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9-33 『六眼』捜索8

少し長いです。

ぎこちない空気が流れ、ビリーは明を連れて来れば良かったかと内心で溜息を吐いた。明は初対面の相手でも物怖じしないし、人と仲良くなるのが得意だ。すぐに子供達と打ち解け、この場の潤滑剤になる事も出来ただろう。


しかし、居ない人間を、更にはまだ幼い子供を頼っていても始まらないのでビリーは頭を切り替えた。


「……トモキ、子供達の相手をしてやってくれないか?」


「はい、いいですよ」


言外に子供達には聞かせたくない話も混じるかもしれないというニュアンスを察した智樹はすぐに了承しアルベルトに視線で訴えた。


「……アルベルト……」


「いや、大丈夫だ。コロッサスやオルネッタが危険な人物を送り込むとは思えん。ラズベルト、マーテル、このお兄さんと少しの間お部屋で遊んでいなさい」


依然警戒の解けないイレイズは得体の知れない人物に子供達を預けるのを嫌がったが、アルベルトの常にない強い視線に渋々受け入れた。


「あたしもそっちに居るよ。他のみんなが居れば話は伝わるだろ?」


「そうだな……カンナも子供達を頼む」


神奈も話し合いが込み入る事を察し、子守りを引き受けた。ビリーやリーンが居れば交渉に不都合は無いだろう。


「ラズベルト君、マーテルちゃん、よろしくね?」


「うん!」


「……うん」


ニコリと微笑んで子供達と握手を交わした智樹はビリーとアルベルトに視線で礼をして神奈と共に奥の部屋に移動していった。


「さて……それでは話を聞かせて貰おうか。もう何年も人里には下りていないのでね、詳しく話して貰えると有り難いが……」


「ならば最初から話させて貰いましょうか。多分、予想を遥かに超えるほど世界情勢は変わってしまっていますから。我々の依頼にも関わる話です」


椅子は4つしか無かったので蒼凪とシャロンはビリーとリーンの背後に立ち、ビリーはこれまでの経緯を2人に語り始めたのだった。




「……俄には信じられんな……まさか、あれだけ反目していた国々が手を携える日が来ようとは……」


アルベルトが腕を組み、難しい表情で唸った。アルベルト達が冒険者をしていた頃、ノースハイアとアライアットは戦争中であり、ミーノスは高値で軍需物資を売りつける事で私腹を肥やしていたのだ。それが急転直下に和解したと言われても信じ難いのは無理からぬ事である。


「それに、コロッサスやアイオーンがギルド長になって、オルネッタに至っては本部の統括だと言うのだからな」


「ちょっと大きな街に行けばすぐに分かる事ですよ。それぞれの国の不穏分子は除かれましたし、世界は健全な方向に向かって歩み始めました。我々のリーダーであるユウさんは争いの無い世界を築く為に日夜奔走しています。そこで本題なのですが……」


ビリーは佇まいを改め、アルベルトに語った。


「アライアットは冒険者を排していた為にギルドがありません。しかし、こうして国交を回復した事を契機に新たに冒険者ギルドを設置する事になったのですが、今語ったように各国ともに人材が深刻に枯渇しています。現状ではギルド長が務まるほどの人物が居らず、オルネッタ統括は昔の縁を頼ってイレイズさんとアルベルトさんにそれを任せたいと望んでおります。……今一度、表舞台に戻っては頂けないでしょうか?」


「「……」」


ビリーの要請にアルベルトもイレイズも言葉を返さなかった。重い沈黙が場を支配し、見かねたリーンが言葉を継いだ。


「お2人ともまだお若く、冒険者を統率するのに十分な技量を維持していらっしゃるとお見受けしました。それに、一生ここで暮らしていくという訳にも行かないのでは無いですか?」


リーンが奥の部屋にチラリと視線を向けた意味を察してアルベルトが口を開いた。


「……そうだな、我々夫婦はここで一生を終えても構わないが、子供達までここに縛り付けておく事は出来ないと思っていた」


「アルベルト!?」


アルベルトの呟きに反応したイレイズがその腕を掴んで拒否の視線で訴えたが、アルベルトは小さく首を振った。


「イレイズ、お前にも分かっているはずだ。ずっと先延ばしにして来た答えをそろそろ出さなければならない時が来たのだと。きっといつかはこういう決断を下す日が来るとは思っていた……」


「私は嫌よ!」


アルベルトから手を放し、イレイズは我が身を抱き締めて訴えた。


「アルベルトが居て、ラズベルトが居て、マーテルが居て……それだけでいいじゃない!! 危ない外の世界になんて行かなくてもここで皆で暮らせればそれで十分だわ!!」


「イレイズ、声が大きい」


子供達への影響を鑑みてアルベルトが注意するとイレイズは声のトーンを落とした。


「……とにかく、私は反対よ。平和になったというのなら尚更ここに居ればいいのよ。ずっと家族一緒に平和で――」




「あなたの箱庭を子供に押し付けるのはあなたの我儘」




突如発言した蒼凪の言葉で場の空気が凍り付いた。


「何ですって……?」


「ソーナ!!」


不躾な蒼凪の介入にビリーが普段は出さない怒声を放ったが、蒼凪は表情を変えなかった。


「ビリー先生、本気で説得する時は決裂する覚悟が要ると私は思う。今のまま来られてもアルベルトさんはともかくイレイズさんは役には立たない。そもそもやる気の無い人なんか必要無い」


蒼凪は静かに怒っていた。乏しい表情とは裏腹に鬼気すら帯びる眼差しでイレイズを突き刺し、弾劾の言葉は止まらない。


「大切な者を無くした苦しみと悲しみは理解出来る。でも、誰が死のうが何を失おうが人は自分の足で立ち上がらなくてはならない。……この人は、自分の足で立ってなんかいない。アルベルトさんや子供達に伸し掛かって辛うじて立っているように見えるだけ。それは他の誰かが混じるだけで失われる閉ざされた世界。だから箱庭と言った」


「箱庭の何が悪いの!? 私がどんな思いでこの場所を築き上げて来たかあなたは知っているというの!?」


「私にはまるで関係が無い。そして、子供達にも」


殺意すら感じさせるイレイズの剣幕にも蒼凪は視線を逸らさなかった。


「言い過ぎているとは思う。だけど、あなたが母親だと言うのならその気概を子供達に示して欲しい。……いつか子供達に分別がつくようになった時、あなたは子供達になんて言うの? 逃げて逃げて逃げて逃げて……そしてひっそりと死んでいくのが幸せだと言うの?」




パン!




顔を真っ赤に紅潮させたイレイズの平手が閃き蒼凪の頬で弾けたが、最後まで蒼凪は視線を逸らさずにビリーに言った。


「……ビリー先生、後はお願いする。私は外でテントの準備をしている」


「あ、ああ……」


それ以上を言葉にする事無く、蒼凪は一礼して荷物を背負い外へと出て行った。


「すいませんでした!」


蒼凪が出て行った直後、ビリーが立ち上がって2人に深々と頭を下げた。


それに対しイレイズは無言で踵を返したが、その姿が見えなくなってからアルベルトは首を振った。


「いや……これは俺がもっと早く言わなければならなかったんだ。嫌な役割を押し付けてしまって誠に申し訳無い」


少し疲れた表情で逆に頭を下げたアルベルトから、ビリーはアルベルトもイレイズの心を癒そうと努力を重ねて来たのだろうと察した。子供達の成長は夫婦にとって喜びでもあり、同時に恐れでもあったのだ。


「今の話、俺は引き受けてもいいと思っている。他ならぬオルネッタの頼みならな……だが、イレイズを一人には出来んのだ。何とか説得してみるから、少し時間を貰えないだろうか?」


「はい。ですが、我々もあまり長居は出来ません。なるべく早く返答を頂ければ助かります」


そう言いながらも、ビリーはイレイズの様子から色好い返事を貰うのは難しいだろうと思った。おそらくイレイズは過去にシュレイザを失った事がトラウマになり、失う事への恐怖に捕われているのだろう。このまま連れて行ってもギルド長の激務をこなせないのは目に見えていた。


「それとは別にイレイズさんには人探しを頼みたかったんですが、今は話を聞いて貰えそうに無いですね」


「少し時間を置いて貰えるとありがたい。ギルド長の事はともかく、そちらは請け負うと約束しよう」


「ありがとうございます」


一仕事終えたビリーはようやく肩の荷が下りた気分で一息吐いたのだった。




「……」


黙々と野営の準備をする蒼凪をイレイズは台所の窓から見つけ、思わず身を隠した。まだ頭の芯には怒りが熾火の様にくすぶっており、掛ける言葉が見つからなかったのだ。


幸い蒼凪は隠密行動を得意とするイレイズに気付いておらずテントの準備に没頭しているようだったが、不意に何かに気付いて顔を上げた。


「悠先生?」


その単語に反応してイレイズは入念に気配を断ち聞き耳を立てた。ユウとは確か今日訪れた冒険者達のリーダーだったはずだ。


何かの魔法か魔道具かで交信しているらしい蒼凪は、普段は声に出さなくても通じるはずの言葉を漏らしていた。




蒼凪は咄嗟に何でもない様に振る舞おうとしたが、それは一瞬で悠に看破された。『心通話テレパシー』は普段よりもダイレクトに相手に感情が伝わってしまうのである。


(……蒼凪、何かあったようだが?)


「い、いえ……」


思わずギクリと体を強ばらせた蒼凪だったが、悠はもう一度名前を繰り返す。


(蒼凪)


怒鳴るでも無く高圧的でも無いが、全てを見透かすその声音に蒼凪は自分の感情を隠す事は出来なかった。


「…………私のせいで説得が失敗するかもしれません……」


まるで目の前に悠が居るかの様に蒼凪は項垂れ、自分がイレイズに言った事を白状した。その姿は先ほどまでの何も恐れる物など無いと言わんばかりの強さは欠片も無く、どこにでも居る一人の気弱そうな少女であった。


聞き終えた悠はしばらく黙っていたが、やがて蒼凪に問い掛けた。


(蒼凪、自分が間違った事を言ったと思うか?)


「……間違った事を言ったとは思っていません。でも、熱くなって言い過ぎたとは思っています……」


(何故熱くなった?)


「……」


沈黙する蒼凪は自分の中にある答えがあまりに自分勝手で情けなく、自然と涙が込み上げて来たが、やがて重い口を開いた。


「……弱いお母さんは嫌いです……」


事情を知らない者には脈絡の無い言葉だったが、蒼凪が激した理由の大半がそれだった。


「悠先生が知っての通り、私のお母さんは弱い人でした……お父さんが冤罪で捕まったんだって、私達家族だけは知っていたのに、信じていたのに! お母さんはただ体を丸めて小さくなるだけで戦わなかった! 逃げて逃げて逃げ続けて、最期は生きていく事からすら逃げて!!」


蒼凪は外見だけを見れば大人しい少女だが、その内面には自分ですら持て余す炎の如き激情を宿していた。それは、理不尽に翻弄されるしかなかった自分自身への怒りだ。


「守って貰うだけじゃ強く生きていけないんです! 親は、子供に戦う姿を見せなきゃ駄目なんです! 戦い方を教えてあげなきゃ、逃げてばかりじゃ子供は逃げ方しか分からないんです!」


流れる涙にも気付かず、蒼凪はただただ己の熱を吐き出していた。胸を突き破らんとする感情を握り締める事で堪え、荒れ狂う心の平静を求めた。


「私はそうはならない!! 勝てなくても、悪足掻きでも、ずっと前を向いて戦う!! 私は、お母さんみたいに弱くなりたくない……!」


最後に出て来た言葉が蒼凪の恐れる物の正体であったのだろう。蒼凪は自分の弱さを知っている。弱い自分を知っている。そして、母の弱さが自分にも受け継がれているのでは無いかと恐怖しているのだった。


膝を付き、胸を押さえて嗚咽を漏らす蒼凪の脳裏にいつも自分を温めてくれた声が届いた。


(蒼凪、よく聞け)


しゃくり上げ、止まらない涙を拭って蒼凪はその声に耳を澄ませた。


(人の強さも弱さも生まれながらに親から受け継ぐ物では無い。その人間が自分自身で時間を掛けて築き上げていく物だ。模範的な教師となる親も居れば反面教師になる親も居る。だからお前は、お前の強さを築き上げていけばいい)


完璧な親など書物の中でしか存在しない。人は皆何かしらの欠落を抱えて生きており、そこから何を学び取るのかは本人に委ねられていると悠は語っていた。


(体は強くなっても心を鍛えるのは一朝一夕とはいかんものよ。乗り越えろ、蒼凪。弱さを見ないふりをする事が強さでは無いぞ。弱さを自覚し、それでも強くあろうとするのが強いという事だ。……俺の言っている事が分かるか?)


「……少しだけ……」


(今はそれでいい。それを忘れなければ明日のお前は今日のお前より強くなれる。明後日はもっと強いお前が居るだろう)


悠の言葉が蒼凪の心に沁み込み、荒れていた心中が凪いでいくのを蒼凪は感じていた。嵐は過ぎ去り、温かな太陽が蒼凪の中に宿ったような気すらしてくる。


私の太陽、などという陳腐な表現が浮かび、蒼凪は人知れず恥じ入ったが、悠の言葉にはまだ続きがあった。


(それと蒼凪がイレイズに言った事だが、俺も概ね同じ意見だ。自分の世界に閉じこもって安寧を貪りたいのなら勝手にすればいい。そんな人間の手を借りようとは思わんし、その内寿命が来るか子供に見限られて残酷な結末を迎えるだろうよ。それが戦わなかった人間の末路だ)


悠は蒼凪よりも更に内容に容赦が無かった。戦わない事と失わない事は繋がってなどおらず、緩慢に破滅を待つのと同義であると悠は断じた。


(……だが蒼凪、お前にも瑕疵がある。自らの感情のままにただ正論を吐くのは正しい行いでは無い。誰かの人生を左右するような言葉はもっと冷静に、覚悟を決めて放つものだ。それが出来ない人間が他人にとやかく言う資格など無いぞ)


「はい、申し訳ありませんでした」


蒼凪が言い過ぎたと感じたのは、自分が感情のままにイレイズを弾劾したという自覚が多少なりともあったからだろう。それに気付かされた蒼凪は素直に悠に謝罪の言葉を述べた。


(謝る相手は俺じゃない、イレイズだ。明日になって落ち着いたらまずは謝る事だ、いいな?)


「分かりました。明日、イレイズさんに謝ります」


悠に言われたからでは無く、自分の醜態を自覚して蒼凪ははっきりと口にした。


(そちらのおおよその状況は把握した。説得は難しいだろうが、自分のやるべき事を見失うなよ。俺も応援しているからな)


「はい!」


激励の言葉を最後に悠との交信が途切れ、蒼凪は思いを新たにして深く頷いた。


……自分の心の中に入り込み過ぎたせいで、背後の家の中からカタリと小さな音がした事には気付かなかったのだった。

人間的には母親になって落ち着いたイレイズですが、その分心の表面が頑なになってしまっております。


ちなみに、子供達には大きい声がバレないように智樹と神奈が体を張って誤魔化しています。

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