9-13 暗中模索2
弛緩し掛けていた空気が俄かに緊張を帯び、殺気にも似た気配が部屋の中に漂った。
「……緊急作戦会議です。ここに居る皆さんなら『変化』が使えるドラゴンがこの場に現れたという意味を認識していますね?」
早口で述べるハリハリの意見に全員が頷いた。先ほども言った通り、ここには頭脳派の者達が集められており、状況把握能力も思考の反射能力も高いのだ。
ハリハリが言いたいのは、街道から外れたこの屋敷に偶々『変化』を使用したドラゴンが紛れ込む可能性など無く、間違い無くウィスティリアから情報を得た何者かであるという事だ。可能性があるとしても、それは数兆分の1や数京分の1よりも尚低い確率の話であろう。
「ならば前置きは抜きにして、大きな分岐として可能性は2つ。ウィスティリア殿が話したか、拷問でもされて吐かされたか。前者の場合、交渉の使者という可能性があります。しかし、後者の場合は裏切り者と認識されているサイサリス殿とスフィーロ殿を始末しに来た刺客の可能性があります。我々が取り得る対処方法は大まかに言って2つ。交渉するか撃退するかです。使者ならば交渉を、刺客ならば……捕縛の余地を残して撃退を。ここまではよろしいですね?」
またも頷く一同。刺客だから問答無用で殺していい訳では無いのだ。要は、平和的に情報を得るか、暴力的に情報を絞るかの違いである。
「加えて、一人だという事は敵対の意図が無いか、或いは逆に自分の実力に自信を持っていてサイサリス殿でも屠れる実力者の可能性があるという事です。当時のサイサリス殿より確実に強いと言えるのはスフィーロ殿と龍王を抜かせば確か3体でしたね?」
「ああ……ヘリオン、ルドルベキア、ストロンフェスの3体だ。そいつらなら私が近くに行けば分かると思う」
「ならば決まりです。ユウ殿とサイサリス殿で相手の確認を行って下さい。我々は予備戦力として屋敷で待機します。また結界を破られて屋敷を壊されては堪りませんからね」
ほんの数分でハリハリは原案を作り悠に提示し、悠もそれに頷いた。
「伏兵の可能性もある、屋敷も手厚くしておくべきだな。シュルツとギルザードにも声を掛けておいてくれ。樹里亜、子供らを頼む。それと、万一戦闘になったら防御戦闘で時間を稼げ。ギルザードが居ればそうそう抜かれはせん」
ハリハリが全員で迎え撃たず、屋敷の守りを固めた意図を悠は正確に読み取っていた。見え易い囮に目を引き寄せておき、別戦力で攻めるのは要塞攻略の常道である。
「はい、お任せ下さい」
「ああ、行くぞサイサリス」
「分かった……ウィスティリアに無体を働いた輩ならば容赦はせんぞ……!」
そのまま悠とサイサリスは装備もそこそこに窓から飛び降りて行ったのだった。
「この様な場所に屋敷があるとは思えんが、ウィスティリア様が仰っていたのは確かこの辺りのはず……」
プラムドは自分の感覚を頼りに闇夜を見通していた。ドラゴンの空間把握能力は人間よりも高く、だからこそ飛行しながらの三次元戦闘も容易にこなすし、飛ぶべき方向を誤る事も無いのである。
そんなプラムドの目が視界の先に移る僅かな光を捉えたのはその直後の事だ。
「おお! あれがユウ殿の屋敷だな!」
目的地を発見したプラムドの顔が喜色を帯びた。あとは事情を話して協力を仰ぐだけだ。
プラムドは希有な性質を持ったドラゴンだ。物事を暴力で解決する事を好まず、可能な限り交渉で済ませようとする。普通、ドラゴンが異種族を相手にする時は力を見せ付け恐怖によって縛るが、プラムドは悠と交渉する為に財物まで用意している周到っぷりだ。勿論、悠の屋敷に近付いても殺気など微塵も放たなかった。
やがて視線の先に2人の人間の男女を認め、プラムドは挙動不審に陥る事も無く真っ直ぐにその前に向かっていった。
「止まれ」
男の言葉に従い、プラムドはその場に停止すると、片膝を付いて畏まる。恐らく、これがウィスティリアの言っていた悠なのだろうとその挙動から察したからだ。
「……驚いたな……まさかお前、プラムドか?」
しかし女の言葉に意表を突かれ、プラムドは思わず顔を上げた。
「サイサリス様……でしょうか?」
僅かに感じられる竜気から、プラムドは女の正体がサイサリスであると気付いた。サイサリスも彼がプラムドである事を見抜いたようだ。
「何たる僥倖!! どうやってお前と連絡を付けようかと思っていた矢先にお前の方から会いに来てくれるとは!! それでどうなんだ、ウィスティリアは無事なのか!? ドラゴンズクレイドルの動向は!?」
「それは……」
僅かに言い淀むプラムドの言葉を悠が遮った。
「サイサリス、話は屋敷で聞こう。また話を聞かせる手間が省ける」
「あ……そ、そうだな……済まんプラムド、私も少々焦っていたようだ……」
「い、いえ……」
サイサリスは冷静さを失っていた自分を恥じて謝罪したが、プラムドもサイサリスが以前よりも柔らかい態度である事に驚きを得ていた。プラムドの知るサイサリスというドラゴンは自分より弱い者に容易に頭を下げたりはしなかったからだ。
とにかく、こうしてプラムドは拳を交える事無く悠の屋敷に招かれたのだった。
「……頭を上げてくれんかな?」
「そ、そんな、恐れ多い事で御座います!!!」
悠の前で土下座するプラムドに屋敷の者達は引いていたが、これにはちゃんとした理由があった。
《プラムド、いい加減にせんか、話が始まらんであろうが》
《そうよ、ちょっと『竜騎士』が見たいって言うから見せてあげたのに……》
「し、しかしレイラ様……!」
それは悠の『竜騎士』を目の当たりにしたからである。ウィスティリアから話は聞いていたが、実際に見た『竜騎士』は存在の桁が違い過ぎたのだった。
《様は要らないわ、あんまり好きじゃ無いの。呼び捨てでいいわよ》
「何卒ご勘弁下さい!! 偉大なるレイラ様を呼び捨てになど出来ません!!」
レイラの強大でありながらも世界を包み込むような大らかな竜気にプラムドはすっかり心酔してしまっていた。それは重苦しく、全てを押し潰さんとする龍王の竜気とは対極に位置する竜気であり、まさにプラムドが理想とするドラゴンの風格を感じさせたのである。
《……様を付けてもいいからその偉大なるっていうのは本っ当に止めて。じゃないと話は聞かないわよ》
しかしレイラは崇拝されるのは嫌いだった。お互いに敬意を払う対等な関係を好み、力の上下を関係に持ち込むのは好まないのだ。これは元々あった性質だろうが、悠と一緒に居る事で増幅されたのだろう。
プラムドは盛んに恐縮したが、目的を果たす為にそれを飲み込んで事の経緯を語り始めた。
「……そうか、龍王は止まる気は無いか」
「間も無くドラゴンズクレイドルは人間の制圧に乗り出します。全てのドラゴンを率いて各国を攻め滅ぼすでしょう。人間の中に手強い者が居るとは認識していますが、ドラゴンを圧倒出来る者は居ないと判断したのです」
「グリネッラからの報告は重視されなかったのか?」
サイサリスの問いにプラムドは小さく頷いた。
「グリネッラは良く言えば慎重、悪く言えば臆病な性格をしています。そして私の経験でもありますが、ドラゴンで慎重とは臆病を指す事が殆どです。グリネッラはアラマンダーが殺されたのを見て逃げ帰ったと見做され処刑されました。そしてアラマンダーはそんなに強いドラゴンではありませんでしたから、彼の者が倒されたからと言ってドラゴンを圧倒する強者が居るという認識には至らなかったのです。かくいう私もウィスティリア様からユウ様の事を耳には入れておりましたが、まさか本当にこれほどまでの方だとは……」
ドラゴンで最も思慮深い部類のプラムドですら信じ難いのなら、ドラゴンはほぼ誰もその言葉を信じはしなかっただろう。斥候として放たれたドラゴンもかなり殺されたが、スフィーロの組以外は最低クラスのドラゴンであり、それが倒されても脅威であるとは考えられていなかった。
「ユウ殿、あまり猶予は無さそうです。このままドラゴンの計画が実行されれば人間はせっかく手に入れた平和を永遠に失う事になります。一刻も早くウィスティリア殿を救い出し、穏健派に話を付けて龍王の愚挙を止めねばなりません」
「そのようだ。攻め込まれてからでは遅い」
プラムドは持って来た荷物をテーブルの上で逆さにし、その中身をテーブルに積み上げた。
それは金銀財宝の山だ。古代王国の金貨や装飾品、貴金属、中には魔道具までもが混じっており、裕福になったバローですらその財宝の山にあんぐりと口を開いた。
「お2人の手を煩わせるには全く些少に過ぎますが、ご所望でしたら事後にこの部屋を埋め尽くすだけの財物をご用意致します。ですのでどうか、同胞の命をお助け下さい!! ドラゴンだからと言って誰も彼もが血と闘争の末に果てる事を望んでいる訳では無いのです!!」
「スゲェ……この一山だけで人生を何回やり直しても使い切れねぇ価値があるぜ……」
「しかもこれが些少らしいですよ? 全く、ドラゴンというのは想像を絶しますね」
バローはその価値に、ハリハリは見た事の無い魔道具にそれぞれ感嘆を漏らしたが、悠は一瞥するとプラムドに言った。
「これは今は受け取れん。それこそ事後に頂こう。それよりも今はプラムドの協力が欲しい」
「は? ……も、勿論私はご協力させて頂きますが、礼はまた別の話で……」
「そうだぜ! くれるってんなら貰っておけよ!!」
「厚意を無碍にするのは良くないと思います!!」
「黙ってろ」
戸惑うプラムドに同調するバローとハリハリを一言で黙らせ、悠はプラムドに向き直った。
「金で転ぶ者は更なる金で簡単に裏切る。だが、己の心が欲するままに動く者は裏切らん。俺はドラゴンズクレイドルを滅ぼしたいとは思わぬし、縁のあるウィスティリアは救出したいと思っている。……人間の言葉が信じられないのならレイラかスフィーロに聞くか?」
「め、滅相もない!!」
プラムドは大きな混乱に見舞われていた。周囲の者達の反応を見る限り、やはり財物は有効であろうと思われるのに、当の悠がそれらに執着している風には見えなかったからだ。もしやお気に召さなかったのではという不安がプラムドの胸中に渦巻いていたが、理由には共感出来た。多分それは、信念と誠意だ。自分でもドラゴンらしくないと思うが、自らの生き方に沿って正直に生きる悠に、プラムドは好意を抱いた。
ドラゴンらしくないドラゴンのプラムドと、人間らしくない人間の悠は精神的な波長が合ったのかもしれない。
「……分かりました、ではその様にさせて頂きます」
そう言ってプラムドはもう一度深く頭を下げた。悠に尽くす事、それが自分の果たすべき使命であると心に刻みながら。
悠が席を外したタイミングでの一幕。
「ああ、勿体ねぇ!!」
「もう二度とお目にかかれないようなお宝もあるでしょうに!」
未だに物欲に振り回される醜い姿に樹里亜は白い目を向けていたが、プラムドはそんな2人に申し出た。
「ユウ様が受け取って下さらないならお2人に進呈致しますよ。好きな物を仰って下さい。金銭が全てではありませんが、あっても困りはしないでしょう?」
2人は速攻で食い付いた。
「本当かよ!? いやー話せるオッサンだな!!」
「ヤハハハハ!! 全く出来たドラゴンですねプラムド殿は!!」
ワイワイとプラムドをはやし立てる2人を見て、サイサリスが樹里亜の肩を叩いた。
「なるほど、あれでは本当の信用は得られんな。ジュリア、ユウほど禁欲的にならずともいいと思うが、あからさまに欲望を晒け出してはダメだぞ?」
「分かってますよサイサリスさん。あの2人も本気じゃなく、欲望を肯定する事でプラムドさんに遠慮させないように気を使ってる部分もあると思いますしね…………多分」
2人の喜びようを見ると、若干好意的に解釈し過ぎかなと思わなくもない樹里亜であった。
プラムドは俺様主義のドラゴンの中にあって異端の『従』の気質の持ち主です。大抵のドラゴンはプラムドを一段も二段も低く見ていますが、だからこそ普通のドラゴンには出来ない、武力に依らない交渉が出来るのです。そっちの才能の方が貴重ですね。
樹里亜の考察が正しいかどうかは……さて(笑)




