9-21 暗中模索10
悠は海王に迫りながら様々な観点で海王の解析に努めていた。
まず最初に床の石材を断った透明の刃だが、正体は水である。僅かに飛んで来た飛沫や反射光からそれを察した悠は距離を空けるのは危険だと判断した。
原理としては高圧を掛けた水を噴射したという所だろうが、だとすれば距離を取れば撃たれ放題になると考えたからだ。
だからといって接近戦が楽かと言うとそんな事も無い。海王は悠の持つ超硬度を誇る真龍鉄を蹴っても骨折する事も無く平気で動き回っているのだ。しかもその身のこなしから格闘術を高いレベルで修めているのは確実であり、触手を用いた筋力も『変化』中のドラゴン並みであろう。
だが、無力化するならば接近戦の方がやりやすいという理由で悠は接近戦を選択した。悠が持つ遠距離攻撃は破壊力があり過ぎるのだ。『火竜ノ槍』は当然として、威力の調節は出来ても生身では単発でしか扱えない『竜砲』では海王を捉え切れない可能性が高く、投げナイフでは逆に威力が足りない。
「うらっ!!」
互いの間合いに入った所で先に海王が拳を繰り出し、悠は刹那遅れて前に出した左手を海王の拳に添え、僅かに力を加えて攻撃を流した。普通なら体が流れて悠の絶好の攻撃機会となっただろうが、海王は流されたまま、その勢いを次の攻撃に利用した。
ゴウッ!!!
体を捻り、海王が繰り出した裏拳が悠の頭があった場所を薙ぎ、悠が頭を後方に逸らせて回避するのに合わせ、跳躍して縦回転に切り替え踵落としならぬ触手落としを鞭のように振るう。
踵落としならば悠は半歩前に踏み込んで海王の膝裏で受け止めただろうが、この触手相手ではそれは悪手だ。もし膝裏を止めれば慣性に従い、触手が悠の背中を打つだろう。
だから悠は裏拳を回避した後、半身になる事で縦の攻撃を回避した。
海王の触手が床を打ち、石材に亀裂が入る。
今海王の顔は悠の腹の高さにあり、悠の足が届く距離にあったので、悠は躊躇う事無くその顔に向かって回し蹴りを繰り出した。
捉えた、と戦いを見守っていたスフィーロは思ったが、悠の蹴りは紙一重で空しく空を切る。
「っぶないなぁ、首から上を持ってかれるかと思ったわ」
海王の姿勢は変わっておらず、ただ悠との距離がほんの少しだけ開いていた。
「便利な足だな」
それは魔法でも何でも無く、海王の触手が行った移動であった。ある程度の柔軟さを持つ触手を伸ばし、海王は自分の体を後方へとずらしたのだ。
「ホンマやで、安定もええし、バランス悪そうな足しか持ってへん奴らには同情するわ」
海王はその間に体を起こし、悠に不敵な笑みを向けて来た。
今の攻防で分かったのは、海王の重心を崩すのは難しいという事だ。あの足ならどのような体勢でもバランスを崩す事は無いだろうし、足払いなどは通用しない。人間を相手にしている時と同じ様に考えていては思わぬ体勢から反撃を食らう事になるに違いない。
「さて、お互い体が解れて来た所でホンバンといこか!」
海王が再び悠との距離を詰める。手か足か、はたまたそれ以外の攻撃か、海王の取り得る選択肢は多く、悠は情報の少なさから後手に回っていた。
触手のリーチを活かした鞭の様な蹴りが上段を刈り、悠がしゃがんで回避。だが、そこで海王の口が僅かに窄まり、何かが飛び出す。
悠は首を高速で傾け飛んで来た何かを回避するが、その頬がザックリと切り裂かれて血が宙に舞った。
「……水の矢か。魔法の『水の矢』の比では無い威力と速度だ」
《魔力を介して無いから余計厄介ね》
海王が口から放ったのは最初に床を切り裂いた物と同じ原理の技だ。高速かつ視認し難い水の矢は体勢を崩していては悠でも回避困難であり、質量がある分『風の矢』よりもずっと威力が高い。体の各部から今の攻撃が放てるのなら組み技を仕掛けるのは自殺行為だろう。
ならば活路はやはり打撃戦に求めるしかない。海王は悠を殺すつもりだが、悠に海王を殺すつもりは無いのだ。
指先で頬の血を払い、悠は海王に一撃加えるべくギアを一段上に切り替えた。
直線的な動きでは海王に対応されると踏み、しゃがんだまま盾の裏から投げナイフを一本掴んで海王に投げた。
「ふん」
本気で投げてもいない投げナイフは海王にアッサリ弾かれたが、悠の目的は立ち上がる隙を作る為なので果たされ、即座に悠の体がブレ始める。
「なんや!?」
「「『双竜牙』」」
海王の左右からサイコに痛手を与えた挟み込む竜の顎の一撃――正確には二撃――が放たれた。初見で簡単に回避出来る技では無く、スフィーロは今度こそ悠が海王に一矢報いる事を確信し――再び裏切られた。
グニャ。
鈍い音が一回。不発の手応え。
《反応速度が速い!》
「……高速時間差攻撃かいな。まともに食らったらシャレにならへんけど、片方だけなら振り抜かん分普通の蹴りより威力が落ちる道理やん?」
『双竜牙』は防御不能技である。技を出されたが最後、相手はある程度のダメージを覚悟しなければならない。まだ未熟な神奈が放った『双竜牙』すらドラゴンのウィスティリアに幾ばくかのダメージを与えたのだ。しかし、それは過去形で語られる事になった。
『双竜牙』の弱点。それは速度を稼ぐ為に蹴りを振り抜かない事である。相手の中心線に届いたらすぐに逆の蹴りを放たなければならず、それゆえにそれぞれの威力の低下は避けられないのだ。
海王は悠の蹴りを見切り最初の蹴りを回避し、もう片方の蹴りの速度が乗り切る前に受け止めていた。それはコンマ以下を正確に認識出来ていなければ不可能な芸当であった。
更に海王は体組織も人間とは大きく異なっていた。
悠の蹴りは海王の腕で受け止められていたが、その腕が人間では有り得ない柔軟さを持って悠の蹴りを受け止めていたのだ。ゴムで出来ているのではないかと思われる撓んだ腕のまま、海王は笑った。
「ウチは体をある程度自由に変えられるんや、単純な打撃なんぞで倒せると思うなや」
そうのたまう海王の腕は既に通常の腕の状態に戻っていた。これが全身にも及ぶなら、軽い打撃では海王にダメージを与える事は不可能だろう。
悠の足を弾いて体勢を崩そうとする海王の動きに先んじて足を引き、至近距離での拳の応酬が始まる。
速度優先の拳では例え海王に当たってもダメージに繋がるとは思えないが、手を出さなければ一気に押し切られかねない怒涛の乱撃を繰り出す海王に悠も応戦した。
《何という戦いだ……!》
スフィーロは両者の技巧に心底感動していた。ミリ単位かそれ以下のレベルで相手の打撃を避け、拳の嵐の間に無理矢理拳を捻り込んでいるような攻防を続けている両者に未だクリーンヒットは一発も無いのだ。これほどの戦闘が見る者も少なく薄暗い海底の一室で行われている事をスフィーロは心底惜しく思った。『戦塵』の誰と手合わせをしても悠とこれほどまでに肉薄する者は居ないのだ。彼らが見れば後の糧となっただろうに。
しかし、海王の戦い方は海王というただ一人の為に練磨された物であり、余人に真似出来る物では無いとすぐにスフィーロは思い知った。
「グフッ!?」
顔面に集中していた悠の拳が一発、気配を断って下から鳩尾にめり込んだ。意識の隙間を縫う拳技、『飛燕』である。
だが、打撃の効果が薄いのは悠も承知の上なので、更に返しの右フックで海王の顔を打ち抜いた。常人なら首をへし折るその威力に海王の体が流れ……その場を飛び退いた悠の腹部が切り裂かれた。
《ユウ!?》
「……大丈夫だ、浅い」
浅いと言っても腸が飛び出ない程度という意味で、傷は小さくは無い。患部を圧迫する右手の隙間から赤い筋が幾条も滴り、床に物騒な水玉模様を作った。
「……チッ、アホンダラァ、もうちょい油断せぇや! 肉を切らせて骨を断ってやろうか思うたんに、単なる相打ちやないかい」
視線の先の海王は悪態を吐きつつも口から青い血を地面に吐き捨てて首を戻した。どうやら殴られたのは誘いだったらしく、首を柔軟にする事で悠の打撃を逃がし、バランス感覚に優れる足で無理な体勢を維持しもう片方の触手を真横に振り抜いのだ。悠が打撃の手応えに違和感を抱いて飛び退かなかったら今頃は背骨まで一気に体を上下に分断されていただろう。
「ホンマ、人間やないな。本気や無いとはいえ、ウチとここまでいい勝負出来る男は初めて見たわ。自分、自慢してええで。……あの世でやろうけど」
そう宣言すると、海王から余裕の気配が消え、殺気が一段と鋭い物に代わっていった。
「けど、終いや。ボコスカ殴られるんはやっぱウチのプライドが許さへんわ。……もう死にぃや」
距離を取らざるを得なかった悠に海王が十指を開き、その先端を悠に向けた。
「ほなサイナラ!!」
超水圧の水鉄砲がその指の先端から悠に向けて発射され、悠を貫かんと迫っていった。




