9-16 暗中模索5
来たルートを逆に辿り、プラムドはドラゴンズクレイドルへと急いでいた。普通の人間には辛い冷気と高度だが、悠にその心配が無いのは言うまでもない。
ドラゴンズクレイドルに着くまでは高高度で飛行していたプラムドは海上に出た所で徐々に高度を落としていった。
(間もなくドラゴンズクレイドルに到着しますよ)
(了解だ)
『心通話』でやり取りをしつつ、プラムドは目的地が近い事を悠に告げた。あとは誰かに発見される前に潜伏先に選んだ小島に悠を下ろすだけだったが、やはり誰にも見つからずにという訳にはいかなかった。
「おいおい、誰かと思ったら使いっ走りのプラムドのオッサンじゃねぇか。まぁた雌にアゴで使われてんのかぁ?」
プラムドはそのドラゴンに気付いていたが、急に進路を変えて怪しまれる訳にはいかないので内心で焦りを覚えつつも平静を装って答えた。
「……ウィスティリア様をただの雌呼ばわりとは不敬だと思うが?」
「雌は雌だろうがよ。龍王様ならまだしも、ただの雌にフケーとかバカじゃねーのか?」
このドラゴンは名をセコイアンと言い、言葉と態度は大きいが実力で言えばドラゴンでは最低ランクに位置する。そもそも警戒任務に駆り出されている事からして、立場としては下っ端もいい所だが、深い思慮も無く粗暴であまり関わり合いたく無い相手である。
「何とでも言えばいい。私は私の任を果たすだけだ。先を急ぐので失礼する」
「おっとっと、そう急がなくてもいいだろうがよ……へへっ、何かウマソーな臭いがしやがる……ぜっ!!」
言うが早いが、セコイアンがプラムドの吊り下げていた荷物に食らいつく様に首を伸ばし、その中身を奪おうと迫った。
間一髪でその牙を避け、プラムドが怒声を発する。
「何をする!?」
「いいじゃねぇか、ソレ、何か食い物が入ってるんだろ? オレが味見してやるよ!!」
「くっ、止めろ!!」
ガチガチと牙を鳴らして荷物を奪おうとするセコイアンをプラムドは実力で排除しようかと思案したが、ここでセコイアンに勝ってもプラムドの不審さが際立ち、目を引いてしまうかもしれない。かと言ってこのままドラゴンズクレイドルに悠を連れて行く事も出来ず、プラムドは焦燥に駆られた。
(プラムド、俺の言う通りに行動してくれ)
そこに悠が一計を案じて声を掛け、プラムドに指示を飛ばした。その内容は危険を伴ったが、背に腹は代えられぬとばかりにプラムドは行動を開始する。
何度も繰り返される牙をギリギリの所で回避し、その度に大きく荷物は左右に揺れ、それが一定以上に達した時、プラムドの荷物を支える足が一瞬緩むと、中に納められていた木箱とその他の物品が宙に投げ出されてしまった。
「あっ!?」
「もーらいっ!!」
喜々として木箱を噛み砕かんとしたセコイアンだったが、そこに強烈な勢いで振られたプラムドの尾が直撃する。
「グエッ!?」
思わず空中で二転三転して吹き飛ぶセコイアンは辛くもバランスを取り戻すと、自分を打ったプラムドに殺気に満ちた視線を向けた。
「な、何しやがるジジ……イ……」
だが、そこには普段セコイアンが知る腰の低いドラゴンは居らず、怒りに燃え竜気を迸らせるプラムドの姿があった。
「……セコイアン、貴様、私が誰の指示でウィスティリア様に従っていると思っている? 私は龍王様の側近のヘリオン様の指示でこの任に就いているのだぞ!? それを邪魔し、あろう事か荷に傷を付けるとは……この場で貴様を殺してもヘリオン様はお許し下さるだろうよ!!!」
牙を剥いて猛るプラムドの口から強者の名が出た事でセコイアンは立場が逆転したと察し焦った。ウィスティリアの指示であれば牢に居る身ゆえ大した事も無いし、相手は腰抜けで有名なプラムドであろうと侮っていたのだが、それがヘリオンの指示であれば話は別である。
しばしの逡巡のちに、セコイアンから殺気が霧散した。
「……へ、へへ、なんだよ、ちょっと荷物を改めようと思っただけじゃねぇか。そ、そんなにマジに怒るなって」
「と、そのままをヘリオン様に報告してもいいという事だな? それで貴様がどうなろうと私の知った事では無いが……」
更なる恫喝にセコイアンは一刻も早くここから逃げねばと会話を打ち切った。
「わ、悪かったよ! もう何もしねぇから報告は勘弁してくれ!! じ、じゃあな!!」
尾を丸め、飛び去っていくセコイアンをしばらく睨み付けたままプラムドはその場に留まったが、引き返して来ない事を知ると大きく安堵の溜息を吐いた。
「はぁ…………慣れぬ演技だったが、相手がセコイアンで助かったな……」
プラムドは海面に叩き付けられて壊れてしまった木箱を心配そうに一瞥したが、これ以上絡まれる前にと急いでドラゴンズクレイドルへと飛び去ったのだった。
(……行ったか)
悠は口に出さずに気配で察し、移動を開始した。
(相手が細かい性格のドラゴンじゃ無くて助かったわ。ま、話を聞く限りじゃ思慮深そうなドラゴンはあまり居ないみたいだけどね)
悠が何処を移動しているのかと言えば、目的地の小島にほど近い海の中である。
このままでは不審を抱かれてもセコイアンを殺すしか無いと考えた悠は、そうなる前にプラムドに投棄を申し出たのだ。木箱に潜んでいた悠はプラムドが荷物の拘束を緩めると同時に自ら木箱を揺らして外に飛び出、海面近くで板を突き破ってそのまま海中に没したのである。その際に発する僅かな気配はプラムドがセコイアンを尾で打擲する事で誤魔化したのだった。
島まではまだ3キロほどあるが、悠の身体能力であれば十分に泳げる距離である。
まだ春の海であり水温は15度程度だが、悠は最小限の息継ぎだけで島を目指した。
だが、海中も危険度では地上に劣るものでは無いとすぐに思い知らされた。
(ユウ、どうも危ない気配がするわ。徐々に何かが集まって来てる……)
(そのようだ。確か水棲の魔物も居ると事典に書いてあったな)
魔物は陸だけに存在するとは限らない。空を舞う魔物も居れば、水中を住居とする魔物も居るのである。そして一般的に水棲の魔物は手強いと認識されていた。
理由はごく単純で、有効な武器が少ないからである。水はそれ自体が抵抗を持っており、斬撃や打撃の威力を緩和してしまうのだ。魔法でも水中に居る相手に上手くダメージを与えるのは難しい。水棲の魔物にとって、水とは大いなる防具なのである。
しかも今悠は自分も海中におり、有効とされる電撃も使う事は出来ないのである。竜気を感知されない為に『竜騎士』化はおろか派手な技も使用不能だ。
(出来れば逃げたいが……流石に『竜騎士』にもならずに振り切れんか)
悠は腰からナイフを抜くと、それを口に咥えて先を急いだ。
(来たわ、右方向から!!)
悠の泳ぐ速度を凌駕する速さで迫る何かに対し、レイラが鋭く警告を発した。レイラが警告を発したという事は、相手が50メートルの範囲に入ったという事である。
悠がそちらに視線を向けると、歪む視界の先に小さな群体が見て取れた。
(……ホーンドフィッシュ(角魚)か……)
海水を抉り取るように進む特徴的な魚影から悠は魔物の正体を看破した。単体であればそれほど脅威では無いホーンドフィッシュだが、この魔物の恐ろしい所は必ず群体で生活している事だ。頭部に備える角は非常に硬く、また獲物に襲い掛かる時は回転させて貫通力を高めてくるので金属鎧でも着ていないと防ぐ事も覚束ないが、海の中でそんな物を装備出来るのはギルザードやベルトルーゼくらいのものだ。中型程度の船であれば船底に穴を空けて転覆させる事もあり、その被害から単体はⅢ(サード)なのに群体ではⅥ(シックスス)と異常に危険度が跳ね上がる魔物である。まともな船乗りであればホーンドフィッシュの縄張りを第一に航路から外すか、船底に鉄板を張って防御力を高めるのが通例だ。
有効な駆除手段は遠方からの電撃、もしくは毒による汚染であり、どちらも海中で取り得る選択肢では無かった。
Ⅵ程度なら高位の冒険者であれば襲われても大丈夫だという理由にはならない。冒険者のランクとは基本的に陸上での戦闘を想定しているものであり、水中戦を得意とする冒険者は酷く少ないのだ。Ⅸ(ナインス)試験にはその対処も想定して水中試験が設けられていたが、それも戦闘では無くどう切り抜けるかという点に重きが置かれており、一般に水中では冒険者のランクを1~3程度下げて考えるべきだと言われていて、下げ幅は泳力だけで無く戦闘経験にも大きく左右される。
つまり、水中で何の備えも無くホーンドフィッシュの群れと出会う事は冒険者に対する死刑宣告に近いのだった。
(というような事が綴られていたと思うが……)
(世界を救った英雄が魚の群れに啄まれて死ぬのはちょっと絵にならないわねぇ)
(言っている場合か!? 硬い鱗のあるドラゴンならともかく、生身で立ち向かうのは厳しいぞ!!)
スフィーロの警告に悠は水中で小手を操作してまずは盾を引き出した。
(装備がある内は生身とは言えんよ。どれ、今後の事も考えて一度どの程度やれるか確かめておこう)
(もっと強いのと水の中で戦わないといけなくなるかもしれないものね。ユウ、接近する相手は私がナビゲートするから存分にやって!)
(応)
そう言って悠はホーンドフィッシュの群れに盾を構えて相対したのだった。
せこいやん。いえ失敬、セコイアンです。アラマンダーよりバカな分弱いですよ。




