8-84 忠誠2
(……今のが『自在奈落』……話だけは聞いていたが、子供のくせにとんでもない化け物め……!)
アライアットに冒険者は居ないが、貴族としてあらゆる情報を集めているイスカリオはヒストリアの事を多少は知っていた。人間五強の一角で『奈落の申し子』と呼ばれるヒストリアだが、『奈落』は先ほどの不可解な何かであり、『申し子』と称されるのは文字通り子供だからだとイスカリオは自身の知識を補強した。もしこの事をヒストリアが知れば、怒ったヒストリアにイスカリオはその場で消滅させられていただろう。
今見た『自在奈落』の性能から推測するに、ヒストリア相手に接近戦は自殺行為だ。積み上げた防壁には石や土や鉄なども混じっていたが、『自在奈落』は何もかもを綿でも掬い取る様に根こそぎ消滅させてしまっていた。これではどれだけ多くの兵士が襲い掛かっても防具ごと殺されてお終いである。
(恐れぬのは恐れぬだけの備えをしているという事か、バーナードめ……!)
ゆっくりと歩きながらイスカリオは歯噛みしたが、数は絞ったのだと心を落ち着かせた。いくら強かろうと所詮は5人……いや、4人だけなのだ。パトリオなど数の内に入らないのだから。
(各軍の長と国王であるバーナードが揃っている今が好機かもしれん。冒険者の長などどうでもいいが、ベロウ・ノワールとベルトルーゼ・ファーラムはどちらもそれぞれの国の重要人物だ。交渉が決裂すればバーナード共々捕らえてしまえばノースハイア、ミーノス両国への人質として使う事も出来るはず。父上も万一の時の為にその為の方策も考えているだろう。我が家の精鋭である親衛隊が不意を突けば先ほどの『天使』同様に打ち負かせる。たった4人で100人の奇襲は防げまい!)
イスカリオの常識では軍のトップに立つからと言って必ずしも強い訳では無いという思い込みがあった。父であるデミトリーも国軍を率いているが、別に最前線で剣を振るう事は無い。むしろ、指揮官自らが剣を振るうようではそれは既に負け戦なのだ。指揮官は戦力を効率よく運用する能力があればよく、一騎当千の強者で無くてはならないという決まりなど無いのである。
(そうだ、そもそもベロウ・ノワールなどという名は最近よく聞くようになった名であって、それ以前の戦争では全く聞かない名だったのだ。大方、カザエルに上手く取り入って気に入られたのだろう。ベルトルーゼなど、全身鎧を纏っていても所詮は女、恐れるべき存在では無い。問題はヒストリアとあのユウという男か……)
悠の情報は急ぎ集めたが、殆ど分からなかったと言っていい。分かっているのは今現在唯一のⅨ(ナインス)の冒険者であり、『戦塵』という冒険者集団を率いる男という事だけだ。
(Ⅸの冒険者がどれほどのものかは知らんが、人間である以上目は2つしか無いのだ、四方八方から捨て身で掛かって来られてはどうにもなるまい。ヒストリア諸共罠に掛けるも狙撃で殺すも自由に選べる。或いは、懐柔出来るのならこちらに寝返らせるのも考慮すべきか。ヒストリアはあの男を信頼しているようだ、金で転べば一気に2人こちらの戦力として使えるという事になる)
ただ歩いている間にもイスカリオの頭脳はフル回転して策を練り続けていた。「普通の」人間相手であればそれはあながち的外れな策でも無く、イスカリオがただの貴族のボンボンでは無い証拠になったかもしれないが、残念ながらイスカリオは相手の戦力の桁を見誤っている。見当違いの数字を代入しても正しい答えには辿り着けないのだが、それを親切にイスカリオに指摘する者はこの場には居ない。
「……ゆー、あいつ、多分悪い事を考えてるぞ?」
「知っている。視ているからな」
少し先を行くイスカリオの背中を悠は『竜ノ慧眼』で視ていたのだ。そこに表示される数値は-17721であり、一概には言えないが、悠の経験上改心もしていないのなら相当な悪人と見て構わないだろう。振り返って背後のパトリオはと見れば、-531と小悪党とも言えない数値であった。同じ家に育ったというのに巨大な差である。
この差が貴族としての差かどうかは悠には分からないが、少なくとも人間としてはパトリオの方がずっとマシであろう。
「言うまでも無いだろうが、バーナードから目を離すなよ」
「それこそ言うまでも無い事だぞ、ゆー。ひーは自分のやるべき事は分かっている。こっちはいいから、ゆーはぱっちを守ってやれ。あのニヤケ面、意図的にぱっちを無視しているが、無視していると言うのが逆に気にしている証拠だ。本当は苦々しく思っているのだろう」
ヒストリアは人の悪意に敏感だ。それはこれまでのヒストリアの人生が醸造したものだが、その全てがイスカリオに嫌悪感を示していた。誠実さの欠片も無く、実の弟を蔑ろにするイスカリオなど、ヒストリアは略称ですら名前を呼びたくは無かった。
一方、周囲を警戒していたベルトルーゼは肩透かしを食って溜め息を吐いた。
「はぁ……つまらん。街に入った途端、山ほど兵士どもが襲い掛かって来るかと思ったのに……」
「あのな……まだ交渉の目があるのに公爵にまでなった貴族がそんなに短絡的なワケねぇだろ」
小声で愚痴るベルトルーゼを、同じく小声でバローが窘めた。そういう武断的な考え方は貴族では無く軍人のものである。
しかし、バローは更に声を潜めて言葉を続けた。
「だが、いよいよとなったら形振り構わないのも貴族ってヤツだ。ガッカリすんのはまだ早ぇぜ」
「勿体ぶらずに早くやればいいのだ。我が愛槍は血に飢えているというのに」
「……血に飢えているのは槍じゃ無くてお前だろーが……」
バローも心情的にはベルトルーゼと同じく早く決着をつけてしまいたいが、ベルトルーゼよりは貴族の流儀というものを知っており、相手の言い分も訊かずに武力を行使する危険性は認識していた。逆らう者を圧倒的な武力で叩き潰すのは簡単で時間も掛からず、快感すら伴う甘美な手段であるが、それは一方で多くの者に辛酸を舐めさせる事でもある。異なる思想を排除するだけでは不満はゆっくりと醸成され、いつかは反乱という形で爆発するだろう。為政者はその事に留意し、ごく少数に完全な満足を与えるのでは無く、より多くの者達にほどほどの満足を与えなくてはならない……というのが妹のレフィーリアの思想である。
バローはそれを更に一歩進め、より満足を得たければ自分で勝ち取る事を理想としている。レフィーリアもその思いに応え、ノワール領は改革の最中にあるのだ。
(これが済んだら俺もお役御免だな……)
領主としての筋道は既に示した。あとはアライアットが鎮まればこれからは治世の時代である。自分の役目は終わりだろう。
そこで、はたとバローはある事に気が付いた。
(……あ……そういやアグニエルの野郎、しっかり手柄を上げてやがったな。レフィーに求婚すんのか?)
忙しくて忘れていたが、アグニエルは『天使』を一体討ち取るという功績を上げているのだ。求婚を認めない訳には行かないだろう。
(……ま、いいか。選ぶのはレフィーであって俺じゃねえ。今時政略結婚なんざ流行らねぇよ)
家の為にレフィーリアを犠牲にするつもりはバローには全く無い。既に侯爵という過分な身分も得たのだし、好きな男と結婚する権利くらいはあってもいいはずだ。相手がバルボーラのような論外で無ければバローに異論は無いのである。
その未来の為にもここは乗り切らねばならないと気合いを入れ直すバローとは対照的なのがパトリオだ。
(……やはり父上や兄上と敵対する事になったか……いや、2人の中では私は既にノルツァー家の人間では無いのだろうから、父上や兄上とは呼べないか……)
身内に認められたいという願望を持っていたパトリオにとってそれは心の冷える事実であったが、パトリオも今や個人的感情を優先させられる立場では無かった。
(……今更だな。こんな私にも付いて来てくれる者達が居るのだ。私はその思いに応えなければならない。父上と兄上がその邪魔をすると仰るのであれば……)
パトリオの説得で投降した兵士やステファーの顔を思い浮かべ、馬上のパトリオは腰の剣の柄を強く握り締めた。
それぞれの想いを秘め、一行はノルツァー家の屋敷の門をくぐったのだった。




