9-62 臥竜覚醒10
プリムにとって一番困難なのはこの海岸からドラゴンズクレイドル間の移動である。昨日帰ってくるのが遅くなったのはここで時間を食ったからであった。
しかし、今日のプリムは一味違うのだ。装備類も充実し、地理も頭に入っている。
気合いも十分に、プリムはプラムドの下へと足を踏み出したのだった。
一方その頃、プラムドはヘリオンと共に会談に使われる広間へと向かっていた。
「フフ……一応話は通してありますが、言動には気を付ける事です。何しろ私以外の方々は気が短いのでねぇ」
「心得ている」
ヘリオンの気が長いとは初耳だとプラムドは皮肉に思ったが、口に出さない分別は持っていたので短く答えた。だからと言って弱気になれば蔑まれるのがドラゴンなので、匙加減が難しいのだが。
プラムドは参加する他のドラゴン達を脳裏に思い浮かべた。
(龍王は勿論だが、ルドルベキアも危険だな。強さがドラゴンの至上価値とはいえ、奴は残酷に過ぎる。ストロンフェスは自分と龍王以外に興味はあるまいが……忠実な配下とは言えん私を快くは思っておらんだろう。ヘリオンは言わずもがな、実戦に臨むつもりで気を引き締めてかからねば……)
全員自分より強い力を持つドラゴンであり、もしかしたら再びこの道を生きて戻る事は無いかもしれないと思うとプラムドは気が重くなったが、だからと言って逃げる訳にもいかない立場なのが辛い所だ。
先導するヘリオンはそんなプラムドの内心など透けているとばかりに上機嫌で嫌味を垂れ流し、嗜虐思考を満足させているようだった。
「それなりに力があるというのに弱いフリをして責任逃れをしているから今更苦労する羽目になるんですよ。スフィーロが居なくなった後にすぐプラムドが仕切っていればもっとスムーズにドラゴン全体が纏まれたものを……。無謀なお嬢様に自分の事しか考えていない裏切り者のサイサリス、口だけで話にならない有象無象の雑魚の若僧達……全く、馬鹿ばかりで苦労が絶えません。これでも一応プラムドには期待しているのですから、早く龍王様の信用を得るべく鋭意努力して下さいよ?」
そうなれば自分が楽になると嘯くヘリオンを見ているといっそ敵対してやろうかと思わなくも無いが、ヘリオンがプラムドにとっては唯一の上層部との繋がりであり、細いからといって断ち切る事は出来ないのだった。
それに、口の軽いヘリオンは重要な情報源である。嫌味は癇に障るが、今は甘んじて享受せねばなるまい。
「さて、ここからは軽口は慎みなさい。我らは龍王様の下知に従うのみです」
「了解した」
ずっと軽口を叩いているのはお前だとは言わずプラムドは必要最小限で短く答えたが、そうで無くてもプラムドの口を凍らせる空気が周囲に漂い始めていた。
(くっ……相変わらず恐ろしいまでの竜気!! いや、この威圧感は以前にも増して重く、底知れぬ不吉さを孕んで……!)
龍王の竜気はまるで周囲の全てを押し潰そうとする息苦しさに溢れており、プラムドは背中に目に見えぬ刃を突き付けられている気分にさせた。これでは低位のドラゴンは近付く事すら出来まい。人間ならば訳も分からぬ内に恐怖で発狂するだろう。
――だが。
(だからこそ分かる。同じく巨大な竜気でも、レイラ様の竜気はもっと温かで包み込むような安らぎを感じさせた……。あれこそが真に上に立つ者の風格だ)
思わず体が強張ったプラムドだが、何とか足を止めずに進む事が出来たのはレイラの力を間近に感じた経験が生きたからだ。レベルが違い過ぎてプラムドにはどちらが上かなど図る事は出来ないが、どちらが理想なのかは考えるまでも無い。
足を止めなかったプラムドにヘリオンが少し感心したような視線をチラリと向けたが、含み笑いだけで何も言わなかった。もし足を止めていればまた何か嫌味を言ったであろうと思えば、幾分か気の晴れる事だ。……ここから先に居る者達の事を考えると、あくまでただの気休めに過ぎないのだが……。
高位ドラゴンの竜気が入り乱れる中、プラムドは遂にその場に足を踏み入れたのだった。
「プラムドを連れて参りま――」
「遅ぇぞクソ共がッ!!!」
ヘリオンが慇懃な口調で言い終える前に、広間に怒号が轟く。この、粗野で乱暴な言葉遣いにプラムドは聞き覚えがあった。
「ハッハッハ……ルドルベキア、クソ「共」とは言ってくれますねぇ……遂に脳が煮えたかド低能?」
「相変わらず口ばかり達者だな、ヘリオン……テメェもこの前オレに意見したバカみてぇに手足引き千切ってやってもいいんだぜ……ああ!?」
入った直後からヘリオンとルドルベキアの間に濃密な殺気が交わされ、プラムドは天を仰ぎたい気分にさせられた。これはじゃれ合いなどでは無く、どちらも完全に本気だ。
救いがあったのはこの場に居たのがヘリオンとルドルベキアだけでは無かった事だろう。
「控えろ、龍王陛下の御前を騒がせるつもりなら、私がお前達を殺す」
口調は静かだが、殺気はヘリオンやルドルベキアよりも更に強く研ぎ澄まされている白いドラゴンこそ側近の最後の1体であるストロンフェスである。
赤い鱗を持つルドルベキアと白い鱗を持つストロンフェスに共通する事は、どちらも額に水晶のような透き通った角を備えている事だ。これはヘリオンが持っていた『龍角』を体に埋め込んだものだろう。サイズがより大きいのは効果を発揮しているからか。
三者の殺気で張り詰める空気を破ったのは、姿の見えないもう1体のドラゴンの声であった。
「――揃ったか……」
広間に響き渡る声はルドルベキアよりもずっと抑制が効いていて音量としては大きくは無かったはずだが、脳の芯にまで響いて来るようで、3体のドラゴンは殺気を霧散させた。
プラムドの見た所、龍王はこの広間の更に奥にある自分の居室から音を送っているらしい。それだけ離れていてこの場所まで強力な竜気を届かせるという一事だけでも龍王の底知れぬ実力が伝わって来るようだった。
「プラムド」
「は、ははっ!」
存在を殆ど無視されていたプラムドが龍王の声に畏まる。
「もう少し俺に従うのが遅かったら、今頃お前は生きてこの場に居られなかったぞ。いつまでも駄々を捏ねる不埒者を許しておくほど俺が甘いとは金輪際思わぬ事だ」
言葉の語尾に僅かに乗せられた殺気だけでプラムドは全身に震えが来るようであった。寛容な風を装っているが、3体のドラゴンの誰よりも暗く、深い殺気である。ほんの少し気紛れを起こすだけでプラムドなど消し飛ばしてしまいそうだ。
「……今後は忠勤にてお応えしましょう」
「フ、良かろう。俺の前で舌を凍らせぬだけでも大したものだ。なぁ、ルドルベキア?」
「……は」
ルドルベキアは忌々しそうにしながらも感情を抑制して返答した。だが、その隣で含み笑いを漏らすヘリオンには荒々しい殺気を隠す事も無く睨み付ける。ルドルベキアは過去に龍王の威圧で怯み、叩き伏せられた経験があるのだ。生かされているのはただの気紛れの結果でしか無かった。
だが、龍王はルドルベキアの内心などどうでもいいとばかりにプラムドに語り続けた。
「その度胸に敬意を払ってお前と配下のドラゴンに命じる。明朝ここを発ち、あのスフィーロを退けた人族の国、ミーノスとやらを平らげて来い。王都を急襲しそこに住まう人族を悉く殺し尽せ。貧弱な王の首など俺は要らんが、スフィーロやダイダラスを殺した奴らは首を持って来るのだ。『龍殺し』などと嘯く愚か者の末路を人族に知らしめてやらねばならん。……成功の暁にはウィスティリアを解放するのを一考してやってもいい」
「っ! ……り、了解しました。必ずやお気に召す成果をご覧に入れましょう」
ヘリオンに聞いて前々から準備していた台詞をプラムドは少し間を入れつつ口にした。
「良し。そして他の3体には――」
「少々お待ちを」
このまま他の3体にも下知がなされるのだろうと見守っていたプラムドが思わず声の方向に首を向けた。
「貴様、陛下のお言葉を遮るとは万死に値するぞ!!!」
「煩い雌ですねぇ……私は龍王様に話しているのです。引っ込んでいなさい」
声を発したのはヘリオンだった。龍王の言葉を遮ったヘリオンにストロンフェスは眦を吊り上げ、暴れる機会を遠ざけられたルドルベキアが今にも噛み付かんばかりにヘリオンを睨み付けた。
それでも当のヘリオンはお構いなしに龍王の言葉のみを待った。
「何だヘリオン、心配せずともお前達にも暴れる機会はちゃんとくれてやるぞ?」
「ハハハ、それは大変有り難い事ですが、少しだけそこに修正を加えて頂けないかと愚考致しまして」
「修正?」
訝しむ龍王の声に、何故かヘリオンはプラムドの方をチラリと流し見て、悪意のある笑みを浮かべた。その表情を見た瞬間、プラムドはヘリオンが何か良からぬ事を龍王に吹き込むつもりだと察したが、ヘリオンを遮る術をプラムドは持っていなかった。
「そこに居るプラムドですが、私はまだどうにも信用出来ないのですよ。急に態度を翻し協力的になったり、コソコソと動いていたり……そこで、まずプラムドとその配下だけを明朝出立させて貰えませんでしょうか? その働きを見てからでも信用するのは遅くないと思います。勿論、監視付きでね……」
プラムドの背筋に悪寒が走った。やはりヘリオンは少しは信用したのかと思っていたが、プラムドの事など信じてはいなかったのだ。最初からプラムドを引く事の出来ぬ立場に追いやるつもりだったに違いない。
「監視は私とその配下で請け負いましょう。もし裏切って逃げたりするならその場で私がプラムドとその配下を討ち取ります。……まぁ、無用な心配かもしれませんがねぇ、何しろプラムドは大切なお嬢様を捨てて逃げるなどするはずがありませんから」
ヘリオンに見られていてはどこかで時間を潰すという訳にはいかないだろう。しかし、ミーノスに攻撃を加えては悠がプラムドを許すまい。
進退窮まったプラムドは沈黙する事しか出来ぬ己の身を呪った。
持ち上げて落とす、性格悪いですね。




