8-97 終戦8
元から居た家臣団とは別にパトリオにはどうしても一人、口説き落としたい人物が居た。
「弱りましたな……頭をお上げ下さい、ノルツァー公爵」
「頼む! 私には貴公が必要なのだ、クリス!!」
さて出発かと思われた矢先に、パトリオが引き込みたいと考えていたのはクリストファーであった。既に御役御免と肩の荷を下ろしていたクリストファーは突然のパトリオの申し出にどうしたものかと眉を寄せる。
「内政は何とか回るとしても、軍を指揮する人間が居ないのだ! 私では力不足だし、どうか助けると思って頼まれては貰えんだろうか?」
「そう言われましても……」
「諦めよ、ノルツァー公爵。アインベルク「男爵」には国軍を率いて貰わねばならん」
「「陛下!?」」
パトリオとクリストファーが驚きの声を上げるが、当のバーナードは涼しい顔で宣言した。
「此度の戦を乗り越えられた貴族は少ない。その中で、国軍を任せるに値する将となればアインベルク男爵しかおらん。ゆくゆくはノルツァー家に役目を引き継いでもいいが、しばらくは貴公に任せる」
「お、お待ち下さい! 男爵? 国軍? わ、私には荷が重う御座います!!」
「嫌と申すか?」
「い、嫌なのでは御座いません!! し、しかし、私はダーリングベル家の家臣ですし、主家を差し置いてそのような立場には……」
「この国の貴族であるならば、ダーリングベル家の臣である前に余の臣である。もし引き受けるのであれば、ソフィアローゼ・ダーリングベルを正当な次期当主と認め、成人まではその領地を王家で預かろう。それでも不服か?」
「っ!?」
バーナードは初手でクリストファーの急所を突いてきた。ダーリングベル家再興はクリストファーのこの世の最後の未練である。亡き当主ロッテローゼの為にも是が非でも叶えたい悲願であった。
ソフィアローゼは未だ心を定めてはいないが、将来に繋がる道の一つとしていつでもダーリングベル家を継げるようにはしておきたいクリストファーにとって、この条件は断る事は出来なかった。心情的にはパトリオを手伝ってやりたくとも、交渉術ではバーナードが数段上手であった。
「…………か、畏まりました、申し出をお受け致します……」
過分な地位に目眩を覚えるクリストファーに頷くと、バーナードは今度はパトリオに向き直った。
「ノルツァー公、先達を頼る気持ちは分かるが、卿が目指すのは故郷テルニラを心から愛してくれる者を集める事なのだろう? ならばテルニラの兵士の中から選ぶのが道理ではないかと余は考えるが?」
「そ、それは……仰る通りです……」
一方のパトリオにもバーナードは道理を説いて説得した。クリストファーならば能力に不足は無いし気心も知れているが、パトリオが求めるのは確固たる愛郷心を持つ人間である。長年ダーリングベル家に仕えて来たクリストファーが適格かどうかと言われれば最適解とは言えないだろう。パトリオはバーナードにその事を指摘され納得した。
「クリス……いや、アインベルク男爵、私はどうやらあなたに頼り過ぎていたようだ。何とか私なりに人材を探してみる事にしよう」
「クリスで結構ですよ、パトリオ様。何か迷う事が御座いましたらフォロスゼータをお訪ね下さい。私に出来る事でしたら喜んでお手伝いさせて頂きます」
クリストファーが差し出した手を、パトリオはしっかりと握り返した。祖父と孫ほどに歳の離れた2人であるが、そこには確かな友情が育まれていた。
(ノルツァーとアインベルクの絆が深まったのは良い事だ。両家の経済力と軍事力が合わされば反乱を起こそうと考える不届き者は居るまい)
バーナードは王として絶妙なバランス感覚で貴族の力関係を測っていた。王家に敵対的な高位貴族は軒並み死亡しており、次に誰を取り立てるかはバーナードの思いのままである。少なくとも20年は平和な時代が続くであろう。
だが、マッディ改めマルコの忠告がバーナードの心に引っかかっていた。
「陛下、平和を持続させたいのであれば老骨に鞭を打ってでも側室を娶る事ですな。後継者が居ない王室など争いの種でしかありません」
目下のバーナードの一番の悩みでもあり、古傷でもある。現在のアライアットには王子も王女も居ないのだ。決して若くないバーナードにとって、後継者問題は最重要課題であった。
(……いや、居ない訳では無い……)
脳裏に浮かぶビリーとミリーの顔にバーナードの胸が痛んだ。後継者問題など抜きにしても最後の息子と娘である。親として一緒に暮らしたいと考えるのは自然な感情であった。いつか戻ってくれればいいが……。
それに、子とは天からの授かり物であり、若い側室を娶ったからと言って必ずしも手に入るとは限らないのだ。他家から養子を得ようにも、王家と唯一格が釣り合うノルツァー家にはパトリオしか居らず、近々結婚するらしいが、その最初の子をくれなどと言えば王家とノルツァー家の間に亀裂が入りかねない。存外愛情深いパトリオの性格から鑑みれば十分に考えられる事だ。
埒の明かない思考を頭を振って追い出し、バーナードはフォロスゼータまでの道のりを答えの出る問題を解く事に費やしたのだった。
バーナード達がフォロスゼータに戻るのに合わせ、悠は一足先にソリューシャに報告に来ていた。先に避難していたフォロスゼータの民を街に帰さなければならないからだ。
ただ、少なくない民がこのままソリューシャに残留する事を望んだ。フォロスゼータに良い思い出が無い者は多く、命を救ってくれたバローに対する感謝の念は予想以上に大きかったのである。
「やはり街を拡張しなくてはいけませんね」
薄々こうなるだろうとは察していたレフィーリアに任せ、悠はフォロスゼータに戻ろうとしたが、そこでちょいちょいと袖を引かれた。
「何か用か、オリビア?」
「……」
悠の耳元に顔を寄せ、小声でオリビアが言うには、どうやらフォロスゼータに連れて行って欲しいようだ。これから帰る民の間で静神教は一大信仰として普及し始めており、指導者として請われたのである。
「……自分の道を見つけたか?」
その問いにオリビアは笑顔で答えた。それはもう人を見下すような冷たさなど微塵も無い、温かな聖女の笑みであった。
それを悠の手がオリビアの首に添えられ、オリビアはされるがままに目を閉じる。
「『再生』」
オリビアの喉が溶かした鉄を飲み込んだかのような熱に晒されるが、オリビアは僅かな悲鳴も残さずにそれに耐え切り、唐突に熱は過ぎ去った。
「もう普通に喋る事が出来るだろう。今後どう生きるかはお前の自由だ」
「あ……主よ、感謝致します。これまでにお受けした数々のご恩は一生忘れません……」
陶酔した表情で祈りの姿勢を行うオリビアを、悠は脇の下に手を入れて強引に立たせた。
「ひゃん!?」
「人前で俺に祈るな。お前がどんな信仰を持とうと構わんが、俺は行く先々で崇め奉られるのは御免被る。人々を幸せに導くのはいいが、俺の名を出すなよ」
「じゃあ、2人だけの時は祈ってもいいですか?」
「……たまにならな……」
なるべくフォロスゼータには近付かないようにしようと決めた悠だった。
――かくして三国鼎立は成った。ミーノス、ノースハイア、アライアットの間には平等な和平条約が結ばれ、国内の貴族の意識も一新を余儀なくされた。ノースハイアは戦勝国でありながらアライアットに一部領地の割譲を約束し、アライアットを属国とする意思が無い事を内外に知らしめた。ミーノスも同じく金銭面での補助を約束し、それは大々的に各国に伝えられ、人々は初めて訪れた平和な時代を歓呼の声で迎え入れた。
しかし、悠の視線は既にその先に据えられていた。
世界の中央に位置するドラゴンの居住地ドラゴンズクレイドル。最強の種族たるドラゴンの住まう地に……。
少し閑話を入れて第八章は締めです。




