9-12 暗中模索1
それから数日間、ウィスティリアは何かとプラムドを振り回すように振る舞った。普段は自制の利くウィスティリアだが、あれが食べたいこれが食べたい、綺麗な宝石を持って来い、たまには珍しい物が見たいとプラムドをこき使い、プラムドも文句を言う事無くそれに従っていた。
ドラゴンは己が第一という意識が強く、龍王の娘とは言えウィスティリアに甲斐甲斐しく尽くすプラムドを嘲る者は多く、雌に顎で使われるとは情け無いとプラムドを詰る者も居たが、プラムドは気にせずウィスティリアの為に働き続けるとやがてそれは常態化していった。
それこそがウィスティリアとプラムドの狙った状況である。
「よし、プラムド、そろそろいいだろう。このまま夜中に抜け出してフェルゼンに向かえ。事情をユウに話して協力を取り付けるのだ」
「はい。この数日間ですっかり私が飛び回るのは日常になりましたし、もう怪しまれないと思います」
「お陰ですっかり私は馬鹿なお嬢様の烙印を押されてしまったよ。お前にも苦労を掛けるが、ドラゴンの未来の為だ、何とか堪えてくれ。外ではくれぐれも気を付けるのだぞ?」
ウィスティリアの激励を受け、プラムドは夜のドラゴンズクレイドルからそっと抜け出した。さりとて必要以上にコソコソとしている訳では無く、あくまで常識的な範囲内での話だ。あまり隠密行動に重きを置き過ぎれば見つかった時に余計に目を引いてしまうものである。特にドラゴンは感知能力に優れているので、完璧に隠れ切るより違和感を紛れさせる方がプラムドは有効だと考えたのである。
その考えは間違いでは無く、プラムドはドラゴンズクレイドルを脱する事に成功した。
「ここからは私自身の裁量で動かなくては。竜気を散らせると不味い、街の近くで降りて『変化』をしておくか」
海を越え、ノースハイアからミーノスに達したプラムドは地上に誰も居ない事を確認すると地表へと降り立った。
プラムドはすぐに『変化』を発動し、ドラゴンの体から人間の姿に変化していく。
「……こんなものか。あとは持ってきた服を……」
用意していた人間の服を着込んだプラムドは人間で言えば三十代後半という所であろうか、育ちの良さを伺わせる穏やかな容貌と瞳を持ち、鼻の下には整った髭が薄く備えられていた。上手く着飾れば良家の執事と遜色ない人物が出来上がるだろう。もっとも、そんな事は人間社会を知らないプラムドには分からない事だったが。
人間もドラゴンに劣らず光り物が好きだという事で宝飾品の類も用意していたプラムドは中身を確かめると一つ頷き、夜道を一人目的地に向けて歩き出したのだった。
悠達の作戦会議は夜半に終わり、幾つかの侵入ルートを決定した事で終了した。
今回ドラゴンズクレイドルに行くに当たり、悠の供をする者は居ない。理由は危険過ぎるからだ。ドラゴンは感知能力に優れ、『希薄』程度の存在希薄化ではその目は誤魔化せないし夜目も利く上、ハリハリの『透明化』すら危ういのである。至近距離まで接近すれば感知能力に秀でていないドラゴンでも存在に感付くであろう。
「私も付いて行きたいが、そうすると発見される危険が大きい。ウィスティリアの事をくれぐれもよろしく頼む」
それはサイサリスにしても同じ事だ。レイラという師と切磋琢磨する仲間を得た事でサイサリスも当初より強くはなっていたが、それでもようやく最初に会った時のスフィーロに迫るかどうかというレベルでは悠と行動を共にする事は不可能だった。
つまり、悠はこの世界に来て初めて自分だけで行動する事になったのである。
《ま、私が付いているから問題なんか何も無いけれど》
《我も面通しくらいは出来るぞ。上手く穏健派のドラゴンを見つけられるといいが……》
会議で幾つか考えた侵入ルートで悠は発見の可能性を極力避けるルートを第一に選んだ。強襲ルートであれば空から最速でドラゴンズクレイドルへと突撃するルートが一番かと思われるが、空は基本的にドラゴンの警戒網が厚い場所でもある。何も考えずに飛んで行けば発見は免れないだろう。
そこで悠は普通の人間では取り得ないルートを選択した。それは飛べるだけ飛んで、途中からは泳ぐという狂気のルートである。
途中で海に入るくらいなら最初から安全な対岸で『水中適性』を使えばいいのではないかと思われたが、海で使うのと川で使うのでは両者には決定的な差があった。
「距離だけなら計算上は何とかなると思います。メイ殿に『進化の繭』を使って貰い、『天使の種』を併用すればアカネ殿ならそれだけの効果を出せるでしょう。昔ワタクシも実験しましたが……致命的な問題がありましてね。海には川と違って高低差があるんですよ」
「あ……そうか、大陸棚や海溝があるんだわ」
科学知識のある樹里亜や悠にはその問題の意味が伝わっていたが、ハリハリはその言葉自体は知らなかった。
「大陸棚や海溝とは?」
「えぇと……海岸から200メートルくらいから急に海は深くなるんです。場所によって差はありますが、その場所までが浅く棚状になっているので大陸棚って言うんですよ。海溝は海底にある渓谷のようなもので、場所によっては深さは一万メートルに及ぶ場所もあるとか……幅も飛んで渡れるような距離じゃありませんし水圧の問題もあります、流石に悠先生も超深海での作戦行動の経験はありませんよね?」
ハリハリが樹里亜の説明を興味深そうに頷いている間に、樹里亜は悠に尋ねた。
「大陸棚より深い場所での行動経験は無いな。龍との戦闘は陸と空が主だ、海で戦う時は殆どが海面が海上だった」
東方連合国家の首都『高天原』は内陸部の街で周囲に海は存在しない。過去に海上で龍と戦闘を繰り広げた経験も人類にはあったが、鈍重な船舶は龍に敵し得ない事は早々に周知され、人類は海戦を放棄して久しかったのだ。例外的に全局面的に活動出来る『竜騎士』のみが唯一の海上戦力である。
「詳しくお話を伺いたい所ですが、今は置きましょう。とにかく、そこまで過酷な環境下で『水中適性』が十全に働くかはワタクシにも分かりません。アカネ殿を同行させるのは危険過ぎますし、水中で『虚数拠点』を展開する事も不可能です。そもそも『虚数拠点』の隠蔽能力をもってしても発見の可能性は高いですし、以前ウィスティリア殿とサイサリス殿の2体を迎えた時でさえ陥落の危機に陥りました。今回はここに設置したまま行くのが賢明です」
ハリハリの言う通り、拠点の問題もあった。『虚数拠点』は人間程度ならよほどの事が無い限り発見されないように出来るし突破も非常に困難な要塞でもあるが、相手がドラゴンではその隠蔽能力、防御能力は心許ない。視覚に依らない感知能力と吐息の攻撃力はその両方を突破し得るのだ。
「じゃあユウは孤立無援で凶悪なドラゴンがウロウロしてる場所に寄る辺もなく行かなきゃならないって事か?」
不利な条件ばかりを並べ立てると、いかにバローが悠の実力を知っていてもその身を心配するのは無理からぬ事である。
「いっそ電撃的に大将を攻めちまった方が多少被害が出てもマシじゃねぇか?」
《私が居るから大丈夫だって言ってるでしょ? それに、その多少の被害の中にウィスティリアが入って欲しく無いからサイサリスが珍しく頭を下げて頼んでるんじゃないの》
「そうは言うけどよ……」
バローは無言のサイサリスにチラリと視線を送ると、それ以上は言わなかった。バローが同じ立場ならやはりその命を救いたいと思うだろう。
「力で解決するのは他の手段に力を尽くしてからでも良かろう。基本方針は定まっているのだ、もう蒸し返すな」
「……チッ、わーったよ、俺だって犠牲が少ないならその方がいいってのは同感だ……何ニヤけてやがるハリハリ?」
「いーえ? 何でもぉ? ねぇジュリア殿ぉ?」
「そうですねぇ……男のツンデレとか誰得かしら?」
……この場に集められたのは頭脳派メンバーである。つまり、2人とも行間や空気の読める訳で、察しは良いのだった。
「お前らなあ……!」
ツンデレの意味は分からないが、ハリハリの態度から揶揄されているのを察したバローが声を荒げた時、葵の警告が走る。
《警戒網に感知しました。対象は1名…………》
そこで葵の報告が一旦途切れた。それは、正確な報告を旨とする葵が判断するのに時間を有したという事であった。
10秒ほどの間を持って、葵は告げる。
《……90%以上の確率で対象は『変化』を使用しているドラゴンと認識します。外見上は間違い無く壮年の人間男性ですが、僅かに竜気が検出されます。これは現在のサイサリス様に非常に良く似通った反応です》




