8-90 終戦1
「大丈夫でしょうか、パトリオ様は……」
「マイヤー、そこは臣下としてはまず陛下の心配をせねばならんぞ?」
「あ……も、申し訳御座いません!!」
街の外でバーナード達の帰りを待つマイヤーが慌てて頭を下げるのをクリストファーは鷹揚に宥めた。
「そう畏まらずとも良い。口に出す時には気を付けてくれればな。あれを見よ」
そう言ってクリストファーが示す方向には、地面に跪いて一心に祈るステファーの姿があった。
「聖神教の心が伴わない薄っぺらで形だけの祈りでは無く、誰かの為の心からの祈りだ。我らもそれに倣おうではないか」
「はい!!」
ステファーの後ろに付き見様見真似で祈りを捧げるマイヤー、クリストファーの姿を見たアライアット兵も聖神教とは異なるその神聖な雰囲気を見い出し、ステファーが語っていた静神教の事を聞いていた兵士の伝聞によって急速に兵士達の間に広まっていった。
同じように祈りに服するアライアット兵を見たマーヴィンとジェラルド、ハリハリも共に頷き合った。
「マーヴィン殿、ここは我らの軍も倣うのが良いと思いませんか?」
「良き考えだと思います、ジェラルド様。同じ行動は親近感を与え、心の距離を縮める事でしょう。早速命令を――」
「お待ち下さい、命令では効果が薄いです」
そこにハリハリが待ったを掛け、マーヴィンが聞き返した。
「効果が薄い、とは?」
「勿論、強いれば皆従いはするでしょう。しかし、形だけ真似るよりしばらくは思想の浸透を待ち、全ての兵士達に情報が行き渡った所で我々が率先して祈るのが良かろうと思います。自発的な行動の方が兵士達はより大きく共感を得るとは思いませんか?」
「なるほど……ハリハリ殿はまこと知恵者ですな。人の心にも通じていらっしゃるとは」
「いえいえ、『異邦人』の子らと話していて分かった事で、ワタクシの手柄では御座いませんよ」
ハリハリの手法は人身掌握術や心理学に属するもので、文明の進んだ異世界であれば特に目新しい物ではないが、ここではまだ体系化すらされていない分野の話である。
「もうしばらくしたらアライアット兵の近くに居る兵士を呼び寄せ、その報告に感じ入った体で祈りましょう。作法は教祖のオリビア殿に伺っておりますから――」
ハリハリの言葉にマーヴィンがよろめいた。
「お、オリビアですと!?」
「ありゃ? 言っていませんでしたっけ? 静神教はオリビア殿がお作りになった宗派ですよ。どうやらユウ殿に助けられた事によほど深い感動を得たようで……ステファー殿もオリビア殿に諭されて聖神教を捨てましたし、今頃はソリューシャに避難しているアライアットの民に布教しているはずです」
「……変わり過ぎじゃろ……」
思わず素の口調でマーヴィンは頭を押さえた。悠の助けになればいいと思っていたが、そこまで突き抜けた行動に出ているとは思っていなかったのである。
「聖神教に代わる新たな宗教というのは悪くないと思いますよ。今、信仰を失った人々の心の受け皿になってくれますし。ヤハハ、こうして他国にも伝播して世界最大宗派となればマーヴィン殿は教祖オリビア殿の後見人として崇められる事に……」
「そ、それ以上言わんで下され!! うぐ、腹が痛くなって……」
「……心中お察し致します……」
世捨て人として陰ながらバローを支えて行こうと思っていたマーヴィンだったが、どうやら隠居は当分先の事になりそうであった。
そんな背後の事情も知らず、ステファーは一心にパトリオの無事を祈り続けていた。
(あの方達が付いていればきっと大丈夫……すぐに正門から笑顔で出ていらっしゃるわ……)
そう信じてはいても、パトリオの身に何かあったらと考えるとステファーは身が引き裂かれそうな思いであった。こうして祈っていなくては思わず泣き崩れてしまいそうだ。
10分、20分と経過する時間がステファーの心配に拍車を掛ける。それは1時間を経過する頃には頂点に達していた。
(……やはり私も中へ参りましょう! これ以上は待てないわ!!)
おもむろに立ち上がったステファーはクリストファー達に断りを入れてから街に赴こうと背後を振り返り絶句した。
「……」
全ての兵がステファーを先頭に平伏して祈りを捧げていたのだ。全てとはアライアット兵だけでは無く、ノースハイア兵、ミーノス兵、冒険者もである。
「……あ、あの……」
大いに動揺したステファーがクリストファーに呼び掛けた時、正門に動きがあった。バーナードが先頭に立ち、パトリオや親衛隊を連れて姿を現したのだ。
そこにすかさずハリハリの声が飛ぶ。
「おお、ステファー殿の祈りがお通じになりました!! 陛下はご無事です!!」
その言葉に連合軍から大歓声が上がる。バーナードやパトリオ、バローやベルトルーゼを讃える声に混じり、小さいが熱く悠やヒストリアを讃えるのは冒険者達だ。彼らは悠が街の中できっと何事かを成した事を疑ってはいなかった。
突然の事ながら王として堂々とその歓声を受け止めたバーナードはやがて手を上げて静粛を促した。徐々に歓声が引き、皆がバーナードの言葉を謹聴する体勢になる。
「……国政の実権を聖神教に奪われてから早幾年、アライアットは泥沼の戦争の中、民や兵士に多大なる負担を強いて来た。貴族はそれを掣肘する者少なく、国は大いに乱れた。かくいう余も王妃を人質に取られ、数多の子を殺された……。しかし今、こうしてノースハイア、ミーノス両国の協力を得て、この国の闇は祓われた。彼らには感謝の言葉が見つからぬ」
バーナードの総括する言葉を兵士達は時に頷き、また時に涙ぐんで耳を傾けた。
「余は英明な王とは決して言えぬ。聖神教がのさばった原因の一端は余にあろう。しかし、余は奪われる痛みを知っている。だからこそ民に寄り添えると思っておる。これからこの国は変わる! 以前に戻るのでは無い、もっとより良い国に生まれ変わるのだ!! 心ある幾人かの貴族がそれを助けてくれよう。今日ここにその座についたパトリオ・ノルツァー公爵のように!!!」
バーナードの隣に侍っていたパトリオが親衛隊と共に頭を下げた。パトリオの行動を知る者達から拍手が送られ、それは連合軍全体に波及した。
「どうやら無事に事を成したようですね」
「どんな一幕があったのか後で伺いませんとな」
「多少血生臭い事はあったのでしょう。でなければ罪人としてデミトリーとイスカリオが引っ立てられているはずですが、姿が見えませんしね」
ハリハリ達がそんな雑談を交わす間にもバーナードの言葉は続けられた。
「余はここに宣言する。皆の者、長きに渡る戦争は終わった!!! 繰り返す、戦争は終わったのだ!!!」
バーナードの終戦を告げる宣言に兵士達から最初の歓声を上回る大歓声が上がった。手や武器を鳴らし、足で地面を打ち、周囲の兵士と国の別無く抱き合い涙するその光景は、ほんの半年前までは誰にも考え付かなかった光景であろう。
「ゆー、お疲れ様。この光景はゆーが作ったのだぞ?」
「俺一人で作った訳じゃ無いさ。皆、本当は平和に暮らしたいのだ。その想いが束ねられ、こうして形を成した。既に彼らは俺の手を離れたよ」
ヒストリアの肩に手を置いて遠くを見る様に語る悠は常になく穏やかで優し気に見え、ヒストリアの心臓は鼓動を早めた。
だが、一瞬の後に現れたのは謹厳な軍人の顔である。
「俺は先に行かねばならない。ドラゴン、エルフ、ドワーフ、獣人……そして魔族。一番手を付けやすい人間社会を纏めるだけでこれだけの時を擁した。歩みを止めている時間は無いのだ」
人間にとってこの終戦が到達点であっても、悠にとってはまだ道半ばにすら達してはいないのだ。それでも悠が歩みを止める事は無い。悠は人間を救いにやって来たのでは無く、世界を救いにやって来たのだから。
その長く険しい道のりをたった一人で走り去ってしまいそうな気がして、ヒストリアは肩に置かれた悠の手を強く握り締めた。決して見失ってしまわないように……。
そろそろ八章も終わりです。後は事後処理ですね。




