9-40 誰よりも幸せな……4
男子一生の夢として己の才覚でその名を世界に知らしめる。それは男であれば誰しも一度は見る夢であったが、それと同じく立身出世を志す人間ならば、一国の王として至尊の頂に座すというのは焦がれて果たせぬ夢であろう。
全てが自分に平伏し栄耀栄華は思いのまま、数え切れない美女と愛を交わし、使い切れないほどの財物に埋もれて何もかもが満たされた人生。それが一般的な庶民の王への認識であろう。
バローとて少年の頃にそんな事を夢想した経験はある。数万の軍勢を率い、祖国の兵士と共に悪辣な他国から祖国を守り抜くのだ。先頭を切って敵兵をバッタバッタと薙ぎ払い、敵は恐れをなして逃げ散り、味方は歓呼の声で自分の名を讃え、祖国の平和は守られるのである。
……しかし、世界がそんな単純な物では無いと今のバローは知っている。ほんの一年前であればバローは深く考えずにカザエルの提案を受け入れたかもしれないが、王には王の責務があり、そして孤独があるのだと知っているのだ。
一度だけ強く鼓動した胸の高鳴りが収まる頃には、バローの答えは意識せず口から零れていた。
「……申し訳ありませんが、私は器ではありません。今も領地経営は妹に任せきりですし、ノースハイアの国民全ての責任を背負うには、もっと強い意志が必要かと思われます。どうか王位は王女様方からお選び下さい」
王位継承権は詳らかにはされていないが、サリエル、シャルティエルで1位と2位を占める事はほぼ確定事項である。年長という事ならばシャルティエルであるし、早くから王の補佐をしていたという点ではサリエルに軍配が上がるだろう。その配偶者が政治的に持つ力は王にも匹敵すると言う事は深く考えるまでも無く、強い王を求めるのならば男性である配偶者が王となる可能性は非常に高い。特に武名に優れたバローであれば反対意見よりも賛成意見の方が圧倒的だろう。それでもバローにはその選択肢は選べなかった。
カザエルの眉間に皺が寄り、不機嫌なままバローを問い質す。
「……よもや、余の娘達に不満があるからでは無かろうな?」
「め、滅相も無い!! サリエル王女は将来性豊かですし、シャルティエル王女は今からでも是非お相手願いたい――」
「ミルマイズ、こやつの左手を斬り落とせ。右手が残っていれば剣は振れるであろう」
「御意」
ギャリンッ!!!
ミルマイズの抜き放った剣とバローの腰から引き抜いた剣が交錯し火花を散らす。
「ぐっ……し、失言でした、どうぞお許しを……」
「…………ミルマイズ、もう良い」
「はっ」
何事も無かったかの様に剣を引いて王の背後に戻るミルマイズとそれを命じたカザエルにバローの背中を冷や汗が滑り落ちた。わざわざ斬る場所を口に出した事から脅しである事は明白だったが、それでもバローが受けなければミルマイズはバローの左手を斬り飛ばしていただろうし、カザエルも斬られるならその程度の男だと割り切っていた。これだから王族は油断出来ないのだ。
「ふぅ……ミルマイズ、腕を上げたな。一瞬本当に斬られるかと思ったぜ……」
「王の手足となるのが自分の職務でありますれば」
悪びれずにしれっと答えるこのミルマイズという男も良く分からない。カザエルに諫言して投獄されたかと思えば、今はこうして絶対の忠誠をもって片時も側を離れずにその身を守っているのである。一体何を考えているのか、一度酒でも酌み交わしながら聞いてみたいものだとバローは思った。
「……ともかく、王女様方は魅力的ではありますが、今はその気は御座いません。誠に恥ずかしながら、私は恋愛にはロマンを求めておりますので、一生を捧げる女は自分で見つけたいと思うのです」
「馬鹿者が、貴族や王族の婚姻にロマンも何もあるものか。時が育む愛も知らぬ若僧が」
「返す言葉も御座いません」
恭しく頭を垂れるバローにカザエルは鼻を鳴らした。
「ふん……だが、アグニエルといいフェルゼニアスといい、そういう時代になりつつあるのかもしれんな」
恋愛結婚したという好敵手を引き合いに出してカザエルは譲歩の姿勢を見せた。家と家の繋がりは重要であるが、弱小貴族を娶っても一国の要を見事に務めている実例が存在するのであれば頭から否定は出来なかったのだ。つまりは、そのくらいにはローランの事を認めているのである。
「もうよい、一生に一度の余の気紛れをロマンなどという戯けた理由でフイにした馬鹿者がおったと後世に語り継いでやるわ。寂しい老後にならなければ良いがな」
「その時は妹一家の所に転がり込んで隅の方で細々と生きて行きますよ」
「厚顔無恥もここに極まるな。それを見なくて済むのだけが救いだ」
呆れた口調でカザエルは手を振った。
「余の用件は済んだ、あとは勝手にするがいい」
「ご期待に沿えず申し訳御座いません。しかし、我が家名に恥じぬ働きはしてくるつもりです。私が陛下にお返し出来るものなどそのくらいですので。……では、失礼します」
完璧な貴族の儀礼に則ってカザエルに謝辞を述べ、バローは部屋から出て行った。残されたカザエルは不機嫌そうな顔のまま、口角を吊り上げてミルマイズに語り掛けた。
「礼儀作法は身に着いても貴族とは一線を画する男よ。ああいう男なら婿に迎えてやっても良かったのだが……中々虐め甲斐がありそうだと思わんか?」
「あまり良いご趣味だとは思えません」
「どちらの意味で言っておる?」
「ご想像にお任せ致します」
全く面白みの無いミルマイズの返答だったが、カザエルは作り物の不機嫌さを脱ぎ捨てて笑声を上げた。
「ハハハッ、お前は本当に面白く無い男だ! いや、だからこそ面白いのだがな。どうだ、お前も王位を狙ってみるか?」
「お戯れを。ノワール公が仰る通りです、人にはそれぞれの器があり、私は器では御座いません」
「婿になったからといって余を斬れぬようになる訳ではあるまい?」
何気ない風のカザエルの言葉に部屋の空気が帯電したかのような緊張感を孕んだ。カザエルの顔には相変わらず笑みがあり、ミルマイズは表情を消して沈黙している。
「余はお前を牢から出した時に約束したな? もし再び余が道を外れたと感じたならば、遠慮無く余を斬れと。あれは戯れでは無かったはずだが」
「……」
ミルマイズは当初、再びカザエルに仕える事を拒んだ。ミルマイズの知るカザエルは傲岸不遜て残虐非道、臣下の忠言なとに貸す耳を持たぬ人でなしで、もし赦されて獄を出る事があろうとも二度と仕える事は無いと心に決めていたのである。拒否した事で命を失おうとも、それがミルマイズの意地だった。
しかし、そんなミルマイズにカザエルはあろう事か剣を差し出して先ほどの条件を突きつけたのだ。
試しにとばかりにミルマイズは戦闘の素人であるカザエルの目に止まらぬ速度で剣を抜き放ち、その首筋に剣閃を走らせた。加減を一歩間違えれば首が飛ぶ寸止めにもカザエルは一切恐怖の色を見せず、いつでも死ぬ覚悟を固めている事は明白であった。
自分の命を相手の手の平に乗せて楽しそうに振る舞うカザエルに、ミルマイズは牢で誓った言葉をそのまま引用して答えた。
「……私が陛下を斬るのは道を外れた時、それまで我が剣は陛下に降りかかるどの様な災厄からもお守り致します」
「やはりお前は面白味の無い男だ。精々剣を鈍らせぬ事だな」
「御意」
そう言ってミルマイズが頭を下げる角度はいつもよりも深かった気がしたが、それは当人にしか知り得ない事である。
「近々王位継承権を告知する。第一はサリエル、第二はシャルティエル、そして第三位は……ベロウ・ノワールだ。功績を積み上げて公爵にまで駆け上がった者であれば王族に次いで継承権を得ても文句は出まい。無駄になるにしても、良からぬ企みを抱く者達の目を娘からそちらに引きつける効果が期待出来る。ノースハイアに奉公する気があるのなら精々働いて貰おうか」
カザエルの笑みが一層深くなり、返答を求めていないと察したミルマイズは慎ましく沈黙を守ったのだった。
バローはやはりお断りしました。カザエルはそれすらも織り込み済みで娘達の防波堤に使うつもりですが。
バローに高位の継承権が与えられれば、王家に不満を持って転覆を謀る者達が接触して来るかもしれませんしね。そこを一網打尽。酷い。
ミルマイズとカザエルの関係性もこれまで語って来ませんでしたが、そういう事でいつも側に控えているのでした。ミルマイズはカザエルにとって自分自身への戒めなのでしょう。




