9-49 掌の悪意2
「そろそろお昼の時間ですよ~」
「ですよー!」
厨房から出て来た恵と明のほのぼのとした声に、アルトは現実に引き戻された。
「あら、アルト君顔色が悪いわ。風邪でも引いたのかしら?」
料理をしていた為にひんやりとした恵の手がアルトの額に当てられると、アルトは蒼凪に言われた事を思い出し、その頬がみるみる内に真っ赤に染まる。
「うーん……少し熱いかも……」
「ぼ、僕は別にゅ!?」
「明もするー!」
姉の母的な仕草に触発された明がアルトの顔を両手で挟み込んだ為、アルトの弁明の言葉は失われてしまった。
「あらあら、せっかくの美少年が茹でダコみたいね」
「ヤハハ、少々話の刺激が強かったようですね。……今の状況ほどでは無いでしょうけど」
ハリハリの台詞の後半部分は小声の独り言だったので、幸い樹里亜以外には聞こえなかったが、前半部を捉えた恵が苦笑する。
「……そっか、アルト君は素直だから悪い人の話を聞いて気分が悪くなっちゃったんだね。ほら明、手を放しなさい。お水持ってこようか?」
「だ、大丈夫です! ……でも、ケイさんは怖くないんですか?」
どうやら厨房に居たケイにも話は聞こえていたらしいが、恵はまるで恐れている様子が無いので、アルトは誤魔化しがてら尋ねてみた。
「怖いか怖くないかで言われたら勿論怖いわ。そんな悪意の塊みたいな人が敵だなんて。……でもね、私達生き残った蓬莱の人間はみんな覚悟を持っているの」
「覚悟って……死ぬ覚悟、ですか?」
「いいえ。最後まで生き抜く覚悟よ」
蓬莱の話から想像したアルトの言葉だったが、恵は否定して訂正した。
「私達の世界は龍の侵略で滅びかけたでしょう? 大戦の中期までは凄い速さで人口が減っていったけれど、それは何も龍に殺された事だけが原因では無かったの。……生きるのが辛くて、自分で死んじゃう人が一杯いたんだよ? 強い『竜騎士』様が増えるにつれてその数は減っていったけどね」
圧倒的な戦死者の数に目を奪われがちではあるが、蓬莱の大戦中期までの死因で自殺は不動の2位をキープしていた。訳も分からず化け物に殺されるくらいならと自ら死を選ぶ人間は多く、特に身体能力、精神力に乏しい者達は苦痛の少ない死の安息へとこぞって逃げ出したのだ。蓬莱に高齢者が少ない理由の一因でもあった。
「死ぬ覚悟なんて必要無いんだよ、アルト君? だって、私達人間は永遠には生きられないんだもの。だったら、その時が来るまで一生懸命生きないと。怖くたって悲しくったって、それは掌に握り締めて飲み込んじゃうのよ。だから大丈夫なの」
アルトの前で手を開き、見えない何かを握る仕草をした恵は、それをパクリと飲み込んでにっこりと笑いかけた。不思議なもので、それを見たアルトは心の中の不安な気持ちが薄れていくのを感じ、ようやく自然な笑みが戻ってきた。隣では明も見えない何かを両手で掴み取り、口一杯に頬張ってニンマリと笑い合う。
「うぅん、あの平和な空間を見ていると我々は汚れてしまった気分ですね……」
「ハリハリ先生と並べられるのは不本意ですが同意です」
「……ジュリア殿、ワタクシも傷付くんですけど?」
「今更一つ二つ増えても変わりませんよ」
朗らかに切り返されハリハリは顔を覆って泣く真似をしたが、指の隙間からチラチラと反応を窺っていたので樹里亜は無視する事にしてアルトに話し掛けた。
「ごめんねアルト君。でも、これはあくまで推測の域を出ないからそんなに気にする事は無いわ。さ、ご飯にしましょう」
「はい、僕は他の人達を呼んできますね」
「明、私達は食器の用意と配膳よ」
「はーい!」
そう言って広間から散って行ったのを見計らい、ハリハリはふざけるのを止めると樹里亜に小声で語り掛けた。
「お優しいですね、ジュリア殿は」
自分も手伝おうとしていた樹里亜の足が止まり、背後のハリハリを振り返った。その顔は真剣な表情を映しており、樹里亜はやはりただの道化者では無いなと自らも表情を改めた。
「……気付いてましたか?」
「ええ、これでも頭脳担当としてこの場に残されているのですからね、ワタクシは。ジュリア殿は残り半分、言わなかった事が有ります。……すなわち、だからこそ今の状況は危ういのだという事実を」
「……」
アルトを安心させる為にあえて話さなかったが、状況は好転などしていないのだ。確かに悠の活躍で人間社会には平和が訪れた。危険な品物は取り上げられ、それらを悪用していた者達の多くはこの世から追放されるか、更生の道を歩んでいる。
しかし、それは言い換えればドラゴンに対抗する為の力を失ったという事でもあるのだ。コロッサスやベルトルーゼなど、1対1なら中位のドラゴンとも渡り合える人物は居るが、100体のドラゴンを相手に戦う事は出来ない。全く皮肉な事に、悠が彼らを救ったからこそ人間はドラゴンに敵し得ないのである。
「人類の戦力の粋を集め、更に我々が共闘すればどれか一つくらいは守れる国もあるかもしれませんが、そんなものは選べませんし無意味です。他の国々が落ちれば遠からず数倍の敵に囲まれてしまうのですからね」
「……残念ながら、私達が全員結集しても悠先生の本気には遠く及ばないでしょう。それこそが最も大きな問題ですよ。せめて悠先生が安心して動ける状況を作れたら……」
「あと5年もあれば今の数倍は強くなれるでしょう。シャロン殿やギルザード殿、ヒストリア殿なんかは単体でもドラゴンに勝る力を秘めています。それに……」
ハリハリは他の者達を呼びにいったアルトの背中を幻視しながら微笑んだ。
「アルト殿という奇跡的な人間もいます。一体どれほどの人物に成長するのか今からワタクシ、楽しみでなりません」
「時間さえあればと思いますが、その時間が一番足りないんですよね……」
「ユウ殿はあまり身体的に子供達を成長させたくないとお思いですしね。子供時代は貴重です、その成長著しい期間を親許から離れたまま過ごさせるのは不憫なんでしょう」
悠ならばその時間の問題を解決出来る『竜ノ微睡』が使えるのだが、その代償は決して小さくはない。悠の竜気の枯渇もそうだが、鍛え、時間が経過すれば当然肉体は成長する。小さかった子供達は青年になるのだ。帰還した時親達がそれを受け入れられるかどうかは予想しがたいのだった。
「私はここに居た期間が一番長かったから誤魔化せ……ないかな、やっぱり」
召喚された当時よりも随分とメリハリのついた自分の体を見て樹里亜は苦笑した。既に成長期の末期に近いと思われる自分の外見年齢は高校生どころか大学生でも通じるかもしれない。もし帰れたら、残された母は大層驚くであろう。
「いえいえ、ジュリア殿は初めて会った時からずっと可愛いままですとも!」
「……なんかハリハリ先生が言うとイヤラシイんですよね。こっち見ないで下さい」
「本格的にヒドイ!?」
ハリハリの視線から体を隠す樹里亜に決めゼリフを流され、ハリハリは若干本気で泣いた。
「でもまぁ、ハリハリ先生の知性は信頼してますよ。こういう話を即座に理解してくれる人はあまりこの屋敷には居ませんから。これからも一緒に悠先生を支えて下さいね?」
「……ヤハハ、いいでしょう。ワタクシもジュリア殿の知識には助けられる事しきりですからね。その信頼にお応えしますよ。近い内にユウ殿がまた有益な情報を流してくれるでしょうから」
そこまで話した時、ハリハリの耳が近付いて来る足音を捉えた。
「では話はここまでに。昼からは新魔法の実験がありますから」
「……」
一歩、二歩、三歩と樹里亜が黙ってハリハリから離れた。その目は先ほどまで信頼を語っていたとは思えない猜疑心に満ちている。
「……ジュリア殿、さり気なく距離を取るのをやめてくれません? そろそろワタクシ、本気で泣いちゃいますよ?」
むしろこれが本職だったハリハリは切なさに胸を痛めるのだった。……自業自得だが。
小鳥遊姉妹とアルトはほのぼの。ハリハリと樹里亜は丁々発止。性格出てますね(笑)




