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9-52 商機

「ふぅん……」


「お嬢さん、何か入り用でしょうか?」


熱心に商品を眺めていたネネに店の店主が話し掛けた。このフォロスゼータでメイドの格好をして来店する人間は貴族の使用人である事は疑いなく、更に店主に見覚えがないという事は新規上客獲得のチャンスなのである。


「入り用になるかどうかは商品を見せて頂いてから決めますのでお構いなく」


年齢に見合わぬ怜悧な瞳に店主は対応レベルを引き上げた。そもそも一人で買い付けを任されているのであれば、若いからと侮る事は出来ないのだ。


「これは失礼を。しかし、王都でウチ以上の品質の品を取り扱っている店はそうそう御座いませんよ?」


「これまで見た限りではそのようですね。戦後間もない事を考えれば価格も想定範囲内です。……特別なルートをお持ちなのですね?」


徐々に場に緊張感が満ち始めた。価格や流通経路は商人の生命線であり迂闊には漏らせないが、さりとて後ろ暗い所があると思われては、それを盾に不当な取引を求められる事もあるからだ。


「……ハハハ、新しく就任された宰相閣下にお目を掛けて頂いているお陰ですよ。聖神教の徴発から隠し通したなけなしの資金をはたいて払い下げの軍馬を多めに購入致しましたから。これらが捌けなければ、私はコレです」


国のお墨付きがあるとチラつかせ、店主は首を絞める仕草をして見せた。情けなくも見える表情だが、これで相手の同情を買えれば商人として立派な武器である。


国と良好な関係があり機動力も確保していて、不当な価格でも無いとなれば相手として不足はない。加えて強かではあるが仁義に外れない商人の矜持の持ち主であればネネの基準としてはまず合格だった。


「それはともかく……食糧の伝手はありますか? 恒常的に仕入れられるのであればこちらも相応の金銭をご用意しますが?」


「ふむ、食糧ですか……」


迂闊に美味い話に飛びつくのは駆け出しの商人のする事だ。確かに資金繰りは楽とは言えないが、真っ当にやる分には今の宰相は話が分かる人物で、無利息の貸し付けも受ける事が出来、立て直しは己の能力次第である。店主は今一度チラリとネネに視線を向け、取引相手に値するかどうかを思案した。


おそらくまだ成人したかどうかだろう。しかし、顔の造作は整っているし、受け答えにも高い教養を窺わせる。決して安くない取引を一存で任されているというのであれば、後々の為に伝手を作っておくのも悪くは無さそうだ。だが、少々不安を感じるのも事実である。


もうひと押し決め手になるものがあればと店主が考えていると、ふとネネの胸元を飾っている目立たないブローチが目に入り、危うく声が出そうになるのを飲み込んだ。


(あの意匠は確か……ノルツァー公爵家の!? そう言えば今城には貴族の方々が招かれていると言っていたな!)


家柄だけで商売する訳では無いが、ノルツァー公爵家と言えば今回の戦争で父兄と袂を分かってまで王の復権に協力したとされるパトリオ・ノルツァー公爵が当主に就いた、今アライアットで最も強大で勢いのある大貴族であると専らの評判であった。ネネは一度も誰に仕えているかなど言ってはいないが、まず間違いあるまい。


だが、一応さり気なく確認をと、店主はネネに尋ねた。


「食糧と仰いましても色々と御座いますが、何をいかほど?」


「麦があれば助かります。100袋……と言いたい所ですが、今回は随行のついでですから半分の50袋を用意出来ますか? それと、補修用の石材や材木もあれば馬車2台分ほど」


ノルツァー家の領地であるテルニラで大規模な戦闘があった事は既に店主の掴んでいる情報であり、商う量からして小さな商人では有り得ない。言葉の端々からノルツァーの影が見え隠れしており、店主は喜びを噛み殺して眉を寄せた。


「う~ん……正直、お一方に50袋も売ってしまうと在庫が心許ないのですよ。ですので、今日の所は30袋でご勘弁願えませんか? もちろん、数を揃えられない分は値段で誠意を示させて頂くつもりですが……?」


店主は可能な限り値引きに値引いた額をネネに提示してみせた。ほぼ原価に近く儲けは殆ど無くなるが、ここでノルツァー家と縁が作れるのであれば苦労して仕入れた食糧で儲ける以上の価値があると踏んだのだった。


「……はい、結構です」


品目ごとの値段にざっと目を通したネネは微笑んで手を差し出し、店主も同じ表情でその手を握って交渉は成立した。


「ありがとうございます。お支払は手形で?」


「いえ、即金で。その方が都合が良いでしょう?」


「ハハ、助かります」


ノルツァーの手形であれば取りはぐれる事も無いだろうが、まだまだ資金が心許ない現状では現金が有り難い。次回以降は取引継続の意志を表す為に手形を切ればいいだろう。


「もう少し商品を見せて貰っている間に積み込んでも宜しいですか?」


「勿論です。おい! こちらのお客様の馬車に商品を積み込んでくれ!」


手の空いている店員を捕まえ、店主はリストを渡して商品を積み込ませている間に、ネネは色々と店主に質問をして時を過ごしたのだった。




「中々有益な取引でした。それに、新しい宰相とやらは有能な人物のようですね」


「う、む……しかしなぁ……」


馬車の中で待っていたトロイアはネネから経緯を聞いて悩ましげに唸った。


「まだ気にされていらっしゃるのですか? この程度は交渉術と言うべきで、別に騙した訳ではありませんよ。テルニラの商人が半減した今こそトロイア商会の商機なのですから」


胸元のブローチを外しポケットに仕舞い込みながらネネは悪びれる事も無くのたまった。確かに、トロイア商会はノルツァー公爵家と関わりがあるが、御用商人というわけでは無い。会計も別であるし、潰れそうだからといって資金を勝手に投入する事も出来はしないのである。後ろ盾がノルツァーであるという誤解を助長はしたが、ネネは一言も嘘は吐かなかった。


先ほどのブローチもノルツァー家の家紋に非常によく似ているが、並べて見れば僅かに違いがある別物である。


「トロイア商会ですなどと正直に言えば足元を見られますからね。どうせお人好しのトロイア様は高く買い付けたからといって高く売る事など出来ないのですから安く仕入れるに越した事はありません」


「む……」


ネネが麦を100袋などとふっかけたのも大きな商会を装う為のハッタリだ。どうせこのご時世ではそこまでの量は商えないと知った上であり、懐に余裕があると解釈したのは向こうの判断であった。


手形で決済しなかったのもトロイア商会である事を隠す意図からだが(手形には当然署名が必要だ)、相手も現金を求めているので謗られる謂われも無いのだった。


「食糧はトロイア商会で扱い、建材はノルツァー家に売りましょう。街の補修に必要ですから良い稼ぎになるでしょうね」


「……俺も何か手伝うか?」


ネネばかり働かせて立つ瀬の無いトロイアがそうお伺いを立てたが、ネネは首を振った。


「トロイア様の凶相を見ては相手も警戒します。トロイア様が出るのはもっと相手との関係が築けた後でなければ無用な警戒心を抱かせてしまうでしょう」


「き、凶相……」


強面な自覚はあるが、凶相とまで言われると流石にトロイアも自分の顔を撫でながら凹んだ。だが、初体面の人間に商人だと名乗ると「奴隷商ですか?」と邪推されるトロイアである。その評価は甘んじて受けなければならないのかもしれない。


ネネが積み込みの間に店主を引き止めていたのもトロイアを見ては交渉が上手く行かなくなるかもしれないからであった。


だが、2人きりの時は話は別である。


「トロイア様……」


ネネの少し冷たい手がトロイアの頬を撫でる。その感触にトロイアの背中にぞくりとする感覚が走った。


「トロイア様が本当はお優しくて信頼に値する人間である事はネネが知っています。今は時間がありませんでしたから私が出しゃばりましたが、腹を割って話せばきっとあの商人もトロイア様に胸襟を開いてくれるでしょう。ネネはトロイア様を信じております……」


「ネネ……」


「ん……」


誰も見る者が居ない馬車の中で、2人のシルエットがゆっくりと重なった。

これで一通り書きましたね。


テルニラは脱税の件でかなりの数の商人が財産を没収されてしまいました。大体大きい商会ほど不正を働いているものなので、潰れ掛けだったトロイア商会は今や大手の一角を占めています。


やはりサロメに比べるとネネは可愛いものですね。

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