8-86 忠誠4
「……も、申し訳ありませんが、仰る意味が……」
「分からんと申すか? ……まぁ、別にお前達を納得させる必要も無いが……」
ようやく言葉を絞り出したデミトリーに、バーナードは懐から一枚の書状を取り出した。
「この書状にはノルツァー家への制約が書かれておる。ガルファは兵糧調達にお前を送り出す際、もし戻らなければノルツァー家を取り潰す旨の書状を余に求めたのだ」
そこに記されているのはデミトリーが戻らなかった場合のノルツァー家の扱いである。バーナードはガルファを言葉巧みに誘導し、デミトリーがどう動いてもいいように一筆認めていたのだった。
「だが、貴族筆頭であるノルツァー家を問答無用で取り潰すなどすれば無用な混乱を招くのでな、余が取りなして直接的にノルツァー家の意志決定を行ってきた現当主とそれを補佐する次期当主をノルツァー家から除籍するという事にしておいた。2人がただただ保身を計る輩では無いと分かれば、命だけは助けられるようにな。ガルファはそれを取り潰しと同義であると捉えたようだが、知っての通りノルツァー家にはまだパトリオという立派な後継ぎが居るのだから、ノルツァー家の存続には問題あるまい。よいご子息を持ってデミトリーも鼻が高かろう?」
バーナードの宣言と揶揄に数秒間呆然としていたデミトリーとイスカリオであったが、このまま受け入れては貴族として死んだも同然であると青ざめ、烈火の如く反論を展開した。
「こ、この様な一方的な通告を受け入れる事は出来ませぬ!!!」
「そうです!! それに、父上が命じられたのは陛下が心ならずも聖神教に従っていた時期の物ではありませんか!! そんな無理矢理書かされた物など認められるはずがありません!!!」
確かにこれはある意味聖神教によって書かされた物だが、バーナードはそんな事はおくびにも出さず、反論を切り捨てた。
「馬鹿を申すな、王の名において発せられた文書がそう簡単に反故に出来るはずがあるまい。だからこそ余は細心の注意を払ってノルツァー家を守ったのではないか。ノルツァー家は取り潰しを免れ、お前達は命を長らえる。求め得る最高の結末だと余は確信しておるが?」
「陛下ほど慈悲深き国王は歴史を紐解いても滅多にいらっしゃらないでしょう。聖神教に国政の実権を握られるのを座して見守るだけだった貴族にすら温情を掛けられるのですから。ノースハイアであれば一族郎党悉く斬首にされた上、売国奴の烙印を押されたでしょうな。もっとも、私なら恥ずかしくて斬首される前に毒を呷りますが。貴族であればそれが当然……おっと、両名は既に貴族では御座いませんでしたな、失敬」
「他国の者に口を挟まれる謂れは無い!!!」
バローの嫌味にイスカリオが激昂して叫んだが、当のバローは軽く口の端を吊り上げただけで畏まる様子など微塵も無い太々しさで聞き流した。
「控えろ、ノワール侯はノースハイアの全権代理としてこの場にいらしておる。ただの平民であるそなたが物申せる相手では無いのだ。それはファーラム伯にしても同じ事。いつまでも貴族であるかのように振る舞われてはアライアットの恥だぞ」
「へ、平民!? この私が……イスカリオ・ノルツァーを平民と仰るか!?」
「増長するのもいい加減にするがいい!! 貴様はイスカリオ・ノルツァーでは無い!! ただのイスカリオだ!!! 貴族でも無い者が姓を名乗る事は許されんぞ!!!」
バーナードの怒声にデミトリーとイスカリオは蒼白になって言葉を失った。実権を奪われていたとしても王家には法で定められた貴族への罷免権があるのは確かである。聖神教に実権を握られている間はそれが用いられるのは聖神教の都合でしか無かったが、デミトリーも多くの貴族がそうやって消えて行くのを自分の利として利用し黙認していたのだ。今、自分だけがそれを認めないと言い張っても誰もデミトリーの言葉に従いはしないだろう。そもそも、従える貴族の大半をデミトリーは先ほどの『偽天使』の奇襲で失ってしまっていたのだから。
「……さて、丁度当事者が揃っている事だ、この場でパトリオ・ノルツァーに略式ではあるが爵位継承を申し渡す。今後ノルツァー領はパトリオ・ノルツァーを当主と頂く事によってのみ領土を安堵するとここに宣言する。パトリオよ、誓いを述べよ」
パトリオにこの一連の流れは聞かされていなかった。いつかはそうなるかもしれないとは思っていたが、父であるデミトリーが降ろされてもまだ兄であるイスカリオが居り、そう簡単に火種は収まらないだろうと考えていたからだ。
しかし、それも王が宣言してしまえば話は変わって来る。今のバーナードは聖神教の傀儡では無く、れっきとしたアライアットの独立した国王である。その言葉が持つ力はアライアット国内では絶対であった。
「迷うなパトリオ。お前に守りたいものがあるんならオヤジもアニキも今ここで乗り越えろ。この先お前は一人で歩いて行かなけりゃならねぇんだ。俺達が手を引いて来れるのはここまでなんだぜ?」
隣のバローが小さくパトリオに告げた。パトリオがバローを見れば、その目は厳しいながらもどこか期待が込められているようにパトリオには思えた。まるで、父や兄が子や弟に向ける慈しみを感じ――パトリオの覚悟は決まった。
「……私はノルツァー家の落ちこぼれです。父上や兄上から厄介者扱いされ、それを不当だと思い荒れた事も御座いました。しかし、兄に比べて出来の悪い私がそう思われても当然であったと今では理解しております。……ですが、こんな私にも付き従ってくれる者達が出来ました。私の将来に期待して下さる方々が出来ました。私は、彼らを裏切る事は決して出来ません。……私は終生父や兄に為政者としては及ばないかもしれませんが、民に掛ける慈愛の心では誰にも負けぬ努力を致します。我がノルツァー家は民を安んじ未来永劫に陛下を奉戴するとここにお誓い申し上げます!!!」
椅子から立ち上がり、バーナードの側で跪いたパトリオは堂々とそう宣誓して見せ、バーナードは大きく頷いた。
「よくぞ申した。これからもその慈愛の心を持って余を支えよ……パトリオ・ノルツァー公爵」
ドンッ!!!
バーナードが言い切るのとテーブルに拳が叩き付けられるのはほぼ同時であった。
「認めぬ……認めぬぞ!!! 何故私がそんな出来損ないに次期当主の座を奪われなくてはならんのだ!?」
イスカリオはその時初めてパトリオを視界の中心に収めた。
「兄上……」
「やめろっ、貴様に兄などと呼ばれるのは虫酸が走るわ!!! 父上!!!」
イスカリオに呼び掛けられ、俯いていたデミトリーは決意を秘めた目でゆっくりと椅子から立ち上がった。
「……陛下、その裁定は絶対に覆すつもりは御座いませんか?」
「無い」
「左様ですか……ならば致し方ありません」
バーナードを説得する事は出来ないと悟ったデミトリーは踵を返し、壁に掛けてある布を下に強く引っ張っるとそれを起点に四方の壁の布が落ち、裏に潜んでいた多数の兵が抜剣した。
「何の真似か、デミトリー?」
氷点下の声で尋ねるバーナードに、デミトリーも同じ温度の声で応じた。
「陛下があくまで我々を断罪すると仰るなら、我々も自分の身を守らなければなりません。せっかく助かったお命を大事になさりたいのであれば先ほどの言葉を撤回し、以降はノルツァー家に手出しは無用と宣言なさいませ」
「お、お止め下さい父上!!! せっかく拾ったお命を蔑ろにしているのは父上です!!! お2人が不自由無く生きていけるように取り計らいますから剣を引かせて下さい!!!」
護衛の面々の実力を知るパトリオはデミトリーを翻意させようと必死に説得の言葉を述べたが、デミトリーは侮蔑の視線でパトリオを見た。
「ノルツァー家の面汚しが……他国と通じ王を懐柔して私の頭越しに当主になろうとしてもそうはいかんぞ!! 思えば私が甘かった、お前などサッサと始末してしまうべきだったのだ」
「この家に貴様の居場所など無いのだ、出来損ないが!!! 待っていろ、この茶番が終われば私が手ずからその首を落としてやる!!! 処刑の心得は無い故、少々長く苦しむかもしれんがなぁ? ハッハッハッハッハッ!!!」
「父上……兄、上……っ!」
2人に拒絶された事にでは無く、誠意を受け入れて貰えない悔しさにパトリオは膝を崩し涙を零した。だが、その肩をバローが叩く。
「パトリオ、こんな屑共にこれ以上情けなんざ掛けなくていいんだよ。どうせ生きてる限り人の迷惑にしかならねぇ連中だ、ここで縁が切れて清々したと思っとけ」
「その通りだ。どうせこうなるのなら早く襲ってくればいいものを、いつまで兵士共を控えさせておくつもりなのかと思ったぞ?」
「ば……陛下、ひーの側に」
「……うむ、以後も人前ではそう呼んでくれ」
「一人当たり20人ほどだ、出来るな?」
「「「愚問!」」」
バローが剣を抜き、ベルトルーゼが斧槍を構え、ヒストリアがバーナードとパトリオの間に陣取った。悠はあくまで自然体でその場で佇んでいる。
「馬鹿な奴らよ……ならば共に死ね!!!」
デミトリーの号令に反応し、兵士達が動き出した。
なるべくしてこういう結末になりましたね。




