9-46 誰よりも幸せな……10
微グロ注意報。
ィィィィィィ…………ン…………。
鈴の音を連想させる高い金属の音がミーノスの空に昇っていく。袈裟斬りを振り下ろしたコロッサスと真一文字に振り抜いたバローはしばし硬直していたが、やがてバローの体が流れ、ドサリと崩れ落ちた。
「「「バロー先生!!!」」」
『戦塵』のメンバーが慌てて駆け寄る中、司会のサロメが厳かに告げる。
《……勝者、コロッサスギルド長――》
だがそのアナウンスが言い終わる前に、コロッサスの膝が力を失いそのまま地面に片膝を付いた。
《コロッサス様!?》
「こ、の野郎……剣士の魂を持って行きやがって……ぐっ!?」
剣から手を放し、胸を押さえるコロッサスの両肩を結ぶ直線上に一文字の朱線が引かれていた。バローの腕の傷ほど深くはないが、回避したと胸を張れるほど浅くもない。
そして何より……。
……カツンッ!
今更のように、上空から降ってきた金属片が地面に突き立った。コロッサスが手放した剣を見ればその3分の1ほどが消失しており、今落ちてきたのはバローに斬り飛ばされた一部であった。同じ素材であったとはいえ、神鋼鉄の剣を完璧に断ち切られてしまったのだ。これでは、とても勝ったと胸を張る気にはなれなかった。
(だが、咄嗟に剣を犠牲にしなければこの程度の怪我じゃ済まなかっただろう……僅かに剣速が鈍らなければ今頃俺は……)
袈裟斬りにした剣の軌道を修正してバローの『絶刀・不知時』の間に挟まなければ、バローの剣はコロッサスの胸板を半ばまで切り裂いていたに違いない。試合ではコロッサスの勝ちであろうが、剣士としての勝負は痛み分けという所か。
《救護班、急ぎなさい!》
「こちらからも救護を出せ! 薬は何を使っても構わん!」
サロメとローランの命を受け、待機していた救護班が慌ただしく動き始めた時には智樹によるバローの診察は終了していた。
「蒼凪さん、縫合セットを出して下さい!! それと注射器と薬液とお湯も!!」
「うん!」
「……大げさに、騒ぐなよ、トモキ……」
智樹が治療に移ろうとした時には、気絶していたバローは目を覚ましていた。
「動かないで下さい!! 軽い怪我じゃ無いんですよ!?」
「それでも、この世界じゃ……人前で、弱みを、見せる訳にゃ、行かねえのさ……。……なぁ、コロッサス?」
「……バローの言う通りだ。担架なんぞ要らん、治療はここで受ける」
共に出血で青い顔をしながらも、バローとコロッサスは顔を突き合わせて笑い合った。どちらも剣の腕で世界に名を成す2人であり、自分の限界を他者に悟られるのを嫌ったのである。
バローの腕は左手は大きな裂傷、右手や脇腹は無理な速度を再現した為に内出血で赤黒く染まっており、息をするだけで激痛に苛まれ、コロッサスの胸の傷もまだ血が止まる気配は無かったが、2人はあぐらを掻いて今の戦闘を振り返った。
「ちぇっ、勝てると、思ったんだがなぁ」
「そう簡単に負けてやれるか。……が、勝った気はしないな。俺の剣を台無しにしやがって。次は腕を斬り落としてやる」
「じゃあ俺は、次は根元から、剣を叩っ斬ってやるよ」
「やれるもんならやってみろ」
渡された『高位治癒薬』を飲み干し強がる2人を見て救護に駆け付けた者達は呆気に取られたが、その傍若無人さを許せない者が2人ほど存在した。
「……随分とお元気そうですね。好き勝手に剣を振るえて満足ですか?」
「っ!? ……よ、よう、サロメ……」
背後から近付いてきた不機嫌オーラマックスのサロメにコロッサスは別の意味で青くなりながら振り返った。しかし、サロメの目は限りなく冷たく、内心でコロッサスは震え上がった。
そんなサロメに蒼凪が歩み出て縫合セット開き――細い針を地面に捨てて踏みつけ――残りを差し出した。
「サロメさん、コロッサスギルド長の胸の傷を縫ってあげて。……残念ながら今は太い針しか無いけど」
「あら、ありがとうございます。無い物は仕方ありませんね」
「トモキ、バロー先生の傷は私が縫う。……間違ってたら教えて」
自分にも飛び火して来た公開拷問宣言にバローは蒼白になった。麻酔などという気の利いた代物は無く、傷口を抉る針の痛みは筆舌に尽くし難いのである。
「……あっ、何か急にスゲー薬が効いて来たっ!!! もう縫わなくても大丈夫だなコリャ!!」
「き、奇遇だなバロー!! 俺も段々痛みが引いて来て――」
「「えい」」
全く聞く耳を持たない蒼凪とサロメが息を合わせて2人の傷口に針を突き込むと、聞く者全てが顔を背けたくなる絶叫が2人の口から迸った。
「「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」」
「動かないで下さい、手元が狂うではありませんか……おっとっと」
「イデデデデデデッ!!! そ、そんな場所に傷は無いだろ!? さてはお前、さっき怒鳴った事を根に持っイタタタタタタタスイマセンスイマセンスイマセンッ!!!」
「智樹、バロー先生を押さえて。智樹が押さえ込めば動けない」
「や、やめろトモキ!! お前はそんな酷い事に手を貸さないよな?」
「……よいしょ。これでいいですか?」
「うん。凄くいい」
「トモキーーーッ!!!」
かなり残酷な絵面にビリーがそっとシャロンをその場から引き離した。表情を変えず淡々と作業をするサロメと蒼凪にはどこか鬼気迫るものがあり、救護に駆け付けた者達も大事には至らないと結論付けたらしく、顔を見合わせながら引き返していった。
「うぎぎぎぎ……!」
「もっと痛い思いをしてるクセに大げさ。私はちゃんと縫ってるんだから我慢して」
言外にもう一人はちゃんと縫っていないと臭わせつつも、蒼凪の縫合自体の速度は遅くてもしっかりとしたものであった。
「もし一矢も報いずに負けてたら神奈に縫わせている所なんだから感謝して欲しい。腕を切り落さないといけなくなる」
「どーいう意味だよ!!」
引き合いに出された神奈は大いに気分を害したが、雑巾すら満足に縫えない神奈に人間の皮膚を縫わせれば正視を憚る芸術作品に成り果てているだろう。そうなれば悠の『再生』待ちである。
「あぁ……負け、か……」
苦痛に顔を歪めながらも、バローは目を閉じ、その場の者達に語り掛けた。
「……スマン、お前らに格好いい所は見せてやれなかったな。特に蒼凪、お前の声が聞こえなかったら、俺は諦めてたかもしれねぇ。……ありがとよ」
「……カッコ良かったよ……」
小声で呟いた蒼凪がぐっと糸を引くと、バローの手に鋭い痛みが走った。
「イテテテテ!! ……つぅ~……あん? 何だって?」
「何でもない。はいお終い」
パチリと糸を切り、出来栄えを智樹に確認して貰った蒼凪は手を洗ってくると言ってその場を外した。
「変な奴だな?」
「それより、腱は切れていないはずですが指が動かなかったりはしませんか?」
「大丈夫だ。コロッサスの奴、ちゃんとその辺は避けて斬りやがった。だったらもっと浅く斬れって話だよな」
手を広げたり握ったりを繰り返し、何とか動くと確認したバローは自分の剣を持たせていた神奈から剣を受け取り、覚束ない足取りで立ち上がるとビリーの方へと歩み寄った。
「アニキ、お疲れ様です!! やっぱりアニキは俺にとって最高の剣士でした!!」
「へっ、しっかり勝ってそのセリフを聞けりゃ当たりめえだろって言えるんだろうがな。……ビリー、お前……行っちまうのか?」
感涙の泣き笑いを浮かべていたビリーの表情が固まり、申し訳なさそうに歪められた。バローはビリーが途中で放った言葉の意味をしっかりと理解していたのだ。
「……すいません……中途半端に抜ける様な真似をして……。でも、俺はやっぱり両親を放ってはおけません」
「謝るなよ。お前はもう一人前の男さ、誰に憚る必要も無いんだぜ? ……ほら、こいつを持ってけ」
バローは神奈から受け取った剣をそのままビリーに差し出した。だが、その価値を知るビリーは両手を振って押し留めた。
「じょ、冗談は止めて下さい、それはアニキの愛剣じゃないですか!? 俺なんかが持っていていいモンじゃ――」
「いいから持って行け。お前より価値のある剣じゃねえ。……そいつで守ってやれよ、親も国もな」
「アニキ……!」
バローが差し出す剣をビリーは恭しく両手で受け取り、そのまま泣き崩れてしまった。
「バカヤロ、泣く奴があるか。これからも剣の鍛練は怠るなよ?」
「はい……はい……!!」
ビリーの頭を痛む手で掻き回しながら、まるで本当の兄であるかのように、バローは笑った。
一歩間違えば生死に関わる戦いになってしまいました。もう少し内容的にも文量的にもライトにするはずだったのですが……。(拷問的な描写も当初は無かったのです。本当です)




