頭を悩ませたが、悠は頑として聞き入れなかった。
「ファルもお前が命を投げ出す事を望んでいる訳では無い。……はっきり言おう、プリム、お前が居ると俺は本気で戦えん。足手纏いになるから付いて来るな」
悠の拒絶の言葉にプリムの体がビクリと強張った。いつも無表情で一見恐ろしげな悠だが、普段の悠とは全く違う口調の冷たさであり、態度であった。
「ゆ、ユウ……」
「さらばだ」
プリムの手から力が抜け、悠の服から手が離れた。瞳一杯に涙を湛え、無言で悠を見つめるプリムだったが、悠はそんなプリムに短い別れの挨拶以外は一声も無く背を向け歩み去っていく。
《……済まんな、ユウ。嫌な役回りをさせてしまった。我もどうやらプリムに情が移ったらしい》
《私もよ。本当はもっと前から言っておかなきゃならなかったのに……》
「謝る事は無い、俺の本心だ。……嫌われても生きているならそれで良かろうよ」
スフィーロとレイラは結論を先延ばしにした事を深く後悔していた。プリムの性格なら付いて来ると言う事は当然予測出来たはずであり、こういう別れ方をする前に伝えるべきだったのだ。そのツケが今回って来たというだけの事であった。
しかし、それは何も2人だけに当てはまる訳では無いと悠は思った。自分もプリムの助力で散々助けられたのだ、これ以上プリムを危険な目に遭わせる事は出来ないし、その悲しみは自分で受け止めるべきなのだ。
悠は強い。それは単なる戦闘能力という範囲に留まらず、その心もだ。
一瞬瞳に浮かんだ寂寥は瞬きをする間に完全に包み隠されてしまった。
――だが、それは決して消えた訳では無いのだ。
プリムと別れた悠はファルキュラスにドラゴン達が侵攻を開始したと伝えた。
「お、始まったかい。んじゃウチもちょっくら行ってくるか……って、プリムはどないしたんや?」
「危険だから置いて来た。ドラゴンとの戦いの場には連れては行けんからな」
「そか……まぁ、そうやな」
プリムの性格を知るファルキュラスはおそらく押し問答があったのだろうと察したが深くは追求しなかった。どの道連れて行けないと分かっていたのだ。
「堪忍やで、ウチが線引きしとくべきやったな」
「いや、お陰で色々助かった」
「そう思うんやったら事が済んだら仲直りしてな。大丈夫や、プリムは過ぎた事をグチグチ言うような子やないさかい」
「ああ、そうさせて貰う」
その時は恵にとびきり美味い菓子を作って貰おうと悠は心に決めた。諦めさせる為とはいえ、傷付けてしまった詫びになるならば何でも叶えてやりたいと心の底から思っていた。
「ユウやん、向こう岸まで送ったるわ。本番前に余計な体力は使わん方がええやろ」
「それは助かるな。ならば便乗させて貰おうか」
「はいな。ふふん、一緒に攻城戦なんてワクワクするわぁ」
実際楽しそうなファルキュラスはクルリと踵を返して悠を自室に誘った。
「こっちから行くで。ウチの部屋から海底に出られるんや。ちゃんと魔法で保護するから水圧や空気の心配も要らんよって」
《流石は海王ね》
「このくらいは出来て当然や。ま、ゆっくり行こか」
そう得意げに語るファルキュラスと共に悠はドラゴンズクレイドルへと出発したのだった。
「……ユウのバカ……」
小さな妖精の呟きは微風より尚か細くて、誰の耳にも届く事は無かった。
ちょっと後味の悪い別れ方になってしまいましたね。




