9-18 暗中模索7
悠が目的の小島に上陸した時には既に日は傾き、辺りは薄暗くなり始めていた。水気を払った悠はとりあえずこの小島の中を軽く探索しておこうと浜から時計回りに歩き始める。
だが、探索を始めてすぐに違和感を抱いた。
《……ユウ》
「ああ、分かっている。……何か居るな、この島は」
悠の鋭敏な感覚が漠然とした何者かの気配を感じ取っていた。害意というレベルでは無いが、遠巻きに監視されているという所だろうか。
《そんなはずは無いぞ。この島は我が生まれる前から存在するが、今まで一度も魔物はおろか野生動物すら発見された事は無いのだ。そもそも水場が無いのだからな》
命を保つ為の水場が無いのでは陸上生物は生きてはいけないし、スフィーロの言葉は理に適っていたが、悠はあえて首を振った。
「そういう範疇の生き物では無いのかもしれん。そもそもドラゴンが人間サイズになる術を得たのは最近になって『変化』を供与されてからの事だろう? わざわざ上陸して島の隅々まで探索した訳ではあるまい?」
《それは……その通りだが……》
長年培った何も無いという先入観のあるスフィーロは半信半疑であったが、悠とレイラが揃って違和感を感じているなら気のせいで済ます事も出来ず、よくよく感覚を凝らしてみれば確かにごく僅かな違和感を感じないでも無かった。
《……何も知らなければ動物でも居るのかと思っただろうが……確かに妙な気配だな》
「襲ってくるという訳で無ければ放っておくさ。わざわざ潜伏先で騒ぎを起こす事もあるまい」
悠は危険は無いと判断して島の捜索に没頭する事に決めた。少なくともドラゴンがその存在を知らないのであれば悠が滞在しているという情報が漏れる事も無いと判断したからである。
《剛胆な事だな。正体を探ろうとは思わんのか?》
「俺は別に用は無い。用事があるなら向こうからアプローチしてくるだろう。先住民なら騒がせた詫びくらいは要るかもしれんが、向こうに会う気がないのなら無理に探さなくても良かろう。そもそも知的生物とも限らん」
せめて滞在くらいは大目に見てくれれば悠としては御の字だ。ここに永住する気は無いし、金銭や物品で済むのなら供え物をしてもいい。
何となしの違和感を感じつつも悠が島をぐるりと一周するのに一時間程度という所だった。悠の歩行速度が足場の悪さを考慮して時速4キロと仮定すると、多少強引に当てはめれば一辺が1キロの正方形であろうか。人間が一人潜伏するのであれば十分な広さと言えるだろう。
「内陸部はまた明日に捜索するとして、今日は野営の準備をするとしよう。森と言えるだけの樹木もある事だ、上空から見えんようにテントを張る事も出来そうだしな」
島の内陸部は樹木が密集した森になっており、一見しただけで悠の姿を発見する事は出来ないだろう。悠は手早く材料を取り出すと樹木を利用して簡易的なテントを組み上げた。軍人で野営経験も多かった悠には手馴れた作業である。
「そう言えばあのホーンドフィッシュは結構な高級食材で美味いらしい。恵に土産に持っていってやれば良かったかもしれんな」
《ダメダメ、そんなので喜ぶのはカグラくらいよ。ユウったら相変わらず女心って物が分かってないわね!》
「そうか……俺は喜ぶと思ったのだが、エンペラーシャークの方がいいか?」
《……処置無しね》
どうも悠は恵の料理人としての能力に敬意を払い過ぎているらしく、新しい食材なら腕の振るい甲斐があると考えたのだが、お土産は以前にエリーに贈ったような宝飾品などでいいのだとレイラに諭されるのであった。悠が喜ぶと考えたのは恵が嬉しそうに食事を振舞うからだったが、それは振舞う相手が……と、そこまで言うのは野暮というものだろう。
潜伏しているのだから火を焚く事は当然出来ないが、氷点下にもならない気温で悠が寒さに不平を漏らす事は無く、食事を済ませると早々に床に付いたのだった。
人工的な明かりなど無い闇の中、僅かに悠のテントの入り口が開き、「それ」は内部に侵入した。
「……」
初めて見る人工物と人間に一瞬「それ」の足が止まるが、自らの怯懦を頭を振って追い出し、悠の顔が見える場所にスルスルと移動していく。
目を閉じて眠る悠の顔を覗き込み、完全に寝ている事を確認した「それ」は恐る恐る悠の顔に指を伸ばし、ちょんと突いてすぐに後ろを向き体を丸め、背後に向き直って悠が寝ている事を再確認すると得意げに胸を張った。度胸試しか肝試しでもしているつもりなのかもしれない。
調子に乗って悠の頬をペチペチと叩き誇らしげな表情をした「それ」は次に悠の荷物を物色し始めた。
枕元にあるナイフを触らないように避け、外に出ている物をふんふんと分かったような顔をして頷くが、不意に感じた甘い香りにうっとりと目を閉じ、香りに釣られるようにその場所に辿り着く。
そこにあったのは布を被せられた何かで、そっとその布をずらすととても良い香りが一帯にフワリと広がった。見た事も聞いた事も無いが、本能的に「それ」にはこれが食べ物であるとの確信があった。でなければこんなに涎が出るはずがないのだ。
口から垂れる涎を拭い、「それ」は食べ物らしき物に手を伸ばすと、綿雪のような触感が「それ」の手を押し返した。
慌てて手を引っ込めるが、その際に小さな欠片が手に付いたので、「それ」は意を決して自分の口に欠片を放り込む。
一瞬の思考の空白。
そして途端に広がる未知の世界。ほどよい甘さが口の中を陶然と蕩けさせ、「それ」の意識を別次元に連れ去っていった。世界にこのような美味しい物がある事を「それ」は初めて知ったのだ。
一度口にしてしまえばもう歯止めは利かず、「それ」は柔らかな食べ物を次から次へと口に放り込んだ。毟っては食い、毟っては食い、満腹になるまでその手が休まる事は無かったのだ。
10分が経過し、足を投げ出した「それ」は膨らんだ腹をさすって多幸感に酔いしれた。食事でこれほど満足したのはちょっと記憶に無いくらいだ。
そのまま「それ」は悠の隣で横になると強い睡魔に襲われ、ウトウトしている間に深い眠りに落ちていったのだった……。
(……で、何これ……虫?)
(縮尺は違うが人型をしているから違うと思うぞ)
(その割には知能が低そうだが……)
悠が敵地で寝ていて侵入者に気付かないなどという事は有り得ない。悠は「それ」がテントに接近を始めた時からずっと息を潜めてその動向を窺っていたのである。
だがそれも相手に殺気が無ければこそだ。
「それ」は人間の少女を10分の1以下に縮小したような容姿をした、簡素なワンピースを纏った小人とでも言うべき存在であった。耳は少し尖っているし肌の色は青白いが、姿形は人間のそれと大差は無い。
(どうやら俺の事を調べに来たらしいが……)
(荷物漁りの途中でお菓子をお腹いっぱい盗み食いした挙げ句、見つかっちゃいけない相手の隣で寝ちゃう子に何を調べさせるの……)
密偵としては有り得ないと言う他に形容し難いとレイラは呆れて平坦な声になっていた。
(だが俺に何かしようという気配は無かった事だ、あとは本人に聞いてみればいい)
悠は自分の隣ですやすやと眠る小人少女の肩をトントンと叩いて起こそうと試みたが、少女はこの短期間で驚くべき早さで深い眠りに至っており、少し肌寒かったのか悠の指を抱き枕のようにしっかり抱き締めて更に深い眠りに入った。
「……」
《……》
《あらヤダ、ちょっと可愛いじゃない》
ここに子供達が居れば多分レイラの言葉に同意してくれたのだろうが、悠もスフィーロもその手の感慨とはあまり縁が無く、指を引き抜こうとしても離さないので悠は起こすのを諦めた。
「……まぁいい、朝になれば起きるだろう。それまで待つか」
《妖精……か? むぅ、見た事が無いから分からんな……》
スフィーロは何か知っているようだったが、それも朝に纏めて聞けばいいと悠は体を横向きにし、片肘を付いて頭を支えると、小人少女を潰さないように注意して目を閉じたのだった。
急にアホの子の匂いがしますね……。




