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9-38 誰よりも幸せな……2

「……ま。……様」


「……(ん?)」


いつの間にか寝入っていたバローは優しく揺り起こされて意識の覚醒を促されたが、このところ気を張っていたせいか眠気は依然として強く、体は睡眠を欲していた。


「……様、……がお呼び……、起きて……」


そもそも自分は今どこに居たのだろうか? 微妙に酒が残っている感覚からしてどこかの娼館で一夜を明かしたのかもしれない。今では安い娼館に出入りする事もあまり無いので、娼婦の言葉遣いも丁寧なものだ。もっとも、安い娼館もそれはそれで味があるのだが。


残念な事に昨夜楽しんだであろう記憶は酒のせいで全く無いが、あどけなくも感じる声はバローの好みに合致していたので顔もきっと自分の好みの女性であろう。体にメリハリがあれば尚良しだ。


時間が来たので起こしに来たのだろうが、バローは記憶の無いままここを去るのは少々惜しいと思い、目を閉じたまま揺り起こす手を取って自分の方に引き寄せた。


「あっ!?」


「……なぁ、ちょっと付き合ってくれよ。まだ時間はあるだろ?」


「で、でも……」


「駄目か?」


手探りで女性の頭に手をやり、髪の中に手を滑らせると女性の体が強張ったが、繰り返す内に徐々に力が抜けていった。


それにしても小柄な娘だなと髪を梳き上げながらバローは頭のどこかで考えたが、女性の言葉でその疑問は隅に押しやられた。


「……優しくして下さいね……」


「へっ、任せときな。俺は女には優しいって評判なんだぜ?」


よっしゃーと自らの手腕を自画自賛し、その手が滑らかな布地を滑り細い腰を抱いたバローはその女性の髪の香りを楽しみ、いざ服を脱がそうと背中に手を回した所で冷え冷えとした声が掛けられた。




「……何をしてらっしゃるのです、兄上」




ゾッとするほどの声の冷たさにバローがバランスを崩し椅子ごと後ろにひっくり返る。


「きゃん!」


「うげっ!? ……な、何だぁ?」


覚醒したバローは見慣れた部屋が視界に入った瞬間、全ての状況を思い出して顔色を青から白に目まぐるしくチェンジさせた。


そうだ、自分は娼館などに居た訳では無かった、隣室の結果を待っていて、あまりに長いので一杯やっている内に寝入ってしまったのだ。


すると腕の中に居る女性は誰だろうと恐る恐るバローが視線を落とすと、そこにはメイド見習いとして働き始めた元フォロスゼータの住人であるイザベラの姿があり、潤んだ瞳でバローの事を見上げていた。


小さいと感じるはずだ、まだ成人もしていない少女なのだからと半ば現実逃避するバローだったが、状況は一切待ってくれなかった。


「呼びに行かせてもいつまでも来ないからこちらから足を運んでみれば……まさか、年端もいかないメイドを手籠めにしているとは思いませんでした」


重大な嫌疑が掛けられていると悟ったバローは表情を消し、抱いていたイザベラを優しく横にどけると、シームレスに正座に移行して真剣な表情でレフィーリアに切々と訴えた。


「んんっ……違うんだレフィー、これは、不幸な事故なんだ」


「ほぅ……事故?」


1ミクロンも信じていないレフィーリアの声音だったが、ここで引いては自分は少女趣味の変態領主にジョブチェンジしてしまうバローは必死に抗った。


「そうだ。俺はこの部屋で待ってたんだよ。だが、日々の激務の疲れが出てうっかり眠り込んじまってな……我ながら不覚だったと思う」


額に手を当て疲れをアピールするバローの演技は人の好い者であればうっかり騙されてしまいそうなほど巧みだった。言っている事も嘘では無いというのが同情を引くコツである。許して貰いたい時は真実の中に嘘を少しだけ混ぜるのだ。


しかし、レフィーリアはバローより更に上手だった。


「……兄上、そういう事は机の上の酒瓶を隠してから言うべきですね」


「あっ!?」


サボリの物的証拠である酒瓶が机の上でコンニチハしている状況にバローの真剣な表情にヒビが入るが、そこは鍛えた精神力で持ち直し、更に捲し立てた。


「お、お前達の事が心配で居ても立ってもいられなくなってちょっとだけ飲んだんだよ!! 何せ、愛する妹と可愛い弟子の人生を左右する事だろ? やはり兄として俺は――」


朗々と自己弁護を繰り広げるバローだったが、レフィーリアは既に聞いてはおらず、隣でちょこんと座るイザベラに視点を移していた。


「イザベラ、兄上はあなたに何と言いましたか? 正直に答えなさい」


「ちょっと付き合えと仰いました。それと、髪を梳きながら優しくして下さると……」


「「……」」


キャッと顔を隠して恥じ入るイザベラの言葉にバローの表情が死んでに虚ろになり、レフィーリアの視線の温度がそろそろ絶対零度に到達する瞬間、バローは最後の賭けに出た。


「……とうっ」


超低空姿勢からレフィーリアの死角をすり抜けるスライディング。つまり万策尽きての逃げの一手だ。


「あっ、待ちなさい!!」


「兄は待たん!!」


これ以上の説得は無駄と、刹那的に問題を棚上げする決断の早さはある意味バローの美点なのかもしれなかったが、残念ながらこの場にはバローに対する鬼札が存在していた。


「逃がさないでアグニエル!!」


「何っ!? うおわっ!?」


レフィーリアの言葉でバローの眼前に白刃が突きつけられる。それはバローが少しでも妙な動きをすれば斬るという裂帛の気合いが迸っていた。


「……逃げられるとは思わない事だ。いくらバロー師とて、剣の無い状態では『剣聖イノセントブレイド』の『先読み』からは逃れる事は叶わんぞ?」


「……おいおい、お前、この短い間に強くなってねぇか?」


「かもしれん。この機に師匠越えも悪くは無いな」


逃れようと隙を探るバローだったが、今のアグニエルは妙な気迫に満ちていて全く隙が無く、無駄に緊迫した空気に額から冷たい汗が一筋流れた。


前門のアグニエル、後門のレフィーリアという絶体絶命の状況に、それでもバローは諦めなかった。何故なら、今日はもう仕事をしたくないのだ。このまま捕まれば明日王都に出発するまでの間、徹夜で仕事をさせられるに決まっている。


ならば覚悟を決めねばならない。


「……アグニエル、確かにお前は強くなったがよ、俺の全てをお前に伝えた訳じゃねぇんだぜ?」


「フッ、ハッタリの技術か?」


不敵な台詞を吐くバローだったが、バローがどう仕掛けて来ようともアグニエルにはそれを阻止する自信があった。今の自分に死角など有り得ず、剣の無いバローがどう仕掛けて来ようとも突破は不可能だ。


が、次のバローの行動は自分に何か仕掛けてくると考えていたアグニエルの心理的な隙を突いた。


「目的の為には何でもするって事だよ!」


「きゃっ!?」


後ろ足を跳ね上げたバローの背後でレフィーリアのスカートが大きく舞い上がり、アグニエルの視線を完璧に誘導した。


「なっ、に!?」


透き通るような肌と下着にアグニエルの『先読み』が漂白され、一切何も見えなくなった時にはバローはへたり込むレフィーリアの脇を潜って部屋の中に戻って剣を掴み取り、窓枠で会心の笑みを浮かべていた。


「カカカッ、修行が足りんぜアグニエル!! 俺の義弟おとうとになるってんならもっと精進するこった、あばよ!!」


そのままヒラリと窓の外に飛び出したバローは口惜しげな2人に片目を瞑って姿を消した。


「もう、帰ってきたら山ほど仕事をさせてあげますからね!!」


「やられた……機転だけで出し抜かれるとは……」


敗北感に苛まれる2人であったが、その場に残されたイザベラがバローの言葉を咀嚼し、2人に笑いかけた。


「おめでとう御座います、お2人はご結婚なさるのですね!」


無邪気な笑顔を見せるイザベラに2人は何故分かったのかと言葉に詰まったが、バローの言葉を思い出した時にその疑問は氷解した。


「……ああ、そうか」


「兄上にはすぐに分かったのですね、私達の事が……」


バローがアグニエルを義弟と呼んだのだ。それはつまり当主が2人の仲を認めたという事であった。


義兄上あにうえなりの祝福だったという事か?」


「だからと言って許しませんよ、私は。それとイザベラ、あなたは兄上に気を許し過ぎです。うっかり純潔を失ってしまったらどうするのですか?」


「とても素晴らしい事だと思います!」


「……もういいから下がりなさい。それと、私とアグニエルの婚約の件はまだ内々の事ですから他に漏らしてはいけませんよ?」


「はい!」


母と同じ名を持つ少女の無邪気さに説得が面倒になったレフィーリアは全てをバローに押し付ける事に決めた。イザベラは中々に可愛らしい少女であり、もう数年もすればバローの心を掴むかもしれない。そうなればこの家に繋ぎ止める理由となってくれるかもしれないのだ。本人がそれを望んでいるなら後は当人達の問題だろう。精々困ればいい。


「まだまだ楽をさせて貰えそうにはありませんね……」


『先読み』など無くても外れそうにない未来予想図にレフィーリアは深い溜息を吐くのだった。



妹ならセクハラしても罪にならないと思ってますね。

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