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閑話 誰が為に1

ひっくり返った雪人に代わり、思考停止しかけていた匠が何とか声を絞り出した。


「あ……み、美夜、様……!?」


《こんにちは、匠君。私の事を覚えていてくれたのね? すっかり貫禄が出ちゃって……もう20年以上昔になるんだもの、私の顔なんて忘れてしまったかと思っていたわ》


「と、とんでもありません!! 美夜様は自分達の世代の、あ、憧れであります!!」


《まぁ、口もお上手になったのね?》


コロコロと笑う美夜の前で匠は額に汗を掻き必死に己を律していた。何を隠そう神崎 美夜、いや、旧姓藤堂 美夜は匠の初恋の女性である。士官学校幼年部で初めて美夜に出会った時、訓練中の鬼の様な恐ろしさと普段の包む込む様な穏やかさのギャップに見事にやられた匠は深い恋慕を抱いたが、当の美夜はその後あっさりと神崎 修と結婚し軍を辞し、若き匠の恋心は儚く散ったのだった。


もっとも、美夜に恋心を抱いていた人物は多く、匠はその中の一人に過ぎないのだが。


「な……何故美夜おばさ……美夜さんが……!」


ようやく起き上がり呆然と呟く雪人に美夜が笑顔で笑い掛けた。


《おばさんでいいわよ、雪人君。でもね、女の子に優しく出来ないのはあまり感心しないわ。中々上手く意思疎通が出来ないみたいだから私が交渉を手伝う事になったの。普段は随分女の子の扱いが上手いみたいなのに……ちょっと割り切り過ぎよ?》


美夜の言葉は雪人の鈍った思考に油を注し、それどころか強烈な起爆剤として雪人を動かす。


「そうか……そういう事か……」


雪人から龍をも屠らんとする甚大な殺気が放出され、その視線がナナナを貫いた。


「貴様らが美夜さんを担ぎ出したな!!!」


「ご、ごごごご誤解だよ!!! 私も今初めて知ったもの!!!」


「俺をどう思おうが構わん。死して後に魔界行きだろうが拷問だろうが勝手にしろ。……だがな、この人を厄介事に巻き込むつもりなら……貴様ら全員叩き殺すぞッ!!!!!」


雪人の叩き付けられた拳が大机を粉砕し粗大ゴミに変えると同時に他の『竜騎士』は背後に飛びずさっていた。


「お、落ち着いて下さい真田先輩!!!」


背後に回った真が雪人を羽交い絞めにし、匠はナナナを、朱理は志津香を背後に庇い、亜梨紗はどうすべきか迷って兄を注視し、仗は面白い見世物を見るかのように一つ口笛を吹き、腕を組んで静観した。


「落ち着け、だと? 天界が聞いて呆れる、人質紛いに死者を担ぎ出して俺の口を塞ごうってか? ああ、実にいい手だ、効果覿面だな!!! 人間を駒扱いするのは楽しいかクソ共がっ!!!」




《狼狽えるな真田 雪人!!!》




真を振り解こうとした雪人の体が石の様に硬直し、一喝する美夜に固定された。


《連合軍の片翼を担う者がこの程度で心を乱して如何する!? それが畏れ多くも皇帝陛下の前で見せる連合国家の軍人の態度か!!!》


先ほど笑っていた時とは全く違う軍人としての美夜の怒声に他の『竜騎士』達すら背中に冷たい刃を突き付けられたように背筋を伸ばした。それはまさにこの場に居ないはずの前竜将である悠を彷彿とさせる気迫に満ちていたからだ。


《……テーブルも無い部屋では交渉に障りますね。他の部屋に移動して仕切り直しましょう。では、15分後に再度》


唐突に映像が途切れた瞬間、雪人の口から歯軋りが漏れた。


「…………。陛下、申し訳御座いませんでした。如何様にも御処分を」


「……いえ、それには及びません。本気で激昂する真田竜将という貴重な物が見れたのです。以後しっかり働いて頂ければそれで帳消しにしてあげます。でも、どうしてもと言うのであれば給与の一部を返納なさい。いいですね?」


「心得ました、陛下」


「それと、ナナナ様に謝罪なさい。まだ何の説明も無いのに早合点して怒鳴り散らすとは礼を失しています」


その頃には雪人は己を取り戻していたようで、雪人はナナナに向き直ると素直に頭を下げた。


「申し訳ない、ナナナ殿」


「……う、うん、大丈夫、気にしてないから……」


そう言いつつもナナナの体は少し震えているようだった。『竜騎士』の殺気は神の眷族であるナナナにすら恐怖を与えていたのだ。


続けて雪人は背後の真にも声を掛けた。


「悪かった、止めてくれて助かったぞ、真」


「二度は止めませんよ?」


「分かっている、こんな馬鹿な真似は二度とするつもりは無い。先に行かせて貰うぞ」


先に部屋を出た雪人の後を匠が追い、ナナナは安堵の溜息を吐いた。


「はぁぁぁぁ……こ、怖かったぁ……」


「あの頭でっかちが本気でブチ切れるなんざ珍しいな?」


「……悠さんの母上は真田先輩の命の恩人なんだ、怒るのも無理は無いさ」


神崎 美夜は真田 雪人の聖域である。女性全般にドライな雪人だが、美夜だけは別だ。それは単なる思慕や尊敬などという生易しい感情ではなく、崇拝していると言っても過言では無い。


これは天界の一種の賭けだろうと真は思った。もしかしたら今日の話し合い如何では天界との関係は途切れるかもしれない。


美夜が天界の立場のみで物事を語らない事を真は願わずには居られなかった。




一方、先に部屋を出た雪人を匠は廊下で捕まえた。


「雪人」


「……分かっていると言ったはずです。もう頭は冷えました、説教は勘弁して下さい」


過失を認める雪人だったが、匠の言いたい事は別にあった。


「いや、そうでは無い。……お前が怒ってくれて助かった」


「は?」


振り返った雪人は苦虫を噛み潰したような匠の渋面を意外そうに見つめた。


「てっきり叱責されるものかと思っておりましたが……?」


「理性的な部分では当然そうだが……恥ずかしながら、お前が言わなければ俺が怒鳴っていただろう。その差は思考速度の差に過ぎん」


自分の気持ちを匠は素直に吐露していた。匠にとっても美夜は大切な女性であり、利用されるなど到底許容出来るものではない。何より、ただ一人異世界で戦っている悠に申し訳無い気持ちで一杯であった。


「お前が怒りを覚えた理由に思い当たって俺も頭に血が上りかけたが、お前が怒ってくれたお陰で冷静さを保つ事が出来た。そうで無ければ今頃どうなっていたか……」


匠の告白に雪人は徐々に毒気が抜かれていくのを感じていた。


「……全く、防人教官は馬鹿正直ですな。そんな事はわざわざ口に出さずともいいでしょうに」


「自分の事を棚に上げて叱責など出来るものか。それは卑怯だろう?」


「それが馬鹿正直だと言うのです。……ですが、だからこそ教官は戦闘竜将に相応しい」


雪人の口元にはいつの間にか笑いの気配が滲んでいた。情報竜将である自分と違い、戦闘竜将はこのぐらい人に対して、そして自分に対して誠実であらねばならないのかもしれない。嘘で固めた将に兵は本物の忠義を誓いはしないだろう。


ふと、雪人は初代戦闘竜将である愛染の事を思い起こしていた。


愛染が愚かであるという意見を翻すつもりは無いが、愚かさと誠実さは紙一重では無いだろうか? あれはあれで戦闘竜将の正しい姿だったのかもしれない。だからこそ寡兵であろうとも兵も従ったのだろう。


しかし、愛染には無いものが今の蓬莱にはある。支えるべき参謀を持たなかった愛染と違い、悠には、そして匠には自分が居るのだ。


情報竜将は戦闘竜将が迷い無く戦場を突き進むのを助けるのが職務である。だからこそ戦闘竜将の意志を疎かには出来ないのだ。


「俺にとって教官が戦闘竜将である事は有り難い事です。……お互い、美夜さんにこれ以上怒られるのは勘弁願いたいでしょう?」


「全くだ。誰かに叱られて青くなるなど何年振りの事か……幾つになっても頭の上がらぬ相手は居るものだが、これは些か反則だろう?」


「おやぁ? 俺には理由がありますが、防人教官が美夜さんに頭の上がらぬ理由があるとは初耳ですなぁ? 一体どういうご関係で?」


匠が口を滑らせたと思った時には雪人の笑みは意地の悪いものにすり替わっていた。


「……あ、あの方は悠の母上殿だ!! ご子息をお預かりした者としての責任として俺は……!」


「最大の理由がそれとは思えませんがねぇ……ハハハ、まぁ、今晩の酒の席ででも聞かせて頂きましょうか」


皆まで聞かず、雪人は完全に復調して踵を返した。


(防人教官が死んだ女性に操を立てて独身を貫いているという噂もあながち出鱈目では無かったという事か。……大したものだ、悠に俺に防人教官、竜将の誰一人としてあの方に頭が上がらぬとは。龍は殺すべき相手を間違った。あの方を殺したがために己らを滅ぼす竜将を生み出したのだからな)


運命の数奇さに雪人は軽く震えを覚えた。それは恐れから来る物では無く、正しく武者震いというものだ。


天界が美夜を善意から引き入れ、美夜がそれを自分の意志で受け入れたのなら今はその意志は尊重しよう。だが……だが、万が一自分が危惧した様な事情で天界が美夜を動かしたのならば絶対に許しはしない。天界と一戦を交えてでも美夜を救い出すと雪人は誓った。匠もそれを止めはしないだろう。


踏み出す雪人の一歩は力に満ち、既に動揺は欠片も残ってはいなかった。

これまでで一番怒ったかもしれませんね、雪人は。美夜は蓬莱の聖母かもしれません。

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