8-81 跳梁15
それは死闘と呼ぶに相応しい戦闘であった。翼を触手に変えて槍のように突き出してくる『偽天使』に対し、親衛隊は数の力で対応した。
「一人で突出するなよ!! こいつに捕まると『死兵』にされるぞ!! 神経を研ぎ澄ませ!!」
モーンドの剣が前衛の防御の隙間を抜けて来た触手を斬り飛ばし、他の兵士達に注意を促す。
兵士達に幸いしたのは『偽天使』に『大天使』ほどの攻撃力、不死身性が無かった事だろう。高い防御力で攻撃を防ぎ、触手を斬るだけでも僅かといえどダメージを蓄積させていくという神経をすり減らす戦闘に耐える練度の高さもそれを後押しした。
彼らは冒険者で言えば最低でもⅤ(フィフス)以上の実力を誇る猛者であり、隊としてのチームワークも非常に高い。100人という定員で絞られており、デミトリーがいざという時の為にテルニラに残しておいた事が役に立ったと言える。
そして『偽天使』にも問題があった。『偽天使』に戦闘巧者として確固たる意志があればその高いスペックを駆使して親衛隊を圧倒する事も不可能では無かったのだが、正面に目を引き付けておいて奇襲を掛けるなどどこか人間じみた策を弄する割に、そこから先の策が『偽天使』には無かった。それはどこか『天使』の力に驕ったガルファやシルヴェスタに近いものであった。
知性は人間の最大の武器である。身体的スペックで魔物に大きく劣る人間が滅ぼされる事無く生き延びているのは知性を磨き、対処する方法を学んだからだ。罠を張り、武器を作り出し、協力して対抗するからこそ人間は強いのである。
Ⅷ(エイス)の冒険者に迫るモーンドの指揮も見事な手腕と評するに値した。決して無謀な賭けに出ず、隊員の疲労や損傷を把握し常にローテーションさせて着実に勝利への道のりを積み重ねていく姿は理想の隊長の姿であった。
数名の死者を出し、また多数の負傷者を出しながらもモーンドは遂に『偽天使』に打ち勝った。
「……グ……ゥ…………」
恨みの籠もった唸り声を最後に満身創痍の『偽天使』が崩れ落ちた。戦闘時間2時間弱、与えた傷は千にも届くであろう激戦を制したのは人間の側であった。
「……やった、か?」
「……もう動かないようです。念の為もう何度か刺しておきましょう」
あくまで油断無く倒れた『偽天使』に数名の兵士が槍を突き立てていくが、『偽天使』はもう反応せず沈黙したままであった。
「ようやくくたばったか……前にドラゴンを討伐した時と同じくらい苦労したな……」
「手数で魔法を防げたのが大きかったですね。それに室内で飛び回る事も出来ませんでしたから」
天井の低い室内での戦闘であるという事と、手数による詠唱の強制中断が勝因であろう事は疑い無い。地の利と人の利を活かし切ったモーンドと隊員達の作戦勝ちだ。
……ところで、モーンドには一つの能力がある。それは戦闘力を増強する能力では無かったが、この能力のお陰でモーンドは幾度も命を拾って来た『警報』というものだ。最初に『偽天使』の攻撃を察知出来たのもこの能力が普段から微弱に発動しているからであった。
『警報』自体はそれほど強力な能力では無い。『剣聖』の『先読み』ほど正確な回避情報は得られないので対処は自力で行わなければならないのだ。だからこそモーンドは目に見えぬ危機に対応出来る様に己を鍛え上げたのだ。
『警報』はモーンド以外には聞こえない不協和音という形でモーンドに危機を伝える。概ね危険の度合いは音の大きさで表され、方向なども音の発生源から察する事が出来る。
一度完全に鳴り止んだはずの『偽天使』から再び『警報』が発せられ、徐々に強くなるのを感じたモーンドの決断は早かった。
「総員退避!!!」
最初に行動を起こす事でモーンドが全体の行動を促すと、鍛えられた兵士達は反駁する事無く一歩遅れて従った。モーンドの命令で命を拾った隊員は数多く、その指示は隊員にとっては絶対なのだ。
音の発生源である『偽天使』から距離を取る選択をしたのはモーンドの勘だったが、それは経験と理論で成り立った勘である。明らかに死んでいるはずの『偽天使』に念には念を入れてトドメまで刺したのに音が止まないという事は、死ぬ事によって発動する何かではないかと考えたのだった。ならばこれ以上の攻撃は無意味どころか有害ですらある。
その予測は当たった。
『偽天使』の翼が蠢き、剣山のような針山に変化するのと、足の遅い重装兵がドアに辿り着くのは同時であった。
「っ! しゃがんで後方に盾!!!」
モーンドの指示が飛び、重装兵がドアに倒れ込みながら盾を構えた。
バシュッ!!!
最初の石礫よりも激しい勢いで剣山から針が発射され、室内を蹂躙した。一本が30センチほどありそうなその針は石の壁を貫き、兵士の盾を貫通する。
「ぐっ!?」
盾の裏側から飛び出した針が兵士の小手や鎧まで貫いたが、盾を貫通する事で威力を削がれていた為に貫通するには至らなかった。
「大丈夫か!?」
「だ、大丈夫です、致命傷ではありません」
盾を捨て、体に刺さった針を抜きながら兵士は答えた。出血も痛みもあるが、死に至る傷では無いのは冷静に判断出来るレベルであった。
「しかしその傷ではもう動けまい、医者の所に運んでやれ」
「「はっ!」」
周囲の兵士が鎧を外し、負傷した兵士を運び、完全に危険は取り払われたと察したデミトリーがモーンドに頷いてみせた。
「流石はモーンド、見事だ」
「いえ、自分の職務ですので。手間取ってしまい申し訳ありません」
デミトリーの前に膝を折り畏まるモーンドは心からの忠誠を誓っているように見えた。しかし、その忠誠は決してデミトリー個人に対して向けられているものでは無く、ノルツァー公爵家という家に向けられているものである。代々武によってノルツァー家に仕えるモーンドの家は幼い頃から主家に対しての忠誠心を刷り込まれて育ち、個人的な感情よりも優先されるべき事柄なのだった。逆に言えばデミトリーがノルツァー家を滅ぼす様な選択肢を取らない限りモーンドの忠誠は絶対である。
「仕方が無い、あんな化け物を飼っている聖神教が相手なのだ。連合軍も6万もの軍勢を持ちながら『天使』に敗れたとなれば我らも早急に兵力を揃えねばならん。出来れば連合軍が何体か『天使』を倒してくれているといいが……」
『偽天使』を『天使』と誤認しているデミトリーがこう考えたのも無理からぬ事だろう。しかし、こちらに入れ知恵して来た『天使』も居たのだから100%決裂したと決めつけるのも早計である。一部の強硬派の独断かもしれず、慎重に行動するべきだ。
「……音が止んだな……そろそろ外も終わったか」
「ち、父上!! すぐにお出で下さい!!!」
そこに息を弾ませてイスカリオが駆け込んで来た。息の荒さとは別に、その顔色は青く、何かしらのトラブルの気配にデミトリーの眉が顰められる。
「どうした? まだ『死兵』は排除出来んのか?」
「『死兵』の排除は終わりましたが……それどころではありません!! ……敵です、敵の大軍勢がこちらに向かっております!!!」
「……チッ、聖神教め、この襲撃に合わせて軍を控えさせていたか!!」
「違います!!」
肯定が返って来るはずだと思っていたデミトリーは思わず肩透かしを食って表情の選択に迷った。そして、もう一つの可能性に思い至り驚愕とともに言葉を吐き出した。
「……なんだと…………まさか、攻め寄せている軍勢とは……!?」
「……れ、連合軍です!! 連合軍およそ6万がこの街に……!」
息子と同じように、デミトリーの顔からも血の気が引いていった。




