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9-45 誰よりも幸せな……9

「ぐ……うっ!」


「よく避けたな、頭に血が上ってキレたかと思ったが……剣士はそれじゃ駄目だ。敵の一番近くで戦う人間は忍耐強くなくちゃあな?」


バックステップで距離を空けるバローを無理に追わず、コロッサスが剣に付いた血を振り払って青眼に構え直した。


避けたとはいえバローの左手の傷はかなり深く、少し力を入れるだけで脳に茨を突き込まれたような鋭い痛みが走った。もう、この戦いでは左手は使えないだろう。


《……バローさん、かなり損傷が酷い様ですが、降参なさいますか?》


「……」


言外にもう戦えないのではないかと尋ねてくるサロメに答える言葉の選択に迷ったバローが沈黙する。


誰が見ても既に勝敗は決していた。満身創痍のバローと掠り傷のコロッサスを見比べれば、子供でもそれは理解出来るし、バローにはもう打つ手は残されていないのだ。怒りだけではコロッサスの牙城は崩せない。


(……ここまでか……)


バローの心の天秤が諦観に傾き、その口が降参の二文字を紡ぎ出――




「負けないで!!!」




開き掛けたバローの唇が凍り付く。俯いていた視線の先の少女の叫びによって。


「……ソーナ?」


真剣な表情でバローに訴えたのは、ルーファウスとローランの前に立つ蒼凪だった。


「……あなたは、私達の先生でしょ? 私達の先生が、私達の前で諦めないで!!!」


「そうです、僕らの先生ならちょっと不利になったくらいで諦めたりはしません!!」


「そうだぜ!! 本当に強い剣士ならピンチの時こそ笑ってくれよ!!!」


「いつもの不敵なバロー先生を思い出して下さい!!」


「トモキ、カンナ、リーン……」


次々に声を上げる子供達の願いがバローの心に突き刺さる。


「アニキ!! 最後に……俺に、最高の剣士はやっぱりバローのアニキなんだっていう所を見せて下さい!!!」


「バロー様、あなたこそ、ユウ様が最初にお認めになったお方のはずです。ご自分の力を信じて!!!」


「ビリー、シャロン……」


飛び込んで来る言葉の数々にバローの胸の内のか細い火種が我が身を燃やし尽くさんばかりの熱を発し、剣を持つ右手に今まで以上の力が込められた。……まだ、力は入る、入るのだ。仮にも先生と呼ばれる人間が、こんな簡単に諦めていいはずが無い!


「降参しないのか?」


冷めた視線で問うコロッサスに、バローは俯いていた顔を上げ、不敵に笑った。


「……あーあ、ったく、弱ったフリしてコロッサスがノコノコ近付いて来たら斬り倒してやろうと思ったのによ、皆俺が負けると思いやがって、困ったもんだぜ」


「……強がりだな、その左手の傷は浅くない。治療しなけりゃ命に関わるぞ? 仲間の手前、カッコ付けたい気持ちは分かるが無理するな」


冷静に指摘するコロッサスの言う通り、バローの手から流れ続ける血は地面に血だまりを作りつつあり、もう数分で危険な失血量に達するだろう。


だが、バローは笑みを崩さなかった。


「このくらい、頭に上った血が下りてちょうどいいと思ってた所だっつーの。……それに……」


コロッサスのずっと背後でこちらを見つめる仲間達を視界に収め、剣を逆手に持ち替えた。


「こんな俺にも居るんだよ……俺ならもっと、もっともっとやれるはずだって信じてくれている奴らがな……だったら、諦めてられねぇだろうがよ!!」


「ぬぅっ!?」


急激に膨れ上がったバローの剣気にコロッサスは一瞬気圧されそうになったが、自らも気迫を込めてその圧力を押し返した。


「……このままこうして待っているだけでその内お前は倒れるだろうが、そこまで覚悟を決めてるんなら引導を渡してやらんといかんな。次の一太刀で決めてやる」


「ボーッと突っ立ってるつもりなら俺から斬りかかるだけさ。もしやり過ぎたらスマンと謝っておくぜ」


口では強がりを言っているが、出血の為にバローの身体能力は徐々に落ち始めており、もうコロッサスを追う事は出来なかった。コロッサスから手を出してくれるというのなら、むしろありがたいとすら思えた。


だが、これはもうただの手合わせの領域を超え始めていると感じたサロメは制止の必要を認め、口を開いた。


《コロッサス様、これ以上は危険です。もう十分にお2人の剣の凄まじさは伝わったでしょう。これ以上は――》




「やっかましいぞッ!!!」




遠く離れた観客すら震え上がる怒声にサロメの忠告が途切れる。


「……剣士の勝負に余計な口出しをするな。俺もバローも今がもう一歩先に踏み出せるかどうかの瀬戸際なんだよ。分かったら終わるまで口を閉じてろ。たとえ宰相閣下や陛下のご命令であろうと剣を引く事は出来ん」


「そういう事だ。終わった後に立ってるのが一人だけかもしれねぇが、だからって恨みっこなし、それが剣士って生き方だぜ」


2人の言葉にローランは天を仰いだ。こうならないように観客を入れたというのに、もはやそれは抑止力にはなり得なかった。多分、どちらも剣士として強くなり過ぎたのだ。まともに剣を合わせられる相手が居ない分、コロッサスの方がバローほどの剣士を渇望していたのかもしれない。


その時、コロッサスは久しく感じていなかった喜びが胸に満ち溢れているのを自覚した。自分に近しい力を持った剣士と剣を合わせるという事の、何と幸せな事か。こうして切り札まで使って、それでもまだ構えを崩さないバローが愛しく思えるほどだ。


剣士の喜びは最強となる事ではない。力と技の限りを尽くし、自分の全てをもって相手とぶつけ合う、それこそが幸せなのである。弱い相手とやり合っても剣士の喜悦は無い。そんな事で喜ぶのは殺人者の喜悦だった。


きっと、自分とバローはこの瞬間、世界一幸せな剣士に違いない。そう、誰よりも幸せな……。


意識せず、コロッサスの足が前に踏み出された。この幸せな時間を終わらせたくないと願いながらも、それを終わらせにいく矛盾を何と説明すべきか?


しかし、理屈では無いのだ。自分の体が、魂が決着を望んでいる。先へ、もっと先へと己の足を駆り立てる。


きっとバローは満身創痍であろうとも、最後の一太刀を放つだろう。ならば自分の奥義でそれを凌駕する。


『破鏡』だ。バローの一太刀を回避し、その腕を斬り飛ばす。しばらく剣は振れなくなるだろうが、悠が戻れば治す事は出来るだろう。止血さえすれば死ぬ事はあるまい。


迫るコロッサスが何をしようとしているのかはバローにも分かっていた。分かっていたが、『破鏡』はかけられる側からすれば非常に厄介な剣技であった。


ただ待っていても斬られてしまうが、下手に手を出せば瞬時に致命的なカウンターを食らってしまう。まさにコロッサスだけに許された、攻防一体の奥義というに相応しい。迎撃したくても、バローの最速の剣である『夢幻絶影』ですらコロッサスに掠り傷を負わせるのが精々では使用は出来ないのだ。せめて『竜気装纏プラーナバースト』が使えたら……。


その時、バローの脳内に一陣の風が吹いた。


そうだ、自分は今以上の速度を出した事があるのだ。竜気プラーナによる身体能力の増幅ではあっても、体は覚えている。ならば、死ぬ気でやってやれないはずが無い。


むしろ頭よりも体は先にそれを選択していた。逆手に持った事の無い剣を逆手に持ったのは何故か? それは、今以上の速度を体が望んだからだ。


精神論であろう事は十分承知しているが、順当に戦えば順当な敗北が待っているのならば、肉体を精神で凌駕するしかない。


逆手に剣を構えたまま、バローが体を捻る。速度と言えばシュルツであり、その剣技の特徴である回転は最も速度を稼ぐのに適していた。


更に強張っていた全身の力を限りなく0に近付けていく。最初に悠に習った通り、速度を出す為には最大限に脱力しなければならないのだ。


コロッサスの目には全てが止まって見えるという。ならば、それを超える動きを作り出すのだ。高速を超える、神速の一閃を。凍れる時間ときを切り裂く、影だけでは無く剣すら絶える一閃を。


「フッ!」


間合いに入ったコロッサスの袈裟切りがバローに迫る。ここで恐れて余計な力を込めてはならない。それは速度の妨げになってしまう。引き付けて引き付けて……今だ!




「……『絶刀・不知時ときしらず』」




――鍛錬場に澄んだ金属音が、一つ。

かなり気合いを入れて書きました。結果は次回に。


ある技へのオマージュがあります。

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