8-96 終戦7
テルニラの新領主であるパトリオだが、着任早々テルニラを離れなくてはならなかった。ノルツァー家の新当主になるには一度フォロスゼータで王直々に王宮で叙任されなければならず、これはどの王国でも慣例化しており、今後の事を協議する為にもフォロスゼータへ行かなければならないのだ。バローがノースハイアで侯爵に叙された時、ノースハイアを訪れたのと同じ事情である。
しかし、そうするとテルニラの領主が不在となってしまい、旧家臣団は死亡するか信頼の置けない者ばかりだったので解散……というよりは生き残りは一旦解雇し牢に入れられている。親衛隊は敵対せず忠誠心を示す事で命を永らえたが、文官である彼らには領主と共に王国転覆を図ったという国家反逆罪という第一級の嫌疑が掛かっており、普通なら斬首は免れない。彼らに対して容易に赦免を与える事はバーナードの手前許されないのだった。
よって、この裁定が新当主としてのパトリオの初仕事である。
そこで悠の『竜ノ慧眼』によって2、3質問し、それによって改善の余地があるかどうかを見定める事とした。
まずはデミトリーやイスカリオのやろうとしていた事を知っていたかどうか、そして王国に対する忠誠心はあるか、最後にパトリオを新当主として戴く事に異論は無いかなどである。
この期に及んで嘘を言う者は論外だ。質問の答えがいかに理路整然として美辞麗句に溢れていようとも業は誤魔化せない。
最初の質問で7割が脱落した。全く知らなかった、我々は知らぬ内に片棒を担がされていたのだと訴える者達への質問は以降は行われず、即刻牢に戻された。この屋敷に居て知らないはずは無く、保身に拘り権力に盲従する輩など話にならない。これは業を確認する必要すら無い作業であり、禍根は断たれた。
残り3割に関しては中々期待が持てると言えた。最初の質問に正直に答えた彼らは既に諦めているか罪を悔いており、また家族に類が及ぶ事だけは許して欲しいと訴えた。パトリオも本人はともかく家族にまで罪を問うつもりは無かったので、それは受け入れられた。
続く王国への忠誠も残る全員が誓ったが、パトリオの新当主着任に関しては一人だけ堂々と否を唱える者が現れた。
「パトリオ様は領主としての経験も無く時期尚早、数年は代理として経験を積まなければ立ちゆかないでしょう。血筋だけで務まるほど甘いものではありません」
そう言い切ったのは古参の家臣であるヒューゴーと言う男である。それを聞いたパトリオは苦笑と共にヒューゴーに語り掛けた。
「変わらないな、ヒューゴー。よくそれでこれまでこの家で生きてこられたものだ」
「単純に私以上に能力が居る者が居なかっただけです。デミトリー様は善人ではありませんが、文句を言わせないだけの功績を積めば無闇に排除もしませんでした。その点で言えばイスカリオ様は少々短気で首が涼しくなりましたが」
悪びれもせずに言うヒューゴーは実は捕らえられる前から牢の住人であった。先だっての対応で代理を任されていたイスカリオに対し真っ向から異を唱えたヒューゴーはイスカリオの勘気に触れ、牢に入れられていたのだ。死刑とならなかったのはこれまでの功績がイスカリオにも無視出来ないほど大きかったからに他ならず、これまでにも度々言葉が過ぎて謹慎させられた事があるという難物であった。
「ただ忠誠心だけで人を測るは狭量かつ横暴というもの。愚鈍な忠臣だけで政が立ちゆくと思っておられるならいかにも青いと言わざるを得ません」
「そしてまた当主の愚挙に盲従する人間を量産するのか?」
「……」
しかしパトリオもここは引けなかった。未熟だろうと青かろうとパトリオは領主であり、自らの意志を示さなければならない。
「私への忠誠心などほどほどで構わない。能力に劣ろうともそれは今後の努力で補えばいい。しかし、テルニラの民を省みない人間など私には断固として受け入れられない。私が欲するのはこのテルニラの全てを愛する事の出来る人間だ。当主が道を誤ったなら、それに諫言出来る家臣が居なければならない。一人の能力が足りないのであれば、皆で考えれば良いのだ。だから私に仕えろ、ヒューゴー」
パトリオは今回の出来事の中で自分がいかに小さな存在なのかを思い知っていた。鋭い知性も無く、煌めく武勇も無い。凡人と言うに相応しいが、世界の大半は凡人なのだ。ならば、最も多くの人間と心が交わせるはずである。
「……私は斟酌などしませんが、それでも宜しいか?」
「構わん。それと、お前には家臣団の統率を任せる。お前の下に居れば、誰も邪な企みなど抱かないだろう」
一番忠誠心が低いと思われる自分に筆頭の地位を約束するパトリオにヒューゴーは驚いたが、すぐに恭しく頭を下げた。
「……どうやら私の知るパトリオ様とはもはや違うようですな。ならば、父上や兄上とは違うノルツァーの在り方を私にお見せ下さい。パトリオ様が初心を保っている間は、私も可能な限りそれをお支えましょう。では早速ですが……」
「ま、待て、今からか!?」
「火急の事なれば」
薄汚れた服のまま、ヒューゴーはパトリオに進言を始めた。
「会計を預かる者が当家には不在です。今すぐ誰か適当と思われる人物を登用願います」
「と、言われてもな……残った者達の中で適任は居らんのか? もしくはお前がやってくれれば……」
「居りませんな。家臣団を束ねる立場の私がこの上財政の権限まで掌握しては力が強過ぎます。奸臣を育てる苗床を自らお作りになる気ですか?」
ぐうの音も出ない正論である。上の立場に居る者は下の者の増長には常に気を払わなければならないのだ。
「一人、いや、正確に言えば2人ほど自分に心当たりがありますが?」
そこで黙って成り行きを見守っていた悠が口を挟んだ。
「……先ほどから気になって居ましたが、その男は何者ですか?」
「救国の英雄殿だ。フォロスゼータを陥落させ、国内に巣食う魑魅魍魎共を残らず討ち果たしたアライアットの大恩人ゆえ、決して粗相を働いてはならんぞ。それでユウ、心当たりとは?」
「トロイア商会の当主トロイア殿とその側仕えであるネネ殿です。トロイア殿は民の信頼篤く、側仕えのネネ殿は年齢に見合わぬ計算高さを持っており、きっとテルニラの立て直しに役立つ事でしょう」
という事で早速トロイアとネネを連行……もとい、ご足労願った。
「……なんで俺が呼ばれたんだ、ユウさん?」
「トロイア様は犯罪者の様なお顔をされていますがこれまで真っ当に商い、そして没落しております。悪事を働けるくらいならとっくにこの街一の商人になっておいでです」
「…………ネネ、実は俺を口撃してないか?」
「正直に証言しているだけです。身に覚えがあるのならそれはご自分で矯正して下さい」
いつものやり取りでトロイアを凹ませ、ネネはパトリオに向き直った。
「領主様からの呼び出しという事は、トロイア商会に御用があるとは思えません。当家より大きな商会は他に幾つも御座いますし。という事は私とトロイア様という個人に御用があるのだと推察しますが?」
「……なるほど、ユウが推すだけあって察しがいいな。どうだヒューゴー?」
「トロイア商会の事は存じております。当主は商才拙く愚鈍と言われておりますが、その反面人望には一目置く所があると。しかし、自分の商会すら上手く維持出来ない人間に街の財政など務まるとは思えませんな」
「……街の財政? 私が?」
「そういうヒューゴー様は度重なる謹慎で随分慎ましい生活をなさっておられるようですね? 奥様にご心配を掛けるのはほどほどになされると宜しいかと存じますが?」
「む……」
呆けるトロイアを置き去りに、即座にネネがヒューゴーの私的で痛い所を突いてきた。ネネは攻撃の手を休めず、持ってきた鞄から書類を取り出してヒューゴーに差し出す。
「どうぞご一読を」
「……これは?」
「他の商会の脱税に関する証拠です。この家の帳簿と示し合わせればどれだけの税の支払いを逃れて来たのか良くお分かりになると思います」
「何っ!?」
急いでその書類に目を通すヒューゴーはその緻密な数字に思わず唸った。
「……どうしてこれだけの証拠を集められたのだ? 一人で出来る事とは思えん」
「ウチにもご贔屓にして下さる方々がいらっしゃいますので。持っている馬車の数、倉庫の広さ、人の出入り、置かれている商品の量とその増減を色々な方に少しずつお教え頂いて作りました。弱みを握っておけば役に立つ事も御座いますから。あとは公表されている納税額と比較すればそう難しい事ではありません」
「ネネ、お前こんな物まで用意していたのか?」
「お店が暇なので片手間にやっていただけです。半ば趣味ですね」
それは趣味の範疇に収まるものではないとヒューゴーは思ったが、ネネの能力が非常に優れているという事だけは理解出来た。
「パトリオ様、トロイア様は単なる商人としては小器ですが、扱う物が大きければ大きいほどその才を発揮なさるお方です。是非ご登用下さい」
「ま、待て、ネネ! 俺が役人など出来るはずが――」
「……いえ、パトリオ様、是非お雇い下さい」
「ヒューゴー様!?」
先ほどまで反対していたはずのヒューゴーのまでが賛成に回り、パトリオに語った。
「正直、ネネ殿の能力には感服した。彼女だけでも雇いたいが、私もそこまでネネ殿が買っているトロイア殿に興味が湧いて来た。是非一緒に働く間であなたを見極めたいと思う。人格には定評があるようだし、ネネ殿が本気で手綱を握ってくれるならそう酷い事にはなるまい。今までは本気でトロイア殿にご意見などしておらんかったのだろう?」
「私は使用人ですので。主の言葉に従うのみです」
「……いや、お前が素直に俺の言葉に従った事など無かった気がするが……」
トロイアの呟きは誰にも届かず話は進んで行った。
「よし、ヒューゴーがいいというなら誰からも文句は言わせん。トロイア、お前には財務官としての職責を任せる。ネネは財務官補佐としてトロイアを支えてやってくれ。トロイアの上に立つ事をお前は望まないのだろう?」
「ご明察痛み入ります。それと、細々とでいいのでトロイア商会は続けさせて頂きます。他の商会が結託して逆らっても、この家が商会を持っているとなれば強気な態度には出られないでしょう。もしそんな事をすれば今後のアライアットに彼らの生きる道はありませんし。勿論、商売は真っ当にやらせて頂きます」
「分かった、脱税の件も確たる証拠を近日中に掴んでくれ」
「ありがとう御座います。……フフ、立場が変わった私達を彼らがどんな目で見るのか……今から楽しみですね、トロイア様?」
「は……ハハハ……」
トロイアは力無く笑いながら思った。ネネとは絶対に夫婦喧嘩はしないでおこうと。
こうしてトロイア(とネネ)はノルツァー家で財務を担当する事になったのだった。
ネネの趣味……人の弱点を探る事。
トロイアも一段上のステージに引き上げられました。多分、ネネと働けて幸せだと思います。




