8-93 終戦4
アルトの主観を交えた会話は5分間に及んだ。『心通話』は意志による会話であるため、通常の口頭での会話よりも倍ほど伝達速度が速いが(意図的にもっと速度を上げる事も可能)、それでもアルトが全てを吐き出すのにそれだけの時間を有したのだった。
「……と、いう事なんですが……」
伝えるべき事を伝えたアルトは蒼凪の回答を待ったが、まず返って来たのは溜め息だった。
《……はぁ……》
「……あの……?」
《話にならない。アルトも話にならないけど、ルビナンテっていう人も話にならない》
続いて吐き出された怒りの気配にアルトは側に居る訳でも無いのに身を竦めてしまった。
《アルトは何様なの? この世界を支配する王様か何かなの?》
「い、いえ、違います、けど……」
《じゃあ何で自分ばっかり悪いみたいに思っているの? 私達がアーヴェルカインに連れて来られた事にアルトは何か関係してるの? ……私達の事を思いやってくれるのは嬉しいけど、だからってアルトがそんな所にまで気を回す必要なんて無いんだよ? 年少の子達ならまだしも、智樹はもう自分の事は自分で判断するし、それを言うか言わないかはルビナンテさんが判断する事だよ。アルトは自分の判断だけが正しくて、他の人には判断する事すら許さないつもり?》
蒼凪の舌鋒は鋭くアルトの心を袈裟斬りにした。誓って自分の判断だけで物事を解決しようなどとは思っていないが、抱え込んでしまっていた事は確かだった。
《アルトは面倒事を自分だけでどうにかしようとする癖を治さないと駄目。アルトのそういう性格が逆に周りの人を不安にさせるから。それで死に掛けたのにまだ分からない? そんなに私達はアルトにとって頼りないの?》
「そんな事はありません!!」
《じゃあもっと肩の力を抜いて。……まぁ、こうして誰かに相談するだけ少しマシになったみたいだけど、そもそもアルトが相談しなきゃならないような事じゃないの。他人の恋愛なんかに首を突っ込んだっていい事なんか何も無いんだから。アルトに関してはこれで終わりね》
言うだけ言って蒼凪は話に区切りを付けた。
《で、ルビナンテさんの事だけど……》
「助言をくれるんですか?」
《相談を受けた以上はちゃんと答えるよ。ルビナンテさんの周りにはそういう相談が出来そうな人も居ないみたいだし。とにかく、アルトはその事をルビナンテさんに指摘してみるといいよ。後はアルトに出来る事は何も無いから》
「指摘するだけでいいんですか?」
特に手助けとも思えない行動に疑問を感じ、アルトが尋ねた。
《いいの。認識させたらアルトに出来る事はお終い。後はルビナンテさんがどうするかだけ。『異邦人』の事情も知ってるなら後は覚悟の問題だけだし。言って振られるか言わずにずっと後悔するのかは私達が考える事じゃ無い》
「……どちらも辛い結末に感じますが……?」
《当たり前だよ。会って数日の立場の違う人間同士が簡単に相思相愛になれるはずが無いじゃない。智樹は鈍感だし、帰る為に努力してるんだから。そんなに簡単なら私はもうとっくに悠先生と夫婦になってる》
「そ、そういうものですか……」
《そういうもの》
恋愛経験の浅いアルトには分からないが、蒼凪にとってはそういうものらしい。
《恥ずかしくて言えないなんていうのは言語道断だけど、『異邦人』の事情を知って言えないならそれはルビナンテさんの選択。私は自分の世界を捨ててでも付いて行くって決めてるけど、それは私が元の世界に何の未練も無いからだし。……あ、でも一回くらいは帰りたいかな? 「お世話」になった継母と継父に「たっぷり」お礼をしてあげたいし……》
恐ろしい殺意が首筋を撫で、アルトの肌が粟立った。強調された言葉は文字通りの意味ではあるまい。
《そんな所かな。……ああ、それと今後は助けを求められてる訳でも無いのに人の恋愛に首を突っ込まない事。そんな暇があるならもっと自分の事を気にした方がいいよ、アルトは。恵さんだってその内帰っちゃうんだから》
突然爆弾発言を投げ付けられてアルトは『心通話』を乱した。
「な……き、急に何を言ってるんです!? ぼ、僕は別に……」
《そう? 屋敷に居る時、アルトがたまに無意識に恵さんを目で追っている時があるから。そうじゃないって言うなら別にいいけど。それとは別の感情だと思うけど、悠先生の事も目で追ってる時もあるしね。女の子になったりもするし、アルトって両刀?》
「断固として違います!!!」
《良かった。アルトが恋敵なら私は覚悟を決めないといけなかった》
その覚悟の内容は恐ろしくてアルトには聞く事が出来なかった。
《じゃあ、頑張ってね。いや、頑張らないでね、かな? ばいばい》
言いたい事を言って蒼凪との通信は途絶えた。散々怒られ振り回されたが、全ての助言はアルトの事を思っての事だろう。結果としてやはり相談して良かったとアルトには思えた。
「とにかく、まずはルビナンテさんを探そう。確かに答えを出すのはルビナンテさんなんだから」
他にも色々思考に引っ掛かる所はあるが、その全てを取りあえず棚上げしてアルトはルビナンテを探し始めたのだった。
しかしルビナンテの部屋が空振りで終わるとアルトに心当たりは無い。せっかくの助言も空振りになるかと肩を落として階下に戻ろうとするアルトの感覚にふと何かが引っ掛かった。
「人の気配?」
アルトの鋭敏になった感覚がこの階に誰かが居ると告げていた。降りようとしていた階段から体を戻し、その気配の出所を探ると、それはその階のサロンの外、バルコニーから感じられた。
よく見ると少しだけ扉が開いており、アルトが近くまで行くとバルコニーの手すりに腕をついて正門の方を眺めるルビナンテの姿が見つかった。
ルビナンテは普段の凶暴さが鳴りを潜め、静かな表情だ。そうしていると年相応の女性に見え、アルトは静謐な空気を破らない様にそっとルビナンテに声を掛けた。
「トモキさんを待っているんですか、ルビナンテさん?」
「ん……アルトか。ああ、そうだよ。早くくればいいのにな」
「そうですね」
アルトはそのままルビナンテの隣に手を付いて街の方を見た。腕相撲大会も佳境なのか、歓声がここまで小さく届いている。
「戦争、終わったな」
「ええ、連合軍の完勝です。これからはもっと皆平和に暮らせますよ」
「そうだな、めでたいな……」
全く感情の篭っていないルビナンテの言葉に、アルトは本題を切り出した。
「……ルビナンテさんは、トモキさんの事が好きなんですか?」
「はあ!? テメェ何言ってんだよ!!!」
瞬時に真っ赤に染まった顔が怒りによるものだけでは無いのはアルトにも理解出来た。こちらを睨むルビナンテの目には明らかに怯えが見えたからだ。
「失礼だとは思いますが、多分トモキさん以外皆そう思ってます。僕でも分かるくらいですから。もし本当に違うのならごめんなさい」
「…………違……わない、と、思う……。こんな気持ちになったのは初めてだからよく分からねぇけど……」
アルトが茶化す為に言っているのでは無いと気付いたルビナンテは躊躇った後、ようやく本心を口にした。
「最初はバカなんじゃねーかと思ったよ。オレの事を女扱いする野郎なんざ今まで居なかったからな。どいつもこいつも人の顔色ばっか窺いやがって……だからオレは男なんて下らねーって思ってた。男に夢中になってる奴もバカだと思ってたよ。この世の中、下らねー事ばっかりだってな」
そこで一区切り入れると、ルビナンテの視線が和らいだ。
「だけど、トモキは違った。無茶苦茶強えのに、なんか、それが普通みたいでさ。オレの事だって普通の女みたいで……何か下心がある訳でもねぇし、そんな風にトモキの事ばっか考えてて……気付いたら、す……好きに、なってた……」
「そうですか……」
人が人を好きになるきっかけなどそれこそ千差万別だろう。一目惚れする事もあれば、時間が育む事もある。ルビナンテにとって、それが智樹だったという事だ。
「ルビナンテさん、知っての通り、僕達は明日にはここを去らなくてはなりません。……トモキさんに伝え無くていいんですか?」
「……言える訳ねぇよ……言える訳ねぇだろうがよ!!!」
ルビナンテの拳が振り下ろされ、石で出来た手すりにヒビが入った。
「オレがここまで安穏と生きてきたのはオヤジが『異邦人』を殺しまくったからなんだぜ? そんな奴が臆面も無くトモキに好きだって言うのか!? オレがトモキだったら、この女バカにしてんのかと思うだろうよ!!!」
自分の想いを認めたルビナンテだったが、やはり思考はそこで躓いてしまった。他の誰かならまだしも、自分だけは智樹に告白する事は許されないとルビナンテは思ったのだ。
だが、事前に相談していたアルトは言葉を失わずに言い返した。
「それはトモキさんが答えを出す事で、ルビナンテさんが想像しても仕方ありません。誰も他人の答えを知る事は出来ないんです。誰かの気持ちを知りたければ、僕達人間は本音を相手にぶつけるしかありません」
「……トモキは元の世界に帰りたいんだろ? 言うまでもねえ……」
「それもトモキさんが考える事です。そもそも絶対に帰られる保証も無いんですから。……と言っても僕もそう思ってて怒られたばかりなんですが……」
アルトは軽く頭を掻いて言葉を続けた。
「僕が勝手に答えを出す筋合いではありませんでした。どうするのかはルビナンテさんとトモキさんにお任せします。……不躾に色々言ってしまって済みません」
頭を下げ、アルトは手すりから離れてバルコニーを出て行った。
後に残されたルビナンテが呟く。
「……やっぱり言えねぇよ……言えるワケねえ……」
鳴きそうな声音で放たれた囁きは、立春の夜空に吸い込まれて消えていった。
アルトはいらん気苦労を買って出る性格を少し直した方がいいですね。




