9-37 誰よりも幸せな……1
ビリー達がアルベルトとイライザを探している頃、バローはソリューシャでソワソワと隣室のアグニエルとレフィーリアのお見合いの結果を待っていた。
アグニエルに求婚の許可は与えたバローだが、やはりその心中は穏やかとは言い難いものだ。
(……レフィーの事だ、そう簡単にゃ首を縦に振らねえだろ。でも、アグニエルよりいい相手っつってもなぁ……)
バローは庶民的な感覚を解する人間だが、それでもやはり貴族の当主であり、一族を取り仕切る立場である。その妹の結婚相手を見つけてやるのは当主として当然の仕事だった。
今や飛ぶ鳥を落とす勢いのノワール家と繋がりを持ちたい者は星の数ほど存在するが、バローは家の権威のためなどにレフィーリアを利用しようという気はさらさら無く、そうであるのなら結婚相手は人間として信頼出来る者で無くてはならないと考えていた。するとその数は途端に五指に余るのである。
(レフィーに好きな男でも居るってんならソイツでいいんだがよ、男を寄せ付けない所があっからな、あいつ)
レフィーリアとは長い間疎遠だったバローだが、メイドなどに聞いてレフィーリアがこれまでに誰とも交際していない事は確認済みである。
強いてレフィーリアが興味を持っていそうな男性はといえば……そこまで考えた所でバローは無理矢理思考を打ち切った。その脳裏に浮かんだ人物がこの話に頷くとは思えなかったからだ。
(……気張れよアグニエル。骨は拾ってやるよ)
椅子に身を委ね、頭の後ろで手を組んだ姿勢でバローは再び結果が出る時が来るのを待つのだった。
一方のアグニエルは一世一代の山場を迎えて毛の無い頭に脂汗を浮かべていた。今部屋に居るのはアグニエルとレフィーリアだけで、アグニエルは多忙なバローに代わりレフィーリアに報告を持って来たという体で2人きりにして貰ったのだ。
「……」
レフィーリアはアグニエルの持って来た書類を怜悧な瞳で流し見ており、アグニエルは切り出すタイミングを計っていたのだが、戦争の結果報告が短いはずも無く、今か、いや、もう少し待つか? とやっている内に既に1時間が経過していた。
(……結局ここまで言い出せんとは……俺は緊張しているのか?)
王子であったアグニエルはそれなりに女性関係の経験を積んでいるが、こういう緊張を感じた事は今までに一度として無かった。むしろ緊張しているのはいつも相手の方であり、アグニエルにとって女とは常に自分の風下に立つ存在だったのである。
しかし、バローはアグニエルに対しレフィーリアを紹介しあてがってくれるような親切な、或いは下世話な真似はしなかった。
「惚れた女くらい口説けねぇ玉無し野郎にレフィーをやれるかよ。俺の目に適っても結局はレフィーがうんと言わねぇならこの話はナシだ。レフィーを欲しがる奴は星の数ほど居るんだぜ?」
最後の一言は脅しだろうが、前半部分は間違い無く本気だろう。ノワール家は既にノースハイア最大の貴族なのである。財力、権力でそれを上回るのは王家だけで、それ以外の家など歯牙にもかけぬ強大な存在であり、他の家の力を当てにして生き残らなければならない弱小貴族とは違うのだ。レフィーリアに好きな相手と結婚させたいという我儘を通す程度にはバローは妹を愛しているし力も持っているとアグニエルは理解していた。
(……えぇい、いつまでも迷っていられるか!!)
だからと言ってせっかく手に入れた機会を棒に振るう事など出来るはずも無い。
初対面の時、レフィーリアはアグニエルに釘を差したのだ。
「アグニエル「さん」、あなたの過去の肩書きが何であろうと、弟子入りした立場の人を私は殿下として扱いません。もしこの領地で問題を起こせば、この領地の法で裁かせて頂きます」
宜しいですか? という確認では無く断定口調で言われてアグニエルも当初は面食らったが、差された釘が恋心に転化するまでそう長い時間を必要としなかった。
レフィーリアは有言実行、アグニエルを単なる一個人として扱い、時には常識だと思っていた事で叱られる事すらあったが、その度に素直に謝罪するアグニエルに最後は少しだけ笑顔を見せた。
「いくら注意してもまるで懲りない兄上に比べれば叱り甲斐がありますよ。以後気を付けて下さい」
普段の理知的なレフィーリアも美しかったが、そうやって僅かに年頃の女性の柔らかさを見せるレフィーリアにアグニエルはすっかり参ってしまったのだ。
恋心が自分でも自覚出来るようになるにつれ、アグニエルはレフィーリアを妻にと思い始めたが、アグニエルには容易には踏み出せない重大な過失が存在した。
臣下に唆されて王位の簒奪を企てた謀反人。それがアグニエルに二の足を踏ませたのである。
辛うじて処刑や投獄は免れたが、今のアグニエルは王族としての権力を失ってしまっており、サリエルの嘆願とカザエルの温情が無ければこの程度では済まなかっただろう。
だからこそアグニエルにはレフィーリアに釣り合う男としての手柄が必要だったのだ。
「へぇ……『天使』の内の一体はアグニエルさんが倒されたのですか。大手柄ですね」
折りよくレフィーリアがフォロスゼータ突入の際の資料に辿り着いたと察したアグニエルはこれこそ好機と心の中で覚悟を決めた。
「ああ、どうしても俺には手柄が必要だったのだ。……レフィー殿に相応しい男になる為に……」
「え?」
書類を追っていたレフィーリアの目がじっと見つめるアグニエルと絡み合う。
「レフィー殿、俺は命は許されたとはいえ簒奪を企てた大罪人だ。その汚名を雪ぐにはそれでもまだ不足しているという事は分かっている。だが、この胸の内にある想いはどうにも抑え難いのだ……」
胸を押さえ、アグニエルは熱い想いを解き放った。
「レフィー殿、俺の、妻になっては貰えんか?」
早口にならぬように、はっきりとアグニエルはレフィーリアに求婚の言葉を口にした。
「……」
対してレフィーリアは顎に手を当てて少し考え、アグニエルに尋ねた。
「……兄や陛下はこの事をご存知なのですか?」
「あ、ああ、バロー師には求婚する許可を貰ったし、陛下には勝手に他国に行かれるよりはと……」
少し顔は紅潮しているが、予想外に冷静に返されてアグニエルは戸惑いながらも正直に答え、それを聞いたレフィーリアは頷いた。
「ならば結構ですよ。しかし、当分は私もアグニエルさんも忙しい身の上ですから今は婚約だけにしておきましょう。この平和な時間を確たるものにしてからでなくては私事を優先する事は出来ませんからね」
「……」
あっさりと受諾するレフィーリアにアグニエルは熱意が空回りした無力感を感じていたが、どうにもレフィーリアの真意が理解出来なくてその理由を尋ねた。
「……その、求婚した俺が言うのも何だが、そんな簡単に決めてしまっていいのか? レフィー殿は好いた男など居らんのか? ……例えば、ユウなどは……」
「婚約を許諾した相手に随分とおかしな事を訊きますね?」
「う……」
温度の下がった視線を向けられてアグニエルは心理的に一歩退いた。確かにOKの返事をくれた女性に対し他の男への好意を尋ねるなど失礼以外の何物でも無い行為である。だが、レフィーリアは一応尋ねられた事に関しては答えてくれた。
「……私にとってユウという人物はノワール家の恩人で、兄上の悪友で、厳しくて、頼りがいがあって、容赦が無くて、お人好しで、口が悪くて、融通が利かなくて、いつも早足でどんどん先に歩いて行ってしまう……そんな人です」
レフィーリアの評は好悪が入り交じり、容易にその人物への評価を掴ませないものだったが、最後に一言付け加えた。
「あの人はこの世界に根を下ろす人間ではありません。ですから私の伴侶としては考えた事もありませんよ」
一番レフィーリアが惹かれていそうな悠の評を聞いたアグニエルはそれ以上は自分には推し量れないと割り切り、次は自分の事を切り出した。
「ならば、俺の求婚を了承してくれたのは何故だ?」
「……アグニエルさん、何を言っているのですか? いくら庶民に混ざって行動していたからと言って、貴族の流儀を忘れた訳では無いでしょう? 当主である兄上が許可なさったのならお断りする理由がありませんよ」
さも当然とばかりに理由を述べるレフィーリアにアグニエルの顔から血の気が引いた。
「そ、それでは意味が無いのだ!! バロー師はあくまでレフィー殿の自由意志に任せると――」
「勘違いなさっては困りますね」
アグニエルの言葉をレフィーリアが遮る。
「私はアグニエルさんが思っている以上に兄上を信頼しています。その兄上が許可を出された方なら間違いは無いだろうと思ったからこそ求婚をお受けしたのです。運良くその方が好意を抱いている方で助かったと思いましたよ」
「だからそういう事では…………ん?」
貴族として理由を語るレフィーリアにどうにか自分の思いを語って貰おうと躍起になっていたアグニエルは危うく小声になった後半部分を聞き逃しかけたが、どうにか音を拾った耳が意味を咀嚼し始める。
「……済まん、今何と言ったか? 好意?」
「……同じ事を二度は言いません。だからこれは独り言です」
強い視線でアグニエルを突き刺してからレフィーリアは書類に目を落としてぽつぽつと語り出した。
「王家を追い出された元王子如きが兄上の鍛練に付いて行けるはずが無いと私は高を括っていました。戻ってからの兄上の鍛練の量と質はおよそ根性無しに耐えられるものではありませんでしたから。しかし、その元王子は泣き言一つ言わずその過酷な訓練に耐えました。正直、私は途中で逃げ出すかと思っていたのですがね」
書類に目を落としたままのレフィーリアの言葉は続く。
「ヘトヘトになりながらも兄上に食らいつくその姿ははっきり言って洗練とは無縁でしたが、私はいつの間にかその姿を目で追う様になっていました。ああ、今日は随分と扱かれたんだなとか、今日は昨日より傷が少ないな、とか……それはいつしか私の日課の様になっていました」
書類を通して追憶するレフィーの口元が微かに綻ぶ。
「戦争に行ってしまってからはその日課も途絶えてしまい、随分と寂しく感じたものです。多分、私はもうとっくに……」
書類がレフィーリアの手からはらりと落ち、アグニエルと再度絡み合った。知性の中に宿る熱を感じ、アグニエルはレフィーリアの手を取って語り掛ける。
「……いいのか? 俺は先ほど言った通り大罪人だ、後ろ指を指す人間もきっと居るだろう。それでも俺を選んでくれるのか?」
「我が家の当主はこの地を一度失敗した者でもやり直せる場所にしたいとお望みです。ならば、妹たる私がそれを実践するのもいいでしょう。後ろからしか非難出来ない人間など恐れるに足りぬと思い知らせてやって下さい」
レフィーリアの言葉にアグニエルはようやく強い高揚感が湧き上がって来るのを感じていた。レフィーリアが側に居てくれるのなら誰に文句を言われても決して怯みはしないという万能感に、アグニエルの手に熱がこもる。
「……俺の人生はまだまだこれからだ。必ず汚名以上の功績を積み重ねてレフィー殿を、レフィーをノースハイア一幸せな女にしてみせるぞ!!」
「ふふっ、期待していますよ、アグニエル」
こうしてアグニエルとレフィーリアは婚約する流れとなったのだった。
おめでとうアグニエル。おめでとうレフィー。
……おめでとう、妹に先を越された髭。




