9-5 東奔西走5
「……さて、と……」
コロッサスは机の上にある書類を重ね、トントンと揃えて纏めると席を立ち、愛剣を腰に佩き、一つ伸びをして外を眺めた。今日は小春日和と言うに相応しい穏やかな天候で、こんな日は外で剣でも振るのが良い過ごし方だろう。
眩しそうに手で日差しを遮り、柔らかく口元を緩めたコロッサスはごく自然に執務室を出て鍛練場に……。
「何処へ行こうというのですかコロッサス様。まるで仕事が終わったかのような下手な小芝居などして……よもや私が騙せるなどと本気でお思いで?」
その首筋にピタリとペンの先が突き付けられ、春の陽気など気のせいだったかの如く、凍てつく妖気がゾワリと肌を撫でる。この女、マジで刺す気だと悟らざるを得ない殺気であった。
「ま、待てよサロメ、俺はちょっと、その、便所にな?」
「ほぅ……わざわざ剣を持ってですか?」
サロメのペン先が肌に浅く食い込み、コロッサスがゴクリと唾を飲み下す。
「ぎ、ギルド長ともなると便所も命懸けなんだよ!! もし丸腰で放出してる間に後ろから襲われたらどうする!?」
「そのまま振り向いて引っ掛けてやれば宜しいのでは?」
「下町のガキか俺は!!」
スムーズに逃走出来なかった時点でコロッサスは今日も逃亡を諦めた。趣向を凝らしてみたが、やはりサロメの目は誤魔化せないようだ。
コロッサスは冒険者隊を組織したギルドとして、高位冒険者が抜けている間にどうギルドを回して行くかという仕事に忙殺される毎日であった。実際の仕事量はサロメがコロッサスを遥かに上回るが、デスクワークを得意としていないコロッサスにはそれでも悲鳴を上げたいほどの仕事量である。気晴らしに剣でも振りたいと思っても、監視がキツくてこの有り様であった。
「全く……その剣を入手してから剣術馬鹿に磨きが掛かっているではないですか。ちゃんと夜に時間は差し上げているでしょう? 何が不服なのですか? まさか私のスケジュールに不満が?」
「痛っ!? お、おい、刺さってるぞ!?」
「刺してるんですよ」
言葉の通じる人間同士とは思えない言い草にコロッサスは総毛立った。サロメはサロメで度々逃亡を図るコロッサスに苛立ちを募らせていたのかもしれない。
「わ、分かった!! ちゃんとやるからペンをどけろ!!」
「信用出来ませんね。コロッサス様は人前では人格者ぶっていますが、私と2人になると途端に嘘吐きになります。今も本心から言っているとは思えません」
「言ってる!! これ以上無いくらい俺は真剣に言ってるぞ!!!」
「ならば丁寧にもう一度言って下さい」
ペン先に力が籠もるのを感じたコロッサスは脊髄反射で声を放った。
「ちゃんとやりますからペンをどけて下さい!!!」
「誰に言っているのかサッパリ分かりませんね。やり直しです」
まさかのリテイクである。しかし、言えと言うのなら従うしかない。
「ち、ちゃんとやりますからペン先をどけて下さいサロメさん!!!」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……チッ、いいでしょう。若干誠意が足りませんが、早く済ませて下さいよ」
ミリ単位で潜り込んでいたペン先が引き抜かれる感覚にコロッサスの口から安堵の溜息が漏れた。何故ちょっと席を立っただけで補佐に殺されかけているのだろうかと、コロッサスはギルド長の立場とは何なのか割と真剣に悩んだ。
指を首筋に当てると、僅かにヌルリと指先が滑り、とにかく仕事をしようとコロッサスはしょんぼりと椅子に掛け直した。テルニラの某使用人を上回る調教師ぶりである。
「コロッサス様、ユウさんがいらっしゃいました」
それは福音であった。
「おっ! そうかそうか、通してくれ!!」
「はい」
サロメの視線が肌に刺さるが、これはギルド長の仕事なのだから仕方がないのだ。決してサボっている訳では無いのだから、ペン先をこっちに向けないで欲しい。
「失礼する」
「おう、よく来たな。ささ、とにかく座れよ」
妙に上機嫌なコロッサスに促され、悠はソファーに腰掛けた。
「まずは送り出したギルドとしてはよくやったと言うべきだろうな」
「それでも死者が皆無という訳では無かった。残念な事だ」
「気に病む必要はありません。彼らは冒険者、自分の意思で戦争に参加したのです。その際、当然自分の命を天秤に掛けています。むしろギルドとしては戦争に参加してたったこれだけの損害で済むとは思ってもいませんでした。彼らが帰還すればまた滞っていた依頼を消化して貰えますから」
サロメはギルドの幹部として数で冒険者を見なければならない立場を殊更強調して答えた。普通戦争となれば5千の兵が居たとして、勝っても100や200は損害が出るものだ。負け戦ならその10倍以上になる事もザラである。それがたったの数人で済んだのであれば、指揮した人間を褒めなければならないのである。
「誰一人死なせない事なんて出来やしないさ。残念な事は確かだがな。ギャランやジオも生き残ったんだろ?」
コロッサスがサロメの言葉の毒を抜くように悠に尋ねた。コロッサスにこういう気遣いが出来るからこそサロメと組ませたのだろう。なんだかんだ言って、2人は一躍ギルドの名を轟かせた名コンビなのだ。
「辛うじてな。まだ2人共心が伴っておらん。もっと厳しい戦になっていればどうなっていたか……だが、今回の戦争を生き残った事で成長するだろう。後はどこまで己を鍛える事が出来るかだ」
「教官殿は厳しいねえ」
苦笑するコロッサスに、悠は冒険者ギルド本部でも渡した書類をコロッサスに渡した。
「笑っている場合では無いぞ。今回戦争に参加した冒険者の査定書だ。オルネッタにも渡してあるが、ここに所属している冒険者はお前の管轄だろう、コロッサス?」
「げ!? お、おま……また俺の仕事を増やしに来やがったのか……!」
「それがギルド長という者の責任だ。サロメ、あと3、4日もすればかなりの人数が戻って来るだろうから、コロッサスを逃がさんようにしておいてくれ」
「……心得ております……フフフ……」
悠の言葉にサロメが嗤った。サロメの脳内でコロッサスがどういう風になっているのか、絶対に知りたくないとコロッサスが震える嗤いであった。
「それはいいとして、コロッサス、イライザとアルベルトの事は聞いているか?」
「ん? ……ああ、聞いてるよ。アライアットのギルド長にってんだろ? だがなぁ、アルベルトはともかく、イライザはあんまり人の上に立つようなタイプじゃ無いぜ? シュレイザの事は慕ってたが、人付き合いは上手くなかったからな。『千里眼』でも人の心は見えないってよく言ってたよ」
昔を思い出し、コロッサスが少し遠い目でイライザの事を語り始めた。
「元々はイレイズって名乗ってたが、その時はパーティーを一緒に組む事になるなんて思えなかったぜ。過去に色々あったんだろうが、基本的に他人の事は信じちゃいなかった。自分からは近付かず、他人には近寄らせずってな。訳あって臨時で組んだんだけどよ、そんなイレイズ……イライザにシュレイザだけはめげずに何度も話しかけて話しかけて話しかけて……一体何があいつをそうさせるのかってくらいシュレイザは必死だった。その甲斐あってか、シュレイザとは何とか普通に話せるようにはなって、段々俺達とも話せるようになって、正式にパーティーを組んで……」
話が長くなりそうだと思ったコロッサスはそこで追憶を打ち切った。
「とにかく、イライザは他人に壁を作るタイプだ。そういう人間は頭を張るのは向いてねえ。人材不足でオルネッタが焦っているのは分かるが、イライザとアルベルトを別々には使えんぜ」
「そうか……実は、彼らの捜索は俺が引き受けている。どうやら2人はアザリア山脈を中心とした半径100キロ圏内のどこかに居る可能性があるというのがロンフォスから聞いた最新情報だ」
「ミーノスに居るのか!? ……って言っても半径100キロって言ったら相当なモンだぞ? アザリアはおろか、エルフの領域まで含まれてしまう。そんなあやふやな情報で人は出せないし、ユウが受けるのが適任だろうな」
山と深い森に囲まれた一帯を普通の冒険者が捜索しても1月経っても見つけられないであろう。間違ってエルフの領域に踏み込めば問答無用で侵入者として戦闘になりかねない危険もある。そうなれば国家問題であり、普通の冒険者に依頼は出せない。
コロッサスは一つ溜息を吐き、頭を掻いた。
「俺としては静かに暮らさせてやって欲しいとも思うが、そろそろ人前に出て来てもいい頃合かもな……。まだ年寄りでも無いのにいつまでも誰も居ない場所で過ごさなくてもいいだろうよ。ユウ、もし見つけたら俺にも教えてくれ。これでも俺は『六眼』の元リーダーなんでね、解散したとはいえ、メンバーの事は気になるのさ」
コロッサスの申し出を悠は黙って頷いたのだった。
普段2人っきりの時はサロメは甘やかしているんじゃないかと思われていやしないかと危惧して(何故)日常を前半に挟みました。サロメは甘くないっスよ……。




